本日は長崎平和宣言について大きくとり上げますので通常記事をお休みさせていただきますm(o´・ω・`o)mペコリ
長崎原爆73年、平和祈念式典「核兵器なき安全保障を」
長崎は9日、被爆から73年を迎え、長崎市松山町の平和公園で平成最後の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれました。
原爆投下時刻の午前11時2分、参列した市民ら約5千2百人が黙とう。
田上富久(たうえとみひさ)市長は平和宣言で、核兵器保有国とその同盟・友好国に「核に頼らぬ安全保障政策に転換を」と促しました。
日本政府にも、唯一の戦争被爆国として核兵器禁止条約に賛同し、世界を導く道義的責任を果たすよう求めました。
安倍晋三首相はあいさつで、6日の広島原爆の日と同様、保有国と非保有国の橋渡しが必要だと強調し、核兵器禁止条約を承認せよという被爆者の願いに背を向けたままでした。
国連からはグテレス事務総長が初めて参列。現職のグテレス氏はあいさつで「核廃絶は国連の最優先課題。長崎から全ての国に、目に見える進展を求める。保有国には特別な責任がある」と述べました。
平和宣言は条約早期発効のため、世界中の人々へ「自国の政府と国会に署名と批准を求めて」と呼び掛けました。6月の米朝首脳会談にも触れ「後戻りのない非核化実現を、大きな期待を持って見守っている」としました。
反核運動の象徴的な存在で昨年8月に88歳で死去した谷口稜曄(すみてる)さんらが、戦後世代の戦争や核に対する向き合い方に懸念を示していたことを紹介。憲法の平和主義を次世代に引き継ぐことの大切さを強調しました。
原発事故からの復興に努める福島にも8年続けて言及し、励ましの言葉を送った。
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表委員で埼玉県在住の田中熙巳(てるみ)さん(86)は、被爆者代表として「平和への誓い」を朗読。原爆使用を「人間の行為として絶対に許されない」とし、核と戦争のない世界実現へ力を尽くすと犠牲者らに約束しました。
長崎市によると、式典には、核保有国6か国を含めて計71カ国の代表者らが出席しました。
7月末までの1年間で、市は被爆者3千4百43人の死亡を確認。今年から、国が定めた地域外で原爆に遭った「被爆体験者」も死没者名簿の対象とし、記載総数は体験者54人を含む計17万9千2百26人となりました。
厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人の数は、3月末時点で15万4千8百59人。平均年齢は82・6歳。
◆首相に条約署名迫る 県外在住者初の被爆者代表・田中熙巳さん訴え
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(86)=埼玉県新座市=は県外在住者で初めて被爆者代表として「平和への誓い」を朗読しました。
73年前、長崎の爆心地から3・2キロ離れた自宅で被爆した田中さんは当時13歳。「3日後の今ごろ、家屋が跡形もなく消滅し、黒焦げの死体が散乱するこの丘の上を歩き回っていた。この日1日、私が目撃した浦上地帯の地獄の惨状を脳裏から消し去ることはできません」と当時の凄惨(せいさん)な様子を振り返りました。
原爆について「全く無差別に、短時日に、大量の人びとの命を奪い、傷つけた。そして、生き延びた被爆者を死ぬまで苦しめ続けます。人間が人間に加える行為として絶対に許されない行為です」と非難。「被爆者の苦しみと核兵器の非人道性を最もよく知っているはずの日本政府は、同盟国アメリカの意に従って、核兵器禁止条約に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に総理自ら公言されました。極めて残念でなりません」と厳しく批判したのが特徴的です。
最後に「核兵器もない、戦争もない世界の実現に力を尽くす」と誓いました。

[長崎平和宣言全文]
「核軍縮の約束、果たしてください」
73年前の今日、8月9日午前11時2分。真夏の空に炸裂(さくれつ)した一発の原子爆弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生きとし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃虚と化した街にはおびただしい数の死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら河口にまで達しました。15万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ続けています。
原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を容赦なく奪い去る残酷な兵器なのです。
1946年、創設されたばかりの国際連合は、核兵器など大量破壊兵器の廃絶を国連総会決議第1号としました。同じ年に公布された日本国憲法は、平和主義を揺るぎない柱の一つに据えました。広島・長崎が体験した原爆の惨禍とそれをもたらした戦争を、二度と繰り返さないという強い決意を示し、その実現を未来に託したのです。
昨年、この決意を実現しようと訴え続けた国々と被爆者をはじめとする多くの人々の努力が実り、国連で核兵器禁止条約が採択されました。そして、条約の採択に大きな貢献をした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。この二つの出来事は、地球上の多くの人々が、核兵器のない世界の実現を求め続けている証(あかし)です。
しかし、第2次世界大戦終結から73年がたった今も、世界には1万4450発の核弾頭が存在しています。しかも、核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器を使って軍事力を強化しようとする動きが再び強まっていることに、被爆地は強い懸念を持っています。
核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連総会決議第1号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そして50年前に核不拡散条約(NPT)で交わした「核軍縮に誠実に取り組む」という世界との約束を果たしてください。人類がもう一度被爆者を生む過ちを犯してしまう前に、核兵器に頼らない安全保障政策に転換することを強く求めます。
そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。
日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して今、300を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。
今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。南北首脳による「板門店宣言」や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の実現に向けた努力を求めます。
長崎の核兵器廃絶運動を長年牽引(けんいん)してきた二人の被爆者が、昨年、相次いで亡くなりました。その一人の土山秀夫さんは、核兵器に頼ろうとする国々のリーダーに対し、こう述べています。「あなた方が核兵器を所有し、またこれから保有しようとすることは、何の自慢にもならない。それどころか恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となりかねないことを知るべきである」。もう一人の被爆者、谷口稜曄さんはこう述べました。「核兵器と人類は共存できないのです。こんな苦しみは、もう私たちだけでたくさんです。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」
二人は、戦争や被爆の体験がない人たちが道を間違えてしまうことを強く心配していました。二人がいなくなった今、改めて「戦争をしない」という日本国憲法に込められた思いを次世代に引き継がなければならないと思います。
平和な世界の実現に向けて、私たち一人ひとりに出来ることはたくさんあります。
被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知ることはその一つです。自分のまちの戦争体験を聴くことも大切なことです。体験は共有できなくても、平和への思いは共有できます。
長崎で生まれた核兵器廃絶一万人署名活動は、高校生たちの発案で始まりました。若い世代の発想と行動力は新しい活動を生み出す力を持っています。
折り鶴を折って被爆地に送り続けている人もいます。文化や風習の異なる国の人たちと交流することで、相互理解を深めることも平和につながります。自分の好きな音楽やスポーツを通して平和への思いを表現することもできます。市民社会こそ平和を生む基盤です。「戦争の文化」ではなく「平和の文化」を、市民社会の力で世界中に広げていきましょう。
東日本大震災の原発事故から7年が経過した今も、放射線の影響は福島の皆さんを苦しめ続けています。長崎は、復興に向け努力されている福島の皆さんを引き続き応援していきます。
被爆者の平均年齢は82歳を超えました。日本政府には、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、今も被爆者と認定されていない「被爆体験者」の一日も早い救済を求めます。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界と恒久平和の実現のため、世界の皆さんとともに力を尽くし続けることをここに宣言します。
2018年(平成30年)8月9日 長崎市長 田上富久
「平和への誓い」
1945年8月9日、13歳だった私は、爆心地から3・2キロ離れた自宅の2階で被爆しました。気を失った直後、爆風で飛んできた大きなガラス戸の下敷きになりました。幸いに奇跡的に無傷で助かりました。
3日後のちょうど今ごろ、私は、家屋が跡形もなく消滅し、黒焦げの死体が散乱するこの丘の上を歩き回っていました。探し当てた父方の伯母の家屋跡には、黒焦げになった伯母たち家族の遺体が転がっていました。そのちょうど同じ時、丘の下の上野町では、3日間生きながらえた母方の伯母の遺体をトタンの板に載せて焼いていました。焼き終えた人の形をとどめた遺骨を見たとき、優しかった伯母の姿が目に浮かび、その場に泣き崩れました。原爆により身内5人の命が一挙に奪われました。この日一日、私が目撃した浦上地帯の地獄の惨状を、私は私の脳裏から消し去ることはできません。
原爆は全く無差別に、短時日に、大量の人々の命を奪い、傷つけました。そして、生き延びた被爆者を死ぬまで苦しめ続けています。人間が人間に加える行為として絶対に許されない行為です。
全国に移り住んだ被爆者たちは、被爆後10年余り、誰からも顧みられることなく、原爆による病や死の恐怖、偏見と差別などに一人で耐え苦しみました。
ビキニ環礁での、1954年3月1日のアメリカの水爆による「死の灰」の被害に端を発し、全国に広がった原水爆禁止運動に励まされて、1956年8月、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成されました。
日本被団協に結集した被爆者たちは、「同じ苦しみを世界の誰にも味わわせてはならない」と原爆被害の残虐な真相を、国の内外に伝え、広げ、核兵器の速やかな廃絶を世界に訴え続けて参りました。
2010年代に入り、国際政治の場において、核兵器の非人道的な被害に焦点が当てられるようになるなか、長年にわたる被爆者と原水爆禁止を願う市民社会のさまざまな活動、さらにICANの集中的なロビー活動などが実を結び、2017年7月、「核兵器禁止条約」が国連で採択されました。被爆者が目の黒いうちに見届けたいと願った核兵器廃絶への道筋が見えてきました。これほどうれしいことはありません。
ところが、被爆者の苦しみと核兵器の非人道性を最もよく知っているはずの日本政府は、同盟国アメリカの意に従って「核兵器禁止条約」に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に総理自ら公言されました。極めて残念でなりません。
核兵器国とその同盟国は、信頼関係が醸成されない国が存在する限り、核抑止力が必要であると弁明します。核抑止力は核兵器を使用することが前提です。国家間の信頼関係は徹底した話し合いで築くべきです。
紛争解決のための戦力は持たないと定めた日本国憲法第9条の精神は、核時代の世界に呼びかける誇るべき規範です。
私は、多くの先人たちの働きをしのびつつ、「ヒバクシャ国際署名運動」をさらに大きく発展させて、速やかに「核兵器禁止条約」を発効させ、核兵器もない戦争もない世界の実現に力を尽くすことを心に刻み、私の平和への誓いといたします。
2018年(平成30年)8月9日 被爆者代表 田中熙巳
追記[※翁長氏急逝一夜明け 沖縄沈痛]
沖縄の民意を背に政府と全面対決の姿勢を貫いた翁長雄志(おながたけし)知事の急逝から一夜明けた九日、県内は悲しみと喪失感に包まれた。県庁舎には朝から弔意を表す半旗が掲げられ、夏の正装「かりゆし」を着た職員が沈痛な面持ちで登庁。遺体が安置された那覇市の自宅には喪服の関係者が出入りし、張り詰めた空気に包まれた。
病魔と闘いながら米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設阻止に力を振り絞った翁長氏。弔問客によると、遺体の枕元には十一日の移設反対県民大会でかぶる予定だった青色の帽子が置かれていた。「まさに寝ているようなお顔。沖縄、日本にとって大事な人を失った」。自宅を訪れた鈴木宗男元衆院議員は悲しみに顔をゆがめた。
翁長県政を支えた安慶田(あげだ)光男元副知事は、志半ばで倒れた翁長氏の遺体と対面し「ご苦労さん、もうゆっくりお休みください」と声を掛けた。
県庁には午前九時半すぎに職務代理の謝花(じゃはな)喜一郎副知事が登庁。目を充血させ、無言でエレベーターに乗り込んだ。トップを失った庁内で、男性職員は「体調が回復していると思っていたのだが…」と突然の死に動揺した様子だった。
◆首相「沖縄貢献に敬意」
安倍晋三首相は九日、長崎市で記者会見し、八日に死去した沖縄県の翁長雄志知事について「沖縄の発展に尽くされた貢献に敬意を表したい」と述べ、哀悼の意を表明した。その上で、沖縄県の基地負担軽減と経済振興に全力を挙げる方針を強調した。
これに先立ち、菅義偉官房長官も会見で「突然の訃報に大変驚いており、謹んでお悔やみ申し上げたい」と述べた。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に関しては、「日米同盟の抑止力の維持、普天間飛行場の危険除去を考えたときに唯一の解決策ということに変わりない」と強調。政府が十七日に予定している移設埋め立て海域への土砂投入については具体的な言及を避けた。 2018/8/9 【出典:中日新聞】
※安室さんが追悼 「翁長知事の遺志継いで」
沖縄県の翁長雄志知事が死去したことに対し、同県出身の歌手安室奈美恵さん=写真=が九日、公式サイトで「突然の訃報に大変驚いています」などとするコメントを発表した。

安室さんは五月の県民栄誉賞の授賞式で翁長知事と面会しており、「今思えばあの時も、体調が優れなかったにもかかわらず、私を気遣ってくださり、優しい言葉をかけてくださいました」と振り返った。
さらに「沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております」と悼んだ。 2018年8月9日【出典:中日新聞】
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長崎原爆73年、平和祈念式典「核兵器なき安全保障を」
長崎は9日、被爆から73年を迎え、長崎市松山町の平和公園で平成最後の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれました。
原爆投下時刻の午前11時2分、参列した市民ら約5千2百人が黙とう。
田上富久(たうえとみひさ)市長は平和宣言で、核兵器保有国とその同盟・友好国に「核に頼らぬ安全保障政策に転換を」と促しました。
日本政府にも、唯一の戦争被爆国として核兵器禁止条約に賛同し、世界を導く道義的責任を果たすよう求めました。
安倍晋三首相はあいさつで、6日の広島原爆の日と同様、保有国と非保有国の橋渡しが必要だと強調し、核兵器禁止条約を承認せよという被爆者の願いに背を向けたままでした。
国連からはグテレス事務総長が初めて参列。現職のグテレス氏はあいさつで「核廃絶は国連の最優先課題。長崎から全ての国に、目に見える進展を求める。保有国には特別な責任がある」と述べました。
平和宣言は条約早期発効のため、世界中の人々へ「自国の政府と国会に署名と批准を求めて」と呼び掛けました。6月の米朝首脳会談にも触れ「後戻りのない非核化実現を、大きな期待を持って見守っている」としました。
反核運動の象徴的な存在で昨年8月に88歳で死去した谷口稜曄(すみてる)さんらが、戦後世代の戦争や核に対する向き合い方に懸念を示していたことを紹介。憲法の平和主義を次世代に引き継ぐことの大切さを強調しました。
原発事故からの復興に努める福島にも8年続けて言及し、励ましの言葉を送った。
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表委員で埼玉県在住の田中熙巳(てるみ)さん(86)は、被爆者代表として「平和への誓い」を朗読。原爆使用を「人間の行為として絶対に許されない」とし、核と戦争のない世界実現へ力を尽くすと犠牲者らに約束しました。
長崎市によると、式典には、核保有国6か国を含めて計71カ国の代表者らが出席しました。
7月末までの1年間で、市は被爆者3千4百43人の死亡を確認。今年から、国が定めた地域外で原爆に遭った「被爆体験者」も死没者名簿の対象とし、記載総数は体験者54人を含む計17万9千2百26人となりました。
厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人の数は、3月末時点で15万4千8百59人。平均年齢は82・6歳。
◆首相に条約署名迫る 県外在住者初の被爆者代表・田中熙巳さん訴え
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(86)=埼玉県新座市=は県外在住者で初めて被爆者代表として「平和への誓い」を朗読しました。
73年前、長崎の爆心地から3・2キロ離れた自宅で被爆した田中さんは当時13歳。「3日後の今ごろ、家屋が跡形もなく消滅し、黒焦げの死体が散乱するこの丘の上を歩き回っていた。この日1日、私が目撃した浦上地帯の地獄の惨状を脳裏から消し去ることはできません」と当時の凄惨(せいさん)な様子を振り返りました。
原爆について「全く無差別に、短時日に、大量の人びとの命を奪い、傷つけた。そして、生き延びた被爆者を死ぬまで苦しめ続けます。人間が人間に加える行為として絶対に許されない行為です」と非難。「被爆者の苦しみと核兵器の非人道性を最もよく知っているはずの日本政府は、同盟国アメリカの意に従って、核兵器禁止条約に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に総理自ら公言されました。極めて残念でなりません」と厳しく批判したのが特徴的です。
最後に「核兵器もない、戦争もない世界の実現に力を尽くす」と誓いました。

[長崎平和宣言全文]
「核軍縮の約束、果たしてください」
73年前の今日、8月9日午前11時2分。真夏の空に炸裂(さくれつ)した一発の原子爆弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生きとし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃虚と化した街にはおびただしい数の死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら河口にまで達しました。15万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ続けています。
原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を容赦なく奪い去る残酷な兵器なのです。
1946年、創設されたばかりの国際連合は、核兵器など大量破壊兵器の廃絶を国連総会決議第1号としました。同じ年に公布された日本国憲法は、平和主義を揺るぎない柱の一つに据えました。広島・長崎が体験した原爆の惨禍とそれをもたらした戦争を、二度と繰り返さないという強い決意を示し、その実現を未来に託したのです。
昨年、この決意を実現しようと訴え続けた国々と被爆者をはじめとする多くの人々の努力が実り、国連で核兵器禁止条約が採択されました。そして、条約の採択に大きな貢献をした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。この二つの出来事は、地球上の多くの人々が、核兵器のない世界の実現を求め続けている証(あかし)です。
しかし、第2次世界大戦終結から73年がたった今も、世界には1万4450発の核弾頭が存在しています。しかも、核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器を使って軍事力を強化しようとする動きが再び強まっていることに、被爆地は強い懸念を持っています。
核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連総会決議第1号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そして50年前に核不拡散条約(NPT)で交わした「核軍縮に誠実に取り組む」という世界との約束を果たしてください。人類がもう一度被爆者を生む過ちを犯してしまう前に、核兵器に頼らない安全保障政策に転換することを強く求めます。
そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。
日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して今、300を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。
今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。南北首脳による「板門店宣言」や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の実現に向けた努力を求めます。
長崎の核兵器廃絶運動を長年牽引(けんいん)してきた二人の被爆者が、昨年、相次いで亡くなりました。その一人の土山秀夫さんは、核兵器に頼ろうとする国々のリーダーに対し、こう述べています。「あなた方が核兵器を所有し、またこれから保有しようとすることは、何の自慢にもならない。それどころか恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となりかねないことを知るべきである」。もう一人の被爆者、谷口稜曄さんはこう述べました。「核兵器と人類は共存できないのです。こんな苦しみは、もう私たちだけでたくさんです。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」
二人は、戦争や被爆の体験がない人たちが道を間違えてしまうことを強く心配していました。二人がいなくなった今、改めて「戦争をしない」という日本国憲法に込められた思いを次世代に引き継がなければならないと思います。
平和な世界の実現に向けて、私たち一人ひとりに出来ることはたくさんあります。
被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知ることはその一つです。自分のまちの戦争体験を聴くことも大切なことです。体験は共有できなくても、平和への思いは共有できます。
長崎で生まれた核兵器廃絶一万人署名活動は、高校生たちの発案で始まりました。若い世代の発想と行動力は新しい活動を生み出す力を持っています。
折り鶴を折って被爆地に送り続けている人もいます。文化や風習の異なる国の人たちと交流することで、相互理解を深めることも平和につながります。自分の好きな音楽やスポーツを通して平和への思いを表現することもできます。市民社会こそ平和を生む基盤です。「戦争の文化」ではなく「平和の文化」を、市民社会の力で世界中に広げていきましょう。
東日本大震災の原発事故から7年が経過した今も、放射線の影響は福島の皆さんを苦しめ続けています。長崎は、復興に向け努力されている福島の皆さんを引き続き応援していきます。
被爆者の平均年齢は82歳を超えました。日本政府には、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、今も被爆者と認定されていない「被爆体験者」の一日も早い救済を求めます。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界と恒久平和の実現のため、世界の皆さんとともに力を尽くし続けることをここに宣言します。
2018年(平成30年)8月9日 長崎市長 田上富久
「平和への誓い」
1945年8月9日、13歳だった私は、爆心地から3・2キロ離れた自宅の2階で被爆しました。気を失った直後、爆風で飛んできた大きなガラス戸の下敷きになりました。幸いに奇跡的に無傷で助かりました。
3日後のちょうど今ごろ、私は、家屋が跡形もなく消滅し、黒焦げの死体が散乱するこの丘の上を歩き回っていました。探し当てた父方の伯母の家屋跡には、黒焦げになった伯母たち家族の遺体が転がっていました。そのちょうど同じ時、丘の下の上野町では、3日間生きながらえた母方の伯母の遺体をトタンの板に載せて焼いていました。焼き終えた人の形をとどめた遺骨を見たとき、優しかった伯母の姿が目に浮かび、その場に泣き崩れました。原爆により身内5人の命が一挙に奪われました。この日一日、私が目撃した浦上地帯の地獄の惨状を、私は私の脳裏から消し去ることはできません。
原爆は全く無差別に、短時日に、大量の人々の命を奪い、傷つけました。そして、生き延びた被爆者を死ぬまで苦しめ続けています。人間が人間に加える行為として絶対に許されない行為です。
全国に移り住んだ被爆者たちは、被爆後10年余り、誰からも顧みられることなく、原爆による病や死の恐怖、偏見と差別などに一人で耐え苦しみました。
ビキニ環礁での、1954年3月1日のアメリカの水爆による「死の灰」の被害に端を発し、全国に広がった原水爆禁止運動に励まされて、1956年8月、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成されました。
日本被団協に結集した被爆者たちは、「同じ苦しみを世界の誰にも味わわせてはならない」と原爆被害の残虐な真相を、国の内外に伝え、広げ、核兵器の速やかな廃絶を世界に訴え続けて参りました。
2010年代に入り、国際政治の場において、核兵器の非人道的な被害に焦点が当てられるようになるなか、長年にわたる被爆者と原水爆禁止を願う市民社会のさまざまな活動、さらにICANの集中的なロビー活動などが実を結び、2017年7月、「核兵器禁止条約」が国連で採択されました。被爆者が目の黒いうちに見届けたいと願った核兵器廃絶への道筋が見えてきました。これほどうれしいことはありません。
ところが、被爆者の苦しみと核兵器の非人道性を最もよく知っているはずの日本政府は、同盟国アメリカの意に従って「核兵器禁止条約」に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に総理自ら公言されました。極めて残念でなりません。
核兵器国とその同盟国は、信頼関係が醸成されない国が存在する限り、核抑止力が必要であると弁明します。核抑止力は核兵器を使用することが前提です。国家間の信頼関係は徹底した話し合いで築くべきです。
紛争解決のための戦力は持たないと定めた日本国憲法第9条の精神は、核時代の世界に呼びかける誇るべき規範です。
私は、多くの先人たちの働きをしのびつつ、「ヒバクシャ国際署名運動」をさらに大きく発展させて、速やかに「核兵器禁止条約」を発効させ、核兵器もない戦争もない世界の実現に力を尽くすことを心に刻み、私の平和への誓いといたします。
2018年(平成30年)8月9日 被爆者代表 田中熙巳
追記[※翁長氏急逝一夜明け 沖縄沈痛]
沖縄の民意を背に政府と全面対決の姿勢を貫いた翁長雄志(おながたけし)知事の急逝から一夜明けた九日、県内は悲しみと喪失感に包まれた。県庁舎には朝から弔意を表す半旗が掲げられ、夏の正装「かりゆし」を着た職員が沈痛な面持ちで登庁。遺体が安置された那覇市の自宅には喪服の関係者が出入りし、張り詰めた空気に包まれた。
病魔と闘いながら米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設阻止に力を振り絞った翁長氏。弔問客によると、遺体の枕元には十一日の移設反対県民大会でかぶる予定だった青色の帽子が置かれていた。「まさに寝ているようなお顔。沖縄、日本にとって大事な人を失った」。自宅を訪れた鈴木宗男元衆院議員は悲しみに顔をゆがめた。
翁長県政を支えた安慶田(あげだ)光男元副知事は、志半ばで倒れた翁長氏の遺体と対面し「ご苦労さん、もうゆっくりお休みください」と声を掛けた。
県庁には午前九時半すぎに職務代理の謝花(じゃはな)喜一郎副知事が登庁。目を充血させ、無言でエレベーターに乗り込んだ。トップを失った庁内で、男性職員は「体調が回復していると思っていたのだが…」と突然の死に動揺した様子だった。
◆首相「沖縄貢献に敬意」
安倍晋三首相は九日、長崎市で記者会見し、八日に死去した沖縄県の翁長雄志知事について「沖縄の発展に尽くされた貢献に敬意を表したい」と述べ、哀悼の意を表明した。その上で、沖縄県の基地負担軽減と経済振興に全力を挙げる方針を強調した。
これに先立ち、菅義偉官房長官も会見で「突然の訃報に大変驚いており、謹んでお悔やみ申し上げたい」と述べた。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に関しては、「日米同盟の抑止力の維持、普天間飛行場の危険除去を考えたときに唯一の解決策ということに変わりない」と強調。政府が十七日に予定している移設埋め立て海域への土砂投入については具体的な言及を避けた。 2018/8/9 【出典:中日新聞】
※安室さんが追悼 「翁長知事の遺志継いで」
沖縄県の翁長雄志知事が死去したことに対し、同県出身の歌手安室奈美恵さん=写真=が九日、公式サイトで「突然の訃報に大変驚いています」などとするコメントを発表した。

安室さんは五月の県民栄誉賞の授賞式で翁長知事と面会しており、「今思えばあの時も、体調が優れなかったにもかかわらず、私を気遣ってくださり、優しい言葉をかけてくださいました」と振り返った。
さらに「沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております」と悼んだ。 2018年8月9日【出典:中日新聞】
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コメント
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2018/08/10 23:58
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2018/08/10 22:11
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2018/08/10 19:07
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2018/08/10 17:41
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まり姫さんへ !!♪
おばんです!
岐阜県は今年は当たり年ですねー。汗)
本道は秋の気配ですから岐阜の猛暑は凄い格差ですねー。汗)
何とか熱中症に罹らないで頑張って乗り切ってください。!
ポチ有難う。!
おばんです!
岐阜県は今年は当たり年ですねー。汗)
本道は秋の気配ですから岐阜の猛暑は凄い格差ですねー。汗)
何とか熱中症に罹らないで頑張って乗り切ってください。!
ポチ有難う。!
2018/08/10 17:23URL
荒野鷹虎 #-[ 編集]
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2018/08/10 16:54
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2018/08/10 15:08
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まり姫さんおはようございます~
長崎原爆の日記念式典での田上市長が読み上げた平和宣言に胸を打たれました。
昨年の宣言は安倍首相に対する怒りが現れていましたが!今年は約束を守るよう説得力で安倍首相を追い詰める言い方で良かったです。
でも安倍首相は馬の耳に念仏でしょうね(´・ω・`)
翁長さん、沖縄にとって大きな痛手ですが翁長さんの意志を引き継ぐ立派な後継者をオ―ル沖縄で選んで安倍政権を追い詰めて欲しいです。
2018/08/10 10:06URL
ubasakura #N/StHCbw[ 編集]
おはようございます。
今日長崎原爆特集ですな。
安倍は田上市長の平和宣言を聞いてもアメリカ第一で被ばく者の気持ちも全く理解せず総理大臣になってから核保有国にべったり姿勢を崩していませんなあ。
国際社会の笑い者になっていることも分かっていないのでしょうな‼️
2018/08/10 08:18URL
フアン #mQop/nM.[ 編集]
勇気ある人々
核兵器禁止条約を成立させた被爆者と平和主義者達。
死の寸前まで沖縄基地に反対し続けた翁長氏。
翁長氏に賛同した安室奈美恵さん。
軍国主義に反対する平和主義者達。
そして言うまでもなく、
我らがまり姫さん。
民族も、国籍も、宗教も、人種も、
何の関係もありません。
人間が居るだけです。
同じ人間同士が殺し合う戦争が出来る国と、
平和を願い戦争を放棄する国。
そのどちらが優れているか、
答えはもうとっくに出ています。
ちっぽけな人間でしかないくせに、
地上の神のように自分が偉いと思っている、
それが哀れな安倍晋三であり、
惨めな右翼団体であるのです。
核兵器禁止条約を成立させた被爆者と平和主義者達。
死の寸前まで沖縄基地に反対し続けた翁長氏。
翁長氏に賛同した安室奈美恵さん。
軍国主義に反対する平和主義者達。
そして言うまでもなく、
我らがまり姫さん。
民族も、国籍も、宗教も、人種も、
何の関係もありません。
人間が居るだけです。
同じ人間同士が殺し合う戦争が出来る国と、
平和を願い戦争を放棄する国。
そのどちらが優れているか、
答えはもうとっくに出ています。
ちっぽけな人間でしかないくせに、
地上の神のように自分が偉いと思っている、
それが哀れな安倍晋三であり、
惨めな右翼団体であるのです。
2018/08/10 08:01URL
motomasaong #-[ 編集]