昨日は予想通り点滴時間が長くなり、少々お疲れ気味になっちゃいました。
皆さまのところへお邪魔できなかったことをまずもってお詫びします。
主治医からは22日に抗がん剤治療を日帰りで実施するとの話があり、まだまだ先が長いことを実感させられ少しへこみました。
長い闘病生活は覚悟はしているのですが、元気で飛び回れる日がいつくるのか待ち遠しいのと焦りが交錯しています。
飛び回ると言ってもマイカーを手放したので、ホントに元気になっても旅行に出かけるのも交通費がしっかりかかるので以前と同じようにはいかないですよね^^
まだ治療を受けている身、ゆっくりゆっくり完全治癒を目指していきます。
長いなあ~~~☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
[山陰の小京都 津和野町]


[食品業界横並び値上げなぜ?]
10月からの消費税率10%への増税前に、飲食料品値上げの発表が相次いでいます。業界団体ごとに主だった会員企業が横並びで値上げを発表し、値上げの実施時期がほとんど一致していることが分かりました。
森永乳業や雪印メグミルクなど日本乳業協会の会員企業は、少なくとも8社が牛乳などの値上げを表明。実施時期は全8社がそろって4月1日です。値上げ率は約2~8%の枠内となっています。
ロッテや森永製菓など日本アイスクリーム協会の会員企業は、少なくとも6社が値上げを発表。うち5社の実施時期が3月1日で一致しています。
日清食品やエースコックなど日本即席食品工業協会の会員企業は、少なくとも11社が即席麺などの値上げを発表。うち10社の実施時期が6月1日です。値上げ率も横並びで3~8%の枠内です。
全国清涼飲料連合会の会員企業4社も、そろって5月1日に20円の値上げをすると発表しています。
値上げの理由については、全企業が原材料費、物流費、人件費などの上昇をあげます。時期が一致した理由について各社は、「他社の事情はわからない」(日清)、「たまたまだ。他社に合わせたわけではない」(エースコック)などと答えました。
まあ食品業界がそろいもそろって歩調をあわせ、値上げ率まで打ち合わせしてかなような数字で、他社のことはわからないとは七不思議です。
安倍晋三政権は昨年11月28日、消費税増税に伴う商品価格設定のガイドライン(指針)を公表し、駆け込み需要・反動減対策を意識して価格を定める考え方を強調しました。
農林水産省が業界団体に指針を通知しています。各業界団体は会員企業に指針の情報提供を行ったと認めています。日本冷凍食品協会はホームページに指針を載せ、「消費税率の引上げ前後に柔軟に価格付けができるよう」に農水省から「周知、広報の要請」があったと強調しています。業界団体の横並び値上げに指針が影響を与えた可能性について、農水省の担当者は「全くないとはいい切れない」と回答しています。
表はダブルクリックで大きく見られます。

[今日の音楽]
Michael Jackson - Black Or White (Shortened Version)
[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
<梅の花とクリスマスローズ>


[歴史に残る名言]
<大カトーの名言>
「私は不正を行って、罪とならないよりも、善をなし、感謝されないほうがよい。」
大カトー[マルクス・ポルキウス・カトー・ケンソリウス](古代ローマの政治家、小カトーの曽祖父、前234~前149)『ブルタルコス英雄伝』より
[今日は何の日?]
<今日のトップニュース>
※辺野古、地盤改良に3年8カ月 防衛省試算、普天間ずれ込みも
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古の埋め立て予定海域東側で見つかった軟弱地盤の改良工事に、防衛省が3年8カ月かかると試算していることが13日、分かった。日米両政府は普天間の返還時期について「2022年度またはその後」としているが、既に訴訟の影響などで工事は度々中断している。地盤改良により普天間の返還はさらにずれ込む可能性がある。
防衛省は改良工事について、砂を締め固めたくい約7万7千本を海底に打ち込み、地盤を強化する工法を検討している。計画では、辺野古沿岸部の埋め立てに5年、施設整備などに3年かかるとされていた。(共同)2019年3月13日【出典:中日新聞】
※議論なく女性皇族不在 皇位継承儀式は前例を踏襲
天皇陛下の退位に伴う皇位継承の儀式「剣璽(けんじ)等承継の儀」を巡り、政府は前回の平成の代替わりと同じく、皇族の参列は女性を認めず、成年男子に限る方針だ。背景には安倍政権の支持勢力への配慮があるとみられる。本紙の取材では、式典の検討過程で有識者四人に行ったヒアリングも、承継の儀への女性皇族の参列については意見を求めていなかった。
「意見は聞かれておりませんね」。元最高裁判事で皇室法研究家の園部逸夫氏は、昨年のヒアリングで、政府から剣璽等承継の儀で女性皇族の参列を認めるかどうかについて、質問がなかったと明言した。
承継の儀は、三十に及ぶ天皇陛下の退位、新天皇の即位儀式の中で行われる。皇位の証しとされる三種の神器のうち剣と璽(じ)(勾玉(まがたま))、天皇が公務に使う御璽(ぎょじ)(印鑑)や国璽を、新天皇の前に置いて引き継ぐ。五月一日午前十時半から十分間、予定されている。
承継の儀を含めた儀式は、内閣や宮内庁の幹部でつくる「式典準備委員会(委員長・菅義偉(よしひで)官房長官)」が昨春に基本方針をまとめた。それに先立ち、政府は園部氏、三十年前の平成の代替わりの実務を担った石原信雄・元内閣官房副長官、所功・京都産業大名誉教授(皇室文化史)、東京大史料編纂(へんさん)所の本郷恵子教授(日本中世史)の四人に意見を聞いた。
本紙が四人に確認すると、いずれも承継の儀で女性皇族の参列を認めるかどうかは「聞かれていない」と証言した。内閣官房と内閣府でつくる皇位継承式典事務局の田原太郎課長補佐は、ヒアリングで質問しなかった理由を「個々の論点をあげずに総合的に見直す項目を聞いた」と説明する。
承継の儀は三権の長や閣僚も出席予定で、片山さつき地方創生担当相も対象になる。だが、皇族を成年男性に限るのは、皇位継承を「男系男子」に限るとした皇室典範の規定や、未成年皇族は儀式全般に出席しない慣例を政府が重視したからとみられる。
平成の代替わりの承継の儀には、女性は誰も出席しなかった。政府は女性皇族の参列について議論を避けたまま、平成の代替わりでの儀式を「前例踏襲」することになる。
園部氏は、こうした政府の姿勢を「『触らぬ神にたたりなし』ということなのか。議論はしない方がいいというのが方針だったのでしょう」と話す。
石原氏は「前回の儀式は現憲法下で初めての代替わりとなり、憲法に触れないか、を確認した。女性皇族の参加についての議論はなかった」と振り返る。
議論不足を指摘する声も上がる。
所氏は「女性皇族も未成年者も参加することについては、十分に議論されてこなかった」と話す。「現在は皇族が極めて少ない。女性皇族は皇室典範で皇位継承権がなくても、天皇の多様な公務を分担している。また、未成年者も将来に備える必要がある。新天皇を支えるためにすべての皇族が、可能な公務を分担しなくては皇室が機能しなくなる恐れがある。皇室の将来のためにも、もう少し慎重に検討してほしかった」
本郷氏は「歴史的には、天皇を巡る儀式で女性の参加を禁忌とする原則はなかったと考えられる」と指摘。「近代以前の皇室は、幼い皇太子が皇位につく場合など、母親や母親代わりの女性が付き添って参列することもあった。女性は排除されるばかりではなかった」と語る。
◆政権「男系男子論」配慮か
平成の代替わりという「前例」が盾にされ、女性皇族は承継の儀に参列できない。議論すらなかったようだ。
「国内外でこれだけ男女の同権、女性の地位が注目されている今、もし議論されていれば、当然『認める』となっていただろう」。神奈川大の中島三千男名誉教授(日本近現代思想史)は、女性皇族の参列を認めない政府方針を批判する。
実際に、皇室は代替わりの儀式だけを取っても、変化してきた歴史がある。
即位する時の服装は、古代の律令制国家の成立から幕末までの約千二百年間、中国風の装束で行われた。「新天皇を権威付けるため、当時、東アジアで最高の権威者だった中国皇帝にならった」。仏教思想の影響を強く受け、即位礼で仏教の儀礼が取り入れられた時代もあった。十三~十九世紀の間の約五百五十年間、天皇が高御座(たかみくら)に登壇する途中、大日如来の印相を結び密教の真言を唱えた。いずれも明治天皇の即位の時に廃止された。
議論されなかったのは今回だけではない。一九八八年九月、昭和天皇が重篤になった時、野党議員が代替わりの儀式について政府に説明を求めたことがある。従来の儀式では、国民主権や政教分離といった憲法の原則に抵触する恐れがあるからだ。
しかし、政府側は「こういう時期なのでひたすらご回復を祈っている段階。レクチャーは勘弁してほしい」などと議論を避けた。昭和天皇が逝去した八九年一月七日になって、宗教色が色濃い儀式にもかかわらず、承継の儀を国事行為にする決定をした。
「天皇の権威は三種の神器や神話に基づくものではなく、主権者である国民の総意に基づく。憲法抵触の疑いがあるのに、十分な議論もせず、今回も国事行為にした」と中島氏は話す。
さらに、一連の代替わり儀式に含まれる「賢所(かしこどころ)の儀」や「皇霊殿(こうれいでん)・神殿の儀」も憂う。「国事行為にはなっていないが、宗教的儀式そのものなのに、天皇と皇族の公的活動に使われる宮廷費をあてる。是非がまったく議論されていない」
静岡福祉大の小田部雄次名誉教授(日本近現代史)は「平成の代替わりで議論を尽くさないまま、皇室の儀式である天皇の代替わりと、天皇が国民の総意を得て国家の象徴になる儀式とが一体化されてしまった。そのため、今回も代替わりの儀式の多くが政教分離に抵触する状態が残った」と話す。
背景にあるのは、政治家や官僚の前例踏襲主義だ。「改革すべきことを改革せず、自己保身を図る時に多く取られる態度だ」と本質を喝破する。
現政権の支持者には日本会議など戦前復帰型の天皇の姿を求める声がある。小田部氏は、政府はそうした支持基盤の意向を気にして議論を避けてきたとみる。
「皇位の継承を男系男子に限る現行制度では、皇族が減少し、皇位継承者が不在になる可能性がある。なのに、男系男子論者の支持を受ける現政権は、保身のために解決に乗り出そうとしない。あまりに無責任。天皇家がなくなっていいとでも思っているのだろうか」
本郷氏は「今回の承継の儀は、先の天皇の逝去に伴い執り行われてきた明治以降の儀式とは、雰囲気も性格も異なる」と指摘。「これからも天皇陛下の生前退位はあるかもしれない。退位が決まってから式事の検討を始めるのではなく、普段から儀式のあり方を考えていくべきだ。皇族が少なくなる中で女性皇族の公務の量は増えている。検討が止まっている女性の天皇や女性宮家の議論も避けられない」(中山岳、石井紀代美)2019年3月12日【出典:中日新聞】
<ちょっと前のトップニュース>
※「森友」側から依頼 首相も講演を予定していた
安倍晋三首相は十三日午前の参院予算委員会で、妻の昭恵氏を通じて学校法人「森友(もりとも)学園」側から依頼を受け、講演を予定していたことを明らかにした。
講演は実際は行われなかった。
「妻からそういう話があり、行くようにしたいと伝えた」と述べた。
民進党の小川敏夫氏の質問に答えた。
首相は講演を予定したことについて「何が問題なのか分からない」と主張。
小川氏は「首相と学園との関係が密接であること、教育方針と首相の考えがかなり共通しているのではないかという観点から確認した」と述べた。
昭恵氏は、森友学園系列の塚本幼稚園(大阪市)で複数回講演したことが分かっている。2017年3月13日【出典:中日新聞】 夕刊
安倍首相の政治的道義的責任が問われている中で、森友学園に講演に行く予定をしていたことは、今までの安倍首相が「何らかかわっていない」と答えていたことをみれば明らかに違います。
説明責任を果たすべきでしょう。
※稲田防衛相が森友学園の訴訟に関与?動画巡り国会で追及
学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却問題をめぐり、民進党の小川敏夫氏は13日午前の参院予算委員会で、同学園の籠池(かごいけ)泰典理事長がインターネット上に公開されたインタビューの中で稲田朋美防衛相が過去に籠池氏の顧問弁護士を務めていたと証言していることを指摘した。稲田氏は「全くの虚偽だ」と否定した。
このインタビューは13日付でネット上に公開された。その内容を受けて、小川氏が質問した。
稲田氏は「私は一切、籠池氏から法律相談を受けたことはない。私は10年ほど前から全くお会いしていないし、関係を断っている」と説明。稲田氏はこれまでの国会答弁でも、同様の見解を示している。
小川氏は、ネット上のインタビューに絡んで「森友学園訴訟代理人弁護士稲田朋美」と書かれているという訴訟資料も提示。2005年10月11日に裁判所に提出されたものではないかと指摘した。稲田氏は「共同事務所の場合、連名で(訴訟書類を)出すことはある。実態として籠池氏から法律相談を受けたこともなければ、実際に裁判を行ったこともない」と説明した。
小川氏はまた、籠池氏が2、3年前に稲田氏と会ったと証言していると指摘。稲田氏は「記憶にありません」と否定した。
民進党は13日午前、同委開催に先立つ同委理事会で「小学校の認可申請取り下げがあったとしても、不透明な取引は解明されていない」として、改めて籠池氏の参考人招致を求めたが、与党側は応じなかった。(南彰)2017年3月13日【出典:朝日新聞】
<もう少し前のトップニュース>
※「選挙行こうよ」シールズと学者訴え
今月末に安全保障関連法が施行されるのを前に、「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」と安保法に反対する学者の会は13日、東京・新宿駅東口前で「未来を選びとる」と題する街宣活動を行い、戦争反対や選挙参加を訴えた。
約三千五百人(主催者発表)が詰めかけ、アルタ前の歩道にまで人があふれた。シールズの奥田愛基(あき)さん(23)らとともに、ヒップホップ調のリズムに乗せて「選挙に行こうよ」「(首相の)安倍さん辞めて」などのコールを響かせた。
シールズメンバーの本間信和さん(21)は「明日の天気は変えられなくても政治は変えられる。未来を選びましょう、俺らの手で」と語り、今夏の参院選で安保法廃止を掲げる候補への支援を呼び掛けた。
作家の落合恵子さんも登壇。広島で被爆した詩人、峠三吉(とうげさんきち)の詩を引用し、「いつも国民が苦しむ構造を変えていこう。今日ここから」と戦争反対を訴えた。
民主、共産、社民、維新の四野党の国会議員も駆けつけた。2016年3月14日【東京新聞】
<かなり前のトップニュース>
※4・28式典 苦い歴史「なぜ祝う」元名護市長
サンフランシスコ講和条約で日本から切り離され、沖縄にとって「屈辱の日」とされる4月28日に「主権回復の日」式典を開くことを政府が決定した。祖国復帰を願って運動した関係者は「沖縄の苦難の歴史を本当に理解しているのか」と腹立ちを隠さない。外交の専門家は「安全保障面で米国に隷属しているのに、主権回復とは滑稽」と一蹴する。沖縄平和運動センターは13日に緊急集会を開き、式典の中止を訴える。
「ヤマトンチュは何も分かっていない」。日本政府が「主権回復の日」の式典開催を決定した12日、県青年団協議会(沖青協)の会長を務め、復帰運動に深く関わった元名護市長の渡具知裕徳さん(83)はため息をついた。「(沖縄などの)苦難の歴史を忘れてはいけない」と繰り返す安倍晋三首相に「どれほどの苦難だったか、その中身を知ろうとしたことはあるのか」と疑問をぶつける。
渡具知さんは1929年生まれ。西太平洋のポンペイ島で終戦を迎え、焦土と化した故郷の名護に戻った。米軍からの配給物資を集落へ届ける仕事などに就き、「いつか繁栄を」と期待した。しかし52年にサンフランシスコ講和条約が発効、沖縄は日本から切り離され、米施政権下に置かれた。悔しさより、「いつまでこの状況が続くのかという不安が大きかった」のを覚えている。
その後、銃剣とブルドーザーで住民の土地が奪われ、米軍絡みの事件や事故が相次いだ。「今の状況から抜け出すには復帰しかない」と沖青協に飛び込み復帰運動に力を注いだ。27歳で副会長、28歳で会長を務め、県祖国復帰協議会の結成にも奔走した。「復帰は沖縄の人が難儀をして、勝ち取った」という意識がある。
安倍首相の「(日本に)7年の占領期間があったことを知らない若者が増えている」という言葉には「沖縄県民がその後の20年間、悩み、苦しみ、闘ったことを理解すれば、4・28を喜んだり、祝ったりする発想は出てこないはずだ」と批判する。
安倍政権が進める米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に触れ、「苦難の歴史を持ち出すなら、さらに負担を押しつけるような辺野古移設はやめるべきだ。言葉と行動がまったくかみ合っていない」と計画の断念を訴えた。【沖縄タイムス】
安倍首相の戦後の歴史観は完全に狂っているとしか思えません(エセ右翼か無知蒙昧か?)。
真実に目をそむけ、「主権回復の日」とは聞いてあきれる言いぐさであり、安倍首相が考えている常識は世界の非常識と言ってもいいでしょう。
サンフランシスコ講和条約締結で「極東軍事裁判判決」を全面的に認め、沖縄・奄美・小笠原を米国の信託統治下に置かれ、主権が全面的に回復しなかったことは歴史的事実であり、いくら糊塗しようとしても拭い去ることができないものです。
サンフランシスコ講和条約発効後、沖縄県は20年も米国の支配下に置かれることとなった4月28日は、日本にとっても屈辱の日であったと考えるのが常識でしょう。
安倍首相や安倍氏を支持する人たちに「サンフランシスコ講和条約」の全文をよく読んでもらいたいものです。
現在も半ば占領状態と言ってもいい沖縄で、米軍のやりたい放題を放置したままだけでなく、普天間基地の辺野古移転を押し付けようとしたり、危険極まりないオスプレイの配備など沖縄県民の苦しみを思えば、「主権回復の日」として祝うなどとんでもないことだと断言します!!
ましてや国民の象徴である天皇を利用した「主権回復の日」式典の強行は日本国憲法さえ蹂躙するものです。
<3月14日の記念日>
※ホワイト・デー
2月14日のバレンタインデーにチョコレートを贈られた男性が、返礼のプレゼントをする日。バレンタインデーのチョコレートに対しキャンデーやマシュマロをお返しするのが一般的になっている。
日本でバレンタインデーが定着するにしたがって、若い世代の間でそれにお返しをしようという風潮が生まれた。これを受けたお菓子業界では昭和50年代に入ってから、個々に独自の日を定めて、マシュマロやクッキー、キャンデー等を「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになった。
この動きをキャンデーの販売促進に結びつけ、全国飴菓子工業協同組合(全飴協)関東地区部会が「ホワイトデー」として催事化した。そして1978(昭和53)年、全飴協の総会で「キャンデーを贈る日」として制定され、2年の準備期間を経て1980(昭和55)年に第1回のホワイトデーが開催された。
ホワイトデーを3月14日に定めたのは、269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策にそむいて結婚しようとした男女を救う為、バレンタイン司教が殉教し、その一箇月後の3月14日に、その2人は改めて二人の永遠の愛を誓い合ったと言われていることに由来する。
※数学の日
円周率の3.14...にちなみ、その数字の配列から3月14日を数学の日としたのは、日本数学検定協会。数学を生涯学習として、子どもから大人まで楽しめるものに発展させようと制定したもの。(英文では、Mathematics Festa)
※ホームインスペクションの日
ホームインスペクション(住宅診断)とは、住宅に精通したホームインスペクター(住宅診断士)が、住宅の劣化状況、欠陥の有無、改修すべき箇所やその時期、おおよその費用などを見きわめ、アドバイスを行う専門業務のこと。NPO法人・日本ホームインスペクターズ協会が制定。日付は一般的な住宅を1軒ホームインスペクション(住宅診断)する所要時間が平均3時間14分であることから。
※切腹最中の日
浅野内匠頭が吉良上野介への刃傷事件から切腹をされ、のちの「忠臣蔵」へと繋がるのが元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)のこと。「忠臣蔵」にまつわる数々の事柄を多くの人に語り継いでいただこうと、自社商品に「切腹最中」(せっぷくもなか)を持つ東京新橋の和菓子店「新正堂」が制定。「新正堂」は浅野内匠頭が切腹された東京新橋の田村右京太夫屋敷に在する大正元年創業の老舗和菓子店で「仮名手本忠臣蔵味こよみ」「景気上昇最中」などの人気商品がある。
※美白デー
すべての女性に美白についての高い意識と深い知識を持ってもらいたいとの願いから、日本を代表する化粧品メーカーの株式会社ポーラが制定した日。日付は美白にちなみ「もうひとつのホワイトデー」と呼ばれるようにとこの日に。
※さーたーあんだぎーの日
「さーたーあんだぎー」とは砂糖、小麦粉などを使い、油で揚げた沖縄を代表するお菓子。「さーたーあんだぎーのうた」を2004年3月14日に発表した沖縄出身のミュージシャン「シューベルトまつだ」が制定した日。「ホワイトデーには『さーたーあんだぎー』をお返しに贈ろう」と呼びかけ、全国に沖縄の家庭の味「さーたーあんだぎー」を普及させるのが目的。
※キャンディーの日
全国飴菓子工業協同組合ホワイトデー委員会が1978(昭和53)年に、バレンタインデーの返礼にキャンデーを贈る日として制定。
※マシュマロデー
福岡県の菓子店「石村萬盛堂」が1977(昭和52)年に、バレンタインデーの返礼にマシュマロを贈る日として制定。
※円周率の日
円周率の近似値3.14から。
このほか、アルキメデスが求めた近似値22/7から7月22日、中国で求められた近似値355/113から元日から355日目の12月21日の1時13分、元日から314日目の11月10日、地球が軌道上で新年から軌道の直径分進む日である4月26日なども「円周率の日」(または円周率近似値の日)と呼ばれる。
※パイの日
日本パイ協会が2002(平成14)年に制定。
円周率の近似値が3.14であり、円周率をギリシャ文字のπ(パイ)で表すことから。
※国際結婚の日
1873(明治6)年のこの日、政府が国際結婚を認めるとの布告を出した。
※元麿忌
詩人・千家元麿[せんげもとまろ]の1948(昭和23)年の忌日。
※国民融和日
財団法人中央融和事業協会が1930(昭和5)年に制定。
1868(明治元)年のこの日、「五箇条の御誓文」が宣布された。
この日を中心とする一週間を「国民融和週間」とし、被差別部落の地位向上・環境改善のための運動「融和運動」について理解を深めるための行事が行われていた。1945(昭和20)年の第二次世界大戦終戦後は行われていない模様である。
<今日の誕生花>
アーモンド「花言葉:希望」 チューリップ<まだら>「花言葉:貴方の目の美しさ」

スイートアリッサム(庭なずな)「花言葉:優美」

<歴史上の出来事>
800年富士山が大噴火。1か月近く続く
1701年江戸城松の廊下で赤穂藩主・浅野長矩が高家・吉良義央に刃傷。長矩は即日切腹。赤穂事件(忠臣蔵)の発端
1868年「五箇条の御誓文」宣布。新政府の基本方針を示す
1868年江戸城を無血開城
1872年石見・出雲でM7.1の浜田地震。全潰家屋約5千棟、死者552人
1873年日本人と外国人との国際結婚を認める太政官布告
1879年松山市でコレラが発生し全国に拡大。年末までに10万人以上が死亡
1882年参議・伊藤博文ら憲法調査班の一行がドイツ・オーストリアへ向け出発
1899年正岡子規が根岸短歌会を創始
1922年愛媛県出身の兵頭精[ひょうどうただし]が飛行操縦士試験に合格。日本初の女性飛行士
1942年米兵1万人を乗せたイギリスの客船「クイーン・メリー」が南大西洋で撃沈
1943年陸軍情報部が、野球のユニフォームを国防色(カーキ色)にし背番号を廃止するよう通達
1951年鉄道公安官に拳銃の携行を許可
1953年スターリンの死後、後継で首相兼筆頭書記となったマレンコフが、就任9日目で筆頭書記を辞し、フルシチョフを後継に指名
1953年バカヤロー解散。吉田首相の「バカヤロー」発言がもとで野党3派が内閣不信任案を提出し可決成立。吉田首相は衆議院を解散
1965年日本哺乳動物学会により西表島で新種の山猫の生息が確認。1967年にイリオモテヤマネコ(西表山猫)と命名
1970年大阪で日本万国博覧会(大阪万博)の開会式
1970年ケンタッキーフライドチキンが日本初上陸。大阪万博会場に出店
1979年全国の電話でダイヤル即時通話ができるようになる
1986年欧州宇宙機関のハレー彗星探査機「ジオット」がハレー彗星の核から600kmの距離まで接近
1987年最後の捕鯨船・第三日新丸が帰国の途につき、53年にわたる南氷洋での商業捕鯨に幕
2005年中国で、台湾が独立を宣言した場合に非平和的手段をとることを合法化する「反分裂国家法」が成立
2008年寝台特急「なは」「あかつき」がこの日発の運行限りで廃止。関西・九州間の定期寝台列車が消滅
2008年東京-大阪間の寝台急行「銀河」がこの日発の運行限りで廃止
2008年スイス・フランとアメリカ合衆国ドルが初めて同じレートになる
2008年寝台特急「なは」・「あかつき」がこの日発の運行限りで廃止、これにより関西 - 九州間の定期寝台列車が消滅
2009年この日のダイヤ改正でJR東海が在来線ホームをJR各社では初めて完全禁煙化
2011年東日本大震災・福島第一原子力発電所事故: 福島第一原子力発電所の3号機が水素爆発
2015年北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間、上野東京ラインが開業
2017年福井県の池田町立池田中学校で担任と副担任の執拗に大声で怒鳴る叱責による自殺事件発生
<著名人の誕生日>
1497年毛利元就[もうり・もとなり] (戦国武将)[1571年6月14日]
1804年ヨハン・シュトラウス(父) (墺:作曲家「ワルツの父」)[1849年9月25日]
1809年島津齊彬[しまづ・なりあきら] (薩摩藩主)[1858年7月16日]
1839年12代目杵屋六左衛門(3代目杵屋勘兵衛)[きねや・ろくざえもん] (長唄三味線方)[1912年8月31日]
1854年パウル・エールリヒ (独:細菌学者,梅毒の化学療法を発見)[1915年8月20日]
1879年アルベルト・アインシュタイン (独・米:理論物理学者,相対性理論提唱)[1955年4月18日]
1885年小倉金之助[おぐら・きんのすけ] (随筆家,数学者,歌人)[1962年10月21日]
1910年村上元三[むらかみ・げんぞう] (小説家『上総風土記』『佐々木小次郎』)[2006年4月3日]
1917年芦田伸介[あしだ・しんすけ] (俳優)[1999年1月9日]
1920年豊田穣[とよた・じょう] (小説家『長良川』)[1994年1月30日]
1924年赤木春恵[あかぎ・はるえ] (女優)
1932年大沢啓二(大沢昌芳)[おおさわ・けいじ] (野球(外野手・監督))[2010年10月7日]
1933年クインシー・ジョーンズ (米:音楽プロデューサー,作曲家)
1933年マイケル・ケイン (英:俳優)
1939年中沢啓二[なかざわ・けいじ] (漫画家『はだしのゲン』)
1944年15代目片岡仁左衛門(片岡孝夫)[かたおか・にざえもん] (歌舞伎役者,俳優)
1945年栗原小巻[くりはら・こまき] (女優)
1949年方倉陽二[かたくら・ようじ] (漫画家『のんきくん』)[1997年4月8日]
1978年ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンド (蘭:水泳(自由形))
1979年渋井陽子[しぶい・ようこ] (陸上競技(マラソン,長距離))
1990年黒木華[くろき・はる] (女優)
<著名人の忌日>
1701年淺野内匠頭長矩[あさの・たくみのかみながより] (大名,赤穂藩主) <数え35歳>吉良義央への刃傷により即日切腹[1667年8月11日生]
1883年カール・マルクス (独:経済学者,哲学者『資本論』) <64歳>[1818年5月5日生]
1932年ジョージ・イーストマン (米:発明家,乾板フィルム製作過程を発明,コダック創業) <77歳>自殺[1854年7月12日生]
1943年西出朝風[にしで・ちょうふう] (歌人) <58歳>[1884年10月6日生]
1948年千家元麿[せんげ・もとまろ] (詩人,千家尊福の子) <59歳>[1888年6月8日生]
1975年スーザン・ヘイワード (米:女優) <57歳>[1917年6月30日生]
1983年モーリス・ロネ (仏:俳優) <55歳>[1927年4月13日生]
1997年フレッド・ジンネマン (米:映画監督『真昼の決闘』) <89歳>[1907年4月29日生]
2002年宝生哲[ほうしょう・てつ] (能楽師,ワキ方宝生流宗家(11世))<79歳>
2003年鈴木眞砂女[すずき・まさじょ] (俳人) <96歳>[1906年11月24日生]
2007年鈴木ヒロミツ[すずき・ひろみつ](俳優,歌手[元](モップス)) <60歳> [1946年6月21日生]
2010年ピーター・グレイブス (米:俳優) <83歳>[1926年3月18日生]
2012年榎本喜八[えのもと・きはち] (野球(内野手)) <75歳>[1936年12月5日生]
2014年宇津井健[うつい・けん] (俳優) <82歳>[1931年10月24日生]
参加してるので、応援してもらえたら嬉しいです``r(^^;)ポリポリ

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皆さまのところへお邪魔できなかったことをまずもってお詫びします。
主治医からは22日に抗がん剤治療を日帰りで実施するとの話があり、まだまだ先が長いことを実感させられ少しへこみました。
長い闘病生活は覚悟はしているのですが、元気で飛び回れる日がいつくるのか待ち遠しいのと焦りが交錯しています。
飛び回ると言ってもマイカーを手放したので、ホントに元気になっても旅行に出かけるのも交通費がしっかりかかるので以前と同じようにはいかないですよね^^
まだ治療を受けている身、ゆっくりゆっくり完全治癒を目指していきます。
長いなあ~~~☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
[山陰の小京都 津和野町]


[食品業界横並び値上げなぜ?]
10月からの消費税率10%への増税前に、飲食料品値上げの発表が相次いでいます。業界団体ごとに主だった会員企業が横並びで値上げを発表し、値上げの実施時期がほとんど一致していることが分かりました。
森永乳業や雪印メグミルクなど日本乳業協会の会員企業は、少なくとも8社が牛乳などの値上げを表明。実施時期は全8社がそろって4月1日です。値上げ率は約2~8%の枠内となっています。
ロッテや森永製菓など日本アイスクリーム協会の会員企業は、少なくとも6社が値上げを発表。うち5社の実施時期が3月1日で一致しています。
日清食品やエースコックなど日本即席食品工業協会の会員企業は、少なくとも11社が即席麺などの値上げを発表。うち10社の実施時期が6月1日です。値上げ率も横並びで3~8%の枠内です。
全国清涼飲料連合会の会員企業4社も、そろって5月1日に20円の値上げをすると発表しています。
値上げの理由については、全企業が原材料費、物流費、人件費などの上昇をあげます。時期が一致した理由について各社は、「他社の事情はわからない」(日清)、「たまたまだ。他社に合わせたわけではない」(エースコック)などと答えました。
まあ食品業界がそろいもそろって歩調をあわせ、値上げ率まで打ち合わせしてかなような数字で、他社のことはわからないとは七不思議です。
安倍晋三政権は昨年11月28日、消費税増税に伴う商品価格設定のガイドライン(指針)を公表し、駆け込み需要・反動減対策を意識して価格を定める考え方を強調しました。
農林水産省が業界団体に指針を通知しています。各業界団体は会員企業に指針の情報提供を行ったと認めています。日本冷凍食品協会はホームページに指針を載せ、「消費税率の引上げ前後に柔軟に価格付けができるよう」に農水省から「周知、広報の要請」があったと強調しています。業界団体の横並び値上げに指針が影響を与えた可能性について、農水省の担当者は「全くないとはいい切れない」と回答しています。
表はダブルクリックで大きく見られます。

[今日の音楽]
Michael Jackson - Black Or White (Shortened Version)
[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
<梅の花とクリスマスローズ>


[歴史に残る名言]
<大カトーの名言>
「私は不正を行って、罪とならないよりも、善をなし、感謝されないほうがよい。」
大カトー[マルクス・ポルキウス・カトー・ケンソリウス](古代ローマの政治家、小カトーの曽祖父、前234~前149)『ブルタルコス英雄伝』より
[今日は何の日?]
<今日のトップニュース>
※辺野古、地盤改良に3年8カ月 防衛省試算、普天間ずれ込みも
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古の埋め立て予定海域東側で見つかった軟弱地盤の改良工事に、防衛省が3年8カ月かかると試算していることが13日、分かった。日米両政府は普天間の返還時期について「2022年度またはその後」としているが、既に訴訟の影響などで工事は度々中断している。地盤改良により普天間の返還はさらにずれ込む可能性がある。
防衛省は改良工事について、砂を締め固めたくい約7万7千本を海底に打ち込み、地盤を強化する工法を検討している。計画では、辺野古沿岸部の埋め立てに5年、施設整備などに3年かかるとされていた。(共同)2019年3月13日【出典:中日新聞】
※議論なく女性皇族不在 皇位継承儀式は前例を踏襲
天皇陛下の退位に伴う皇位継承の儀式「剣璽(けんじ)等承継の儀」を巡り、政府は前回の平成の代替わりと同じく、皇族の参列は女性を認めず、成年男子に限る方針だ。背景には安倍政権の支持勢力への配慮があるとみられる。本紙の取材では、式典の検討過程で有識者四人に行ったヒアリングも、承継の儀への女性皇族の参列については意見を求めていなかった。
「意見は聞かれておりませんね」。元最高裁判事で皇室法研究家の園部逸夫氏は、昨年のヒアリングで、政府から剣璽等承継の儀で女性皇族の参列を認めるかどうかについて、質問がなかったと明言した。
承継の儀は、三十に及ぶ天皇陛下の退位、新天皇の即位儀式の中で行われる。皇位の証しとされる三種の神器のうち剣と璽(じ)(勾玉(まがたま))、天皇が公務に使う御璽(ぎょじ)(印鑑)や国璽を、新天皇の前に置いて引き継ぐ。五月一日午前十時半から十分間、予定されている。
承継の儀を含めた儀式は、内閣や宮内庁の幹部でつくる「式典準備委員会(委員長・菅義偉(よしひで)官房長官)」が昨春に基本方針をまとめた。それに先立ち、政府は園部氏、三十年前の平成の代替わりの実務を担った石原信雄・元内閣官房副長官、所功・京都産業大名誉教授(皇室文化史)、東京大史料編纂(へんさん)所の本郷恵子教授(日本中世史)の四人に意見を聞いた。
本紙が四人に確認すると、いずれも承継の儀で女性皇族の参列を認めるかどうかは「聞かれていない」と証言した。内閣官房と内閣府でつくる皇位継承式典事務局の田原太郎課長補佐は、ヒアリングで質問しなかった理由を「個々の論点をあげずに総合的に見直す項目を聞いた」と説明する。
承継の儀は三権の長や閣僚も出席予定で、片山さつき地方創生担当相も対象になる。だが、皇族を成年男性に限るのは、皇位継承を「男系男子」に限るとした皇室典範の規定や、未成年皇族は儀式全般に出席しない慣例を政府が重視したからとみられる。
平成の代替わりの承継の儀には、女性は誰も出席しなかった。政府は女性皇族の参列について議論を避けたまま、平成の代替わりでの儀式を「前例踏襲」することになる。
園部氏は、こうした政府の姿勢を「『触らぬ神にたたりなし』ということなのか。議論はしない方がいいというのが方針だったのでしょう」と話す。
石原氏は「前回の儀式は現憲法下で初めての代替わりとなり、憲法に触れないか、を確認した。女性皇族の参加についての議論はなかった」と振り返る。
議論不足を指摘する声も上がる。
所氏は「女性皇族も未成年者も参加することについては、十分に議論されてこなかった」と話す。「現在は皇族が極めて少ない。女性皇族は皇室典範で皇位継承権がなくても、天皇の多様な公務を分担している。また、未成年者も将来に備える必要がある。新天皇を支えるためにすべての皇族が、可能な公務を分担しなくては皇室が機能しなくなる恐れがある。皇室の将来のためにも、もう少し慎重に検討してほしかった」
本郷氏は「歴史的には、天皇を巡る儀式で女性の参加を禁忌とする原則はなかったと考えられる」と指摘。「近代以前の皇室は、幼い皇太子が皇位につく場合など、母親や母親代わりの女性が付き添って参列することもあった。女性は排除されるばかりではなかった」と語る。
◆政権「男系男子論」配慮か
平成の代替わりという「前例」が盾にされ、女性皇族は承継の儀に参列できない。議論すらなかったようだ。
「国内外でこれだけ男女の同権、女性の地位が注目されている今、もし議論されていれば、当然『認める』となっていただろう」。神奈川大の中島三千男名誉教授(日本近現代思想史)は、女性皇族の参列を認めない政府方針を批判する。
実際に、皇室は代替わりの儀式だけを取っても、変化してきた歴史がある。
即位する時の服装は、古代の律令制国家の成立から幕末までの約千二百年間、中国風の装束で行われた。「新天皇を権威付けるため、当時、東アジアで最高の権威者だった中国皇帝にならった」。仏教思想の影響を強く受け、即位礼で仏教の儀礼が取り入れられた時代もあった。十三~十九世紀の間の約五百五十年間、天皇が高御座(たかみくら)に登壇する途中、大日如来の印相を結び密教の真言を唱えた。いずれも明治天皇の即位の時に廃止された。
議論されなかったのは今回だけではない。一九八八年九月、昭和天皇が重篤になった時、野党議員が代替わりの儀式について政府に説明を求めたことがある。従来の儀式では、国民主権や政教分離といった憲法の原則に抵触する恐れがあるからだ。
しかし、政府側は「こういう時期なのでひたすらご回復を祈っている段階。レクチャーは勘弁してほしい」などと議論を避けた。昭和天皇が逝去した八九年一月七日になって、宗教色が色濃い儀式にもかかわらず、承継の儀を国事行為にする決定をした。
「天皇の権威は三種の神器や神話に基づくものではなく、主権者である国民の総意に基づく。憲法抵触の疑いがあるのに、十分な議論もせず、今回も国事行為にした」と中島氏は話す。
さらに、一連の代替わり儀式に含まれる「賢所(かしこどころ)の儀」や「皇霊殿(こうれいでん)・神殿の儀」も憂う。「国事行為にはなっていないが、宗教的儀式そのものなのに、天皇と皇族の公的活動に使われる宮廷費をあてる。是非がまったく議論されていない」
静岡福祉大の小田部雄次名誉教授(日本近現代史)は「平成の代替わりで議論を尽くさないまま、皇室の儀式である天皇の代替わりと、天皇が国民の総意を得て国家の象徴になる儀式とが一体化されてしまった。そのため、今回も代替わりの儀式の多くが政教分離に抵触する状態が残った」と話す。
背景にあるのは、政治家や官僚の前例踏襲主義だ。「改革すべきことを改革せず、自己保身を図る時に多く取られる態度だ」と本質を喝破する。
現政権の支持者には日本会議など戦前復帰型の天皇の姿を求める声がある。小田部氏は、政府はそうした支持基盤の意向を気にして議論を避けてきたとみる。
「皇位の継承を男系男子に限る現行制度では、皇族が減少し、皇位継承者が不在になる可能性がある。なのに、男系男子論者の支持を受ける現政権は、保身のために解決に乗り出そうとしない。あまりに無責任。天皇家がなくなっていいとでも思っているのだろうか」
本郷氏は「今回の承継の儀は、先の天皇の逝去に伴い執り行われてきた明治以降の儀式とは、雰囲気も性格も異なる」と指摘。「これからも天皇陛下の生前退位はあるかもしれない。退位が決まってから式事の検討を始めるのではなく、普段から儀式のあり方を考えていくべきだ。皇族が少なくなる中で女性皇族の公務の量は増えている。検討が止まっている女性の天皇や女性宮家の議論も避けられない」(中山岳、石井紀代美)2019年3月12日【出典:中日新聞】
<ちょっと前のトップニュース>
※「森友」側から依頼 首相も講演を予定していた
安倍晋三首相は十三日午前の参院予算委員会で、妻の昭恵氏を通じて学校法人「森友(もりとも)学園」側から依頼を受け、講演を予定していたことを明らかにした。
講演は実際は行われなかった。
「妻からそういう話があり、行くようにしたいと伝えた」と述べた。
民進党の小川敏夫氏の質問に答えた。
首相は講演を予定したことについて「何が問題なのか分からない」と主張。
小川氏は「首相と学園との関係が密接であること、教育方針と首相の考えがかなり共通しているのではないかという観点から確認した」と述べた。
昭恵氏は、森友学園系列の塚本幼稚園(大阪市)で複数回講演したことが分かっている。2017年3月13日【出典:中日新聞】 夕刊
安倍首相の政治的道義的責任が問われている中で、森友学園に講演に行く予定をしていたことは、今までの安倍首相が「何らかかわっていない」と答えていたことをみれば明らかに違います。
説明責任を果たすべきでしょう。
※稲田防衛相が森友学園の訴訟に関与?動画巡り国会で追及
学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却問題をめぐり、民進党の小川敏夫氏は13日午前の参院予算委員会で、同学園の籠池(かごいけ)泰典理事長がインターネット上に公開されたインタビューの中で稲田朋美防衛相が過去に籠池氏の顧問弁護士を務めていたと証言していることを指摘した。稲田氏は「全くの虚偽だ」と否定した。
このインタビューは13日付でネット上に公開された。その内容を受けて、小川氏が質問した。
稲田氏は「私は一切、籠池氏から法律相談を受けたことはない。私は10年ほど前から全くお会いしていないし、関係を断っている」と説明。稲田氏はこれまでの国会答弁でも、同様の見解を示している。
小川氏は、ネット上のインタビューに絡んで「森友学園訴訟代理人弁護士稲田朋美」と書かれているという訴訟資料も提示。2005年10月11日に裁判所に提出されたものではないかと指摘した。稲田氏は「共同事務所の場合、連名で(訴訟書類を)出すことはある。実態として籠池氏から法律相談を受けたこともなければ、実際に裁判を行ったこともない」と説明した。
小川氏はまた、籠池氏が2、3年前に稲田氏と会ったと証言していると指摘。稲田氏は「記憶にありません」と否定した。
民進党は13日午前、同委開催に先立つ同委理事会で「小学校の認可申請取り下げがあったとしても、不透明な取引は解明されていない」として、改めて籠池氏の参考人招致を求めたが、与党側は応じなかった。(南彰)2017年3月13日【出典:朝日新聞】
<もう少し前のトップニュース>
※「選挙行こうよ」シールズと学者訴え
今月末に安全保障関連法が施行されるのを前に、「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」と安保法に反対する学者の会は13日、東京・新宿駅東口前で「未来を選びとる」と題する街宣活動を行い、戦争反対や選挙参加を訴えた。
約三千五百人(主催者発表)が詰めかけ、アルタ前の歩道にまで人があふれた。シールズの奥田愛基(あき)さん(23)らとともに、ヒップホップ調のリズムに乗せて「選挙に行こうよ」「(首相の)安倍さん辞めて」などのコールを響かせた。
シールズメンバーの本間信和さん(21)は「明日の天気は変えられなくても政治は変えられる。未来を選びましょう、俺らの手で」と語り、今夏の参院選で安保法廃止を掲げる候補への支援を呼び掛けた。
作家の落合恵子さんも登壇。広島で被爆した詩人、峠三吉(とうげさんきち)の詩を引用し、「いつも国民が苦しむ構造を変えていこう。今日ここから」と戦争反対を訴えた。
民主、共産、社民、維新の四野党の国会議員も駆けつけた。2016年3月14日【東京新聞】
<かなり前のトップニュース>
※4・28式典 苦い歴史「なぜ祝う」元名護市長
サンフランシスコ講和条約で日本から切り離され、沖縄にとって「屈辱の日」とされる4月28日に「主権回復の日」式典を開くことを政府が決定した。祖国復帰を願って運動した関係者は「沖縄の苦難の歴史を本当に理解しているのか」と腹立ちを隠さない。外交の専門家は「安全保障面で米国に隷属しているのに、主権回復とは滑稽」と一蹴する。沖縄平和運動センターは13日に緊急集会を開き、式典の中止を訴える。
「ヤマトンチュは何も分かっていない」。日本政府が「主権回復の日」の式典開催を決定した12日、県青年団協議会(沖青協)の会長を務め、復帰運動に深く関わった元名護市長の渡具知裕徳さん(83)はため息をついた。「(沖縄などの)苦難の歴史を忘れてはいけない」と繰り返す安倍晋三首相に「どれほどの苦難だったか、その中身を知ろうとしたことはあるのか」と疑問をぶつける。
渡具知さんは1929年生まれ。西太平洋のポンペイ島で終戦を迎え、焦土と化した故郷の名護に戻った。米軍からの配給物資を集落へ届ける仕事などに就き、「いつか繁栄を」と期待した。しかし52年にサンフランシスコ講和条約が発効、沖縄は日本から切り離され、米施政権下に置かれた。悔しさより、「いつまでこの状況が続くのかという不安が大きかった」のを覚えている。
その後、銃剣とブルドーザーで住民の土地が奪われ、米軍絡みの事件や事故が相次いだ。「今の状況から抜け出すには復帰しかない」と沖青協に飛び込み復帰運動に力を注いだ。27歳で副会長、28歳で会長を務め、県祖国復帰協議会の結成にも奔走した。「復帰は沖縄の人が難儀をして、勝ち取った」という意識がある。
安倍首相の「(日本に)7年の占領期間があったことを知らない若者が増えている」という言葉には「沖縄県民がその後の20年間、悩み、苦しみ、闘ったことを理解すれば、4・28を喜んだり、祝ったりする発想は出てこないはずだ」と批判する。
安倍政権が進める米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に触れ、「苦難の歴史を持ち出すなら、さらに負担を押しつけるような辺野古移設はやめるべきだ。言葉と行動がまったくかみ合っていない」と計画の断念を訴えた。【沖縄タイムス】
安倍首相の戦後の歴史観は完全に狂っているとしか思えません(エセ右翼か無知蒙昧か?)。
真実に目をそむけ、「主権回復の日」とは聞いてあきれる言いぐさであり、安倍首相が考えている常識は世界の非常識と言ってもいいでしょう。
サンフランシスコ講和条約締結で「極東軍事裁判判決」を全面的に認め、沖縄・奄美・小笠原を米国の信託統治下に置かれ、主権が全面的に回復しなかったことは歴史的事実であり、いくら糊塗しようとしても拭い去ることができないものです。
サンフランシスコ講和条約発効後、沖縄県は20年も米国の支配下に置かれることとなった4月28日は、日本にとっても屈辱の日であったと考えるのが常識でしょう。
安倍首相や安倍氏を支持する人たちに「サンフランシスコ講和条約」の全文をよく読んでもらいたいものです。
現在も半ば占領状態と言ってもいい沖縄で、米軍のやりたい放題を放置したままだけでなく、普天間基地の辺野古移転を押し付けようとしたり、危険極まりないオスプレイの配備など沖縄県民の苦しみを思えば、「主権回復の日」として祝うなどとんでもないことだと断言します!!
ましてや国民の象徴である天皇を利用した「主権回復の日」式典の強行は日本国憲法さえ蹂躙するものです。
<3月14日の記念日>
※ホワイト・デー
2月14日のバレンタインデーにチョコレートを贈られた男性が、返礼のプレゼントをする日。バレンタインデーのチョコレートに対しキャンデーやマシュマロをお返しするのが一般的になっている。
日本でバレンタインデーが定着するにしたがって、若い世代の間でそれにお返しをしようという風潮が生まれた。これを受けたお菓子業界では昭和50年代に入ってから、個々に独自の日を定めて、マシュマロやクッキー、キャンデー等を「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになった。
この動きをキャンデーの販売促進に結びつけ、全国飴菓子工業協同組合(全飴協)関東地区部会が「ホワイトデー」として催事化した。そして1978(昭和53)年、全飴協の総会で「キャンデーを贈る日」として制定され、2年の準備期間を経て1980(昭和55)年に第1回のホワイトデーが開催された。
ホワイトデーを3月14日に定めたのは、269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策にそむいて結婚しようとした男女を救う為、バレンタイン司教が殉教し、その一箇月後の3月14日に、その2人は改めて二人の永遠の愛を誓い合ったと言われていることに由来する。
※数学の日
円周率の3.14...にちなみ、その数字の配列から3月14日を数学の日としたのは、日本数学検定協会。数学を生涯学習として、子どもから大人まで楽しめるものに発展させようと制定したもの。(英文では、Mathematics Festa)
※ホームインスペクションの日
ホームインスペクション(住宅診断)とは、住宅に精通したホームインスペクター(住宅診断士)が、住宅の劣化状況、欠陥の有無、改修すべき箇所やその時期、おおよその費用などを見きわめ、アドバイスを行う専門業務のこと。NPO法人・日本ホームインスペクターズ協会が制定。日付は一般的な住宅を1軒ホームインスペクション(住宅診断)する所要時間が平均3時間14分であることから。
※切腹最中の日
浅野内匠頭が吉良上野介への刃傷事件から切腹をされ、のちの「忠臣蔵」へと繋がるのが元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)のこと。「忠臣蔵」にまつわる数々の事柄を多くの人に語り継いでいただこうと、自社商品に「切腹最中」(せっぷくもなか)を持つ東京新橋の和菓子店「新正堂」が制定。「新正堂」は浅野内匠頭が切腹された東京新橋の田村右京太夫屋敷に在する大正元年創業の老舗和菓子店で「仮名手本忠臣蔵味こよみ」「景気上昇最中」などの人気商品がある。
※美白デー
すべての女性に美白についての高い意識と深い知識を持ってもらいたいとの願いから、日本を代表する化粧品メーカーの株式会社ポーラが制定した日。日付は美白にちなみ「もうひとつのホワイトデー」と呼ばれるようにとこの日に。
※さーたーあんだぎーの日
「さーたーあんだぎー」とは砂糖、小麦粉などを使い、油で揚げた沖縄を代表するお菓子。「さーたーあんだぎーのうた」を2004年3月14日に発表した沖縄出身のミュージシャン「シューベルトまつだ」が制定した日。「ホワイトデーには『さーたーあんだぎー』をお返しに贈ろう」と呼びかけ、全国に沖縄の家庭の味「さーたーあんだぎー」を普及させるのが目的。
※キャンディーの日
全国飴菓子工業協同組合ホワイトデー委員会が1978(昭和53)年に、バレンタインデーの返礼にキャンデーを贈る日として制定。
※マシュマロデー
福岡県の菓子店「石村萬盛堂」が1977(昭和52)年に、バレンタインデーの返礼にマシュマロを贈る日として制定。
※円周率の日
円周率の近似値3.14から。
このほか、アルキメデスが求めた近似値22/7から7月22日、中国で求められた近似値355/113から元日から355日目の12月21日の1時13分、元日から314日目の11月10日、地球が軌道上で新年から軌道の直径分進む日である4月26日なども「円周率の日」(または円周率近似値の日)と呼ばれる。
※パイの日
日本パイ協会が2002(平成14)年に制定。
円周率の近似値が3.14であり、円周率をギリシャ文字のπ(パイ)で表すことから。
※国際結婚の日
1873(明治6)年のこの日、政府が国際結婚を認めるとの布告を出した。
※元麿忌
詩人・千家元麿[せんげもとまろ]の1948(昭和23)年の忌日。
※国民融和日
財団法人中央融和事業協会が1930(昭和5)年に制定。
1868(明治元)年のこの日、「五箇条の御誓文」が宣布された。
この日を中心とする一週間を「国民融和週間」とし、被差別部落の地位向上・環境改善のための運動「融和運動」について理解を深めるための行事が行われていた。1945(昭和20)年の第二次世界大戦終戦後は行われていない模様である。
<今日の誕生花>
アーモンド「花言葉:希望」 チューリップ<まだら>「花言葉:貴方の目の美しさ」


スイートアリッサム(庭なずな)「花言葉:優美」

<歴史上の出来事>
800年富士山が大噴火。1か月近く続く
1701年江戸城松の廊下で赤穂藩主・浅野長矩が高家・吉良義央に刃傷。長矩は即日切腹。赤穂事件(忠臣蔵)の発端
1868年「五箇条の御誓文」宣布。新政府の基本方針を示す
1868年江戸城を無血開城
1872年石見・出雲でM7.1の浜田地震。全潰家屋約5千棟、死者552人
1873年日本人と外国人との国際結婚を認める太政官布告
1879年松山市でコレラが発生し全国に拡大。年末までに10万人以上が死亡
1882年参議・伊藤博文ら憲法調査班の一行がドイツ・オーストリアへ向け出発
1899年正岡子規が根岸短歌会を創始
1922年愛媛県出身の兵頭精[ひょうどうただし]が飛行操縦士試験に合格。日本初の女性飛行士
1942年米兵1万人を乗せたイギリスの客船「クイーン・メリー」が南大西洋で撃沈
1943年陸軍情報部が、野球のユニフォームを国防色(カーキ色)にし背番号を廃止するよう通達
1951年鉄道公安官に拳銃の携行を許可
1953年スターリンの死後、後継で首相兼筆頭書記となったマレンコフが、就任9日目で筆頭書記を辞し、フルシチョフを後継に指名
1953年バカヤロー解散。吉田首相の「バカヤロー」発言がもとで野党3派が内閣不信任案を提出し可決成立。吉田首相は衆議院を解散
1965年日本哺乳動物学会により西表島で新種の山猫の生息が確認。1967年にイリオモテヤマネコ(西表山猫)と命名
1970年大阪で日本万国博覧会(大阪万博)の開会式
1970年ケンタッキーフライドチキンが日本初上陸。大阪万博会場に出店
1979年全国の電話でダイヤル即時通話ができるようになる
1986年欧州宇宙機関のハレー彗星探査機「ジオット」がハレー彗星の核から600kmの距離まで接近
1987年最後の捕鯨船・第三日新丸が帰国の途につき、53年にわたる南氷洋での商業捕鯨に幕
2005年中国で、台湾が独立を宣言した場合に非平和的手段をとることを合法化する「反分裂国家法」が成立
2008年寝台特急「なは」「あかつき」がこの日発の運行限りで廃止。関西・九州間の定期寝台列車が消滅
2008年東京-大阪間の寝台急行「銀河」がこの日発の運行限りで廃止
2008年スイス・フランとアメリカ合衆国ドルが初めて同じレートになる
2008年寝台特急「なは」・「あかつき」がこの日発の運行限りで廃止、これにより関西 - 九州間の定期寝台列車が消滅
2009年この日のダイヤ改正でJR東海が在来線ホームをJR各社では初めて完全禁煙化
2011年東日本大震災・福島第一原子力発電所事故: 福島第一原子力発電所の3号機が水素爆発
2015年北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間、上野東京ラインが開業
2017年福井県の池田町立池田中学校で担任と副担任の執拗に大声で怒鳴る叱責による自殺事件発生
<著名人の誕生日>
1497年毛利元就[もうり・もとなり] (戦国武将)[1571年6月14日]
1804年ヨハン・シュトラウス(父) (墺:作曲家「ワルツの父」)[1849年9月25日]
1809年島津齊彬[しまづ・なりあきら] (薩摩藩主)[1858年7月16日]
1839年12代目杵屋六左衛門(3代目杵屋勘兵衛)[きねや・ろくざえもん] (長唄三味線方)[1912年8月31日]
1854年パウル・エールリヒ (独:細菌学者,梅毒の化学療法を発見)[1915年8月20日]
1879年アルベルト・アインシュタイン (独・米:理論物理学者,相対性理論提唱)[1955年4月18日]
1885年小倉金之助[おぐら・きんのすけ] (随筆家,数学者,歌人)[1962年10月21日]
1910年村上元三[むらかみ・げんぞう] (小説家『上総風土記』『佐々木小次郎』)[2006年4月3日]
1917年芦田伸介[あしだ・しんすけ] (俳優)[1999年1月9日]
1920年豊田穣[とよた・じょう] (小説家『長良川』)[1994年1月30日]
1924年赤木春恵[あかぎ・はるえ] (女優)
1932年大沢啓二(大沢昌芳)[おおさわ・けいじ] (野球(外野手・監督))[2010年10月7日]
1933年クインシー・ジョーンズ (米:音楽プロデューサー,作曲家)
1933年マイケル・ケイン (英:俳優)
1939年中沢啓二[なかざわ・けいじ] (漫画家『はだしのゲン』)
1944年15代目片岡仁左衛門(片岡孝夫)[かたおか・にざえもん] (歌舞伎役者,俳優)
1945年栗原小巻[くりはら・こまき] (女優)
1949年方倉陽二[かたくら・ようじ] (漫画家『のんきくん』)[1997年4月8日]
1978年ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンド (蘭:水泳(自由形))
1979年渋井陽子[しぶい・ようこ] (陸上競技(マラソン,長距離))
1990年黒木華[くろき・はる] (女優)
<著名人の忌日>
1701年淺野内匠頭長矩[あさの・たくみのかみながより] (大名,赤穂藩主) <数え35歳>吉良義央への刃傷により即日切腹[1667年8月11日生]
1883年カール・マルクス (独:経済学者,哲学者『資本論』) <64歳>[1818年5月5日生]
1932年ジョージ・イーストマン (米:発明家,乾板フィルム製作過程を発明,コダック創業) <77歳>自殺[1854年7月12日生]
1943年西出朝風[にしで・ちょうふう] (歌人) <58歳>[1884年10月6日生]
1948年千家元麿[せんげ・もとまろ] (詩人,千家尊福の子) <59歳>[1888年6月8日生]
1975年スーザン・ヘイワード (米:女優) <57歳>[1917年6月30日生]
1983年モーリス・ロネ (仏:俳優) <55歳>[1927年4月13日生]
1997年フレッド・ジンネマン (米:映画監督『真昼の決闘』) <89歳>[1907年4月29日生]
2002年宝生哲[ほうしょう・てつ] (能楽師,ワキ方宝生流宗家(11世))<79歳>
2003年鈴木眞砂女[すずき・まさじょ] (俳人) <96歳>[1906年11月24日生]
2007年鈴木ヒロミツ[すずき・ひろみつ](俳優,歌手[元](モップス)) <60歳> [1946年6月21日生]
2010年ピーター・グレイブス (米:俳優) <83歳>[1926年3月18日生]
2012年榎本喜八[えのもと・きはち] (野球(内野手)) <75歳>[1936年12月5日生]
2014年宇津井健[うつい・けん] (俳優) <82歳>[1931年10月24日生]
参加してるので、応援してもらえたら嬉しいです``r(^^;)ポリポリ


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