2017 / 10
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[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
秋バラの写真は今日はお休みさせていただき、真長寺の写真の続きをアップします。
(左)山門と(右)釈迦如来堂

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(左)釈迦如来と(右)境内の紅葉
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モミジのトンネルに苔むす石庭
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(左)早春の石庭と(右)紅葉に囲まれた石庭
庫裡縁側から抹茶を飲みながら石庭を見るのもいいものです(抹茶代500円お菓子つき)
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[新選組の歴史]
昨日に続いて新選組出来事に記録されているようなものがありません。
そこで今日は、わが岐阜県出身の新選組隊士で、文久3年の新選組結成以来、函館戦争終了まで土方歳三に従いつづけて、彼を最後まで支え続けた人物をとりあげます。
その人は、美濃国の出身の嶋田魁([しまだ かい]後に『さきがけ』と改める)という幹部隊士です。
新選組結成当時からの記録や日記を残し、後の新選組研究に大きく貢献した人で、永倉新八も『浪士文久報国記事』や『新選組顛末記』を遺していますが、島田魁が遺したものはそのはるか上をいくものです。
そんな嶋田魁の人となりを紹介したいと思います。
   嶋田魁画像
彼は文政11年 美濃国雄総村(現在の岐阜県岐阜市長良雄総)の庄屋近藤伊右衛門の次男として生まれました。幼いころ、父伊右衛門の自決により長兄が家督を継いだ後は邪魔な存在となり、親戚をたらいまわしにされました。母方の祖父、川島嘉右衛門に預けられたころから剣術修行に目覚め、名古屋城内の御前試合で無類の強さを発揮して優勝し、居合わせた大垣藩士の嶋田才に見初められ養子となり嶋田家を継ぐことになりました。その後江戸に出て心形刀流・坪内主馬道場で修行しますが、この時に師範代として来ていた永倉新八と出合ったものと思われます(終生の友となる)。
新陰流から転じて心形刀流の免許皆伝をうけた後、大坂に行き種田流槍術谷万太郎に師事し、槍術も皆伝を与えられました。
嶋田魁が永倉新八と京都でいつ再会したかは明らかではありませんが、文久3年(1863年)5月頃までには新選組に入隊していたと思われます。謹厳実直な性格を土方に認められ、土方直属の諸士調役兼監察の任に就きました。身長は190cmを超え体重約140kgという巨漢で、大変な怪力の持ち主であったといわれています。また土方の徹底した隊規の遂行のため、隊士の処分など土方の手を汚さぬ「汚れ役」も担っていました。 元治元年(1864年)6月には諸士調役兼監察の能力を存分に発揮し池田屋事件の発端となる古高俊太郎捕縛に貢献し、その日の夜の池田屋事変では活躍を認められ17両の報奨を受けています。その後の組織再編で2番組伍長も兼任しています。
常識的に考えれば、副長助勤で何番隊かの組長であっても不思議ではなかったのですが、近藤にいぶかられていたこともあり土方があえて伍長で留め置いていたとも思われます。
慶応3年(1867年)11月の油小路事件では、御陵衛士最強とされる服部武雄とわたりあい戦っています。同年12月18日、御陵衛士(高台寺党)残党による近藤勇襲撃では近藤の護衛として同行しており、馬上で狙撃された近藤の馬を走らせ、近藤の命を救ったのは近藤に嫌われていた嶋田魁でした。
慶応4年(1868年)1月3日 鳥羽・伏見の戦いでは、永倉新八らと抜刀隊を組織し敵陣に斬り込みましたが、敵の銃火が激しく撤退します。その際に、重装備の永倉が土塀を乗り越えられないのを見ると自分の持っていた銃を差し出し、永倉に「これを掴め」と指示して嶋田魁は持ち前の怪力で永倉を土塀の上へ軽々と引き上げたという逸話を遺しています。その後、嶋田魁は土方に従って箱館まで戦い抜き、土方の戦死を聞くと号泣したといいます。
嶋田魁は明治2年(1869年)5月に弁天台場で降伏し、11月まで謹慎生活を送ります。その後、名古屋藩に預けられ、謹慎が解かれると京都に行き、剣術道場を開きました。この間、新政府への出仕の話や榎本武揚が「旧交を温めたいので宿舎まで来て欲しい」と面会申し入れを伝えたのに対し、「会いたいという奴の方から出向くのが筋だろう」と断ったといいいます。
土方を敬慕していた嶋田にとっては、榎本の変わり身の早さを怒っていたようです。
嶋田魁は箱館戦争後、散っていった新選組隊士の菩提を弔うため念仏をかかさず、箱館で戦死した土方歳三の戒名を書いた布を常に懐に携えていました。また、後世に新選組隊士の姿を伝えるため「島田魁日記」をはじめ京都から函館まで所属していた隊士の名簿など、様々な記録や品々を遺しています。それらが今日の新選組研究に多大な貢献をしていることは間違いありません。
※嶋田魁の逸話
新選組の主催した相撲興行でも、隊一番の巨漢ですから当然大活躍し、「力さん」の異名をとったといわれています。また、その巨漢には似合わない大の甘党で、自分で大鍋一杯の汁粉を作り、それを1人でぺろりとたいらげたそうです。それも砂糖を大量に入れ糸を引くほどの甘さであったため、周りの隊士は誰も、この「嶋田汁粉」を食べられなかったといいます。
また島田魁が名古屋藩預かり中に結婚した奥さんは身長が130cm代だったとも言われ、当時でも不思議な取り合せだといぶかる人もいたようです。
新政府から釈放された後は京都に戻り、剣術道場のほかにレモネード屋や雑貨屋などを開きましたが、もともと商売気がなくあまり流行らず困窮したといわれます。
縁戚との交流も頻繁にあり、晩年の嶋田魁の写真は兄弟等と一緒に写ったものでした。
   嶋田魁晩年の写真
嶋田魁の土方歳三への敬慕の象徴である追悼歌が遺されています。
「鉾とりて月みるごとにおもふかな あすはかばね(屍)の上に照かと 」
明治19年(1886年)には西本願寺の夜間警備員となります。
定年退職後も西本願寺の夜警を自主的にやっていましたが、明治33年3月20日 勤務先の西本願寺で倒れ73歳で死去しました。懐中には土方歳三の戒名が書かれた包みを入れたままでした。
嶋田魁の葬儀には永倉新八も北海道から参列したそうです。

[歴史に残る名言]
<ゲーテの名言
「人生に成功する秘訣は、自分が好む仕事をすることではなく、自分のやっている仕事を好きになることである。」
ゲーテ[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ](18~19世紀ドイツの詩人・小説家・劇作家、1749~1832)


[What A Day]
<今日のトップニュース>
<九条の改正笑ひ言ふ議員このちんぴらに負けてたまるか>岩田正。
戦争を知らない若い国会議員が、戦争放棄をうたった憲法九条の改正を笑いながら口にする。長く、つらい戦争の時代をくぐり抜けてきた歌人の岩田さんには、それが許せないのだろう
こんな短歌も作っている。
<フイルムを逆に回せばながくよき平和ののちに戦争が来る>
<フイルムを逆に回せばありありとひろしまの惨未来ともなる>

日本維新の会の石原慎太郎代表が、講演で「核兵器に関するシミュレーションぐらいしたらいい。持つ、持たないは先の話だが、これが一つの抑止力になる」と発言して物議を醸している
「個人的見解」と断ってはいるが、広島・長崎の原爆で多くの人が亡くなった事実を無視した発言といわれても仕方がないだろう。これでは北朝鮮に対する核放棄要求も説得力を持たなくなる
自民党が発表した衆院選の政権公約も何やらキナ臭い。集団的自衛権の行使や自衛隊を「国防軍」とする憲法改正などが盛り込まれた。改憲論議が高まった2005年、三木武夫元首相夫人で今年7月に亡くなった睦子さんが、こう言って安易な改憲にくぎを刺したのを思い出す
「(当時首相だった)小泉さんは終戦当時ヨチヨチ歩きだったので戦争の悲惨さも戦後の苦しみも知らないのです」。
戦後生まれの安倍晋三総裁にも当てはまる言葉だ。【徳島新聞】

地方紙の勇気ある主張に拍手を送りたいものですね。
もう首相になったつもりのような安倍晋三氏や橋下徹氏の日本国憲法敵視は、世界の潮流をまったく理解していない島国根性丸出しの下劣な主張です。
日本国憲法成立時の経過もまともに知らない国会議員や首長の存在そのものが日本にとっては不幸です。
二言目には「米国の押し付け憲法」といいながら、その実、対米従属の姿勢は民自公、維新の会も同じ穴のムジナ。
日本国憲法こそ世界各国の憲法の教科書のようなものであり、日本人なら世界にいちばん誇るべきものでしょう。
国連憲章に勝るとも劣らない日本国憲法を「実情に合わなくなった」というのは本末転倒で、憲法違反のものをただすのが政治の役目であると、国政に携わる人には理解してほしいものです。
反自民・反維新の会と言ったら、なんでも「半島出身だ!」と決めつけるエセ右翼と握手するような安倍お坊ちゃんでは前回の首相時代の失敗も覚えてないようですね。


<ちょっと前のトップニュース>
※日本初の議会が開催
明治初期の自由民権運動、国会開設運動を経て1890年(明治23年)に成立し、同年11月25日第一回帝国議会が開催された。初期議会においては政府の超然主義と衆議院が対立していたが、日清戦争後には政府と両院の提携が行われるようになり、大正デモクラシーにより政党政治が行われるようになると衆議院の立場が強まるが、軍部などの勢力の台頭で議院内閣制は確立できず、1932年(昭和7年)に起きた軍部のクーデター未遂である五・一五事件で地位が低下する。特に、1940年(昭和15年)に全政党が解散して大政翼賛会が成立されると、議会は政府・軍部の提出を追認するだけの翼賛議会と化していった。

<11月25日の記念日>
※ハイビジョンの日
郵政省、NHKなどがハイビジョンの普及を図るために設けた日。ハイビジョンの走査線の数が1125本のため、11月25日としたもので、1987年(昭和62年)に制定している。
※女性に対する暴力廃絶のための国際デー
1999(平成11)年12月17日の国連総会で制定。国際デーの一つ。
1961(昭和36)年この日、ドミニカ共和国の政治活動家であったミラバル3姉妹が、ドミニカの支配者ラファエル・トルヒジョの命令により惨殺された。
※バイラルの日
2005(平成17年)のこの日、日本初の本格バイラルキャンペーンとして、株式会社タイトー・PSPゲームタイトル「EXIT」が実施された。これを記念してこのキャンペーンを手がけたロカリサーチ株式会社が制定した日。バイラルマーケティングの可能性を探る日として広くアピールしている。
※OLの日
女性週刊誌「女性自身」が行った「働く女性の総称は?」のアンケートの結果、オフィス・レディー(OL)が第1位となった。この記事をきっかけにOLという言葉が世間に浸透したことから、記事の掲載された1963年11月25日号にちなんだこの日を「OLの日」に。制定したのは、さまざまな業種のOLの集まり「OLネットワークシステム」。
※憂国忌
小説家・三島由紀夫[みしまゆきお]の忌日。
1970(昭和45)年のこの日、三島由紀夫が、自ら主催する「楯の会」のメンバー4人と共に東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で総監を人質にとって本館前に自衛官1000人を集合させ、自衛隊の決起を訴える演説を10分間行った。その後総監室で楯の会会員の森田必勝とともに割腹自殺した。

<今日の誕生花
ネリネ言葉:若返り」            リュースコチナス言葉:賢明」
ネリネ リュウスコチナス (2)
パボニア[矢の根梵天]言葉:慎重」
パボニア(矢の根梵天花)

<歴史上の出来事
1557年毛利元就が毛利隆元・吉川元春・小早川隆景に14箇条の遺訓を記す。後に「三本の矢」の話として伝えられる
1687年松尾芭蕉が『笈の小文』の旅に出発。「旅人と我名よばれん初しぐれ」
1876年福澤諭吉が『学問のすゝめ』の最終刊・第17篇を刊行
1892年パリ・ソルボンヌ大学での講演でクーベルタン男爵がオリンピックの復活を提唱
1921年大正天皇の脳の病により、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が摂政に就任
1922年イタリアでムッソリーニが国王と議会から独裁権を与えられる
1936年ベルリンで国際共産主義防止の為の「日独防共協定」に調印
1947年赤狩り: アメリカ映画協会のエリック・ジョンソン代表が、ハリウッド・ブラックリストに掲載された「ハリウッド・テン」の10人について共産主義者の嫌疑が晴れるまで雇用しないと声明
1952年アガサ・クリスティの戯曲『ねずみとり』が初演
1952年大阪讀賣新聞が創刊
1953年サッカーイングランド代表がハンガリー代表に敗れ、ヨーロッパ大陸のチームにホームで初の黒星を喫する
1960年ドミニカ共和国で反独裁政権運動家のミラバル姉妹が殺害される。(女性に対する暴力廃絶のための国際デー)
1962年盛り場での犯罪防止の為、東京で全国初の「愚連隊防止条例」施行
1967年南西諸島の硫黄鳥島で噴火。硫黄採掘関係者が撤退し、以後無人島に
1970年三島事件。作家・三島由紀夫らが自衛隊市ヶ谷駐屯地でクーデターを呼びかけるが失敗し割腹自殺
1977年フィリピンの軍事法廷がベニグノ・アキノ・ジュニアに対し死刑判決
1986年三菱銀行有楽町支店で3億3千万円強奪。現金輸送車強奪の史上最高額
1994年税制改革関連法案が成立。1997年4月から消費税率が5%に
2001年アメリカ国土安全保障省が発足
2009年アラブ首長国連邦の政府系会社の債務返済繰り延べ要請が発表される。これを発端として、世界的に株式相場が急落(ドバイショック)
2010年11代目市川海老蔵暴行事件 が起こる

<著名人の誕生日>
1571年狩野孝信[かのう・たかのぶ] (絵師,狩野永徳の子)[1618年8月30日]
1844年カール・ベンツ (独:機械技術者,自動車の創始者)[1929年4月4日]
1872年添田唖蝉坊[そえだ・あぜんぼう] (演歌師『ラッパ節』「流行歌の祖」)[1944年2月8日]
1900年ルドルフ・フェルディナント・ヘス (独:アウシュヴィッツ強制収容所所長)[1947年4月16日]
1914年ジョー・ディマジオ (米:野球(ヤンキース/外野手),マリリン・モンローの元夫)[1999年3月8日]
1915年アウグスト・ピノチェト (チリの独裁者:大統領(30代),軍人)[2006年12月10日]軍事クーデターで民主政権を瓦解させる。
1924年吉本隆明[よしもと・たかあき] (詩人,評論家,よしもとばななの父)
1930年笹沢左保[ささざわ・さほ] (小説家『木枯らし紋次郎』)[2002年10月21日]
1948年市川準[いちかわ・じゅん] (映画監督,CMディレクター)[2008年9月19日]
1971年クリスティナ・アップルゲイト、女優

<著名人の忌日>
1884年マティルデ・フランツィスカ・アネケ、女性解放運動家(1817年生)
1917年佐々醒雪[さっさ・せいせつ] (俳人,国文学者) <45歳>[1872年5月6日生]
1950年ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン (デンマーク:小説家,詩人,随筆家『エキゾチックな物語』) <77歳>[1873年1月20日生]
1970年三島由紀夫[みしま・ゆきお] (小説家,劇作家『金閣寺』『憂国』) <45歳>自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し割腹自殺[1925年1月14日生]
1974年ウ・タント (ビルマ:国連事務総長(3代),教育者) <65歳>[1909年1月22日生]
1993年2代目芳村五郎治[よしむら・ごろうじ] (長唄唄方) <92歳>人間国宝[1901年7月25日生]
1995年田中千禾夫[たなか・ちかお] (劇作家) <90歳>[1905年10月10日生]

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