☆☆ まり姫のあれこれ見聞録 ☆☆&

美濃・尾張・近江・伊勢(まり姫の史跡めぐり&見たこと・聞いたこと!)

<アンネのバラ>         フェスタ記念公園内バラ園で撮影
アンネのバラ

飽きもせずヘタな川柳を作っています。
みなさんも1句作ってコメント欄に投稿していただけたらブログ上に掲載させていただきます。
挑戦してみてくださいね


「やけ食いの  食べた言い訳   明日の分!」
「命取り     メタボ気にする  ダイエット」
「ミニグラマー いいえ私は     デブロガー」
「天高く     太らないのは   財布だけ」
「泥棒に     追い銭わたす   新政権」(天下り禁止じゃなかったの?)


今日は何の日(歴史はめぐる)

<10月23日の記念日>

※電信電話記念日
電気通信省(後の電電公社、現在のNTT)が1950(昭和25)年に制定。
1869(明治2)年9月19日(新暦10月23日)、東京~横浜で公衆電信線の建設工事が始まった。

※津軽弁の日
津軽弁の日やるべし会が1988(昭和63)年に制定。
方言詩人・高木恭造の1987(昭和62)年の命日。
高木恭造は青森県青森市出身。青森日報社、出版社勤務を経て1933年に満州医科大学医学部卒業。青森日報社時代、当時主筆を務めていた詩人・作家の福士幸次郎の助言により方言による詩作に取り組むようになる。満州から引き揚げ弘前に眼科医院を開業する傍ら詩や小説などの創作を再開、全国で方言詩の朗読公演を行なうなど精力的に活動した。代表作「まるめろ」は海外でも翻訳され、その朗読と共に作品としても高い評価を得た。
津軽弁での優れた詩を多数創作し、彼に魅せられた人物も多く、ローカルタレントの伊奈かっぺいもその一人。
高木の死後、伊奈かっぺいと現青森市長の鹿内博らによって、高木の命日である10月23日を「津軽弁の日」に決定。 昭和63年の第1回以来、一般公募による津軽弁を用いた文芸作品を披露する模様が人気を博し、現在では年末に青森放送で放送されている。
なお推理作家の高木彬光は恭造の甥にあたる。


□1956年革命、および共和国宣言の記念日 (ハンガリー)
1956年、ハンガリー動乱(ハンガリーでは1956年革命と呼ばれる)が始りました。
ハンガリーの首都ブタペストでソ連軍の撤退などを求める20万人のデモ隊が治安警察と衝突
旧ソ連軍の戦車部隊がハンガリーに侵入し多くの市民が犠牲になりました。
1989年、ソ連の体制崩壊が始まるとともにハンガリーも人民共和国から共和国に体制変革しました。
しかし体制が変わってもハンガリー経済はよくならず、市民の暮らしは以前より悪化したという声も強くなっていると伝えられています。


<今日の誕生
朝鮮朝顔言葉:愛敬」             茉莉[まつりか,もうりんか]言葉:清浄無垢」
朝鮮朝顔  マツリカ

フリチラリア(瓔珞百合)言葉:王の威厳」
フリチラリア

<歴史上の出来事
1577年織田信長が羽柴秀吉に中国攻めを命ずる
1629年江戸幕府が、風紀を乱すとして女歌舞伎・女舞・女浄瑠璃を禁止
1669年アイヌのシャクシャインが、和睦の為に訪ねた松前泰広の陣で謀殺される
1871年東京府が邏卒(現在の巡査)を3千人設置
1901年田中正造が足尾鉱毒事件で衆議院議員を辞職。12月10日に明治天皇に直訴
1926年ソ連共和党中央委員会がトロツキーを政治局から追放
1928年大分地裁で殺人未遂事件に対して、1923年制定の「陪審法」に基づく初の陪審裁判を実施
1940年政府が文化思想団体の政治活動を禁止
1944年第二次世界大線・レイテ沖海戦が始る。フィリピン周辺で日本海軍とアメリカ海軍が戦鬪
この戦いで日本海軍は壊滅的な敗北を喫する

1944年飛行機燃料欠乏により農商務省が「松根油緊急増産対策」を発表
1945年第一次読売争議。読売新聞社の従業員が戦争責任追求と社内民主化を決議し会社側と対決
1949年前田山事件。第39代横綱前田山が本場所を休んで日米親善野球を見物していたことがわかり、日本相撲協会の引退勧告を受けて引退
1952年アインシュタインが朝日新聞に原爆についての釈明文を掲載
1973年トンネル効果を発見した江崎玲於奈のノーベル物理学賞受賞が決定
1973年第一次オイルショック。エクソンとシェルが原油価格の30%引き上げを通告
1974年日本医大の丸山千里教授が国際癌学会で「丸山ワクチン」の治療成果などを発表
1981年写真週刊誌の元祖『フォーカス』が創刊
1987年広島カープの衣笠祥雄が引退。2215試合連続出場を記録
1991年カンボジア問題パリ国際会議が開幕。和平協定に調印
1992年天皇・皇后両陛下が歴代天皇で初めて中国を訪問
1996年ローマ教皇ヨハネス=パウルス2世が、ダーウィンの進化論はカトリックと矛盾しないと表明
2002年モスクワ劇場占拠事件。チェチェン独立派のテロリストが劇場を占拠
2004年新潟県中越地方でM6.8の新潟県中越地震。死者68人

<著名人の誕生日>
1617年土佐光起[とさ・みつおき] (絵師)[1691年9月25日歿]
1760年華岡青洲[はなおか・せいしゅう] (医師,独自に麻酔術を開発)[1835年10月2日歿]
妻を実験台に日本初の全身麻酔を開発、有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」がベストセラーになりドラマ、舞台化もされている
1849年西園寺公望[さいおんじ・きんもち] (首相(12,14代),最後の元老,外相(9・10・20代),文相(7・10代))[1940年11月24日歿]
1871年土井晩翠[どい(つちい)・ばんすい] (詩人,イギリス文学者『荒城の月』)
文化勲章[1952年10月19日歿]
1928年ジャニー喜多川[ジャニーきたがわ] (芸能プロモーター,ジャニーズ事務所社長)
1936年芹沢博文[せりざわ・ひろふみ] (将棋棋士)[1987年12月9日歿]
1940年ペレ (ブラジル:サッカー)
1949年鈴々舎馬桜[れいれいしゃ・ばおう] (落語家)
1955年篠田節子[しのだ・せつこ] (小説家『女たちのジハード』)直木賞作家
1959年奥田英朗[おくだ・ひでお] (小説家『空中ブランコ』『サウスバウンド』)
2004年上期直木賞
1991年眞子内親王殿下[あきしののみや・まこ] (皇族,秋篠宮文仁親王の第一女子)
?年菊地享[きくち・とおる] (漫画登場人物(『のだめカンタービレ』))

<著名人の忌日>
765年淳仁天皇(大炊王,淡路廢帝)[じゅんにんてんのう(おおいのおおきみ/あはじはいてい)] (天皇(47代))<33歳>
1276年北條実時(金澤実時)[ほうじょう・さねとき] (武将,金澤文庫を創立) <数え53歳>
[1224年生]
1669年シャクシャイン (アイヌの総酋長) <数え64歳>謀殺[1606年生]
1888年三島通庸[みしま・みちつね] (内務官僚,山形県令,福島県令) <53歳>
[1835年6月1日生]
1951年4代目桂米團治[かつら・よねだんじ4] (落語家) <55歳>
[1896年9月3日生]
1988年3代目朝潮太郎(高砂親方[元])[あさしお・たろう3] (相撲/横綱(46代)) <58歳>
[1929年11月13日生]
1988年近藤東[こんどう・あずま] (詩人) <84歳>[1904年6月24日生]
2003年宋美齢[そう・びれい] (中華民国:政治家,蒋介石の妻,宋家三姉妹の三女) <106歳>
[1897年3月5日生]

しばらく途絶えていた『日本の歴史を彩った女性たち』<7-2>を追記に掲載しました。
興味のある方は続きにおすすみください。


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拍手する 日本の歴史を彩った女性たち」<7-2>(原始女性は太陽であった!)

平塚らいてうの誕生
明は、塩原事件を機に、性差別や男尊女卑の社会で抑圧された女性の自我の解放に興味を持つようになっていきました。この頃、生田長江の強いすすめで、日本で最初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』の製作に入りました。資金は母からの援助で「いつか来るであろう娘明の結婚資金」を切り崩したものといいます。明はその資金を元に青鞜社を立ち上げ、企画は明の同窓生や同年代の女性に拠り、明は主にプロデュースを受け持ちました。

表紙は長沼智恵が描き、与謝野晶子が「山の動く日来る」の一節で有名な「そぞろごと」という詩を寄せました。明は『元始女性は太陽であつた - 青鞜発刊に際して』という創刊の辞を書くことになり、その原稿を書き上げた際に、初めて「らいてう」という筆名を用いています。

『青鞜』創刊号は、1911年(明治44年)9月に創刊され、男女で両極端な反響を巻き起こすことになりました。女性の読者からは手紙が殺到し、時には平塚家に訪ねてくる読者もいたほどでしたが、男性の読者や新聞などは冷やかな反応を示し、青鞜社を揶揄する記事を書くなど、時には平塚家に石が投げ込まれるほどの不評でした。同年9月に金子筑水が日本ではじめてエレン・ケイを紹介しており(「現実教」『太陽』)、そのケイに関心を持ったらいてうが訪ねてきた河井酔茗に話したところ、酔茗から「今森鴎外さんの処でも其話が出た」と言われたといいます。

新しい女性として
『青鞜』創刊の翌1912年(明治45年)5月5日、読売新聞が「新しい女」の連載を開始し、第一回に与謝野晶子のパリ行きを取り上げました。翌6日には、晶子の出発の様子を「ソコへ足早に駆け付けたのは青鞜同人の平塚明子で(中略)列車の中へ入って叮嚀に挨拶を交換して居る」などと報じました(総勢500余名が見送った)。翌6月の『中央公論』(与謝野晶子特集号)では、鴎外によって「樋口一葉さんが亡くなってから、女流のすぐれた人を推すとなると、どうしても此人であらう。(中略)序だが、晶子さんと並べ称することが出来るかと思ふのは、平塚明子さんだ。」とまで評価されています。

青鞜社に集まる女性が「五色の酒事件」や「吉原登楼事件」などの事件を起こすと、平塚家には投石が相次いだといいます。しかし、らいてうはそんなことは意に介さず、「ビールを一番沢山呑むだのは矢張らいてうだった」と編集後記に書くなど社会を挑発するだけの余裕があったようです。そんならいてうですから「新しい女」というレッテルを貼られるには時間がかかりませんでした。らいてうは『中央公論』の1913年(大正2年)1月号に「私は新しい女である」という文章を掲載すると同時に、婦人論を系統立てて勉強し始め、同年の『青鞜』の全ての号には、付録として婦人問題の特集を組み込むようになりました。しかし、『青鞜』の1913年2月号の付録で福田英子が「共産制が行われた暁には、恋愛も結婚も自然に自由になりましょう」と書いたため、「安寧秩序を害すもの」として発禁に処せられてしまいます。
らいてうは父の怒りを買い、家を出て独立する準備を始めました。

青鞜社は『青鞜』の他にも1912年(大正元年)末に岡本かの子の詩集『かろきねたみ』を皮切りに、翌1913年3月に『青鞜小説集』などを出版しています。同年5月にらいてうの処女評論集『円窓より』も出していますが、出版直後に「家族制度を破壊し、風俗を壊乱するもの」として発禁処分を受けています。

また、同時期の1912年夏に茅ヶ崎で5歳年下の画家志望の青年奥村博史と出会い、青鞜社全体を巻き込んだ騒動ののちに同棲を始めています。父から独立後、奥村との家庭生活と『青鞜』での活動の両立が困難になり始めると、1915年(大正4年)1月号から伊藤野枝に『青鞜』の編集をゆずりました。『青鞜』は、強いて言えば「無政府主義者の論争誌」として活気付いていましたが、1年後には「日蔭茶屋事件」が起きたため休刊に追い込まれています。

奥村との間には2児(長男、長女)をもうけましたが、らいてうは従来の結婚制度や「家」制度をよしとせず、平塚家から分家して戸主となり、2人の子供を私生児として自らの戸籍に入れています。

母性保護論争
らいてうは『青鞜』の編集権譲渡後は奥村の看病や子育てなどに追われていましたが、1918年(大正7年)、婦人公論3月号に与謝野晶子が『女子の徹底した独立』の中で「国家に母性の保護を要求するのは依頼主義にすぎない」という論文を発表すると、らいてうはこれに噛み付き、同誌5月号で『母性保護の主張は依頼主義か』の中に「恋愛の自由と母性の確立があってこそ女性の自由と独立が意味を持つ」という反論を発表しました。これにより、女性の間で論争が起きるようになり、山川菊栄、山田わかなども論争に加わるという社会的な現象になっていきました。(母性保護論争)

この論争の中、1919年(大正8年)の同誌1月号で、らいてうは『現代家庭婦人の悩み』(家庭婦人にも労働の対価が払われてしかるべき、その権利はあるはず)を発表しています。同年夏には愛知県の繊維工場を視察し、その際に女性労働者の現状に衝撃を受け、その帰途に新婦人協会設立の構想を固めたといわれます。

新婦人協会
新婦人協会は、1919年(大正8年)11月24日に、市川房枝、奥むめおらの協力のもと、らいてうにより協会設立が発表され、「婦人参政権運動」と「母性の保護」を要求し、女性の政治的・社会的自由を確立させるための日本初の婦人運動団体として設立された[11]。協会の機関紙「女性同盟」では再びらいてうが創刊の辞を執筆。新婦人協会は「衆議院議員選挙法の改正」、「治安警察法第5条の修正」、「柳病患者に対する結婚制限並に離婚請求」の請願書を提出。特に治安警察法第五条改正運動(女性の集会・結社の権利獲得)に力を入れた。

しかし、1921年(大正10年)に過労に加え、市川房枝との対立もあり協会運営から退く。また、伊藤野枝、堺真柄、山川菊栄などの社会主義者は赤瀾会を結成し、『新婦人協会と赤爛瀾会』(『太陽』大正10年7月号)を皮切りに新婦人協会及びらいてうを攻撃する。らいてうが去り、市川も渡米した後、新婦人協会は坂本真琴と奥むめおらを中心に積極的な運動を継続し、1922年(大正11年)に治安警察法第5条2項の改正に成功。しかし、その後の活動は停滞し、翌1923年(大正12年)末に解散。らいてうは文筆生活に入った。

消費組合
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
昭和になると消費組合運動等にも尽力、高群逸枝らの無政府系の雑誌『婦人戦線』へ参加。

戦中・戦後のらいてう
第二次世界大戦後は、日本共産党の同伴者として活動し、婦人運動と共に反戦・平和運動に力を注ぎました。1950年(昭和26年)6月、来日した米国のダレス特使へ、全面講和を求めた「日本女性の平和への要望書」を連名で提出。翌年12月には対日平和条約及び日米安全保障条約に反対して「再軍備反対婦人委員会」を結成。1953年(昭和28年)4月には日本婦人団体連合会を結成し初代会長に就任。同年12月、国際民主婦人連盟副会長就任。1955年(昭和30年)、世界平和アピール七人委員会の結成に参加、同会の委員となる。1960年(昭和35年)、連名で「完全軍縮支持、安保条約廃棄を訴える声明」発表。1962年(昭和37年)には、野上弥生子、いわさきちひろ、岸輝子らとともに「新日本婦人の会」を結成した。1970年(昭和45年)6月にも市川房枝らと共に安保廃棄のアピールを発表する。またベトナム戦争が勃発すると反戦運動を展開。1966年(昭和41年)「ベトナム話し合いの会」を結成、1970年(昭和45年)7月には「ベトナム母と子保健センター」を設立する。「女たちはみな一人ひとり天才である」と宣言する孤高の行動家として、終生婦人運動及び反戦・平和運動に献身した。

最晩年
自伝の作に取り掛かるが、1970年(昭和45年)に胆嚢・胆道癌を患い、東京都千駄ヶ谷の代々木病院に入院。入院後も口述筆記で執筆を続けていたが、1971年(昭和46年)5月24日に85歳で死去。

エピソード
死語に近いものですが、相手の女性より年下の恋人をつばめと呼ぶのは、奥村がらいてうと別れることを決意した際の手紙の一節「静かな水鳥たちが仲良く遊んでいるところへ一羽のツバメが飛んできて平和を乱してしまった。若いツバメは池の平和のために飛び去っていく」をらいてうが『青鞜』上で発表し、一種の流行語になったことに由来するといわれています。

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歴史・平和・歌舞伎・花・
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