本来は1日だけですが、今回はどういうわけか2日間拘束されることに(´∵`)
明日までどうなりますことやら・・・・・(=xェx=) モ、モウダメ?
<まり姫の今日の川柳>
(貧乏編)
[貧乏に 追撃ちかける 保険料]
[子沢山 貧乏人に 今やなし]
[不景気を 笑い飛ばせと お大尽]
[貧困層 数の多さも ハイレベル]
[不景気を 戻すに戻せぬ 低賃金]
(農作業編)
[秋野菜 来年秋まで 残したい]
[畑から 盗られた野菜 店頭に]
[柿の実を カラスにぶつけ 憂さ晴らし]
[芽が出ない モグラもわらう 痩せ畑]
[雑草と 野菜の喧嘩 見て苦笑]
[花フェスタ記念公園の秋バラあれこれ]クリックすると拡大して見られますよo(^-^)o
[プティ トリアノン フランス] [フミカ 日本]

[プレイボーイ イギリス] [ペーパームーン 日本]

今日は何の日(今日の出来事がわかるよ)
<11月24日の記念日>
※進化の日(Evolution Day)
1859年のこの日、ダーウィンの『種の起源』の初版が刊行された。
※オペラ記念日
1894(明治27)年のこの日、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)奏楽堂で、明治以降日本で初めてのオペラが上演された。
演目はグノー作曲の『ファウスト』第1幕で、オーストリア大使館職員が出演し、ドイツ海軍軍楽隊長で『君が代』を編曲したフランツ・エッケルトが指揮をした。
※東京天文台設置記念日
1921(大正10)年のこの日、東京都麻布区板倉(現在の港区麻布台)に東京天文台が設置された。
1878(明治11)年に東京帝国大学構内に作られた理学部観象台を母体とし、旧内務省・海軍省の天文関係業務を統合して設立された。1924(大正13)年に、都会の明るさのために観測が困難になったことから、郊外の三鷹市に移転した。1988(昭和63)年に、東京大学附属東京天文台から文部省(現在の文部科学省)附属の天文台に移管された。
※鰹節の日
食品メーカー・ヤマキが制定。
「いい(11)ふ(2)し(4)」の語呂合せ。
◎感謝祭(Thanksgiving Day) [アメリカ合衆国]
<11月24日の誕生花>
がまずみ 「花言葉:愛は死よりも強し」

秋咲きクロッカス(花サフラン) 「花言葉:信頼」3月に咲くクロッカスとそっくりです

<歴史上の出来事>
1124年鳥羽天皇の后・中宮璋子に院号宣下。待賢門院に
1842年佐久間象山が『海防八策』を上申
1859年ダーヴィンの『種の起源』がイギリスで出版
1909年福岡県大之浦炭坑でガス爆発事故。死者255人
1940年スロバキアが日独伊三国同盟に加盟
1944年米軍マリアナ基地のB29爆撃機が東京を初空襲
1945年GHQが理化学研究所仁科研究室などのサイクロトロンを破壊し東京湾に沈める。原爆研究との誤解から
1949年金融業者「光クラブ」社長の東大生・山崎晃嗣が事業に行きづまり自殺。「アプレゲール」の処世術として話題に
1950年「電力事業再編成令」が公布。電力会社9社が発足
1954年鳩山一郎など自由党の離党者らが日本民主党を結成
1963年ケネディ米大統領の暗殺容疑で逮捕されていたオズワルドが、連行中ジャック・ルビーによって射殺される
1971年衆議院本会議で、自民・公明・民社出席により「沖縄返還協定」を強行承認。12月22日に参議院で承認
1988年消費税導入などを盛りこんだ税制改革6法案が参議院を通過、成立。社会・共産両党が牛歩戦術などにより抵抗
2000年「ストーカー行為等の規制等に関する法律」(ストーカー規制法)施行
<著名人の誕生日>
1826年カルロ・コッローディ (伊:児童文学作家『ピノッキオの冒険』)[1890年10月26日歿]
1833年依田學海[よだ・がっかい] (小説家,演劇評論家,劇作家)[1909年12月27日歿]
1849年フランシス・ホジソン・バーネット(バーネット夫人) (英・米:小説家『小公子』『秘密の花園』)
[1924年10月29日歿]
1873年川合玉堂[かわい・ぎょくどう] (日本画家『彩雨』)[1957年6月30日歿]
1906年鈴木眞砂女[すずき・まさじょ] (俳人『都鳥』)[2003年3月14日歿]
1912年テディ・ウィルソン (米:ジャズピアニスト)[1986年7月31日歿]
1914年清川虹子[きよかわ・にじこ] (女優)[2002年5月24日歿]
1922年加藤治子(御舟京子)[かとう・はるこ] (女優)
1927年アルフレード・クラウス (スペイン:テノール歌手)[1999年9月10日歿]
1930年中川志郎[なかがわ・しろう] (上野動物園園長[元])
1946年杉江浩平[すぎえ・こうへい] (ジャズ歌手)
1948年沼田早苗[ぬまた・さなえ] (写真家)
<著名人の忌日>
1592年顯如[けんにょ] (浄土真宗の僧,織田信長に対し挙兵) <数え50歳>[1543年1月7日生]
1882年5代目芳村伊三郎[よしむら・いさぶろう5] (長唄芳村流家元) <50歳>[1832年生]
1898年四條隆謌[しじょう・たかうた] (尊攘派公卿,七卿の一人) <70歳>[1828年9月9日生]
1933年村山龍平[むらやま・りゅうへい] (経営者,朝日新聞創業,衆議院議員「新聞王」) <83歳>
[1850年4月3日生]
1940年西園寺公望[さいおんじ・きんもち] (首相(12,14代),最後の元老,外相(9・10・20代),文相(7・10代)) <91歳>[1849年10月23日生]
1958年ロバート・セシル (英:政治家,国際連盟規約草案を作成) <94歳>
[1864年9月14日生]
1963年リー・ハーヴェイ・オズワルド (米:ケネディ大統領暗殺容疑者) <24歳>
射殺[1939年10月18日生]
1977年宮入行平[みやいり・ゆきひら] (刀匠) <64歳>人間国宝[1913年3月17日生]
1984年下田実花[しもだ・じっか] (俳人,山口誓子の妹)<77歳>
1988年広津桃子[ひろつ・ももこ] (小説家『石蕗の花』)<70歳>[1918年生]
2008年廣瀬量平[ひろせ・りょうへい] (作曲家) <78歳>[1930年7月17日生]
<新選組よもやま話9>は追記に掲載してあります。興味のある方は追記[Read More...]へおすすみください。
参加してるけどお暇な方は押してみてね``r(^^;)

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)鈴木三樹三郎忠良 (すずき みきさぶろう ただよし) 副長助勤、九番隊組長
出生から改名まで
鈴木三樹三郎は、天保8年(1837年)7月15日、常陸志筑藩士(郷目付)・鈴木専右衛門忠明の次男として志筑に生まれました。伊東甲子太郎は実兄。兄同様、神道無念流を使い、父親の閉門蟄居により母方の里で過ごしたと伝えられています。のちに藩から追放された父忠明は、高浜村(現:石岡市)にて私塾を主宰しましたが、忠明死後は代わって私塾を経営したといいます。その後、同藩士(中小姓格)・寺内増右衛門の養嗣子となって寺内多聞と称し、藩の山林取締役兼御朱印番に就いたものの、飲酒など素行不良のために離縁されてしまいます。鈴木に復そうとしましたが母に拒まれ、やむなく三木荒次郎と称しました。
浪人時代から新選組時代
尊王攘夷運動に奔走すべく脱藩した三樹三郎は、江戸深川の道場主・実兄伊東甲子太郎のもとに身を寄せましたが、桜田門外の変後、浪人に対する詮議が厳しくなったため江戸を離れ、それから数年間、常陸国多賀郡で隠棲することになります。天狗党の争乱の際には、伊東の探索依頼を受けて志筑へ戻りましたが、争乱終結後は帰順することなく江戸へ舞い戻っています。
元治元年(1864年)10月15日、旧知の間柄とされる藤堂平助の隊士募集の求めに応じて、伊東や篠原泰之進らと共に上洛し、正式に新選組に加盟しました。新選組入隊時は三木三郎と名乗っていたようで12月の編成で井上源三郎の三番隊に所属しています。のちに副長助勤・目付を務めた後、慶応元年(1865年)夏の編成では九番隊組長に任じられました。
御陵衛士時代
慶応3年(1868年)3月、伊東らと共に新選組から分離し、御陵衛士(高台寺党)に属します。御陵衛士拝命時は三樹三郎や三木和泉と称していました。同年11月11月18日、実兄伊東甲子太郎が、油小路で斬殺され、同志、篠原泰之進、藤堂平助、加納道之助、毛内有之助、富山弥兵衛、服部武雄らと亡骸を引き取りに、出向いた処を新選組の攻撃を受けましたが、乱刃をくぐり抜けて脱出。薩摩藩に匿われました。翌年に伊東らの亡骸を改葬しています。鳥羽・伏見の戦いでは、薩摩藩の中村半次郎の指揮下に入って新選組と戦い、後に東征軍の先鋒隊に合流しました。同年、赤報隊に参加し二番隊長を務めましたが、相楽総三らの偽官軍事件に連座した疑惑によって入牢した後、新政府の徴兵七番隊に加わります。その後6月には軍務局軍曹となって会津に出陣しましたが、会津藩降伏で終戦となり江戸へ戻りました。
明治以降の人生
明治2年(1869年)7月、弾正台少巡察。廃藩置県後、忠良と改名。伊那県や司法省、千葉県、山形県などにおいて、主に司法・警察関係に奉職し、明治12年(1879年)には鶴岡警察署長として行幸の指揮を執っています。
明治17年(1884年)1月、福島県二等属を最後に退官した後は、茨城県新治郡石岡町にて余生を送り、大正8年(1919年)7月11日老衰のため死去。享年83。墓所は石岡市の東耀寺。
残っている逸話
1852年、父忠明の死後、三樹三郎は16歳で私塾を主宰した。しかし、授業を疎かにしたうえ、「楠多聞丸」と大書した旗を掲げて合戦の真似事ばかりして結果、塾生は減り、やがて私塾は閉鎖に追い込まれたといいます。
新選組の九番隊組長をつとめたが、のちに降格させられている。学問や弁舌に優れていたものの、丁寧な性格が災いしたと伝えられる。
高台寺党の残党が伏見黒染周辺で近藤勇を襲撃し、近藤は肩に銃弾を受け重傷を負ったものの命に別状はなかった。この襲撃に三樹三郎が参加していたかどうかは不明。

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PROFILE













