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ぼやき
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姪(土岐陽子)がいなくなってからはや半年が過ぎましたが、この間、史上最悪の安倍悪政の弊害がますます顕著になり、消費税大増税による大幅な景気の落ち込みでGDP(国内総生産)は何と6.・3%も下落、追い打ちをかけるように新型コロナウイルスの感染急増に見舞われ、安倍無能政権はただ右往左往しているだけです。
姪が生きていれば「安倍政治を終らせることだけが唯一の日本の危機を回避できる唯一の道」であると断言するでしょう。
安倍首相自身に関わる「桜を見る会」の公金の私物化疑惑、前夜祭への飲食提供で安倍後援会主催であったにもかかわらず、「ホテル側と合意はしたが契約はしていない」「幅広く募ったが募集はしていない」など、日本語では通用しないそれこそ意味不明の救いようのないデタラメ答弁を繰り返し、国権の最高機関である国会を冒涜し続けています。
歴代内閣さえやらなかった公文書改ざん・隠ぺい・廃棄、ウソの上塗りに官僚の忖度、あげればきりがないと言ってもいいでしょう。
一方政府は「ダイヤモンド・プリンセス」号に乗船し、感染が確認されていた80代の日本人男女2名が死亡したことを発表しました。安倍首相も官邸ロビーで記者団の取材に応じ、哀悼の意を表すとともに「政府には国民の健康と命を守る大きな責任があります。その責任を果たすために、政府一丸となって全力で取り組んでいく考えであります」と語っていました。
問題なのはその後の行動です。このわずか約2分の取材を終えると、安倍首相は官邸をあとにして、その足で六本木に直行しています。(首相動静による)
〈午後7時1分、東京・六本木の京料理、鉄板焼き店「花郷 六本木店」着。評論家の金美齢氏、自民党の城内実、池田佳隆、石川昭政、長尾敬、簗和生、山田賢司各衆院議員、小野田紀美参院議員らと会食〉(時事通信)
死亡者を出してしまったその日の夜に宴会……(何をかいわんや)。呆気にとられるのが、そのメンバーです。金美齢といえば、「安倍晋三の婆や」を自称するほどの熱狂的な安倍支持者。長きにわたって深い親交があるだけでなく、安倍首相に対する個人献金では親族ぐるみで献金を分けることで個人献金の限度額を超えるという“分散献金”の疑いも取り沙汰されたこともあります。
その上、安倍首相と金氏を囲む輩も酷い。極右で「日本会議」とも関わりが深い城内議員・長尾議員に、日本青年会議所(JC)の元会頭で前川喜平・元文科事務次官による公立中学校での公開授業に圧力をかけた池田議員、“言論弾圧会議”こと「文化芸術懇談会」のメンバーでもあった安倍チルドレンで神社本庁の政治部隊・神道政治連盟の支援を受ける極右の石川議員・簗議員、自民党ヘイトスピーチ対策等に関する検討PT初会合で「右翼車両よりも左翼のほうがうるさい。取り締まりや排除をすべき」などと主張した山田議員、そして新型コロナ問題に乗じて〈指定感染症になれば治療費は公費になる。それ目当てで日本に来る者が現れることは容易に想像できるのに!〉などとんでもツイートをおこない排外主義を巻き散らかした小野田議員……。そう、揃いも揃ってネトウヨ議員ばかりだったのです。
挙句の果ては日本維新の会の極右議員を使って国会本会議の場で悪質なデマ攻撃をさせ悪乗りするなど内閣総理大臣にあるまじき態度を露呈しました。
野党がこぞって怒るのも当然です。
歴史の片隅に埋められた人物を掘り起こし、それを発掘し紹介することは、今を生きる人びとや社会に新たな光を差し込みます。作家で特高に虐殺された小林多喜二の命日を知っている方はいらっしゃるでしょうが、その9日前、国家権力によって同じように命を奪われた活動家がいたことは小林多喜二ほどに知られていません。その人物は北海道・新十津川出身の西田信春(のぶはる)です。
北の大地に育まれ、物静かでやさしく、周りから好かれていた少年時代。ボート部の活動に熱中し、熱烈な恋を夢想しながら、社会科学にめざめていった東大時代。戦前の嵐のなかで社会運動にとびこみ、日本共産党員として活動した時代。やがて九州の党を立て直すために赴きますが、1933年2月11日、特高によって福岡署で虐殺されました。しかも30歳の若さでです。「消息不明」で隠された死の真相が判明したのは戦後になってからでした。多喜二らと同じ時代を駆け抜けたその青年の骨格が浮かび上がる評伝が今月刊行されました。
『西田信春―甦(よみがえ)る死』(学習の友社)。同郷の元高校教諭で著者の上杉朋史(ともし)さんは自身の祖先探しのなかで存在を知ります。闘病生活の執筆で書き上げた直後に亡くなりました。「今の政治状況が西田の時代ときわめて相似的に映ることへの危機意識」。それが原動力でした。「まじめに生きてゆくには、この道を歩むより以外に道はなかった…」。獄中にいたこともある西田は母への手紙にそう記しています。社会を変えるために命をかけた人間の、よみがえる生がそこにあります。
戦前からどれだけ弾圧されようと決して屈せず自由と民主主義を求め、命がけで侵略戦争に反対した唯一の良心的政党は暴力革命どころか暴力を最も嫌い言論のみで戦いつづけ多くの若者たちが獄につながれ無残に殺されても挫けず、また次の若者たちが殺された仲間の遺志を引き継ぎ、不屈に戦い続け最も国民の利益を守ろうとした唯一の政党だったということを我々は知るべきです。
それが安倍自公政権が一番恐れる日本共産党なのです。
「西田信春来歴」
1933年2月10日「九州地方空前の共産党大検挙」と報じられた弾圧(検挙者508人)で検挙され、福岡警察署で十数時間に及ぶ拷問を受けても黙秘を貫き、翌日午前深夜に虐殺された。遺体は九州帝国大学法医学教室で解剖され、鑑定書で「氏名不詳」の「病死」「急死を招来すへき特異体質を有するを以て、恐らく精神の興奮等精神神経の刺戟により急に心臓機能の停止を来し、死に至りたるもの」とされ、遺骨は「犯人不明障害致死被疑事件被害者氏名不詳者の死体」「行旅物故者共同納骨」として福岡市内の無縁墓地に葬られた。氏名不詳とされた事実は、西田が拷問に堪え口を割らなかったことを証明している。
没後明らかになった特高警察による公文書によれば、西田の「解剖報告書」は以下の通りであり、下線部分は特高警察により改竄された部分であった。
男屍、身長169.0、体格大、右目2カ所、左右大腿など表皮破れ、内出血。腕に針でついたような斑9、中指と薬指の間の表皮破れ暗紫色。胸腺等急死を招来すへき特異体質。死後14、5時間
— 解剖報告書
戦後しばらくの間、警察のスパイだという説があっが、1957年になって、当時特高警察が医師を欺き「死を永久に闇に葬るつもり」であったなどの真相が明らかになり、同4月16日付日本共産党機関紙「アカハタ」は「二十数年ぶりに判る―故西田信春氏虐殺当時の模様」の記事を掲載。1970年、山岸一章『革命と青春―日本共産党員の群像』(新日本出版社、新日本選書)に評伝が書かれ、また、石堂清倫・中野重治・原泉編『西田信春書簡・追憶』(土筆社)が刊行された。1990年、郷里の新十津川町に「西田信春碑」が作られ、毎年2月11日、碑前祭が開かれている。



参加してるので、応援してもらえたら嬉しいです``r(^^;)ポリポリ

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姪が生きていれば「安倍政治を終らせることだけが唯一の日本の危機を回避できる唯一の道」であると断言するでしょう。
安倍首相自身に関わる「桜を見る会」の公金の私物化疑惑、前夜祭への飲食提供で安倍後援会主催であったにもかかわらず、「ホテル側と合意はしたが契約はしていない」「幅広く募ったが募集はしていない」など、日本語では通用しないそれこそ意味不明の救いようのないデタラメ答弁を繰り返し、国権の最高機関である国会を冒涜し続けています。
歴代内閣さえやらなかった公文書改ざん・隠ぺい・廃棄、ウソの上塗りに官僚の忖度、あげればきりがないと言ってもいいでしょう。
一方政府は「ダイヤモンド・プリンセス」号に乗船し、感染が確認されていた80代の日本人男女2名が死亡したことを発表しました。安倍首相も官邸ロビーで記者団の取材に応じ、哀悼の意を表すとともに「政府には国民の健康と命を守る大きな責任があります。その責任を果たすために、政府一丸となって全力で取り組んでいく考えであります」と語っていました。
問題なのはその後の行動です。このわずか約2分の取材を終えると、安倍首相は官邸をあとにして、その足で六本木に直行しています。(首相動静による)
〈午後7時1分、東京・六本木の京料理、鉄板焼き店「花郷 六本木店」着。評論家の金美齢氏、自民党の城内実、池田佳隆、石川昭政、長尾敬、簗和生、山田賢司各衆院議員、小野田紀美参院議員らと会食〉(時事通信)
死亡者を出してしまったその日の夜に宴会……(何をかいわんや)。呆気にとられるのが、そのメンバーです。金美齢といえば、「安倍晋三の婆や」を自称するほどの熱狂的な安倍支持者。長きにわたって深い親交があるだけでなく、安倍首相に対する個人献金では親族ぐるみで献金を分けることで個人献金の限度額を超えるという“分散献金”の疑いも取り沙汰されたこともあります。
その上、安倍首相と金氏を囲む輩も酷い。極右で「日本会議」とも関わりが深い城内議員・長尾議員に、日本青年会議所(JC)の元会頭で前川喜平・元文科事務次官による公立中学校での公開授業に圧力をかけた池田議員、“言論弾圧会議”こと「文化芸術懇談会」のメンバーでもあった安倍チルドレンで神社本庁の政治部隊・神道政治連盟の支援を受ける極右の石川議員・簗議員、自民党ヘイトスピーチ対策等に関する検討PT初会合で「右翼車両よりも左翼のほうがうるさい。取り締まりや排除をすべき」などと主張した山田議員、そして新型コロナ問題に乗じて〈指定感染症になれば治療費は公費になる。それ目当てで日本に来る者が現れることは容易に想像できるのに!〉などとんでもツイートをおこない排外主義を巻き散らかした小野田議員……。そう、揃いも揃ってネトウヨ議員ばかりだったのです。
挙句の果ては日本維新の会の極右議員を使って国会本会議の場で悪質なデマ攻撃をさせ悪乗りするなど内閣総理大臣にあるまじき態度を露呈しました。
野党がこぞって怒るのも当然です。
歴史の片隅に埋められた人物を掘り起こし、それを発掘し紹介することは、今を生きる人びとや社会に新たな光を差し込みます。作家で特高に虐殺された小林多喜二の命日を知っている方はいらっしゃるでしょうが、その9日前、国家権力によって同じように命を奪われた活動家がいたことは小林多喜二ほどに知られていません。その人物は北海道・新十津川出身の西田信春(のぶはる)です。
北の大地に育まれ、物静かでやさしく、周りから好かれていた少年時代。ボート部の活動に熱中し、熱烈な恋を夢想しながら、社会科学にめざめていった東大時代。戦前の嵐のなかで社会運動にとびこみ、日本共産党員として活動した時代。やがて九州の党を立て直すために赴きますが、1933年2月11日、特高によって福岡署で虐殺されました。しかも30歳の若さでです。「消息不明」で隠された死の真相が判明したのは戦後になってからでした。多喜二らと同じ時代を駆け抜けたその青年の骨格が浮かび上がる評伝が今月刊行されました。
『西田信春―甦(よみがえ)る死』(学習の友社)。同郷の元高校教諭で著者の上杉朋史(ともし)さんは自身の祖先探しのなかで存在を知ります。闘病生活の執筆で書き上げた直後に亡くなりました。「今の政治状況が西田の時代ときわめて相似的に映ることへの危機意識」。それが原動力でした。「まじめに生きてゆくには、この道を歩むより以外に道はなかった…」。獄中にいたこともある西田は母への手紙にそう記しています。社会を変えるために命をかけた人間の、よみがえる生がそこにあります。
戦前からどれだけ弾圧されようと決して屈せず自由と民主主義を求め、命がけで侵略戦争に反対した唯一の良心的政党は暴力革命どころか暴力を最も嫌い言論のみで戦いつづけ多くの若者たちが獄につながれ無残に殺されても挫けず、また次の若者たちが殺された仲間の遺志を引き継ぎ、不屈に戦い続け最も国民の利益を守ろうとした唯一の政党だったということを我々は知るべきです。
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「西田信春来歴」
1933年2月10日「九州地方空前の共産党大検挙」と報じられた弾圧(検挙者508人)で検挙され、福岡警察署で十数時間に及ぶ拷問を受けても黙秘を貫き、翌日午前深夜に虐殺された。遺体は九州帝国大学法医学教室で解剖され、鑑定書で「氏名不詳」の「病死」「急死を招来すへき特異体質を有するを以て、恐らく精神の興奮等精神神経の刺戟により急に心臓機能の停止を来し、死に至りたるもの」とされ、遺骨は「犯人不明障害致死被疑事件被害者氏名不詳者の死体」「行旅物故者共同納骨」として福岡市内の無縁墓地に葬られた。氏名不詳とされた事実は、西田が拷問に堪え口を割らなかったことを証明している。
没後明らかになった特高警察による公文書によれば、西田の「解剖報告書」は以下の通りであり、下線部分は特高警察により改竄された部分であった。
男屍、身長169.0、体格大、右目2カ所、左右大腿など表皮破れ、内出血。腕に針でついたような斑9、中指と薬指の間の表皮破れ暗紫色。胸腺等急死を招来すへき特異体質。死後14、5時間
— 解剖報告書
戦後しばらくの間、警察のスパイだという説があっが、1957年になって、当時特高警察が医師を欺き「死を永久に闇に葬るつもり」であったなどの真相が明らかになり、同4月16日付日本共産党機関紙「アカハタ」は「二十数年ぶりに判る―故西田信春氏虐殺当時の模様」の記事を掲載。1970年、山岸一章『革命と青春―日本共産党員の群像』(新日本出版社、新日本選書)に評伝が書かれ、また、石堂清倫・中野重治・原泉編『西田信春書簡・追憶』(土筆社)が刊行された。1990年、郷里の新十津川町に「西田信春碑」が作られ、毎年2月11日、碑前祭が開かれている。



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コメント
まり姫さんの」「ぼやき」久し振りに拝読させて頂きました!相変わらずの魅力ある記事で読み応えがありますね!
老生FACE BOOKの綾部の文化財の記事入力に毎日朝5時30分から2時間かかっており、インターネットホームページはご無沙汰です。又、機会が有れば拝読させて頂きます!
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2020/02/28 21:51
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