[ご無沙汰をしておりました]
私の地方でもコロナウイルス呼吸器感染症の影響により日々隠遁生活をおくっていたためブログ記事更新もできず、皆さまにすっかりご無沙汰をしてしまいましたが、皆さまはいかがお過ごしでしたでしょうか。
ブログ上で申し訳ありませんが心よりお詫びを申し上げます。
それにしても久しぶりのPCデスクに向かったわけでありまして、インターネットセキュリティソフトの更新プログラムが次々とダウンロードされつづけ、ブログを開くにもかなり時間を要しました。
[自宅から15分ほどの紫陽花寺(弓削寺)のアジサイ]




[雑感=いま何をすべきかを知らない人は不幸だ]
新型コロナウイルス呼吸器感染症の猛威が日本のみならず世界中が感染拡大となり、いまや感染者が1000万人、死者数も50万人ちかくに及んでいます。
日本は公的には比較的抑え込んでいるとして、安倍政権は経済活動再開に舵をきりましたが、実際には症状が出ていても保健所にPCR検査を受けさせないようあれこれ理屈をつけて先延ばしし、検査数をしぼりつづけたため実態とはかけ離れた感染者数が独り歩きしている状態です。
私の住んでいる自治体でも自治会内に感染の疑いがある住民がいましたが、保健所で検査を受けさせてもらえず結局は隣県で濃厚接触者扱いで検査を受けることができたという考えられないようなことがありました。
東京五輪の開催に前のめりだったために延期が決まるまで政府、東京都も初期対応が遅れ、また新型インフルエンザ時の教訓を全く生かさないまま、保健所や病院の病床数を減らし続けたツケが一気に日本中を混乱に陥れたことは間違いありません。
また、日本中いや世界中で蔓延している新型コロナ呼吸器感染症による甚大な被害が出ている中で、米中両大国で露わになった覇権争いの醜さは目に余ります。
100年ほど前の通称スペイン風邪(スペインインフルエンザ)は、元々がアメノカ大陸が感染源発祥地という事実は隠しようもありません。
第一次世界大戦終結を早めさせたとも言われるこの感染症について、米国は国際社会からいっさいの責任を取らず回避できました。
それは感染症にあえいでいたヨーロッパ諸国の厭戦気分もあり、国際社会がウイルス発生地の責任を問うのではなく、国際社会がこの危機を乗り切るための国際協力体制構築へ舵を切ったからです。
いまはどうでしょうか?
自国優先、情報公開はしない、2大国のトップのいずれも自分の地位維持に必死で、他国に責任をなすりつける、かつ人権蹂躙を当然視し他国の批判をいっさい拒否するという姿勢を露わにしています。
これは安倍政権も同じで、情けない限りです。
戦後、新憲法のもとで開かれた最初の国会において、初々しい青年議員の訴えは、新たな時代の息吹にあふれていました。
「本会議場において活発なる討議の展開ができますることは、明朗なる政治、すなわちガラス箱の中での民主政治の発達助長に資すること大なり」。
当時29歳だった初当選の田中角栄はそんな意気込みを口にしました。
のちに自民党から総理大臣になる人物までもが日本国憲法のもと、国民主権となった国会のあるべき姿をしっかりとらえていたのです。しかしながら国民のための役割を封じようとしているのが現在の安倍自公政権です。
コロナ禍の渦中に閉じられた通常国会。不十分な対策、不透明な業務委託。さらに、選挙でカネをばらまいた買収容疑で逮捕された前法相とその妻の国会議員までも。
相次ぐ失政や不祥事で、まさに国会がチェック機能を果たさなければならない、そのときにです。数々の疑惑や不信が尽きないなかでの国会閉会の強行は、この政権がいかに民意からかけ離れているかを物語っています。
国会の私物化はこれまでもありました。国民の多くが反対した安保法制の際には会期を95日間も延ばし、「働き方」やカジノ法を押し通すときも同様に国会を延長しました。一方で、自分たちに都合が悪いとなれば、追及をかわすために野党や市民の「国会を止めるな」の声に背を向けて逃れる情けなさを露わにしました。こんどの国会で政治を動かしたのは、市民と野党の共闘でした。降りかかったコロナ危機から、みんなの命とくらしを守る、国民が主人公となった原点にも通じる熱いうねりは、新しい政治のあり方を示しています。
これは、現在闘われている東京都知事選挙でもいかされています。
自らを彩られる自分語り、上書きされた過去。時の権力者にすり寄り、のし上がっていく姿がありありと。いま話題の『女帝 小池百合子』は、彼女の人生とともに政治家とは何かを投げかけます。ニュースキャスターから政界に転身し、国会議員として当選を重ね、環境相や防衛相を歴任。そして都政へ―。マスコミにもてはやされ、男社会のなかで要職にも就きながら、政治家として何を残してきたのでしょうか。
日本新党から始まり、保守新党、保守党など次つぎと乗り換えていく政党遍歴はもちろん「歴史的使命は終わった」と自民党を散々たたきながら、平然とその党に収まる節操のなさ。
政界渡り鳥の異名どおり、時々の風に乗って権力闘争を生きのびる一方、市井のことには無関心でした。それは、都知事になってからも同じです。
4年前、東京大改革と称して掲げた七つのゼロ。残業や満員電車、待機児童や介護離職、多摩格差…。思いつきのような公約にくわえ、築地は守る、五輪の経費や施設を見直すことも、なんのことはないすべて投げすててきました。コロナ対応も五輪開催にこだわって出遅れ、横文字フレーズばかりの不十分さが際立ちます。都民ファーストをいいながら、人々の悩みや苦しみにむきあわず、みずからの野望を果たそうとする。その姿はどこかの首相と重なります。「ひたすら上だけを見て、虚と実の世界を行き来している」、著者でノンフィクション作家の石井妙子さんは彼女の人生をそう言い表しています。
そこにあるのは、信念なき虚飾の政治家です。
本当に庶民の声をくみ上げることができることができる政治家は、パフォーマンスやポピュリストではありません。
自公政治を終らせることができるのは市民と野党が共同して押す候補者だけです。間違っても市民と野党の共同に分断を持ち込むような人物が真に庶民の立場に立てるはずがありません。
参加してるので、応援してもらえたら嬉しいです``r(^^;)ポリポリ

(↑ポチ
) (↑ポチ
)
拍手ボタンのポチポチお願いで~す。まり姫の励みになります、そして皆さんには笑顔をネ(*^^*ゞ
拍手ボタンを押すともっと見たくなりますよm(o´・ω・`o)mペコリン
私の地方でもコロナウイルス呼吸器感染症の影響により日々隠遁生活をおくっていたためブログ記事更新もできず、皆さまにすっかりご無沙汰をしてしまいましたが、皆さまはいかがお過ごしでしたでしょうか。
ブログ上で申し訳ありませんが心よりお詫びを申し上げます。
それにしても久しぶりのPCデスクに向かったわけでありまして、インターネットセキュリティソフトの更新プログラムが次々とダウンロードされつづけ、ブログを開くにもかなり時間を要しました。
[自宅から15分ほどの紫陽花寺(弓削寺)のアジサイ]




[雑感=いま何をすべきかを知らない人は不幸だ]
新型コロナウイルス呼吸器感染症の猛威が日本のみならず世界中が感染拡大となり、いまや感染者が1000万人、死者数も50万人ちかくに及んでいます。
日本は公的には比較的抑え込んでいるとして、安倍政権は経済活動再開に舵をきりましたが、実際には症状が出ていても保健所にPCR検査を受けさせないようあれこれ理屈をつけて先延ばしし、検査数をしぼりつづけたため実態とはかけ離れた感染者数が独り歩きしている状態です。
私の住んでいる自治体でも自治会内に感染の疑いがある住民がいましたが、保健所で検査を受けさせてもらえず結局は隣県で濃厚接触者扱いで検査を受けることができたという考えられないようなことがありました。
東京五輪の開催に前のめりだったために延期が決まるまで政府、東京都も初期対応が遅れ、また新型インフルエンザ時の教訓を全く生かさないまま、保健所や病院の病床数を減らし続けたツケが一気に日本中を混乱に陥れたことは間違いありません。
また、日本中いや世界中で蔓延している新型コロナ呼吸器感染症による甚大な被害が出ている中で、米中両大国で露わになった覇権争いの醜さは目に余ります。
100年ほど前の通称スペイン風邪(スペインインフルエンザ)は、元々がアメノカ大陸が感染源発祥地という事実は隠しようもありません。
第一次世界大戦終結を早めさせたとも言われるこの感染症について、米国は国際社会からいっさいの責任を取らず回避できました。
それは感染症にあえいでいたヨーロッパ諸国の厭戦気分もあり、国際社会がウイルス発生地の責任を問うのではなく、国際社会がこの危機を乗り切るための国際協力体制構築へ舵を切ったからです。
いまはどうでしょうか?
自国優先、情報公開はしない、2大国のトップのいずれも自分の地位維持に必死で、他国に責任をなすりつける、かつ人権蹂躙を当然視し他国の批判をいっさい拒否するという姿勢を露わにしています。
これは安倍政権も同じで、情けない限りです。
戦後、新憲法のもとで開かれた最初の国会において、初々しい青年議員の訴えは、新たな時代の息吹にあふれていました。
「本会議場において活発なる討議の展開ができますることは、明朗なる政治、すなわちガラス箱の中での民主政治の発達助長に資すること大なり」。
当時29歳だった初当選の田中角栄はそんな意気込みを口にしました。
のちに自民党から総理大臣になる人物までもが日本国憲法のもと、国民主権となった国会のあるべき姿をしっかりとらえていたのです。しかしながら国民のための役割を封じようとしているのが現在の安倍自公政権です。
コロナ禍の渦中に閉じられた通常国会。不十分な対策、不透明な業務委託。さらに、選挙でカネをばらまいた買収容疑で逮捕された前法相とその妻の国会議員までも。
相次ぐ失政や不祥事で、まさに国会がチェック機能を果たさなければならない、そのときにです。数々の疑惑や不信が尽きないなかでの国会閉会の強行は、この政権がいかに民意からかけ離れているかを物語っています。
国会の私物化はこれまでもありました。国民の多くが反対した安保法制の際には会期を95日間も延ばし、「働き方」やカジノ法を押し通すときも同様に国会を延長しました。一方で、自分たちに都合が悪いとなれば、追及をかわすために野党や市民の「国会を止めるな」の声に背を向けて逃れる情けなさを露わにしました。こんどの国会で政治を動かしたのは、市民と野党の共闘でした。降りかかったコロナ危機から、みんなの命とくらしを守る、国民が主人公となった原点にも通じる熱いうねりは、新しい政治のあり方を示しています。
これは、現在闘われている東京都知事選挙でもいかされています。
自らを彩られる自分語り、上書きされた過去。時の権力者にすり寄り、のし上がっていく姿がありありと。いま話題の『女帝 小池百合子』は、彼女の人生とともに政治家とは何かを投げかけます。ニュースキャスターから政界に転身し、国会議員として当選を重ね、環境相や防衛相を歴任。そして都政へ―。マスコミにもてはやされ、男社会のなかで要職にも就きながら、政治家として何を残してきたのでしょうか。
日本新党から始まり、保守新党、保守党など次つぎと乗り換えていく政党遍歴はもちろん「歴史的使命は終わった」と自民党を散々たたきながら、平然とその党に収まる節操のなさ。
政界渡り鳥の異名どおり、時々の風に乗って権力闘争を生きのびる一方、市井のことには無関心でした。それは、都知事になってからも同じです。
4年前、東京大改革と称して掲げた七つのゼロ。残業や満員電車、待機児童や介護離職、多摩格差…。思いつきのような公約にくわえ、築地は守る、五輪の経費や施設を見直すことも、なんのことはないすべて投げすててきました。コロナ対応も五輪開催にこだわって出遅れ、横文字フレーズばかりの不十分さが際立ちます。都民ファーストをいいながら、人々の悩みや苦しみにむきあわず、みずからの野望を果たそうとする。その姿はどこかの首相と重なります。「ひたすら上だけを見て、虚と実の世界を行き来している」、著者でノンフィクション作家の石井妙子さんは彼女の人生をそう言い表しています。
そこにあるのは、信念なき虚飾の政治家です。
本当に庶民の声をくみ上げることができることができる政治家は、パフォーマンスやポピュリストではありません。
自公政治を終らせることができるのは市民と野党が共同して押す候補者だけです。間違っても市民と野党の共同に分断を持ち込むような人物が真に庶民の立場に立てるはずがありません。
参加してるので、応援してもらえたら嬉しいです``r(^^;)ポリポリ


(↑ポチ


拍手ボタンのポチポチお願いで~す。まり姫の励みになります、そして皆さんには笑顔をネ(*^^*ゞ
拍手ボタンを押すともっと見たくなりますよm(o´・ω・`o)mペコリン
スポンサーサイト
コメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2020/06/30 21:21
#[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2020/06/30 11:32
#[ 編集]