[終戦の日]
本日8月15日は「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」です。
日本国憲法は、朝鮮半島の植民地化、満州事変を皮切りに日中戦争から始まった12年に及ぶ侵略戦争行為で、日本がおかした数々の過ちをただすともに、二度と戦争をしない恒久平和の国となることを決意し、そのためには一切の武力をもたない決意を条文に記しましたが、歴代自民党政権は解釈改憲という卑劣な方法で事実上の軍事力を保持しつづけています。
国際社会からも高く評価されている憲法九条は決して時代遅れではなく、最も先進的であり国際政治をリードできる唯一の羅針盤ともいえる日本国民が誇るべき条文です。
安倍晋三首相は、自らの野望のために国民の過半数以上が反対もしくは慎重に議論すべきだとしているものを、一内閣による閣議決定という法的な根拠もない、かつ憲法に真っ向から挑戦する暴挙に出て、憲法に違反する集団的自衛権の行使容認を閣議決定してしまいました。
また、自衛隊が海外で米軍と一体となって戦争ができるようにするため、事実上の「戦争法」を数の力で強行採決しましたが、国民の各界各層の圧倒的多数が共同し、「戦争法阻止」「アベ政治を許さない」の一点でつながり、与党である公明党の支持母体の創価学会員や創価大学教員有志までが反対声明を発表するなど、確実に安倍政権を追い詰めています。
安倍首相は、それでも不足として日本国憲法そのものを改悪する野望をむき出しにしています。
自民党古老でさえ暴挙だと批判の声が出るほどの暴走ぶりは目に余るものがあり、もはや亡国首相と言ってもいいでしょう。
戦後73年間一人の外国軍兵士を殺したこともなく、また自衛隊員が戦争に巻き込まれて殺されたことがないということは、憲法九条が歯止めになっていたからこそです。
これをなし崩し的に変更することは国民を冒涜するものであり、憲法に反する行為は立憲主義を破壊するものにほかなりません。
ましてや、日本会議が主張している憲法九章に自衛隊の存在を明記するなどありえないことで、これこそ憲法九条二項を事実上骨抜きにするものであり断じて認められません。
安倍政権が画策している平和を脅かすいかなる手法も、ならぬものはならぬのです!!
さらに付け加えると、若手国際政治学者としてマスメディアでちやほやされている極右三浦瑠麗(みうらるり)などが主張する「国家総動員体制になる1943年以前はまだよかった、全否定には無理がある」などの歴史を偽造した歴史修正主義などは絶対に認められないことです。
ウソとごまかしを平気で語っている極右の学者と名乗る連中はもう少し歴史を学びなすべきで、マスメディアがこういう連中を徴用することはまさにマスメディアの自殺行為そのものでしょう。
日本がおかしくなったのは国家総動員体制囲碁だというおかしな主張は、日本軍国主義が国際社会から厳しい批判の嵐に遭うようになったのは、日本が常任理事国であった1933年に国際連盟から脱退したときを境にしたもので、当時すでに旧日本軍は中国北部満州に侵略し、謀略で満州事変を引き起こしていたことを無視した暴論に過ぎません。
明治時代からの富国強兵政治ならびに戦前の暗黒時代を完全に否定してこそ、戦後日本の民主主義の土台ができたのであり、現代社会でも民主主義が決して成熟してはいないと見ることこそ国際政治を語る資格があるのです。
国際政治学者(これでも東大出)の肩書が泣くあまりに近現代史に無知な人物は桜井よしこと大して変わらないでしょう。
[第二次世界大戦特集]
※特攻の真実=自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言
太平洋戦争末期、極限状況で死と向き合った兄弟が侵略戦争を美化する者への怒りの告発をした記述の最終章をとりあげ、戦争の悲惨さを二度と繰り返さないことと、特攻に追いやられた学徒兵たちの心の叫びをここに記します。
特攻の真実をあえて記した学徒兵兄弟が、著書を出版する契機となったのは、小林よしのり「新ゴーマニズム宣言 戦争論」が「個を超える勇気と誇り」と特攻を美化し、そのマンガ本が広い青年層に読まれていることを知ったことにはじまっています。
もう一つは「新しい歴史教科書」が特攻隊員の遺書を掲載して、特攻容認の記述をおこなったことを黙認できなかったと記しています。
幸か不幸か特攻で兄弟とも生き残り、彼らが特攻体験を通じてできあがった戦争拒否への信念が、現在の危険な風潮に危機感を覚え、あえて特攻の真実を読者に提供したことは想像にかたくないと考えられます。
彼らはかつて戦友だった特攻隊員の死を悼みつつ、沖縄特攻に向かっていた戦艦大和の青年士官たちに焦点を当て、兵学校出身士官と学徒出身の予備士官の間には、特攻における死と日本の敗北の受け止め方の違いで乱闘まで発展した事実を明らかにしています。
これを鎮めたのはケプガン(青年士官の居室であるガンルームのキャプテン)白淵大尉で、彼が述べた言葉が特攻の死生観論争の混迷を断ち切ったと著者は記しています。
白淵の言葉は以下の通り。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩といふことを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだはって、真の進歩を忘れてゐた。敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救はれるか。今目覚めずしていつ救はれるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先がけて散る、まさに本望じゃないか。」
すぐれた知性をもった若者たちをここまで追いやったものが、「祖国」「天皇制」「教育」「私的な潔癖」だったことが明らかだとし、巷間言われるような特攻死の美化ではなく、彼らが自らの命を犠牲にして特攻に行かざるを得ない状況に追い込まれたことを明らかにしています。
特攻に選抜された前途のある若者たちが、国家のために決して喜んで散って行ったわけではなく、死と生の狭間を悩み続けていたことを自らの体験から導き出した結論は、時代がどれだけ経過しても若者が無駄死にさせられたという悔恨の念が経ちきれないものだと推察されます。
9.11朝のニューヨーク貿易センタービルに飛行機が突入した場面が、特攻と重なり戦慄を覚えた人もあるでしょう。
あの光景こそ特攻そのものではないかと感じます。
自らの利権を得ようと他国へ侵略した戦争には、どんな理由をつけようともそこには正義はありません。
軍部の暴走という言葉に逃げることも自己を正当化するものであり、ましてや玉音で放送された「大東亜の解放」などというのは手前もその思い上がりであり論外です。
無駄死にさせられた若者たちの魂を安らかにするのは、戦病死意外に極東軍事裁判で死刑に処せられたA級戦犯が合祀された靖国神社ではなく、現代に生きる私たちが二度とあのような戦争を国家の名で起こさせないことだと考えます。
A級戦犯の処刑について戦勝国が勝手に裁いたと主張している親米右翼の人々の発想は、日本国民自らの手で徹底的に戦争指導者を裁かなかったことを忘れ、無謀な戦争で我が国の国民320万人もの犠牲者を出したことを反省すらせず合理化しているのにほかなりません。
同じ敗戦国であるドイツは現代になっても過去に犯したナチ党員としての罪を追及しつづけ、つい最近も戦争犯罪者を裁判にかけ終身刑を課しています。
それと比較すると日本の対応はあまりにも姑息であり、先日NHKが珍しく圧力に屈しないで報道した、史上最悪と言ってもいい残虐行為を働いた731部隊の本質と彼らがその後、石井四郎軍医中将を筆頭に戦争犯罪から逃れるために米国に対し人体実験結果資料を渡してまで戦犯逃れをしただけでなく、平然と出身大学のエリートとして影響力を行使していた事実を報道したことや、岸信介をはじめA級戦犯容疑者がぬくぬくと戦後も生き抜いただけでなく、日本の戦後民主主義と正面から敵対する政治勢力を率いている子や孫に戦争責任を否定できるよう工作し続けていることを私たち国民は忘れてはいけないでしょう。
参考文献:「特攻」岩井忠正・岩井忠熊共著
[伊吹山の高山植物]
コオニユリの蕾

霧が一瞬はれたときのカワラナデシコ。
少しだけ上手く撮れたかな``r(^^;)ポリポリ

[今日の音楽]
説明は省略しますね。
[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
<野良ちゃんガンバリヤー>

[歴史に残る名言]
<石川啄木の名言>
「何がなしに
息きれるまで駆け出してみたくなりたり
草原(くさはら)などを」
石川啄木[いしかわ・たくぼく](明治の歌人・詩人、1886~1912)『一握の砂』
[今日は何の日?]
<今日のトップニュース>
※終戦73年、不戦誓う 平成最後の戦没者追悼式
終戦から73年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、遺族らは不戦の誓いを新たにする。平成最後の追悼式。戦前、戦中世代の高齢化が進む中、悲惨な戦争体験をどう継承するかが課題となる。来年4月30日の退位を控える天皇陛下や安倍晋三首相も参列。
戦没者遺族も高齢化が進み、今年の参列予定者のうち8割近くを70代以上が占める。参列を予定する戦没者の妻も13人と減少傾向にあり、記憶の風化が懸念される。
即位から皇后さまと参列を続けてきた天皇陛下にとっては、最後の追悼式となる。(共同)2018年8月15日【出典:東京新聞】
<ちょっと前のトップニュース>
※<語り継ぐ 戦後72年>戦前回帰、黙ってられない 元特攻隊、90代の兄弟
「沈黙は中立ではなく、権力者への従属だ」
太平洋戦争末期、特別攻撃隊(特攻隊)に志願し、命を散らした若者たちがいた。岩井忠正さん(97)=東京都武蔵野市、忠熊さん(94)=大津市=の兄弟も、その一員として一度は生きることをあきらめた。「終戦を迎えられたのは、ただの巡り合わせ」。戦後72年。再び感じるあの時代のにおいに、警告する。「沈黙してはいけない」
一枚の白黒写真がある。立ち姿で、軍服に身を包むのは弟の忠熊さん。京都帝大一年だった一九四三(昭和十八)年秋、学徒出陣で徴兵された。
先祖が眠る山形県米沢市へ墓参りに向かう列車で、同時に入隊が決まった慶応大二年の兄忠正さんの言葉を覚えている。「俺が死ぬのは、カイザー(皇帝=天皇)のためじゃないぞ」。国策に反する言論を封じられた時代。周囲に悟られぬよう、兄はドイツ語で話し掛けた。命を懸けるのは、愛する家族や友人を守るため。「俺もだ」。兄弟だけでも本音を共有したかった。
海軍の別々の学校に移ったが、四四年十一月に長崎県川棚町の訓練所で偶然再会した。「どうせ死ぬなら潔く一発で」。同じ思いから特攻に志願していた。近くの写真館で二人の「遺影」を撮り、中国・大連の両親に送った。
忠熊さんは「震洋(しんよう)」の搭乗員になった。ベニヤ板の粗末なボートに爆薬を積み、敵に体当たりする。出撃で石垣島へ向かう洋上、輸送船が米潜水艦の魚雷攻撃に遭った。自身は救出されたが、一緒だった搭乗員百八十六人のうち百四十二人が命を落とした。
忠正さんは「伏龍(ふくりゅう)」部隊に。機雷の付いた棒で敵艦の船底を突いて自爆する。だが、渡された潜水服は「とんでもなく愚かな代物だった」。背中の呼吸装置の重みで顔が上がらず、頭上の敵艦の位置すら確認できない。装置から劇物が漏れる事故死が相次ぎ、自身も訓練中に気絶して死にかけた。
結局、兄弟は出撃を待たずに終戦を迎えたが、長く特攻での体験を語らずにいた。命を粗末にする「思い出したくない愚行」(忠熊さん)に思えたからだ。ただ、九〇年代に入ったころから、この国が戦争の恐ろしさを忘れ始めた気がして講演を引き受けるようになった。忠熊さんは「今はドイツ語なんて使わない。堂々と『二度と戦争するな』と叫びたい」と訴える。
治安維持法の復活とも指摘される「共謀罪」法が施行されたこの夏、忠正さんは「戦後で一番『あの時代』に近づいている」と感じる。「七十二年前、私たちは戦争に表立って反対することをあきらめてしまった。沈黙は中立ではなく、権力者への従属だ。私たちみたいになるな」(中野祐紀)
<特攻隊> 爆弾を装着した航空機や船舶などで敵に体当たりするために編成された部隊。戦況が悪化した太平洋戦争末期、米軍への対抗策として日本の陸海軍が組織した。海軍の「神風特攻隊」の名が知られる。特攻による死者数は諸説あるが、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」(東京)によると、陸軍が2244人、海軍が4174人に上る。2017年8月14日【出典:中日新聞】
※終戦の日、首相式辞の文言に注目 情勢緊迫の中、問われる平和
終戦から72年となる15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれる。天皇、皇后両陛下や安倍晋三首相、約5200人の戦没者遺族らが参列し、先の大戦で犠牲になった約310万人を悼む。
北朝鮮が米領グアム沖へのミサイル発射検討を表明し、トランプ米大統領が軍事報復を示唆するなど情勢は緊迫。平和の在り方が問われる中での追悼式となる。
安倍首相は昨年までの追悼式で、歴代首相が触れてきたアジア諸国への加害と反省に言及しなかった。「不戦の誓い」との言葉も使わず、近隣諸国の反発を招いた経緯もあり、今年の式辞の内容が注目される。(共同)2017年8月14日【出典:東京新聞】
<もう少し前のトップニュース>
※<戦後71年 夏> 海外での戦闘、宣誓してない
◆安保関連法で岐路
自衛隊員は入隊時に「服務の宣誓」をする。「我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を順守し(中略)国民の負託にこたえることを誓います」。解釈改憲で集団的自衛権の行使が可能となり、安全保障関連法が3月に施行された。「守る」と誓った憲法の根幹が変わり、自衛隊もまた、岐路に立つ。
◆自衛隊員らに強い危機感
「だまされたと思った」。元自衛官の池田頼将さん(44)=名古屋市熱田区=が振り返る。イラク特措法でクウェートへ派遣中の二〇〇六年、米国の民間軍事会社の車両にはねられて大けがを負い、今も後遺症に悩まされる身だ。
派遣先の現実は、小泉純一郎首相(当時)が派遣の条件として語った「非戦闘地域」からは程遠かった。到着直後のバス移動では「隊員が乗っていると分かれば自爆攻撃をされる。カーテンを開けるな」と言われ、基地周辺にはイラク軍の侵攻時に敷設されたとみられる地雷が残っていた。
宣誓時に池田さんが想像した「国民の負託にこたえる」とは、災害支援を中心とした任務だ。海外の「歩くのも怖い場所」で活動するために宣誓したつもりはない。
元自衛官の水上学さん(42)=同区=も「所属し続けていたら、自分も海外に派遣されたかもしれない」と思う。
一九九二年から十年間所属した航空自衛隊で、輸送計画づくりや大型車の運転などに携わった。安保法に基づいて海外に派遣されれば、他国部隊や武器弾薬を運ぶ計画立案や、車両の運転に関わることになりかねない。「宣誓した時、隊員は海外で戦闘に巻き込まれることまでを受け入れたわけではない。安保法は契約違反です」
実際、現役隊員からも声が上がった。安保法に基づく防衛出動は違憲として今年三月、国を相手取り東京地裁に提訴した。原告の隊員は「入隊時に、集団的自衛権の行使となる命令に従うことには同意していない」と主張する。
池田さんを支援する秋田光治弁護士(67)は「現場から声が上がるのは、なかなかない。現役隊員にも危機感が出てきているのでは」と話す。
隊員家族の胸中も揺れる。岐阜基地に勤務経験がある空自隊員の妻は「自衛官だから命を危険にさらすのは仕方がないと納得する面と、本当に死んだらどうしようという心配が半々」。
隊員や家族の電話相談窓口を設けた北海道合同法律事務所の佐藤博文弁護士(62)は「上官から『弁護士に相談するな』『親が相談すれば昇進に影響する』と言われ、隊員らが外と遮断された状況になっている」。派遣で増えるリスクを正面から議論して、隊員や家族の不安に応える必要性を強調する。
戦後七十一年。平和国家の安保政策を大転換させた安倍政権は、自衛隊員のリスクを十分に語ることなく、本格的な改憲へ向けて走りだそうとしている。 (竹田佳彦)2016年8月15日【中日新聞】
<8月15日の記念日>
※終戦記念日,敗戦記念日,全国戦没者追悼式
1945年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。これにより第二次世界大戦が終結した。
1982年4月の閣議決定により「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」となった。
1963年から毎年、政府主催による「全国戦没者追悼式」が行われ、正午から1分間、黙祷が捧げられる。
※月遅れ盆
本来は旧暦7月15日であるが、明治の改暦後は、多くの地域で月遅れの8月15日に行われる。
※刺身の日
1448(文安5)年、刺身が初めて文書に登場した。
室町時代後期の書記官・中原康冨の文安5年のこの日の日記に「鯛なら鯛とわかるやうにその魚のひれを刺しておくので刺し身、つまり「さしみなます」の名の起り」とあり、これが初めて文書に登場する刺身に関する記録とされている。
※聖母マリア被昇天祭
キリスト教の聖名祝日。
聖母マリアはイエスの死の後、使徒ヨハネの保護のもとに余生を送り、使徒たちに見守られながら亡くなった。遺体は使徒たちによって葬られたが、3日後使徒たちが棺を開いてみると遺体を包んだ布だけが残されており、使徒たちは聖母が天に昇ったことを信じたと言う。
※素堂忌
俳人・山口素堂[やまぐちそどう]の1716年の忌日。
<今日の誕生花>
向日葵[ひまわり]「花言葉:光輝、偽りの富」モントブレチア(姫檜扇水仙)「花言葉:謙譲の美」

<歴史上の出来事>
1057年ランファナンの戦いでスコットランド王マクベスが戦死。
1248年ケルン大聖堂が起工。完成まで600年。
1336年北朝の光明天皇が即位。再び南北朝分離へ。(新暦9月20日)
1543年フランシスコ・ザビエルらがパリでイエズス会を発足。
1567年織田信長が斎藤龍興の居城だった稲葉山城に移り岐阜城と改称。初めて「岐阜」の名が登場。(新暦9月17日)
1723年江戸幕府が江戸市中に火の見櫓の設置令を発布。(新暦9月14日)
1808年フェートン号事件。英軍艦フェートン号が長崎湾内に侵入し食料などを強要して退去。長崎奉行が引責自決。(新暦10月4日)
1869年明治政府が蝦夷地を「北海道」と改称する布告。(新暦9月20日)
1901年與謝野晶子の第一歌集『みだれ髪』が発刊。
1914年太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河が開通。
1919年九州で暴風雨。海軍輸送船「志自岐丸」が種子島平山沖で沈没し111人死亡。
1929年嘆きの壁事件。シオニストの青年たちが嘆きの壁の前でイスラエル国歌を歌ったことによりイスラム教徒の感情を刺戟し、ユダヤ教徒とイスラム教徒が衝突。パレスチナ全土に拡大。
1940年立憲民政党が解党。
1945年皇居占拠事件。前日深夜、陸軍軍務局員の畑中健二少佐らが終戦阻止の為に近衛師団を動かし皇居と東京放送局を占拠。早朝鎮圧される。
1945年早朝、陸軍横浜警備隊長・佐々木武雄大尉が終戦阻止の為に横浜高工の学生らを率いて首相公邸・首相私邸・内大臣邸などを襲撃。
1945年正午、昭和天皇の「戦争終結の詔書」の放送(玉音放送)。
1945年鈴木貫太郎内閣が総辞職。
1946年第28回全国中等学校優勝野球大会開幕。戦時中中止されていた中等学校野球大会(後の高校野球)が再開。
1947年前日のパキスタンに続いてインドがイギリスから独立。
1947年GHQと政府の強力な監督の下で民間貿易が再開。
1948年大韓民国が成立。
1958年日教組が勤務評定に反対して全国スト。
1963年政府主催の第1回全国戦歿者追悼式を挙行。
1965年高田光政が日本人として初めてアイガー北壁に登頂成功。
1969年アメリカ・ニューヨーク州で、3日間にわたる大規模な野外ロックコンサート・ウッドストック・フェスティバルが開幕。
1971年アメリカが金とドルの交換停止などドル防衛策を発表。翌日からダウ平均が暴落しドル売りが殺到(ニクソンショック)。
1974年津川雅彦・朝丘雪路夫妻の生後5か月の長女・真由子が誘拐。翌日、犯人を逮捕し、人質を保護。
1974年朴正煕韓国大統領が狙撃され、大統領夫人が死亡。
1975年バングラデシュで軍事クーデター。ムジブル・ラフマン大統領が暗殺。
1975年三木武夫首相が私人として靖国神社に参拝。在任中の首相の終戦の日の参拝は戦後初。
1977年『愛のコリーダ』の著者・大島渚らがわいせつ文書図画販売で起訴。1979年に無罪判決。
1977年地球外知的生命体探査(CETI)で、オハイオ州立大の電波望遠鏡が特徴的な信号「Wow!シグナル」を受信。
1985年中曽根康弘首相ら閣僚17人が靖国神社を公式参拝。
1986年新自由クラブが解散。
1995年村山富市首相が、第二次大戦における日本の植民地支配と侵略を反省し謝罪する「村山談話」を発表。
2006年小泉純一郎首相が、総裁選での公約通り終戦の日に靖国神社に参拝。
2007年ペルー沖でM8.0の地震。死者510人。
2013年ドッコイセ福知山花火大会屋台爆発事故が発生
2017年翌16日にかけて台湾全土で600万戸を超える規模の大停電が発生。大潭発電所の停止によるもの
<著名人の誕生日>
1769年ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト) (仏:皇帝(第1帝政),軍人)[1821年5月5日]
1925年オスカー・ピーターソン (カナダ:ジャズピアニスト)[2007年12月23日]
1944年シルヴィ・ヴァルタン (仏:歌手)
1967年2代目市川猿弥[いちかわ・えんや2] (歌舞伎役者)
1972年ベン・アフレック (米:俳優)
1975年川口能活[かわぐち・よしかつ] (サッカー(GK))
<著名人の忌日>
1519年北條早雲(伊勢盛時)[ほうじょう・そううん] (武将,後北條氏の祖) <数え88歳>[1432年生]
1716年山口素堂[やまぐち・そどう] (俳人) <数え75歳>[1642年5月5日生]
1860年徳川齊昭(烈公)[とくがわ・なりあきら] (水戸藩主(9代),徳川慶喜の実父) <数え61歳>[1800年3月11日生]
1996年丸山眞男[まるやま・まさお] (政治学者,思想史家) <82歳>[1914年3月22日生]
2009年松林宗恵[まつばやし・しゅうえ] (映画監督) <89歳>[1920年7月7日生]
参加してるので、応援してもらえたら嬉しいです``r(^^;)ポリポリ

(↑ポチ
) (↑ポチ
)
拍手ボタンのポチポチお願いで~す。まり姫の励みになります、そして皆さんには笑顔をネ(*^^*ゞ
拍手ボタンを押すともっと見たくなりますよm(o´・ω・`o)mペコリン
本日8月15日は「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」です。
日本国憲法は、朝鮮半島の植民地化、満州事変を皮切りに日中戦争から始まった12年に及ぶ侵略戦争行為で、日本がおかした数々の過ちをただすともに、二度と戦争をしない恒久平和の国となることを決意し、そのためには一切の武力をもたない決意を条文に記しましたが、歴代自民党政権は解釈改憲という卑劣な方法で事実上の軍事力を保持しつづけています。
国際社会からも高く評価されている憲法九条は決して時代遅れではなく、最も先進的であり国際政治をリードできる唯一の羅針盤ともいえる日本国民が誇るべき条文です。
安倍晋三首相は、自らの野望のために国民の過半数以上が反対もしくは慎重に議論すべきだとしているものを、一内閣による閣議決定という法的な根拠もない、かつ憲法に真っ向から挑戦する暴挙に出て、憲法に違反する集団的自衛権の行使容認を閣議決定してしまいました。
また、自衛隊が海外で米軍と一体となって戦争ができるようにするため、事実上の「戦争法」を数の力で強行採決しましたが、国民の各界各層の圧倒的多数が共同し、「戦争法阻止」「アベ政治を許さない」の一点でつながり、与党である公明党の支持母体の創価学会員や創価大学教員有志までが反対声明を発表するなど、確実に安倍政権を追い詰めています。
安倍首相は、それでも不足として日本国憲法そのものを改悪する野望をむき出しにしています。
自民党古老でさえ暴挙だと批判の声が出るほどの暴走ぶりは目に余るものがあり、もはや亡国首相と言ってもいいでしょう。
戦後73年間一人の外国軍兵士を殺したこともなく、また自衛隊員が戦争に巻き込まれて殺されたことがないということは、憲法九条が歯止めになっていたからこそです。
これをなし崩し的に変更することは国民を冒涜するものであり、憲法に反する行為は立憲主義を破壊するものにほかなりません。
ましてや、日本会議が主張している憲法九章に自衛隊の存在を明記するなどありえないことで、これこそ憲法九条二項を事実上骨抜きにするものであり断じて認められません。
安倍政権が画策している平和を脅かすいかなる手法も、ならぬものはならぬのです!!
さらに付け加えると、若手国際政治学者としてマスメディアでちやほやされている極右三浦瑠麗(みうらるり)などが主張する「国家総動員体制になる1943年以前はまだよかった、全否定には無理がある」などの歴史を偽造した歴史修正主義などは絶対に認められないことです。
ウソとごまかしを平気で語っている極右の学者と名乗る連中はもう少し歴史を学びなすべきで、マスメディアがこういう連中を徴用することはまさにマスメディアの自殺行為そのものでしょう。
日本がおかしくなったのは国家総動員体制囲碁だというおかしな主張は、日本軍国主義が国際社会から厳しい批判の嵐に遭うようになったのは、日本が常任理事国であった1933年に国際連盟から脱退したときを境にしたもので、当時すでに旧日本軍は中国北部満州に侵略し、謀略で満州事変を引き起こしていたことを無視した暴論に過ぎません。
明治時代からの富国強兵政治ならびに戦前の暗黒時代を完全に否定してこそ、戦後日本の民主主義の土台ができたのであり、現代社会でも民主主義が決して成熟してはいないと見ることこそ国際政治を語る資格があるのです。
国際政治学者(これでも東大出)の肩書が泣くあまりに近現代史に無知な人物は桜井よしこと大して変わらないでしょう。
[第二次世界大戦特集]
※特攻の真実=自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言
太平洋戦争末期、極限状況で死と向き合った兄弟が侵略戦争を美化する者への怒りの告発をした記述の最終章をとりあげ、戦争の悲惨さを二度と繰り返さないことと、特攻に追いやられた学徒兵たちの心の叫びをここに記します。
特攻の真実をあえて記した学徒兵兄弟が、著書を出版する契機となったのは、小林よしのり「新ゴーマニズム宣言 戦争論」が「個を超える勇気と誇り」と特攻を美化し、そのマンガ本が広い青年層に読まれていることを知ったことにはじまっています。
もう一つは「新しい歴史教科書」が特攻隊員の遺書を掲載して、特攻容認の記述をおこなったことを黙認できなかったと記しています。
幸か不幸か特攻で兄弟とも生き残り、彼らが特攻体験を通じてできあがった戦争拒否への信念が、現在の危険な風潮に危機感を覚え、あえて特攻の真実を読者に提供したことは想像にかたくないと考えられます。
彼らはかつて戦友だった特攻隊員の死を悼みつつ、沖縄特攻に向かっていた戦艦大和の青年士官たちに焦点を当て、兵学校出身士官と学徒出身の予備士官の間には、特攻における死と日本の敗北の受け止め方の違いで乱闘まで発展した事実を明らかにしています。
これを鎮めたのはケプガン(青年士官の居室であるガンルームのキャプテン)白淵大尉で、彼が述べた言葉が特攻の死生観論争の混迷を断ち切ったと著者は記しています。
白淵の言葉は以下の通り。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩といふことを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだはって、真の進歩を忘れてゐた。敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救はれるか。今目覚めずしていつ救はれるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先がけて散る、まさに本望じゃないか。」
すぐれた知性をもった若者たちをここまで追いやったものが、「祖国」「天皇制」「教育」「私的な潔癖」だったことが明らかだとし、巷間言われるような特攻死の美化ではなく、彼らが自らの命を犠牲にして特攻に行かざるを得ない状況に追い込まれたことを明らかにしています。
特攻に選抜された前途のある若者たちが、国家のために決して喜んで散って行ったわけではなく、死と生の狭間を悩み続けていたことを自らの体験から導き出した結論は、時代がどれだけ経過しても若者が無駄死にさせられたという悔恨の念が経ちきれないものだと推察されます。
9.11朝のニューヨーク貿易センタービルに飛行機が突入した場面が、特攻と重なり戦慄を覚えた人もあるでしょう。
あの光景こそ特攻そのものではないかと感じます。
自らの利権を得ようと他国へ侵略した戦争には、どんな理由をつけようともそこには正義はありません。
軍部の暴走という言葉に逃げることも自己を正当化するものであり、ましてや玉音で放送された「大東亜の解放」などというのは手前もその思い上がりであり論外です。
無駄死にさせられた若者たちの魂を安らかにするのは、戦病死意外に極東軍事裁判で死刑に処せられたA級戦犯が合祀された靖国神社ではなく、現代に生きる私たちが二度とあのような戦争を国家の名で起こさせないことだと考えます。
A級戦犯の処刑について戦勝国が勝手に裁いたと主張している親米右翼の人々の発想は、日本国民自らの手で徹底的に戦争指導者を裁かなかったことを忘れ、無謀な戦争で我が国の国民320万人もの犠牲者を出したことを反省すらせず合理化しているのにほかなりません。
同じ敗戦国であるドイツは現代になっても過去に犯したナチ党員としての罪を追及しつづけ、つい最近も戦争犯罪者を裁判にかけ終身刑を課しています。
それと比較すると日本の対応はあまりにも姑息であり、先日NHKが珍しく圧力に屈しないで報道した、史上最悪と言ってもいい残虐行為を働いた731部隊の本質と彼らがその後、石井四郎軍医中将を筆頭に戦争犯罪から逃れるために米国に対し人体実験結果資料を渡してまで戦犯逃れをしただけでなく、平然と出身大学のエリートとして影響力を行使していた事実を報道したことや、岸信介をはじめA級戦犯容疑者がぬくぬくと戦後も生き抜いただけでなく、日本の戦後民主主義と正面から敵対する政治勢力を率いている子や孫に戦争責任を否定できるよう工作し続けていることを私たち国民は忘れてはいけないでしょう。
参考文献:「特攻」岩井忠正・岩井忠熊共著
[伊吹山の高山植物]
コオニユリの蕾

霧が一瞬はれたときのカワラナデシコ。
少しだけ上手く撮れたかな``r(^^;)ポリポリ

[今日の音楽]
説明は省略しますね。
[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
<野良ちゃんガンバリヤー>

[歴史に残る名言]
<石川啄木の名言>
「何がなしに
息きれるまで駆け出してみたくなりたり
草原(くさはら)などを」
石川啄木[いしかわ・たくぼく](明治の歌人・詩人、1886~1912)『一握の砂』
[今日は何の日?]
<今日のトップニュース>
※終戦73年、不戦誓う 平成最後の戦没者追悼式
終戦から73年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、遺族らは不戦の誓いを新たにする。平成最後の追悼式。戦前、戦中世代の高齢化が進む中、悲惨な戦争体験をどう継承するかが課題となる。来年4月30日の退位を控える天皇陛下や安倍晋三首相も参列。
戦没者遺族も高齢化が進み、今年の参列予定者のうち8割近くを70代以上が占める。参列を予定する戦没者の妻も13人と減少傾向にあり、記憶の風化が懸念される。
即位から皇后さまと参列を続けてきた天皇陛下にとっては、最後の追悼式となる。(共同)2018年8月15日【出典:東京新聞】
<ちょっと前のトップニュース>
※<語り継ぐ 戦後72年>戦前回帰、黙ってられない 元特攻隊、90代の兄弟
「沈黙は中立ではなく、権力者への従属だ」
太平洋戦争末期、特別攻撃隊(特攻隊)に志願し、命を散らした若者たちがいた。岩井忠正さん(97)=東京都武蔵野市、忠熊さん(94)=大津市=の兄弟も、その一員として一度は生きることをあきらめた。「終戦を迎えられたのは、ただの巡り合わせ」。戦後72年。再び感じるあの時代のにおいに、警告する。「沈黙してはいけない」
一枚の白黒写真がある。立ち姿で、軍服に身を包むのは弟の忠熊さん。京都帝大一年だった一九四三(昭和十八)年秋、学徒出陣で徴兵された。
先祖が眠る山形県米沢市へ墓参りに向かう列車で、同時に入隊が決まった慶応大二年の兄忠正さんの言葉を覚えている。「俺が死ぬのは、カイザー(皇帝=天皇)のためじゃないぞ」。国策に反する言論を封じられた時代。周囲に悟られぬよう、兄はドイツ語で話し掛けた。命を懸けるのは、愛する家族や友人を守るため。「俺もだ」。兄弟だけでも本音を共有したかった。
海軍の別々の学校に移ったが、四四年十一月に長崎県川棚町の訓練所で偶然再会した。「どうせ死ぬなら潔く一発で」。同じ思いから特攻に志願していた。近くの写真館で二人の「遺影」を撮り、中国・大連の両親に送った。
忠熊さんは「震洋(しんよう)」の搭乗員になった。ベニヤ板の粗末なボートに爆薬を積み、敵に体当たりする。出撃で石垣島へ向かう洋上、輸送船が米潜水艦の魚雷攻撃に遭った。自身は救出されたが、一緒だった搭乗員百八十六人のうち百四十二人が命を落とした。
忠正さんは「伏龍(ふくりゅう)」部隊に。機雷の付いた棒で敵艦の船底を突いて自爆する。だが、渡された潜水服は「とんでもなく愚かな代物だった」。背中の呼吸装置の重みで顔が上がらず、頭上の敵艦の位置すら確認できない。装置から劇物が漏れる事故死が相次ぎ、自身も訓練中に気絶して死にかけた。
結局、兄弟は出撃を待たずに終戦を迎えたが、長く特攻での体験を語らずにいた。命を粗末にする「思い出したくない愚行」(忠熊さん)に思えたからだ。ただ、九〇年代に入ったころから、この国が戦争の恐ろしさを忘れ始めた気がして講演を引き受けるようになった。忠熊さんは「今はドイツ語なんて使わない。堂々と『二度と戦争するな』と叫びたい」と訴える。
治安維持法の復活とも指摘される「共謀罪」法が施行されたこの夏、忠正さんは「戦後で一番『あの時代』に近づいている」と感じる。「七十二年前、私たちは戦争に表立って反対することをあきらめてしまった。沈黙は中立ではなく、権力者への従属だ。私たちみたいになるな」(中野祐紀)
<特攻隊> 爆弾を装着した航空機や船舶などで敵に体当たりするために編成された部隊。戦況が悪化した太平洋戦争末期、米軍への対抗策として日本の陸海軍が組織した。海軍の「神風特攻隊」の名が知られる。特攻による死者数は諸説あるが、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」(東京)によると、陸軍が2244人、海軍が4174人に上る。2017年8月14日【出典:中日新聞】
※終戦の日、首相式辞の文言に注目 情勢緊迫の中、問われる平和
終戦から72年となる15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれる。天皇、皇后両陛下や安倍晋三首相、約5200人の戦没者遺族らが参列し、先の大戦で犠牲になった約310万人を悼む。
北朝鮮が米領グアム沖へのミサイル発射検討を表明し、トランプ米大統領が軍事報復を示唆するなど情勢は緊迫。平和の在り方が問われる中での追悼式となる。
安倍首相は昨年までの追悼式で、歴代首相が触れてきたアジア諸国への加害と反省に言及しなかった。「不戦の誓い」との言葉も使わず、近隣諸国の反発を招いた経緯もあり、今年の式辞の内容が注目される。(共同)2017年8月14日【出典:東京新聞】
<もう少し前のトップニュース>
※<戦後71年 夏> 海外での戦闘、宣誓してない
◆安保関連法で岐路
自衛隊員は入隊時に「服務の宣誓」をする。「我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を順守し(中略)国民の負託にこたえることを誓います」。解釈改憲で集団的自衛権の行使が可能となり、安全保障関連法が3月に施行された。「守る」と誓った憲法の根幹が変わり、自衛隊もまた、岐路に立つ。
◆自衛隊員らに強い危機感
「だまされたと思った」。元自衛官の池田頼将さん(44)=名古屋市熱田区=が振り返る。イラク特措法でクウェートへ派遣中の二〇〇六年、米国の民間軍事会社の車両にはねられて大けがを負い、今も後遺症に悩まされる身だ。
派遣先の現実は、小泉純一郎首相(当時)が派遣の条件として語った「非戦闘地域」からは程遠かった。到着直後のバス移動では「隊員が乗っていると分かれば自爆攻撃をされる。カーテンを開けるな」と言われ、基地周辺にはイラク軍の侵攻時に敷設されたとみられる地雷が残っていた。
宣誓時に池田さんが想像した「国民の負託にこたえる」とは、災害支援を中心とした任務だ。海外の「歩くのも怖い場所」で活動するために宣誓したつもりはない。
元自衛官の水上学さん(42)=同区=も「所属し続けていたら、自分も海外に派遣されたかもしれない」と思う。
一九九二年から十年間所属した航空自衛隊で、輸送計画づくりや大型車の運転などに携わった。安保法に基づいて海外に派遣されれば、他国部隊や武器弾薬を運ぶ計画立案や、車両の運転に関わることになりかねない。「宣誓した時、隊員は海外で戦闘に巻き込まれることまでを受け入れたわけではない。安保法は契約違反です」
実際、現役隊員からも声が上がった。安保法に基づく防衛出動は違憲として今年三月、国を相手取り東京地裁に提訴した。原告の隊員は「入隊時に、集団的自衛権の行使となる命令に従うことには同意していない」と主張する。
池田さんを支援する秋田光治弁護士(67)は「現場から声が上がるのは、なかなかない。現役隊員にも危機感が出てきているのでは」と話す。
隊員家族の胸中も揺れる。岐阜基地に勤務経験がある空自隊員の妻は「自衛官だから命を危険にさらすのは仕方がないと納得する面と、本当に死んだらどうしようという心配が半々」。
隊員や家族の電話相談窓口を設けた北海道合同法律事務所の佐藤博文弁護士(62)は「上官から『弁護士に相談するな』『親が相談すれば昇進に影響する』と言われ、隊員らが外と遮断された状況になっている」。派遣で増えるリスクを正面から議論して、隊員や家族の不安に応える必要性を強調する。
戦後七十一年。平和国家の安保政策を大転換させた安倍政権は、自衛隊員のリスクを十分に語ることなく、本格的な改憲へ向けて走りだそうとしている。 (竹田佳彦)2016年8月15日【中日新聞】
<8月15日の記念日>
※終戦記念日,敗戦記念日,全国戦没者追悼式
1945年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。これにより第二次世界大戦が終結した。
1982年4月の閣議決定により「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」となった。
1963年から毎年、政府主催による「全国戦没者追悼式」が行われ、正午から1分間、黙祷が捧げられる。
※月遅れ盆
本来は旧暦7月15日であるが、明治の改暦後は、多くの地域で月遅れの8月15日に行われる。
※刺身の日
1448(文安5)年、刺身が初めて文書に登場した。
室町時代後期の書記官・中原康冨の文安5年のこの日の日記に「鯛なら鯛とわかるやうにその魚のひれを刺しておくので刺し身、つまり「さしみなます」の名の起り」とあり、これが初めて文書に登場する刺身に関する記録とされている。
※聖母マリア被昇天祭
キリスト教の聖名祝日。
聖母マリアはイエスの死の後、使徒ヨハネの保護のもとに余生を送り、使徒たちに見守られながら亡くなった。遺体は使徒たちによって葬られたが、3日後使徒たちが棺を開いてみると遺体を包んだ布だけが残されており、使徒たちは聖母が天に昇ったことを信じたと言う。
※素堂忌
俳人・山口素堂[やまぐちそどう]の1716年の忌日。
<今日の誕生花>
向日葵[ひまわり]「花言葉:光輝、偽りの富」モントブレチア(姫檜扇水仙)「花言葉:謙譲の美」


<歴史上の出来事>
1057年ランファナンの戦いでスコットランド王マクベスが戦死。
1248年ケルン大聖堂が起工。完成まで600年。
1336年北朝の光明天皇が即位。再び南北朝分離へ。(新暦9月20日)
1543年フランシスコ・ザビエルらがパリでイエズス会を発足。
1567年織田信長が斎藤龍興の居城だった稲葉山城に移り岐阜城と改称。初めて「岐阜」の名が登場。(新暦9月17日)
1723年江戸幕府が江戸市中に火の見櫓の設置令を発布。(新暦9月14日)
1808年フェートン号事件。英軍艦フェートン号が長崎湾内に侵入し食料などを強要して退去。長崎奉行が引責自決。(新暦10月4日)
1869年明治政府が蝦夷地を「北海道」と改称する布告。(新暦9月20日)
1901年與謝野晶子の第一歌集『みだれ髪』が発刊。
1914年太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河が開通。
1919年九州で暴風雨。海軍輸送船「志自岐丸」が種子島平山沖で沈没し111人死亡。
1929年嘆きの壁事件。シオニストの青年たちが嘆きの壁の前でイスラエル国歌を歌ったことによりイスラム教徒の感情を刺戟し、ユダヤ教徒とイスラム教徒が衝突。パレスチナ全土に拡大。
1940年立憲民政党が解党。
1945年皇居占拠事件。前日深夜、陸軍軍務局員の畑中健二少佐らが終戦阻止の為に近衛師団を動かし皇居と東京放送局を占拠。早朝鎮圧される。
1945年早朝、陸軍横浜警備隊長・佐々木武雄大尉が終戦阻止の為に横浜高工の学生らを率いて首相公邸・首相私邸・内大臣邸などを襲撃。
1945年正午、昭和天皇の「戦争終結の詔書」の放送(玉音放送)。
1945年鈴木貫太郎内閣が総辞職。
1946年第28回全国中等学校優勝野球大会開幕。戦時中中止されていた中等学校野球大会(後の高校野球)が再開。
1947年前日のパキスタンに続いてインドがイギリスから独立。
1947年GHQと政府の強力な監督の下で民間貿易が再開。
1948年大韓民国が成立。
1958年日教組が勤務評定に反対して全国スト。
1963年政府主催の第1回全国戦歿者追悼式を挙行。
1965年高田光政が日本人として初めてアイガー北壁に登頂成功。
1969年アメリカ・ニューヨーク州で、3日間にわたる大規模な野外ロックコンサート・ウッドストック・フェスティバルが開幕。
1971年アメリカが金とドルの交換停止などドル防衛策を発表。翌日からダウ平均が暴落しドル売りが殺到(ニクソンショック)。
1974年津川雅彦・朝丘雪路夫妻の生後5か月の長女・真由子が誘拐。翌日、犯人を逮捕し、人質を保護。
1974年朴正煕韓国大統領が狙撃され、大統領夫人が死亡。
1975年バングラデシュで軍事クーデター。ムジブル・ラフマン大統領が暗殺。
1975年三木武夫首相が私人として靖国神社に参拝。在任中の首相の終戦の日の参拝は戦後初。
1977年『愛のコリーダ』の著者・大島渚らがわいせつ文書図画販売で起訴。1979年に無罪判決。
1977年地球外知的生命体探査(CETI)で、オハイオ州立大の電波望遠鏡が特徴的な信号「Wow!シグナル」を受信。
1985年中曽根康弘首相ら閣僚17人が靖国神社を公式参拝。
1986年新自由クラブが解散。
1995年村山富市首相が、第二次大戦における日本の植民地支配と侵略を反省し謝罪する「村山談話」を発表。
2006年小泉純一郎首相が、総裁選での公約通り終戦の日に靖国神社に参拝。
2007年ペルー沖でM8.0の地震。死者510人。
2013年ドッコイセ福知山花火大会屋台爆発事故が発生
2017年翌16日にかけて台湾全土で600万戸を超える規模の大停電が発生。大潭発電所の停止によるもの
<著名人の誕生日>
1769年ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト) (仏:皇帝(第1帝政),軍人)[1821年5月5日]
1925年オスカー・ピーターソン (カナダ:ジャズピアニスト)[2007年12月23日]
1944年シルヴィ・ヴァルタン (仏:歌手)
1967年2代目市川猿弥[いちかわ・えんや2] (歌舞伎役者)
1972年ベン・アフレック (米:俳優)
1975年川口能活[かわぐち・よしかつ] (サッカー(GK))
<著名人の忌日>
1519年北條早雲(伊勢盛時)[ほうじょう・そううん] (武将,後北條氏の祖) <数え88歳>[1432年生]
1716年山口素堂[やまぐち・そどう] (俳人) <数え75歳>[1642年5月5日生]
1860年徳川齊昭(烈公)[とくがわ・なりあきら] (水戸藩主(9代),徳川慶喜の実父) <数え61歳>[1800年3月11日生]
1996年丸山眞男[まるやま・まさお] (政治学者,思想史家) <82歳>[1914年3月22日生]
2009年松林宗恵[まつばやし・しゅうえ] (映画監督) <89歳>[1920年7月7日生]
参加してるので、応援してもらえたら嬉しいです``r(^^;)ポリポリ


(↑ポチ


拍手ボタンのポチポチお願いで~す。まり姫の励みになります、そして皆さんには笑顔をネ(*^^*ゞ
拍手ボタンを押すともっと見たくなりますよm(o´・ω・`o)mペコリン
スポンサーサイト
コメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2018/08/15 23:13
#[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2018/08/15 22:21
#[ 編集]
夕方局地的に雷鳴が轟き、
雨が降りますがすぐに止んでしまいます。
恵みの雨にはなりません。
湿度が高く暑さが厳しくなりました。
このまま秋を迎えるのでしょうか・
いずれ人類は天候の異変に滅ぼされる気がします。
2018/08/15 20:32URL
葉山左京 #-[ 編集]
今日の早朝、フェリーで九州から帰って来て、
そのまま出勤しました。
大分の日田は連日の猛暑で
39℃台が続きました。
明日からブログも再開しますので
またよろしくお願いします。
応援ぽち
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2018/08/15 17:51
#[ 編集]
まり姫さんへ !!♪
おばんです!
いつもお世話になり感謝しております。!
終戦記念日くらいには少し真面な談話かと思いきや、いつもと同じく空虚な作文でした。喝)
石破は核武装もやりかねない武闘派ですが、安倍と比較して嘘の度合いは少ないと感じています。
お盆休みは温泉での温浴療法しかありません。苦笑)
応援ありがとうございます。!
おばんです!
いつもお世話になり感謝しております。!
終戦記念日くらいには少し真面な談話かと思いきや、いつもと同じく空虚な作文でした。喝)
石破は核武装もやりかねない武闘派ですが、安倍と比較して嘘の度合いは少ないと感じています。
お盆休みは温泉での温浴療法しかありません。苦笑)
応援ありがとうございます。!
2018/08/15 17:48URL
荒野鷹虎 #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2018/08/15 15:46
#[ 編集]
こんにちは。
昨日は散々のようでしたなあ(笑)
まあゲリラ豪雨には人間は勝てないですからやむを得ないでしょうなあ。
今日は終戦記念日ですが小生にとっては希望が持てた記念の日です。
ああ、もう自由なんだと本当に思った日でもあります。
何せ徴兵される心配がなくなったのですからなあ(笑)
この気持ちは今の人たちには分からないでしょうなあ。
戦争中はそれほど男は戦争に行くのが当然だと見られていたのです。
反戦を口にする人間は非国民扱いされ、知人の父親も特高警察に引っ張られました。
戦前は本当に自由がない恐ろしい時代でした❗
2018/08/15 14:12URL
ファン #mQop/nM.[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2018/08/15 14:10
#[ 編集]
犬死を強いられた日本の若者達
最初の特攻隊が全滅した時、
昭和天皇は喜んで言いました。
「良くやった!」と。
若者達、十代の少年たちの命を、
昭和天皇は何だと思っていたのでしょう。
これに味をしめた軍部は、
特攻隊の自殺攻撃だけではなお飽き足らず、
人間魚雷その他でさらに多くの少年達を犬死させました。
日本の愚かな軍部は国民である兵士を大切にせず、
大量に飢えと病気で死なせたうえ、
使い捨てのようにベテランの操縦士を死なせました。
アメリカとは全く逆の発想です。
その結果、ろくに飛行訓練も受けて居ない、
わずか十代の若者が特攻を強制され、
ほとんどが撃墜されて空しく死にました。
特攻隊の美化? 戦争犯罪人の正当化?
確かに今は軍国主義独裁者安倍の天下ですから、
戦争を美化すればさぞかし漫画や本が売れるでしょうが、
やっている事はこれ以上ないほどの残酷行為であり、
戦死者した若者たちを金のために利用し、
再び若者達を戦争に向かわせると言う、
戦争犯罪人と全く同じ、
最低最悪の恥ずべき行為であり、
かけがえのない命に対する許し難い犯罪です。
最初の特攻隊が全滅した時、
昭和天皇は喜んで言いました。
「良くやった!」と。
若者達、十代の少年たちの命を、
昭和天皇は何だと思っていたのでしょう。
これに味をしめた軍部は、
特攻隊の自殺攻撃だけではなお飽き足らず、
人間魚雷その他でさらに多くの少年達を犬死させました。
日本の愚かな軍部は国民である兵士を大切にせず、
大量に飢えと病気で死なせたうえ、
使い捨てのようにベテランの操縦士を死なせました。
アメリカとは全く逆の発想です。
その結果、ろくに飛行訓練も受けて居ない、
わずか十代の若者が特攻を強制され、
ほとんどが撃墜されて空しく死にました。
特攻隊の美化? 戦争犯罪人の正当化?
確かに今は軍国主義独裁者安倍の天下ですから、
戦争を美化すればさぞかし漫画や本が売れるでしょうが、
やっている事はこれ以上ないほどの残酷行為であり、
戦死者した若者たちを金のために利用し、
再び若者達を戦争に向かわせると言う、
戦争犯罪人と全く同じ、
最低最悪の恥ずべき行為であり、
かけがえのない命に対する許し難い犯罪です。
2018/08/15 11:02URL
motomasaong #-[ 編集]
まり姫さんこんにちは~
今日は終戦記念日ですね(^-^)
といっても私は戦後生まれだから詳しいことを知らないのでまり姫さんの記事が頼りです😅
助かっていますよ(^o^)/~~
2018/08/15 10:46URL
ubasakura #N/StHCbw[ 編集]
こんにちは。
昨日はお疲れ様のようでしたね。
ゲリラ豪雨で大変だったでしょう。
今日は終戦記念日、安倍首相は日本の戦争責任を否定して憲法9条を何がなんでも変える邪悪な姿勢を露骨に口にしています。
これでも戦没者慰霊式典に出る資格があると思っているのでしょうか?
安倍首相こそ諸悪の根源、即刻退陣させるのが自民党の責任ですが、自民党にはそんな能力はありません。
市民と野党が共同して安倍政権を追い詰め、打倒するしかないでしょう。
2018/08/15 10:41URL
平野三好 #lf04C36c[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2018/08/15 10:27
#[ 編集]