お知らせ!!
いつも多くの皆さまにご訪問をいただきありがとうございます。
また、姪の容態をご心配いただきコメントやメッセージを寄せていただきありがとうございます。
姪の容態は治療による副作用が予想より激しく来週まで退院できなくなりました。
よいことならいいのですが、何故か家内も胆石で緊急入院を木曜日にいたしまして、昨日内視鏡で胆石の切除を行いまして二つの病院を行ったり来たりのてんてこ舞いをさせられておりました。
家には目が見えなくなった猫の世話もあり、姪のブログのことまで手が回らず皆さまにはまことに申し訳ありませんでした。
姪の退院予定日は来週月曜日の予定ですが、家内は来週いっぱい入院することになっておりますので、姪のブログは姪が退院してから皆さまにご挨拶に伺うものと思いますのでそれまでお待ちいただけるようよろしくお願いします。
なお、本日は姪が書きかけのブログ記事を掲載させていただくことでご容赦をいただきたく思います。
葛飾北斎画「東都駿臺」(富嶽三十六景)

再掲[薩長史観が靖国史観の大元№4](加筆修正)
前回からつづきますが、松陰の松下村塾とは、師が何かを講義して教育するという場ではなく、過激派同志が集まって好き勝手なことを言いあう、水戸学に影響をうけた「尊王」論と「攘夷」論で大いに盛り上がるという場であったようです。
そういう仲間のリーダー格が松陰であり、いろいろな縁で山縣有朋のようなどこにも教えを受ける場のない境遇の者も集まるようになったというところでしょうか。(山縣有朋は明治新政府で次々と要職に就きましたが、皆さんの中にはご存じないかもしれませんが戊辰戦争中越後長岡の闘いで河井 継之助率いる長岡藩兵に追われ抵抗できないまま逃げ出すという失態をおかしています。要するに無能だった)
これに誘発された長州藩士のなかで後輩も生まれてきたということでしょう。
もっとも、吉田松陰を持ち上げた山縣有朋のことを松陰自身はまったく知らなかったというオチがつきますが(笑)
安政5(1858)年、日米修好通商条約が締結されると、吉田松陰は老中;間部詮勝の暗殺を計画したものの露見し、長州藩は再び松陰を捕縛、投獄しました。
安政6(1859)年、幕府は吉田松陰の江戸への送致をどうするか長州藩と相談した結果、長州藩も不逞浪士だとして江戸送りを認めたため、幕府が江戸移送を命令、松陰は伝馬町の獄舎にて斬首刑となりましたが、これも長州藩は了解しています。
このとき吉田松陰は満29歳(享年30歳)でした。
吉田松陰は水戸学に強い影響を受けており、ときの幕府大老;井伊直弼の暗殺も主張していました。
また、幕府転覆を堂々と主張し、長州藩に対して大砲を始めとする武器の支給を願い出たりしています。
過激派らしく暗殺、暗殺と喚き、久坂や前原といった松陰同様の過激派跳ね上がりグループには受けたようです。
このため長州藩が、松陰の実家杉家の杉梅太郎(松陰の兄に当たる)に警告まで出しています。
『妄動してやまざれば投獄あるのみ』
長州藩や松陰の門下生と言われる者たちの一族にしてみれば、松陰の言動は文字通り「妄動」であり、このことは時の政治情勢から客観視しても変わりません。
久坂玄瑞の一族などは、何とか久坂を松陰から切り離そうと苦労したことが分かっています。(久坂玄瑞の妻は、吉田松陰の妹)
安政の大獄の名で大老;井伊直弼が吉田松陰に目をつけ、彼を処刑したことになっていますが、当時の松陰は世間に溢れ出した尊攘派の中の特に荒っぽい一人に過ぎず、井伊は松陰という男のことなどまったく知りませんでした。
井伊直弼は、松陰の処刑について長州藩に対してわざわざ意向を聞いています。
長州藩の回答が、松陰の行動を「暴発」とし、「斬首やむなし」というものだったことを見ても吉田松陰が時の幕府を揺るがすような人物ではなかったことも明らかです。
当時の幕閣にしても、全国の諸大名にしても、松陰処刑を殊更特別視するような重要事件とみておらず、不逞の輩が一人処刑されただけというのが透けて見えてきます。
吉田松陰を「維新の師」であると突然崇めだしたのは、明治新政府が成立してしばらく経ってからのことです。
最初に持ち上げだしたのは日本軍閥の祖、長州閥の元凶である山縣有朋です。
中間(ちゅうげん)という足軽以下の出自をもつ山縣有朋は、出世するに従って自らを権威づけるため拠り所が欲しくなったのでしょう。
山縣有朋だけでなく権力欲の強い人物は、自己を目立たさせるためにこういうことをよくやります。
とくに自分に自信のない安倍首相(自民党平沢勝栄議員にバカで無知な男と暴露されている)などにみられる権力者ほど、その傾向がより強いでしょう。
山縣有朋の名誉欲によって、吉田松陰=松下村塾は一気に陽の当たる場所へ躍り出たのです。
山縣有朋の作り話が気がついてみれば吉田松陰はいつのまにか松陰神社の「神様」になっていたのです。
高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠等が、松陰の「遺志」とやらを継いだ「跳ね上がり」であったことを整理して述べれば、松陰の実像はもっと理解し易くなるでしょう。
仮に吉田松陰が何らかの思想をもっていたとしても、虚構に満ちた妄想と呼ぶに近いもので、ひたすら倒幕の機会を窺っていた長州藩そのものにとっても松陰は単なる厄介者に過ぎなかったわけです。
例えば、松陰の外交思想というものは余り語られませんが、松陰の外交に対する考えは実に稚拙なものでした。
蝦夷地(北海道)を開拓し、カムチャッカからオホーツク一帯を占拠し、琉球を日本領とし、朝鮮を属国とし、満州、台湾、フィリピンを領有するべきだというのです。
相手かまわず植民地主義を実行するのが、彼の言う「大和魂」なのです。
吉田松陰は水戸学や義父であり叔父でもある玉木文之進から叩き込まれた山鹿流軍学など、本当に真剣に学んだのか甚だ怪しいものです。
松陰が老中間部詮勝や大老井伊直弼の話を直に聞いていたら、単純な思考力の松陰は簡単になびいていたでしょう。(次回につづく)
[今日の音楽]
イルカさんがレコーディングするのを最初は「自分のカラーに合わない」と録音をなかなか承諾しなかったと言われましたが、作者の伊勢正三さんの話しを聴いて納得したという曲ですが、大ヒットし、いまや知らない人の方が少ない名曲となりました。
イルカさんで「なごり雪」
[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
秋の空

毎年勝手に咲く百日草

[歴史に残る名言]
<石川啄木の名言>
「二日(ふつか)前に山の絵見しが
今朝になりて
にはかに恋しふるさとの山」
石川啄木[いしかわ・たくぼく](明治の歌人・詩人、1886~1912)『一握の砂』
参加してるので、応援してもらえたら嬉しいです``r(^^;)ポリポリ

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家には目が見えなくなった猫の世話もあり、姪のブログのことまで手が回らず皆さまにはまことに申し訳ありませんでした。
姪の退院予定日は来週月曜日の予定ですが、家内は来週いっぱい入院することになっておりますので、姪のブログは姪が退院してから皆さまにご挨拶に伺うものと思いますのでそれまでお待ちいただけるようよろしくお願いします。
なお、本日は姪が書きかけのブログ記事を掲載させていただくことでご容赦をいただきたく思います。
葛飾北斎画「東都駿臺」(富嶽三十六景)

再掲[薩長史観が靖国史観の大元№4](加筆修正)
前回からつづきますが、松陰の松下村塾とは、師が何かを講義して教育するという場ではなく、過激派同志が集まって好き勝手なことを言いあう、水戸学に影響をうけた「尊王」論と「攘夷」論で大いに盛り上がるという場であったようです。
そういう仲間のリーダー格が松陰であり、いろいろな縁で山縣有朋のようなどこにも教えを受ける場のない境遇の者も集まるようになったというところでしょうか。(山縣有朋は明治新政府で次々と要職に就きましたが、皆さんの中にはご存じないかもしれませんが戊辰戦争中越後長岡の闘いで河井 継之助率いる長岡藩兵に追われ抵抗できないまま逃げ出すという失態をおかしています。要するに無能だった)
これに誘発された長州藩士のなかで後輩も生まれてきたということでしょう。
もっとも、吉田松陰を持ち上げた山縣有朋のことを松陰自身はまったく知らなかったというオチがつきますが(笑)
安政5(1858)年、日米修好通商条約が締結されると、吉田松陰は老中;間部詮勝の暗殺を計画したものの露見し、長州藩は再び松陰を捕縛、投獄しました。
安政6(1859)年、幕府は吉田松陰の江戸への送致をどうするか長州藩と相談した結果、長州藩も不逞浪士だとして江戸送りを認めたため、幕府が江戸移送を命令、松陰は伝馬町の獄舎にて斬首刑となりましたが、これも長州藩は了解しています。
このとき吉田松陰は満29歳(享年30歳)でした。
吉田松陰は水戸学に強い影響を受けており、ときの幕府大老;井伊直弼の暗殺も主張していました。
また、幕府転覆を堂々と主張し、長州藩に対して大砲を始めとする武器の支給を願い出たりしています。
過激派らしく暗殺、暗殺と喚き、久坂や前原といった松陰同様の過激派跳ね上がりグループには受けたようです。
このため長州藩が、松陰の実家杉家の杉梅太郎(松陰の兄に当たる)に警告まで出しています。
『妄動してやまざれば投獄あるのみ』
長州藩や松陰の門下生と言われる者たちの一族にしてみれば、松陰の言動は文字通り「妄動」であり、このことは時の政治情勢から客観視しても変わりません。
久坂玄瑞の一族などは、何とか久坂を松陰から切り離そうと苦労したことが分かっています。(久坂玄瑞の妻は、吉田松陰の妹)
安政の大獄の名で大老;井伊直弼が吉田松陰に目をつけ、彼を処刑したことになっていますが、当時の松陰は世間に溢れ出した尊攘派の中の特に荒っぽい一人に過ぎず、井伊は松陰という男のことなどまったく知りませんでした。
井伊直弼は、松陰の処刑について長州藩に対してわざわざ意向を聞いています。
長州藩の回答が、松陰の行動を「暴発」とし、「斬首やむなし」というものだったことを見ても吉田松陰が時の幕府を揺るがすような人物ではなかったことも明らかです。
当時の幕閣にしても、全国の諸大名にしても、松陰処刑を殊更特別視するような重要事件とみておらず、不逞の輩が一人処刑されただけというのが透けて見えてきます。
吉田松陰を「維新の師」であると突然崇めだしたのは、明治新政府が成立してしばらく経ってからのことです。
最初に持ち上げだしたのは日本軍閥の祖、長州閥の元凶である山縣有朋です。
中間(ちゅうげん)という足軽以下の出自をもつ山縣有朋は、出世するに従って自らを権威づけるため拠り所が欲しくなったのでしょう。
山縣有朋だけでなく権力欲の強い人物は、自己を目立たさせるためにこういうことをよくやります。
とくに自分に自信のない安倍首相(自民党平沢勝栄議員にバカで無知な男と暴露されている)などにみられる権力者ほど、その傾向がより強いでしょう。
山縣有朋の名誉欲によって、吉田松陰=松下村塾は一気に陽の当たる場所へ躍り出たのです。
山縣有朋の作り話が気がついてみれば吉田松陰はいつのまにか松陰神社の「神様」になっていたのです。
高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠等が、松陰の「遺志」とやらを継いだ「跳ね上がり」であったことを整理して述べれば、松陰の実像はもっと理解し易くなるでしょう。
仮に吉田松陰が何らかの思想をもっていたとしても、虚構に満ちた妄想と呼ぶに近いもので、ひたすら倒幕の機会を窺っていた長州藩そのものにとっても松陰は単なる厄介者に過ぎなかったわけです。
例えば、松陰の外交思想というものは余り語られませんが、松陰の外交に対する考えは実に稚拙なものでした。
蝦夷地(北海道)を開拓し、カムチャッカからオホーツク一帯を占拠し、琉球を日本領とし、朝鮮を属国とし、満州、台湾、フィリピンを領有するべきだというのです。
相手かまわず植民地主義を実行するのが、彼の言う「大和魂」なのです。
吉田松陰は水戸学や義父であり叔父でもある玉木文之進から叩き込まれた山鹿流軍学など、本当に真剣に学んだのか甚だ怪しいものです。
松陰が老中間部詮勝や大老井伊直弼の話を直に聞いていたら、単純な思考力の松陰は簡単になびいていたでしょう。(次回につづく)
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イルカさんがレコーディングするのを最初は「自分のカラーに合わない」と録音をなかなか承諾しなかったと言われましたが、作者の伊勢正三さんの話しを聴いて納得したという曲ですが、大ヒットし、いまや知らない人の方が少ない名曲となりました。
イルカさんで「なごり雪」
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<石川啄木の名言>
「二日(ふつか)前に山の絵見しが
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コメント
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2018/09/17 19:00
#[ 編集]
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2018/09/17 09:09
#[ 編集]
No title
こんばんは。
まり姫さん、治療が大変ですね。
でも頑張ってくださいね!
無事に帰ってこられることを祈っています!
こんばんは。
まり姫さん、治療が大変ですね。
でも頑張ってくださいね!
無事に帰ってこられることを祈っています!
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2018/09/16 21:11
#[ 編集]
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2018/09/16 18:47
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2018/09/16 18:29
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2018/09/16 16:26
#[ 編集]
No title
お二人も入院されていることは何かと大変だと思います。
叔父さまにはご自分の体調をくずされませんようにくれぐれもご自愛ください。
お二人が1日も早く退院できることを祈っております。
お二人も入院されていることは何かと大変だと思います。
叔父さまにはご自分の体調をくずされませんようにくれぐれもご自愛ください。
お二人が1日も早く退院できることを祈っております。
2018/09/16 10:30URL
平野三好 #lf04C36c[ 編集]
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2018/09/16 08:46
#[ 編集]
No title
心配しておりましたが、状況をお知らせくださいましてありがとうございます。元気になられてブログ復帰される事をお待ちしております。まり姫さんお父様も大変な時ですので、無理はされないようお気をつけ下さい。
心配しておりましたが、状況をお知らせくださいましてありがとうございます。元気になられてブログ復帰される事をお待ちしております。まり姫さんお父様も大変な時ですので、無理はされないようお気をつけ下さい。
2018/09/15 21:14URL
オバrev #-[ 編集]
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2018/09/15 19:08
#[ 編集]
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2018/09/15 18:49
#[ 編集]
叔父様へ!!
しばらくでございます。!
色々悪いことが重なり大変で心よりお見舞いいたします。
まり姫さんは退院できることは嬉しく思います。
お互い厳しい体の不調ですので、まり姫さんには病に負けないで頑張って生き延びてほしいと記念しています。私も励みとなります。
おじさまもお体を大切されてお暮しください。!
しばらくでございます。!
色々悪いことが重なり大変で心よりお見舞いいたします。
まり姫さんは退院できることは嬉しく思います。
お互い厳しい体の不調ですので、まり姫さんには病に負けないで頑張って生き延びてほしいと記念しています。私も励みとなります。
おじさまもお体を大切されてお暮しください。!
No title
病人が重なると身体だけでなく、気苦労が増えて大きなプレッシャーが掛かりますね~
時には看病疲れで、看病する側が倒れる事もあります。無理をしない様にして下さい。
病人が重なると身体だけでなく、気苦労が増えて大きなプレッシャーが掛かりますね~
時には看病疲れで、看病する側が倒れる事もあります。無理をしない様にして下さい。
管理人のみ閲覧できます
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2018/09/15 11:41
#[ 編集]
大変でしたね。
姪御さんは無理する人ですから、もしも十分食事が出来ないなら、その間は入院させて下さい。お願い致します。
姪御さんは無理する人ですから、もしも十分食事が出来ないなら、その間は入院させて下さい。お願い致します。
2018/09/15 11:08URL
motomasaong #-[ 編集]
No title
おはようございます。
1週間ぶりにお邪魔しましたが大変なことになっていたのですね。
知りませんでした。
まり姫さんとおば様が早く元に戻られることをお祈りしております。
おはようございます。
1週間ぶりにお邪魔しましたが大変なことになっていたのですね。
知りませんでした。
まり姫さんとおば様が早く元に戻られることをお祈りしております。
2018/09/15 10:11URL
平野三好 #lf04C36c[ 編集]
No title
おはようございます。
お二人も入院されては大変だと思います。
軽い症状で収まることを願っています。
叔父さんも大変ですなあ。
おはようございます。
お二人も入院されては大変だと思います。
軽い症状で収まることを願っています。
叔父さんも大変ですなあ。
2018/09/15 10:07URL
ファン #mQop/nM.[ 編集]
No title
おはようございます~
叔父さまのご心痛いかばかりかと思います。
本当に心配なことが重なりましたね。
叔父さまのが倒れられたら大変ですから十分お気をつけくださいね。
わざわざお知らせいただいてありがとうございました(^-^ゞ
おはようございます~
叔父さまのご心痛いかばかりかと思います。
本当に心配なことが重なりましたね。
叔父さまのが倒れられたら大変ですから十分お気をつけくださいね。
わざわざお知らせいただいてありがとうございました(^-^ゞ
2018/09/15 10:03URL
ubasakura #N/StHCbw[ 編集]