本日の記事は病室においてタブレット端末で更新したものです。
多くのブロともの皆さまにご心配をいただき、心温まるメッセージを寄せていただいてとてもありがたく感謝しております。
病状について説明不足のところもあり、一部の皆さまに誤解を与えるような表現もあり申し訳ありませんでしたm(o´・ω・`o)mペコリン
元々はいわゆる血液のガンである白血病を発症し、医師の献身的な治療のおかげで克服できたと思っていましたが、膀胱と卵巣に腫瘍が転移し、リンパ節にも転移していたので手術と化学療法で治癒を目指しておりました。
膀胱がんと卵巣腫瘍は手術で取り除いて、リンパ節も放射線治療で克服できたと思っていましたが、がん細胞はそんなに甘くなく予想外のところで悪政リンパ腫をつくっていました☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
年齢のせいか進行が速く腫瘍が肺を圧迫しだしたことで呼吸がしずらい体調の急変を起こし、またまた入院となりました。
外科的治療は体力的にも無理だということで抗がん剤と放射線治療によりリンパ腫を消えさせる方法を選択することになり、年内に退院することは事実上不可能となりました。
今後は私の体力が腫瘍に勝てるかどうかにかかっています。
年明けには元気に皆さまのところへお邪魔できるよう一所懸命ガンと戦い続けます。
新しい年にまた皆さまと笑って出会えるよう頑張りますので、応援のほどよろしくお願い申し上げます。
[冬至]
今日は二十四節気の一つで、北半球では太陽が最も低く、夜が最も長くなる日「冬至」です。
天文学的には、天球上の黄経270度の点を太陽が通過する時。
この日に、柚子[ゆず]湯に入り小豆粥や南瓜[かぼちゃ]を食べると、風邪をひかないと言われていますが皆さんはどうされるのでしょうね(*^^*ゞ
私?、病院に監禁中だからなーんもしません(。_゚)〃ドテッ!
本日から当分の間かなり以前に撮影した写真アルバムから京都の紅葉写真を掲載させていただき、体調の良い日に正規記事をアップさせていただきますのでご容赦くださいませ(^_-)-☆
京都高雄神護寺の紅葉




[ローラさんは正しい]
人気モデルのローラさんが「ホワイトハウスに向けての辺野古建設停止を求める署名」を呼びかけたことに対し、日本のテレビ局が、「突然の政治的に発言に波紋」「仕事に支障は?」などの論調で報じ、ネット上で賛同や批判の声が相次いでいいます。
また、ネット上では、安倍シンパのネット工作勢力が「外国人の分際で余計なことを言うな」「ローラは反日」「中華勢力から変なことを吹き込まれたか?」などの誹謗中傷が激化。この事態を悲しむ人々によって「#ローラをいじめるな」のハッシュタグが作られる事態になっています。
テレビ朝日のモーニングショーでローラ発言について、高木美保さんは「芸能人の政治的発言はタブーという考えはもう変えるべき。ネットで世界とつながる時代、日本だけ鎖国状態ではいられない。環境のためにも、生き方としても私は拍手喝采です」。
玉川徹さんもローラさんの発言を支持し、「日本政府は聞く耳を持たないのだから米政府に働きかけるしかない」と述べています。
米ホワイトハウスに対する請願署名は、30日以内に10万以上の署名があれば検討するというもので、インスタグラムでのローラさんの呼びかけにわずか二日間で4万人の賛同者が出て目標とする10万をはるかに超えておよそ12j万人にまで一気に増えたそうです。これに対し相変わらずネトウヨが噛みつきローラ攻撃をしていますが、ローラフアンは520万人にも弥呼び、ご本人もびくともしていません。
ローラさんが「美しい沖縄を守ろう」とのメッセージとともにホワイトハウスに向けての「辺野古建設停止を求める署名運動」を呼びかけたことに対して、大手メディアが「波紋」「今後の仕事に影響は?」などの論調で報じる事態になっています。
さらには、百田尚樹氏や石井孝明氏など、安倍シンパ極右言論人が扇動する形で、ネット上の「安倍礼賛ネット部隊」がローラさんをハーフの日本人であるにもかかわらず「反日」「外国人の分際で日本の政治に口を出すな」などと叩く中傷活動が激化しているようです。
あらかじめ予想されていたことではありますが、改めて、日本が自由な言論環境からほど遠い、実質的な安倍政権による「独裁政治社会」の環境が構築されてしまっていることを思い知らされますね。
まるで示し合わせたかのように、一斉に安倍シンパ系のネット工作勢力が彼女への誹謗中傷を開始させており、いかに安倍官邸が、今回の署名運動の盛り上がりを通じて、辺野古基地建設強行に反対する国民の声が大きくなっていくことを警戒しているのかということがよく分かります。
つまり、テレビ界もネット空間も、実質的に安倍官邸の支配下に置かれており、どちらの媒体でも、国民を上手く騙し、「従順な奴隷」に変えていくための洗脳や世論工作が激しく行なわれているということでしようねハア~。
テレビ朝日のモーニングショーは、比較的に政権に批判的な報道を行なう場合もありますが、何よりもテレビ朝日の早河会長が、安倍総理本人や安倍総理と深い関わりのある幻冬舎の見城徹社長と非常に親しいため、その根底はやはり安倍礼賛が蔓延していると見るのが良さそうですね。
そして、加計疑獄に対して「脇見運転したかどうか程度の話」などと言い放ったお笑い芸人の松本人志をはじめとして、安倍政権を賛美する発言をした芸能人に対しては、そのまま放置・放任している一方で、ローラさんのように、政権にとって都合が悪い発言や活動をしている芸能人に対しては「突然の政治的発言に波紋」やら「今後の仕事に影響は?」などと大ごとのように報じるマスメデァは、まさしく「異常」というほかありません。
言い換えれば、この国では、ひとたび安倍政権にとって都合の悪いことを発言したり、政府を批判するような発言をすると「今後の仕事に影響を及ぼす可能性がある」と言っているも同然であり、「安倍政権を批判することは許されない(ひとたび批判すると寄って集って吊し上げられる)」という価値観の社会がすでに出来上がってしまっているということでしょう。
こんな日本社会の異常さを正すためにも市民は自覚的文化人や芸能人への支持を明らかにすることも大切でしょう。
参加してるので、応援してもらえたら嬉しいです``r(^^;)ポリポリ

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拍手ボタンを押すともっと見たくなりますよm(o´・ω・`o)mペコリン
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膀胱がんと卵巣腫瘍は手術で取り除いて、リンパ節も放射線治療で克服できたと思っていましたが、がん細胞はそんなに甘くなく予想外のところで悪政リンパ腫をつくっていました☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
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外科的治療は体力的にも無理だということで抗がん剤と放射線治療によりリンパ腫を消えさせる方法を選択することになり、年内に退院することは事実上不可能となりました。
今後は私の体力が腫瘍に勝てるかどうかにかかっています。
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人気モデルのローラさんが「ホワイトハウスに向けての辺野古建設停止を求める署名」を呼びかけたことに対し、日本のテレビ局が、「突然の政治的に発言に波紋」「仕事に支障は?」などの論調で報じ、ネット上で賛同や批判の声が相次いでいいます。
また、ネット上では、安倍シンパのネット工作勢力が「外国人の分際で余計なことを言うな」「ローラは反日」「中華勢力から変なことを吹き込まれたか?」などの誹謗中傷が激化。この事態を悲しむ人々によって「#ローラをいじめるな」のハッシュタグが作られる事態になっています。
テレビ朝日のモーニングショーでローラ発言について、高木美保さんは「芸能人の政治的発言はタブーという考えはもう変えるべき。ネットで世界とつながる時代、日本だけ鎖国状態ではいられない。環境のためにも、生き方としても私は拍手喝采です」。
玉川徹さんもローラさんの発言を支持し、「日本政府は聞く耳を持たないのだから米政府に働きかけるしかない」と述べています。
米ホワイトハウスに対する請願署名は、30日以内に10万以上の署名があれば検討するというもので、インスタグラムでのローラさんの呼びかけにわずか二日間で4万人の賛同者が出て目標とする10万をはるかに超えておよそ12j万人にまで一気に増えたそうです。これに対し相変わらずネトウヨが噛みつきローラ攻撃をしていますが、ローラフアンは520万人にも弥呼び、ご本人もびくともしていません。
ローラさんが「美しい沖縄を守ろう」とのメッセージとともにホワイトハウスに向けての「辺野古建設停止を求める署名運動」を呼びかけたことに対して、大手メディアが「波紋」「今後の仕事に影響は?」などの論調で報じる事態になっています。
さらには、百田尚樹氏や石井孝明氏など、安倍シンパ極右言論人が扇動する形で、ネット上の「安倍礼賛ネット部隊」がローラさんをハーフの日本人であるにもかかわらず「反日」「外国人の分際で日本の政治に口を出すな」などと叩く中傷活動が激化しているようです。
あらかじめ予想されていたことではありますが、改めて、日本が自由な言論環境からほど遠い、実質的な安倍政権による「独裁政治社会」の環境が構築されてしまっていることを思い知らされますね。
まるで示し合わせたかのように、一斉に安倍シンパ系のネット工作勢力が彼女への誹謗中傷を開始させており、いかに安倍官邸が、今回の署名運動の盛り上がりを通じて、辺野古基地建設強行に反対する国民の声が大きくなっていくことを警戒しているのかということがよく分かります。
つまり、テレビ界もネット空間も、実質的に安倍官邸の支配下に置かれており、どちらの媒体でも、国民を上手く騙し、「従順な奴隷」に変えていくための洗脳や世論工作が激しく行なわれているということでしようねハア~。
テレビ朝日のモーニングショーは、比較的に政権に批判的な報道を行なう場合もありますが、何よりもテレビ朝日の早河会長が、安倍総理本人や安倍総理と深い関わりのある幻冬舎の見城徹社長と非常に親しいため、その根底はやはり安倍礼賛が蔓延していると見るのが良さそうですね。
そして、加計疑獄に対して「脇見運転したかどうか程度の話」などと言い放ったお笑い芸人の松本人志をはじめとして、安倍政権を賛美する発言をした芸能人に対しては、そのまま放置・放任している一方で、ローラさんのように、政権にとって都合が悪い発言や活動をしている芸能人に対しては「突然の政治的発言に波紋」やら「今後の仕事に影響は?」などと大ごとのように報じるマスメデァは、まさしく「異常」というほかありません。
言い換えれば、この国では、ひとたび安倍政権にとって都合の悪いことを発言したり、政府を批判するような発言をすると「今後の仕事に影響を及ぼす可能性がある」と言っているも同然であり、「安倍政権を批判することは許されない(ひとたび批判すると寄って集って吊し上げられる)」という価値観の社会がすでに出来上がってしまっているということでしょう。
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[考えよう]
戦争は政府にとっては政治であり勝敗であるのだろうが、家族や個人には人の生死でしかない。
国家を主語とした威勢のいい話は一時耳に心地よいかもしれないが、注意せねばならない。
近隣国への反感をあおる政治家の言葉はよく聞き分けねばならない。
戦争より外交である。
武力より対話である。
戦争が多くの人の命を奪うのなら、外交は多くの人の命を救うといってもいい。
何も理想を言っているわけではない。反戦は普通の人々の現実である。国家を平和へと向けさせるのは私たちの判断と意思である。
東京新聞15日付社説より一部抜粋引用しましたが、名言だと思いませんか\(^o^)/
[厚顔無恥の安倍首相]
昨日の終戦の日に今上天皇ご自身が今年もさきの大戦について「深い反省」の意を4年連続表明されたのに対し、安倍首相は歴代内閣総理大臣が触れてきたアジアでの植民地支配と侵略に深い反省と不戦の誓いの言葉をまたも述べませんでした。
これで第二次安倍内閣発足後6年連続です。
ここまで徹底した加害責任の無視と「不戦の誓い」を排除した式典挨拶などまったく意味をなさないでしょう。
今上天皇は加害責任を「深い反省」という表現を使いアジア諸国に謝罪の意を示しただけでなく、不戦への強い思いを述べられたことを、ただの思い込みで戦前の体制に戻したい野望を隠さない安倍首相はなんととらえているのでしょうか。
憲法一条は国民の統合の象徴である天皇と定めていますが、その天皇の平和への思いを真面目に考えたら安倍首相の薄っぺらな式辞などまったく意味がありません。
安倍晋三首相は式辞で「戦争の惨禍を決して繰り返さない」と述べたに過ぎず戦争をしないとは語っていないのです。
これは安保法制(戦争法)を意識したもので、普通に戦争する国へと日本を変貌させようというものにほかなりません。
安倍首相が述べた式辞は国民を不快にさせるだけでなく、ほんの一握りの改憲右翼団体日本会議や、韓国系右翼団体の旧統一教会などが喜ぶだけでしょう。
数々の悪法を強行採決で強引に成立させ、戦後日本のあり方を根底から否定しようとしている安倍自公政権への批判の声が日本列島全域に拡大されつつあり、内閣支持率も内閣を改造してもわずかに戻っただけで、与党内からも安倍首相では参議院選挙は戦えないという声も出始め、自民党古老も警告をする事態になってきています。
また安倍政権ならやりかねないと想像した通り、今上天皇さえ参拝しない東条英機ら戦争指導者であったA級戦犯が合祀されている靖国神社に、政教分離違反の玉ぐし料を安倍首相は自民党総裁名義で奉納し、閣僚参拝はゼロだったものの、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の国会議員多数と稲田朋美氏ら「伝統と創造の会」、小泉進次郎氏や萩生田光一幹事長代行が参拝を強行したことは靖国神社の性格上絶対に許されない行為です。
昨年より少数とはいえ約50人もの国会議員がA級先般が合祀されている靖国神社に参拝する暴挙に及んだことは戦後民主主義の本質にかかわることで、国民は座して眺めるだけではいけないことでしょう。
このような行為を毎年繰り返すことは、わざわざ諸外国の神経を逆なでするだけで、日本の国益を鑑みればあり得ない行為と非難されても仕方がありません。
こんな事態を常態化した安倍首相には恥を知れと言いたいですねムカチュク(`‐ω‐´)
たぶん恥という言葉は安倍首相の頭の中にはないのでしょうが・・・・・・・・
[伊吹山の自然]
伊吹山の名をいただいたイブキフウロ

ヤマホタルブクロ

昆虫のことはさっぱりです(。_゜)〃ドテッ!

[今日の音楽]
テレビドラマにもなった沖縄を舞台とした反戦歌
「さとうきび畑」歌唱]森山良子
[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
名駅高層ビル群

[歴史に残る名言]
<石川啄木の名言>
「とかくして家を出(い)づれば
日光のあたたかさあり
息ふかく吸ふ」
石川啄木[いしかわ・たくぼく](明治の歌人・詩人、1886~1912)『一握の砂』
[今日は何の日?]
<今日のトップニュース>
※終戦73年、不戦誓う 平成最後の戦没者追悼式
終戦から73年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、参列者たちは不戦の誓いを新たにした。平成最後の追悼式。戦前、戦中世代の高齢化が進む中、悲惨な戦争体験をどう継承するかが課題となる。来年4月30日の退位を控える天皇陛下は、お言葉に「長きにわたる平和な歳月に思い」との文言を加え「反省」という言葉も4年連続で使った。安倍晋三首相は式辞で「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」としながらアジア諸国への加害責任に触れなかった。
式典には、全国の遺族約5千人や衆参両院議長らが参列。戦没者遺族も高齢化が進んでいる。(共同)2018年8月15日【出典:中日新聞】
※広島に優勝マジック「32」 両リーグ通じて今季初点灯
セ・リーグは15日、首位広島が自力優勝の可能性が残っていた阪神を6―4で下し、球団初のリーグ3連覇を狙う広島に優勝へのマジックナンバーが「32」で両リーグを通じて今季初めて点灯した。
広島は残り42試合で阪神との9試合に全敗しても32勝すれば、阪神が残り46試合に全勝した場合でも勝率が上回る。(共同)2018年8月15日【出典:中日新聞】
<ちょっと前のトップニュース>
※全閣僚、靖国参拝せず 第2次安倍内閣以降で初
安倍晋三首相と全閣僚十九人は終戦から七十二年の十五日、東京・九段北の靖国神社への参拝を見送った。終戦記念日に首相と全閣僚が参拝を見合わせたのは、二〇一一年の菅内閣以来。一二年末の第二次安倍内閣発足後は初めて。首相は自民党総裁として私費で玉串料を奉納した。
首相と全閣僚が参拝を見送ったのは、緊迫する北朝鮮の核・ミサイル開発問題を踏まえ、中韓両国との連携に悪影響を与えかねない行動を避けたとみられる。九月に国交正常化四十五周年を迎える中国との関係改善を重視する姿勢を示す狙いもある。
首相の玉串料は、柴山昌彦・党総裁特別補佐が神社を訪れ、代わりに納めた。首相は一三年十二月に靖国神社を参拝したが、終戦記念日は同年から五年連続で同じ対応を取った。
柴山氏は、首相から「参拝に行けず申し訳ない。しっかりお参りしてほしい」と指示されたことを記者団に説明。「尊い犠牲を遂げられた御霊(みたま)に哀悼の誠をささげ、恒久平和への思いを新たにした」と語った。
一方、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久自民党参院議員)は同日午前、集団で参拝した。稲田朋美元防衛相ら自民党若手保守派グループ「伝統と創造の会」のメンバーも参った。
「国会議員の会」の参拝には、政府側から佐藤正久外務副大臣、奥野信亮総務副大臣らが参加。事務局によると、自民党を中心に衆参の六十三人が参拝した。このほか、自民党の萩生田光一幹事長代行、小泉進次郎筆頭副幹事長も参拝した。 (坂田奈央)
◆首相の玉串料に中国「断固反発」
【北京=秦淳哉】中国外務省の華春瑩(かしゅんえい)副報道局長は十五日の定例会見で、安倍晋三首相が靖国神社に私費で玉串料を奉納したことについて「靖国神社には侵略戦争の直接責任があるA級戦犯が奉られている」と指摘し「日本の間違ったやり方に断固反対する」と述べた。
華氏は、今年が盧溝橋事件や南京大虐殺から八十周年に当たると指摘。「日本が侵略の歴史を適切に実証し、真剣に反省するよう促す」と述べた。
国営新華社通信は同日、安倍首相が「日本が投降した当日に五年連続で靖国神社に祭祀(さいし)費を納めた」と報道。国会議員による靖国神社の参拝が、中国や韓国などアジア各国との緊張関係を生んでいるとも伝えた。
◆韓国「深い憂慮」
【ソウル=上野実輝彦】韓国外務省は十五日、安倍晋三首相が靖国神社に私費で玉串料を奉納したことなどに対し「深い憂慮を禁じ得ない」とする報道官の論評を公表した。
論評は、国会議員らの参拝も念頭に「日本政府や議会の責任ある指導者が、侵略戦争を美化する靖国神社を参拝したり玉串料を納めた」と非難し、「歴史を正しく直視し、過去に対する反省を行動で示さなければならない」と求めた。2017年8月16日【出典:東京新聞】
<もう少し前のトップニュース>
※歴史に向き合う願い反映
天皇陛下は全国戦没者追悼式でのお言葉で、昨年に続き「深い反省」との表現を使われた。基本的な構成は二〇一四年までの定型的なものに戻ったが、先の大戦で三百十万人の日本人が犠牲となり、周辺諸国に多大な被害を与えた歴史に真摯(しんし)に向き合い、決して忘れてはならないという陛下の強い願いがうかがえる。
生前退位の意向をにじませた「お気持ち」を公表した直後だけに内容に注目が集まっていた。「お気持ち」では、象徴の務めを果たす責任の重さを表現されており、今回のお言葉も象徴としての務めを意識した発言とみられる。
戦後七十年の節目だった昨年は「さきの大戦に対する深い反省」と述べ、反省がさきの大戦に対するものであることが明示されていた。今年は「さきの大戦に対する」という言葉はなくなったものの、その前に「過去を顧み」という言葉が昨年同様使われており、「深い反省」がさきの大戦に対するものであることは明らかだといえる。
陛下は今年一月、皇后さまとフィリピンを訪問した。出発前のあいさつで「マニラ市街戦」に触れ、日本による加害に言及。昨年十二月の誕生日会見では「年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」と語った。
神戸女学院大学の河西秀哉准教授(日本近現代史)は「『深い反省』という四文字に、日本の加害責任を含め過去を忘れてはいけないという陛下の思いを感じる。国民だけでなく、次世代の皇族にも自分の思いを共有してほしいと語り掛けているのではないか」と指摘した。(小松田健一)2016年8月15日【中日新聞】
※安保法、女性106人提訴 「違憲で精神的苦痛」
違憲な安全保障関連法が成立したことで精神的苦痛を受けたとして、16都道府県の女性106人が、国に1人当たり10万円の損害賠償を求める訴訟を15日、東京地裁に起こした。各地で起こしている集団訴訟の一環で、全国で9件目。
提訴後に記者会見した原告の関千枝子さん(84)は「戦時中、広島への原爆投下で、級友は皆死んでしまった。安保法によって戦後の平和が脅かされるのは許せない」と憤った。
訴状によると、集団的自衛権による武力行使などを許容する規定が憲法9条に違反しており、原告をテロや戦争の危険にさらしたとしている。(共同)2016年8月15日【中日新聞】
<かなり前のトップニュース>
※辺野古調査へブイ設置 防衛局、反対派進入を阻止
沖縄防衛局は十四日朝、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部の埋め立てに向け、海上にブイを設置し立ち入り禁止区域を明示する作業を始めた。辺野古移設反対派の船による進入を阻止する狙いとみられる。防衛局は近く同区域内で海底ボーリング調査に着手する。普天間代替施設の建設に向けた海上での準備作業が本格化した。
ただ、県外移設を求める地元世論は根強く、反対派は海上デモなどで抗議、防衛局側との衝突が懸念されている。名護市の稲嶺進市長は、ブイ設置開始に「激しい憤りを禁じ得ない」とのコメントを出した。
ブイは、辺野古沿岸部に七月に設定された臨時制限区域(約五六一・八ヘクタール)に沿って設置。防衛局は安全確保を理由としているが、制限区域は、日米地位協定に基づく日米合同委員会合意事案として設定。米軍や工事用船舶以外の航行が禁止されており、立ち入れば日米地位協定に伴う刑事特別法の処罰対象となる。
十四日はブイのほかフロートの設置を開始。防衛省関係者によると、ブイ設置は一週間以内に完了する見通し。設置完了前にボーリング調査に着手する可能性もあるが、反対派の抗議活動や天候次第では作業が順調に進むかどうかは不透明だ。防衛局は当初、七月中旬のボーリング調査着手を予定していた。
防衛局は二〇〇四年、辺野古沖合への移設計画でボーリング調査に着手したが反対派が漁船などを使って激しい抗議活動を展開、調査中止に追い込まれた。
反対派は十四日早朝から、抗議活動のため十数隻のカヌーや小型船を出したが、海上保安庁は辺野古沖に六隻の巡視船を展開、数十隻のボートで警備に当たり、混乱の発生防止に全力を挙げた。
県は七月十七日、ボーリング調査を了承すると防衛局に伝え、漁業者への事前説明や水産資源への配慮などに留意するよう要請した。ボーリング調査は海上に足場や台船を配置し二十一カ所で実施される。期限は十一月三十日。2014/8/14【中日新聞夕刊】
沖縄の住民の願いを蹂躙する暴挙に出た安倍政権は、ただただ米国の利益だけのためにやってはならないことを強行手段で押し通しつつあります。
米軍は当初から辺野古沖だけでなく内陸部まで基地の拡大を狙っていたことも明らかにされている時に、オール沖縄の声を無視してまで強行することは決して許されません。
しかもこの秋には沖縄知事選挙もあり、辺野古埋立承認が撤回されるとも十分あり得ることを承知の上で強硬姿勢を打ち出しているのでしょうか。
米国に魂を売り渡した安倍首相と仲井真現知事の責任は厳しく問われることになるでしょう。
<8月16日の記念日>
※月遅れ盆送り火
本来は旧暦7月16日であるが、明治の改暦後は、多くの地域で月遅れの8月16日に行われる。
お盆に帰ってきた先祖の霊を送り出す行事で、京都の五山送り火や長崎の精霊流しなどが有名である。
※プレスリー忌
1977年の今日、ロック界の巨星エルビス・プレスリーが心臓発作により死亡した。享年43歳。長いもみあげとブルーの瞳、セクシーな歌声で多くのファンを魅了し続けた彼のあまりに早い死に、当時のカーター大統領は「アメリカは自らの一部を失った」との声明を出している。
※女子大生の日
1913年のこの日、東北帝国大学(現在の東北大学)が女子受験生3人の合格を発表し、日本初の女子大生が誕生した。
<今日の誕生花>
タマリンド「花言葉:贅沢」 待宵草[まつよいぐさ]「花言葉:物言わぬ恋」

唐糸草[からいとそう]「花言葉:繊細」

<歴史上の出来事>
1155年源義朝の弟・義賢が義朝の長男の悪源太義平の襲撃を受けて殺害される。義賢の子・義仲は木曾に逃れる。(新暦9月14日)
1819年ピータールーの虐殺。議会改革運動支援の為に聖ピーター広場に集まった人々を英国政府が武力弾圧。死傷者400人以上。
1875年ワッパ騒動。酒田県(現 山形県庄内地方)で農民1万人が過納租税の返還を求める暴動。
1913年東北帝国大学(現在の東北大学)が女子受験生3人の合格を発表。日本初の女子大生。
1918年米騒動により第4回全国中等学校野球大会の中止が決定。
1920年米大リーグでレイ・チャップマンが頭に投球を受け死亡。大リーグ初の死亡事故。
1924年ロンドン賠償会議でドイツの第一次世界大戦の賠償金仕払いを緩和するドーズ案が採択。
1938年ナチの青年団・ヒトラーユーゲントの代表団が横浜港に到着。
1943年東京都が上野動物園に猛獣の処分を指令。翌日から薬殺を開始。
1943年聯合軍の爆撃でイタリア・ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会が崩潰。レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画『最後の晩餐』は奇跡的に残る。
1945年スターリンが北海道北部のソ連による占領を提案するが、トルーマン米大統領が拒否し、「日本は分割統治せず」と声明。
1946年第二次大戦で軍部とともに利益追求を派していた経済界が、何等の反省もしないまま経済団体連合会(経団連)が発足。
1946年元満洲国皇帝・溥儀が東京裁判にソ連の証人として出廷。ソ連に有利な証言をするが、後に自著でソ連に強要されたものだったと述べる。
1949年ロサンゼルスの北米水上選手権大会で古橋廣之進が1500m自由形で世界新記録。18・19日にも世界新記録を出す。
1951年旧陸海軍の将校11185人の公職追放を解除。
1960年地中海のキプロスがイギリスから独立。
1960年米空軍のジョゼフ・キッティンジャー大尉が気球による最高高度31300mからパラシュート降下し、乗物によらない人間の最高速度988km/hを記録。
1964年1949年の「松川事件」が真犯人不明のまま時効に。
1972年森永乳業が1955年のヒ素ミルク中毒事件の責任を認め恒久救済を受諾。
1979年高校野球3回戦・箕島高対星稜高の延長18回、3時間50分の試合。「高校野球史上最高の試合」と評される。
1980年韓国の崔圭夏大統領が辞任。
1980年静岡駅前地下街でガス漏れにより爆発。現場検証中に大爆発。14人死亡。
1992年高校野球で明徳義塾が星稜の松井秀喜選手に対し5打席連続敬遠。
2006年北方領土附近で根室の漁船がロシア国境警備隊の銃撃を受け、1人死亡。
2007年岐阜県多治見市・埼玉県熊谷市で最高気温40.9℃を観測し、74年ぶりに日本最高記録を更新。
2013年東北楽天ゴールデンイーグルス投手の田中将大が、2012年8月から続く21連勝で日本プロ野球記録を更新
2017年水銀に関する水俣条約が発効する
予定
111551年惑星上から見える惑星の太陽面通過で最も珍しい、海王星における天王星の太陽面通過が起こる(予定です)
<著名人の誕生日>
1888年トーマス・エドワード・ロレンス (英:軍人「アラビアのロレンス」)[1935年5月19日]
1929年ビル・エヴァンス (米:ジャズピアニスト)[1980年9月15日]
1958年マドンナ (米:歌手,女優)
1986年ダルビッシュ有[ダルビッシュ・ゆう] (野球(投手))
<著名人の忌日>
1339年後醍醐天皇(尊治親王)[ごだいごてんのう(たかはるしんのう)] (天皇(96代)) <数え52歳>[1288年11月2日生]
1868年河井継之助[かわい・つぐのすけ(つぎのすけ)] (長岡藩家老) <41歳>[1827年1月1日生]
1929年津田梅子[つだ・うめこ] (教育者,津田英学塾創立) <64歳>[1864年12月8日生]
1948年ベーブ・ルース (米:野球) <53歳>[1895年2月6日生]
1949年マーガレット・ミッチェル (米:小説家『風と共に去りぬ』) <48歳>4日前の自動車事故が元で死亡[1900年11月8日生]
1977年エルヴィス・プレスリー (米:ロック歌手) <42歳>[1935年1月8日生]
1996年沢村貞子[さわむら・さだこ] (女優,エッセイスト) <87歳>[1908年11月11日生]
2008年福岡 正信[ふくおか まさのぶ](自然農法の提唱者)<95歳>[1913年2月2日生]
2011年二葉あき子[ふたば・あきこ] (歌手) <96歳>[1915年2月2日生]
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戦争は政府にとっては政治であり勝敗であるのだろうが、家族や個人には人の生死でしかない。
国家を主語とした威勢のいい話は一時耳に心地よいかもしれないが、注意せねばならない。
近隣国への反感をあおる政治家の言葉はよく聞き分けねばならない。
戦争より外交である。
武力より対話である。
戦争が多くの人の命を奪うのなら、外交は多くの人の命を救うといってもいい。
何も理想を言っているわけではない。反戦は普通の人々の現実である。国家を平和へと向けさせるのは私たちの判断と意思である。
東京新聞15日付社説より一部抜粋引用しましたが、名言だと思いませんか\(^o^)/
[厚顔無恥の安倍首相]
昨日の終戦の日に今上天皇ご自身が今年もさきの大戦について「深い反省」の意を4年連続表明されたのに対し、安倍首相は歴代内閣総理大臣が触れてきたアジアでの植民地支配と侵略に深い反省と不戦の誓いの言葉をまたも述べませんでした。
これで第二次安倍内閣発足後6年連続です。
ここまで徹底した加害責任の無視と「不戦の誓い」を排除した式典挨拶などまったく意味をなさないでしょう。
今上天皇は加害責任を「深い反省」という表現を使いアジア諸国に謝罪の意を示しただけでなく、不戦への強い思いを述べられたことを、ただの思い込みで戦前の体制に戻したい野望を隠さない安倍首相はなんととらえているのでしょうか。
憲法一条は国民の統合の象徴である天皇と定めていますが、その天皇の平和への思いを真面目に考えたら安倍首相の薄っぺらな式辞などまったく意味がありません。
安倍晋三首相は式辞で「戦争の惨禍を決して繰り返さない」と述べたに過ぎず戦争をしないとは語っていないのです。
これは安保法制(戦争法)を意識したもので、普通に戦争する国へと日本を変貌させようというものにほかなりません。
安倍首相が述べた式辞は国民を不快にさせるだけでなく、ほんの一握りの改憲右翼団体日本会議や、韓国系右翼団体の旧統一教会などが喜ぶだけでしょう。
数々の悪法を強行採決で強引に成立させ、戦後日本のあり方を根底から否定しようとしている安倍自公政権への批判の声が日本列島全域に拡大されつつあり、内閣支持率も内閣を改造してもわずかに戻っただけで、与党内からも安倍首相では参議院選挙は戦えないという声も出始め、自民党古老も警告をする事態になってきています。
また安倍政権ならやりかねないと想像した通り、今上天皇さえ参拝しない東条英機ら戦争指導者であったA級戦犯が合祀されている靖国神社に、政教分離違反の玉ぐし料を安倍首相は自民党総裁名義で奉納し、閣僚参拝はゼロだったものの、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の国会議員多数と稲田朋美氏ら「伝統と創造の会」、小泉進次郎氏や萩生田光一幹事長代行が参拝を強行したことは靖国神社の性格上絶対に許されない行為です。
昨年より少数とはいえ約50人もの国会議員がA級先般が合祀されている靖国神社に参拝する暴挙に及んだことは戦後民主主義の本質にかかわることで、国民は座して眺めるだけではいけないことでしょう。
このような行為を毎年繰り返すことは、わざわざ諸外国の神経を逆なでするだけで、日本の国益を鑑みればあり得ない行為と非難されても仕方がありません。
こんな事態を常態化した安倍首相には恥を知れと言いたいですねムカチュク(`‐ω‐´)
たぶん恥という言葉は安倍首相の頭の中にはないのでしょうが・・・・・・・・
[伊吹山の自然]
伊吹山の名をいただいたイブキフウロ

ヤマホタルブクロ

昆虫のことはさっぱりです(。_゜)〃ドテッ!

[今日の音楽]
テレビドラマにもなった沖縄を舞台とした反戦歌
「さとうきび畑」歌唱]森山良子
[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
名駅高層ビル群

[歴史に残る名言]
<石川啄木の名言>
「とかくして家を出(い)づれば
日光のあたたかさあり
息ふかく吸ふ」
石川啄木[いしかわ・たくぼく](明治の歌人・詩人、1886~1912)『一握の砂』
[今日は何の日?]
<今日のトップニュース>
※終戦73年、不戦誓う 平成最後の戦没者追悼式
終戦から73年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、参列者たちは不戦の誓いを新たにした。平成最後の追悼式。戦前、戦中世代の高齢化が進む中、悲惨な戦争体験をどう継承するかが課題となる。来年4月30日の退位を控える天皇陛下は、お言葉に「長きにわたる平和な歳月に思い」との文言を加え「反省」という言葉も4年連続で使った。安倍晋三首相は式辞で「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」としながらアジア諸国への加害責任に触れなかった。
式典には、全国の遺族約5千人や衆参両院議長らが参列。戦没者遺族も高齢化が進んでいる。(共同)2018年8月15日【出典:中日新聞】
※広島に優勝マジック「32」 両リーグ通じて今季初点灯
セ・リーグは15日、首位広島が自力優勝の可能性が残っていた阪神を6―4で下し、球団初のリーグ3連覇を狙う広島に優勝へのマジックナンバーが「32」で両リーグを通じて今季初めて点灯した。
広島は残り42試合で阪神との9試合に全敗しても32勝すれば、阪神が残り46試合に全勝した場合でも勝率が上回る。(共同)2018年8月15日【出典:中日新聞】
<ちょっと前のトップニュース>
※全閣僚、靖国参拝せず 第2次安倍内閣以降で初
安倍晋三首相と全閣僚十九人は終戦から七十二年の十五日、東京・九段北の靖国神社への参拝を見送った。終戦記念日に首相と全閣僚が参拝を見合わせたのは、二〇一一年の菅内閣以来。一二年末の第二次安倍内閣発足後は初めて。首相は自民党総裁として私費で玉串料を奉納した。
首相と全閣僚が参拝を見送ったのは、緊迫する北朝鮮の核・ミサイル開発問題を踏まえ、中韓両国との連携に悪影響を与えかねない行動を避けたとみられる。九月に国交正常化四十五周年を迎える中国との関係改善を重視する姿勢を示す狙いもある。
首相の玉串料は、柴山昌彦・党総裁特別補佐が神社を訪れ、代わりに納めた。首相は一三年十二月に靖国神社を参拝したが、終戦記念日は同年から五年連続で同じ対応を取った。
柴山氏は、首相から「参拝に行けず申し訳ない。しっかりお参りしてほしい」と指示されたことを記者団に説明。「尊い犠牲を遂げられた御霊(みたま)に哀悼の誠をささげ、恒久平和への思いを新たにした」と語った。
一方、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久自民党参院議員)は同日午前、集団で参拝した。稲田朋美元防衛相ら自民党若手保守派グループ「伝統と創造の会」のメンバーも参った。
「国会議員の会」の参拝には、政府側から佐藤正久外務副大臣、奥野信亮総務副大臣らが参加。事務局によると、自民党を中心に衆参の六十三人が参拝した。このほか、自民党の萩生田光一幹事長代行、小泉進次郎筆頭副幹事長も参拝した。 (坂田奈央)
◆首相の玉串料に中国「断固反発」
【北京=秦淳哉】中国外務省の華春瑩(かしゅんえい)副報道局長は十五日の定例会見で、安倍晋三首相が靖国神社に私費で玉串料を奉納したことについて「靖国神社には侵略戦争の直接責任があるA級戦犯が奉られている」と指摘し「日本の間違ったやり方に断固反対する」と述べた。
華氏は、今年が盧溝橋事件や南京大虐殺から八十周年に当たると指摘。「日本が侵略の歴史を適切に実証し、真剣に反省するよう促す」と述べた。
国営新華社通信は同日、安倍首相が「日本が投降した当日に五年連続で靖国神社に祭祀(さいし)費を納めた」と報道。国会議員による靖国神社の参拝が、中国や韓国などアジア各国との緊張関係を生んでいるとも伝えた。
◆韓国「深い憂慮」
【ソウル=上野実輝彦】韓国外務省は十五日、安倍晋三首相が靖国神社に私費で玉串料を奉納したことなどに対し「深い憂慮を禁じ得ない」とする報道官の論評を公表した。
論評は、国会議員らの参拝も念頭に「日本政府や議会の責任ある指導者が、侵略戦争を美化する靖国神社を参拝したり玉串料を納めた」と非難し、「歴史を正しく直視し、過去に対する反省を行動で示さなければならない」と求めた。2017年8月16日【出典:東京新聞】
<もう少し前のトップニュース>
※歴史に向き合う願い反映
天皇陛下は全国戦没者追悼式でのお言葉で、昨年に続き「深い反省」との表現を使われた。基本的な構成は二〇一四年までの定型的なものに戻ったが、先の大戦で三百十万人の日本人が犠牲となり、周辺諸国に多大な被害を与えた歴史に真摯(しんし)に向き合い、決して忘れてはならないという陛下の強い願いがうかがえる。
生前退位の意向をにじませた「お気持ち」を公表した直後だけに内容に注目が集まっていた。「お気持ち」では、象徴の務めを果たす責任の重さを表現されており、今回のお言葉も象徴としての務めを意識した発言とみられる。
戦後七十年の節目だった昨年は「さきの大戦に対する深い反省」と述べ、反省がさきの大戦に対するものであることが明示されていた。今年は「さきの大戦に対する」という言葉はなくなったものの、その前に「過去を顧み」という言葉が昨年同様使われており、「深い反省」がさきの大戦に対するものであることは明らかだといえる。
陛下は今年一月、皇后さまとフィリピンを訪問した。出発前のあいさつで「マニラ市街戦」に触れ、日本による加害に言及。昨年十二月の誕生日会見では「年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」と語った。
神戸女学院大学の河西秀哉准教授(日本近現代史)は「『深い反省』という四文字に、日本の加害責任を含め過去を忘れてはいけないという陛下の思いを感じる。国民だけでなく、次世代の皇族にも自分の思いを共有してほしいと語り掛けているのではないか」と指摘した。(小松田健一)2016年8月15日【中日新聞】
※安保法、女性106人提訴 「違憲で精神的苦痛」
違憲な安全保障関連法が成立したことで精神的苦痛を受けたとして、16都道府県の女性106人が、国に1人当たり10万円の損害賠償を求める訴訟を15日、東京地裁に起こした。各地で起こしている集団訴訟の一環で、全国で9件目。
提訴後に記者会見した原告の関千枝子さん(84)は「戦時中、広島への原爆投下で、級友は皆死んでしまった。安保法によって戦後の平和が脅かされるのは許せない」と憤った。
訴状によると、集団的自衛権による武力行使などを許容する規定が憲法9条に違反しており、原告をテロや戦争の危険にさらしたとしている。(共同)2016年8月15日【中日新聞】
<かなり前のトップニュース>
※辺野古調査へブイ設置 防衛局、反対派進入を阻止
沖縄防衛局は十四日朝、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部の埋め立てに向け、海上にブイを設置し立ち入り禁止区域を明示する作業を始めた。辺野古移設反対派の船による進入を阻止する狙いとみられる。防衛局は近く同区域内で海底ボーリング調査に着手する。普天間代替施設の建設に向けた海上での準備作業が本格化した。
ただ、県外移設を求める地元世論は根強く、反対派は海上デモなどで抗議、防衛局側との衝突が懸念されている。名護市の稲嶺進市長は、ブイ設置開始に「激しい憤りを禁じ得ない」とのコメントを出した。
ブイは、辺野古沿岸部に七月に設定された臨時制限区域(約五六一・八ヘクタール)に沿って設置。防衛局は安全確保を理由としているが、制限区域は、日米地位協定に基づく日米合同委員会合意事案として設定。米軍や工事用船舶以外の航行が禁止されており、立ち入れば日米地位協定に伴う刑事特別法の処罰対象となる。
十四日はブイのほかフロートの設置を開始。防衛省関係者によると、ブイ設置は一週間以内に完了する見通し。設置完了前にボーリング調査に着手する可能性もあるが、反対派の抗議活動や天候次第では作業が順調に進むかどうかは不透明だ。防衛局は当初、七月中旬のボーリング調査着手を予定していた。
防衛局は二〇〇四年、辺野古沖合への移設計画でボーリング調査に着手したが反対派が漁船などを使って激しい抗議活動を展開、調査中止に追い込まれた。
反対派は十四日早朝から、抗議活動のため十数隻のカヌーや小型船を出したが、海上保安庁は辺野古沖に六隻の巡視船を展開、数十隻のボートで警備に当たり、混乱の発生防止に全力を挙げた。
県は七月十七日、ボーリング調査を了承すると防衛局に伝え、漁業者への事前説明や水産資源への配慮などに留意するよう要請した。ボーリング調査は海上に足場や台船を配置し二十一カ所で実施される。期限は十一月三十日。2014/8/14【中日新聞夕刊】
沖縄の住民の願いを蹂躙する暴挙に出た安倍政権は、ただただ米国の利益だけのためにやってはならないことを強行手段で押し通しつつあります。
米軍は当初から辺野古沖だけでなく内陸部まで基地の拡大を狙っていたことも明らかにされている時に、オール沖縄の声を無視してまで強行することは決して許されません。
しかもこの秋には沖縄知事選挙もあり、辺野古埋立承認が撤回されるとも十分あり得ることを承知の上で強硬姿勢を打ち出しているのでしょうか。
米国に魂を売り渡した安倍首相と仲井真現知事の責任は厳しく問われることになるでしょう。
<8月16日の記念日>
※月遅れ盆送り火
本来は旧暦7月16日であるが、明治の改暦後は、多くの地域で月遅れの8月16日に行われる。
お盆に帰ってきた先祖の霊を送り出す行事で、京都の五山送り火や長崎の精霊流しなどが有名である。
※プレスリー忌
1977年の今日、ロック界の巨星エルビス・プレスリーが心臓発作により死亡した。享年43歳。長いもみあげとブルーの瞳、セクシーな歌声で多くのファンを魅了し続けた彼のあまりに早い死に、当時のカーター大統領は「アメリカは自らの一部を失った」との声明を出している。
※女子大生の日
1913年のこの日、東北帝国大学(現在の東北大学)が女子受験生3人の合格を発表し、日本初の女子大生が誕生した。
<今日の誕生花>
タマリンド「花言葉:贅沢」 待宵草[まつよいぐさ]「花言葉:物言わぬ恋」


唐糸草[からいとそう]「花言葉:繊細」

<歴史上の出来事>
1155年源義朝の弟・義賢が義朝の長男の悪源太義平の襲撃を受けて殺害される。義賢の子・義仲は木曾に逃れる。(新暦9月14日)
1819年ピータールーの虐殺。議会改革運動支援の為に聖ピーター広場に集まった人々を英国政府が武力弾圧。死傷者400人以上。
1875年ワッパ騒動。酒田県(現 山形県庄内地方)で農民1万人が過納租税の返還を求める暴動。
1913年東北帝国大学(現在の東北大学)が女子受験生3人の合格を発表。日本初の女子大生。
1918年米騒動により第4回全国中等学校野球大会の中止が決定。
1920年米大リーグでレイ・チャップマンが頭に投球を受け死亡。大リーグ初の死亡事故。
1924年ロンドン賠償会議でドイツの第一次世界大戦の賠償金仕払いを緩和するドーズ案が採択。
1938年ナチの青年団・ヒトラーユーゲントの代表団が横浜港に到着。
1943年東京都が上野動物園に猛獣の処分を指令。翌日から薬殺を開始。
1943年聯合軍の爆撃でイタリア・ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会が崩潰。レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画『最後の晩餐』は奇跡的に残る。
1945年スターリンが北海道北部のソ連による占領を提案するが、トルーマン米大統領が拒否し、「日本は分割統治せず」と声明。
1946年第二次大戦で軍部とともに利益追求を派していた経済界が、何等の反省もしないまま経済団体連合会(経団連)が発足。
1946年元満洲国皇帝・溥儀が東京裁判にソ連の証人として出廷。ソ連に有利な証言をするが、後に自著でソ連に強要されたものだったと述べる。
1949年ロサンゼルスの北米水上選手権大会で古橋廣之進が1500m自由形で世界新記録。18・19日にも世界新記録を出す。
1951年旧陸海軍の将校11185人の公職追放を解除。
1960年地中海のキプロスがイギリスから独立。
1960年米空軍のジョゼフ・キッティンジャー大尉が気球による最高高度31300mからパラシュート降下し、乗物によらない人間の最高速度988km/hを記録。
1964年1949年の「松川事件」が真犯人不明のまま時効に。
1972年森永乳業が1955年のヒ素ミルク中毒事件の責任を認め恒久救済を受諾。
1979年高校野球3回戦・箕島高対星稜高の延長18回、3時間50分の試合。「高校野球史上最高の試合」と評される。
1980年韓国の崔圭夏大統領が辞任。
1980年静岡駅前地下街でガス漏れにより爆発。現場検証中に大爆発。14人死亡。
1992年高校野球で明徳義塾が星稜の松井秀喜選手に対し5打席連続敬遠。
2006年北方領土附近で根室の漁船がロシア国境警備隊の銃撃を受け、1人死亡。
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1888年トーマス・エドワード・ロレンス (英:軍人「アラビアのロレンス」)[1935年5月19日]
1929年ビル・エヴァンス (米:ジャズピアニスト)[1980年9月15日]
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1339年後醍醐天皇(尊治親王)[ごだいごてんのう(たかはるしんのう)] (天皇(96代)) <数え52歳>[1288年11月2日生]
1868年河井継之助[かわい・つぐのすけ(つぎのすけ)] (長岡藩家老) <41歳>[1827年1月1日生]
1929年津田梅子[つだ・うめこ] (教育者,津田英学塾創立) <64歳>[1864年12月8日生]
1948年ベーブ・ルース (米:野球) <53歳>[1895年2月6日生]
1949年マーガレット・ミッチェル (米:小説家『風と共に去りぬ』) <48歳>4日前の自動車事故が元で死亡[1900年11月8日生]
1977年エルヴィス・プレスリー (米:ロック歌手) <42歳>[1935年1月8日生]
1996年沢村貞子[さわむら・さだこ] (女優,エッセイスト) <87歳>[1908年11月11日生]
2008年福岡 正信[ふくおか まさのぶ](自然農法の提唱者)<95歳>[1913年2月2日生]
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[終戦の日]
本日8月15日は「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」です。
日本国憲法は、朝鮮半島の植民地化、満州事変を皮切りに日中戦争から始まった12年に及ぶ侵略戦争行為で、日本がおかした数々の過ちをただすともに、二度と戦争をしない恒久平和の国となることを決意し、そのためには一切の武力をもたない決意を条文に記しましたが、歴代自民党政権は解釈改憲という卑劣な方法で事実上の軍事力を保持しつづけています。
国際社会からも高く評価されている憲法九条は決して時代遅れではなく、最も先進的であり国際政治をリードできる唯一の羅針盤ともいえる日本国民が誇るべき条文です。
安倍晋三首相は、自らの野望のために国民の過半数以上が反対もしくは慎重に議論すべきだとしているものを、一内閣による閣議決定という法的な根拠もない、かつ憲法に真っ向から挑戦する暴挙に出て、憲法に違反する集団的自衛権の行使容認を閣議決定してしまいました。
また、自衛隊が海外で米軍と一体となって戦争ができるようにするため、事実上の「戦争法」を数の力で強行採決しましたが、国民の各界各層の圧倒的多数が共同し、「戦争法阻止」「アベ政治を許さない」の一点でつながり、与党である公明党の支持母体の創価学会員や創価大学教員有志までが反対声明を発表するなど、確実に安倍政権を追い詰めています。
安倍首相は、それでも不足として日本国憲法そのものを改悪する野望をむき出しにしています。
自民党古老でさえ暴挙だと批判の声が出るほどの暴走ぶりは目に余るものがあり、もはや亡国首相と言ってもいいでしょう。
戦後73年間一人の外国軍兵士を殺したこともなく、また自衛隊員が戦争に巻き込まれて殺されたことがないということは、憲法九条が歯止めになっていたからこそです。
これをなし崩し的に変更することは国民を冒涜するものであり、憲法に反する行為は立憲主義を破壊するものにほかなりません。
ましてや、日本会議が主張している憲法九章に自衛隊の存在を明記するなどありえないことで、これこそ憲法九条二項を事実上骨抜きにするものであり断じて認められません。
安倍政権が画策している平和を脅かすいかなる手法も、ならぬものはならぬのです!!
さらに付け加えると、若手国際政治学者としてマスメディアでちやほやされている極右三浦瑠麗(みうらるり)などが主張する「国家総動員体制になる1943年以前はまだよかった、全否定には無理がある」などの歴史を偽造した歴史修正主義などは絶対に認められないことです。
ウソとごまかしを平気で語っている極右の学者と名乗る連中はもう少し歴史を学びなすべきで、マスメディアがこういう連中を徴用することはまさにマスメディアの自殺行為そのものでしょう。
日本がおかしくなったのは国家総動員体制囲碁だというおかしな主張は、日本軍国主義が国際社会から厳しい批判の嵐に遭うようになったのは、日本が常任理事国であった1933年に国際連盟から脱退したときを境にしたもので、当時すでに旧日本軍は中国北部満州に侵略し、謀略で満州事変を引き起こしていたことを無視した暴論に過ぎません。
明治時代からの富国強兵政治ならびに戦前の暗黒時代を完全に否定してこそ、戦後日本の民主主義の土台ができたのであり、現代社会でも民主主義が決して成熟してはいないと見ることこそ国際政治を語る資格があるのです。
国際政治学者(これでも東大出)の肩書が泣くあまりに近現代史に無知な人物は桜井よしこと大して変わらないでしょう。
[第二次世界大戦特集]
※特攻の真実=自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言
太平洋戦争末期、極限状況で死と向き合った兄弟が侵略戦争を美化する者への怒りの告発をした記述の最終章をとりあげ、戦争の悲惨さを二度と繰り返さないことと、特攻に追いやられた学徒兵たちの心の叫びをここに記します。
特攻の真実をあえて記した学徒兵兄弟が、著書を出版する契機となったのは、小林よしのり「新ゴーマニズム宣言 戦争論」が「個を超える勇気と誇り」と特攻を美化し、そのマンガ本が広い青年層に読まれていることを知ったことにはじまっています。
もう一つは「新しい歴史教科書」が特攻隊員の遺書を掲載して、特攻容認の記述をおこなったことを黙認できなかったと記しています。
幸か不幸か特攻で兄弟とも生き残り、彼らが特攻体験を通じてできあがった戦争拒否への信念が、現在の危険な風潮に危機感を覚え、あえて特攻の真実を読者に提供したことは想像にかたくないと考えられます。
彼らはかつて戦友だった特攻隊員の死を悼みつつ、沖縄特攻に向かっていた戦艦大和の青年士官たちに焦点を当て、兵学校出身士官と学徒出身の予備士官の間には、特攻における死と日本の敗北の受け止め方の違いで乱闘まで発展した事実を明らかにしています。
これを鎮めたのはケプガン(青年士官の居室であるガンルームのキャプテン)白淵大尉で、彼が述べた言葉が特攻の死生観論争の混迷を断ち切ったと著者は記しています。
白淵の言葉は以下の通り。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩といふことを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだはって、真の進歩を忘れてゐた。敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救はれるか。今目覚めずしていつ救はれるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先がけて散る、まさに本望じゃないか。」
すぐれた知性をもった若者たちをここまで追いやったものが、「祖国」「天皇制」「教育」「私的な潔癖」だったことが明らかだとし、巷間言われるような特攻死の美化ではなく、彼らが自らの命を犠牲にして特攻に行かざるを得ない状況に追い込まれたことを明らかにしています。
特攻に選抜された前途のある若者たちが、国家のために決して喜んで散って行ったわけではなく、死と生の狭間を悩み続けていたことを自らの体験から導き出した結論は、時代がどれだけ経過しても若者が無駄死にさせられたという悔恨の念が経ちきれないものだと推察されます。
9.11朝のニューヨーク貿易センタービルに飛行機が突入した場面が、特攻と重なり戦慄を覚えた人もあるでしょう。
あの光景こそ特攻そのものではないかと感じます。
自らの利権を得ようと他国へ侵略した戦争には、どんな理由をつけようともそこには正義はありません。
軍部の暴走という言葉に逃げることも自己を正当化するものであり、ましてや玉音で放送された「大東亜の解放」などというのは手前もその思い上がりであり論外です。
無駄死にさせられた若者たちの魂を安らかにするのは、戦病死意外に極東軍事裁判で死刑に処せられたA級戦犯が合祀された靖国神社ではなく、現代に生きる私たちが二度とあのような戦争を国家の名で起こさせないことだと考えます。
A級戦犯の処刑について戦勝国が勝手に裁いたと主張している親米右翼の人々の発想は、日本国民自らの手で徹底的に戦争指導者を裁かなかったことを忘れ、無謀な戦争で我が国の国民320万人もの犠牲者を出したことを反省すらせず合理化しているのにほかなりません。
同じ敗戦国であるドイツは現代になっても過去に犯したナチ党員としての罪を追及しつづけ、つい最近も戦争犯罪者を裁判にかけ終身刑を課しています。
それと比較すると日本の対応はあまりにも姑息であり、先日NHKが珍しく圧力に屈しないで報道した、史上最悪と言ってもいい残虐行為を働いた731部隊の本質と彼らがその後、石井四郎軍医中将を筆頭に戦争犯罪から逃れるために米国に対し人体実験結果資料を渡してまで戦犯逃れをしただけでなく、平然と出身大学のエリートとして影響力を行使していた事実を報道したことや、岸信介をはじめA級戦犯容疑者がぬくぬくと戦後も生き抜いただけでなく、日本の戦後民主主義と正面から敵対する政治勢力を率いている子や孫に戦争責任を否定できるよう工作し続けていることを私たち国民は忘れてはいけないでしょう。
参考文献:「特攻」岩井忠正・岩井忠熊共著
[伊吹山の高山植物]
コオニユリの蕾

霧が一瞬はれたときのカワラナデシコ。
少しだけ上手く撮れたかな``r(^^;)ポリポリ

[今日の音楽]
説明は省略しますね。
[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
<野良ちゃんガンバリヤー>

[歴史に残る名言]
<石川啄木の名言>
「何がなしに
息きれるまで駆け出してみたくなりたり
草原(くさはら)などを」
石川啄木[いしかわ・たくぼく](明治の歌人・詩人、1886~1912)『一握の砂』
[今日は何の日?]
<今日のトップニュース>
※終戦73年、不戦誓う 平成最後の戦没者追悼式
終戦から73年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、遺族らは不戦の誓いを新たにする。平成最後の追悼式。戦前、戦中世代の高齢化が進む中、悲惨な戦争体験をどう継承するかが課題となる。来年4月30日の退位を控える天皇陛下や安倍晋三首相も参列。
戦没者遺族も高齢化が進み、今年の参列予定者のうち8割近くを70代以上が占める。参列を予定する戦没者の妻も13人と減少傾向にあり、記憶の風化が懸念される。
即位から皇后さまと参列を続けてきた天皇陛下にとっては、最後の追悼式となる。(共同)2018年8月15日【出典:東京新聞】
<ちょっと前のトップニュース>
※<語り継ぐ 戦後72年>戦前回帰、黙ってられない 元特攻隊、90代の兄弟
「沈黙は中立ではなく、権力者への従属だ」
太平洋戦争末期、特別攻撃隊(特攻隊)に志願し、命を散らした若者たちがいた。岩井忠正さん(97)=東京都武蔵野市、忠熊さん(94)=大津市=の兄弟も、その一員として一度は生きることをあきらめた。「終戦を迎えられたのは、ただの巡り合わせ」。戦後72年。再び感じるあの時代のにおいに、警告する。「沈黙してはいけない」
一枚の白黒写真がある。立ち姿で、軍服に身を包むのは弟の忠熊さん。京都帝大一年だった一九四三(昭和十八)年秋、学徒出陣で徴兵された。
先祖が眠る山形県米沢市へ墓参りに向かう列車で、同時に入隊が決まった慶応大二年の兄忠正さんの言葉を覚えている。「俺が死ぬのは、カイザー(皇帝=天皇)のためじゃないぞ」。国策に反する言論を封じられた時代。周囲に悟られぬよう、兄はドイツ語で話し掛けた。命を懸けるのは、愛する家族や友人を守るため。「俺もだ」。兄弟だけでも本音を共有したかった。
海軍の別々の学校に移ったが、四四年十一月に長崎県川棚町の訓練所で偶然再会した。「どうせ死ぬなら潔く一発で」。同じ思いから特攻に志願していた。近くの写真館で二人の「遺影」を撮り、中国・大連の両親に送った。
忠熊さんは「震洋(しんよう)」の搭乗員になった。ベニヤ板の粗末なボートに爆薬を積み、敵に体当たりする。出撃で石垣島へ向かう洋上、輸送船が米潜水艦の魚雷攻撃に遭った。自身は救出されたが、一緒だった搭乗員百八十六人のうち百四十二人が命を落とした。
忠正さんは「伏龍(ふくりゅう)」部隊に。機雷の付いた棒で敵艦の船底を突いて自爆する。だが、渡された潜水服は「とんでもなく愚かな代物だった」。背中の呼吸装置の重みで顔が上がらず、頭上の敵艦の位置すら確認できない。装置から劇物が漏れる事故死が相次ぎ、自身も訓練中に気絶して死にかけた。
結局、兄弟は出撃を待たずに終戦を迎えたが、長く特攻での体験を語らずにいた。命を粗末にする「思い出したくない愚行」(忠熊さん)に思えたからだ。ただ、九〇年代に入ったころから、この国が戦争の恐ろしさを忘れ始めた気がして講演を引き受けるようになった。忠熊さんは「今はドイツ語なんて使わない。堂々と『二度と戦争するな』と叫びたい」と訴える。
治安維持法の復活とも指摘される「共謀罪」法が施行されたこの夏、忠正さんは「戦後で一番『あの時代』に近づいている」と感じる。「七十二年前、私たちは戦争に表立って反対することをあきらめてしまった。沈黙は中立ではなく、権力者への従属だ。私たちみたいになるな」(中野祐紀)
<特攻隊> 爆弾を装着した航空機や船舶などで敵に体当たりするために編成された部隊。戦況が悪化した太平洋戦争末期、米軍への対抗策として日本の陸海軍が組織した。海軍の「神風特攻隊」の名が知られる。特攻による死者数は諸説あるが、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」(東京)によると、陸軍が2244人、海軍が4174人に上る。2017年8月14日【出典:中日新聞】
※終戦の日、首相式辞の文言に注目 情勢緊迫の中、問われる平和
終戦から72年となる15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれる。天皇、皇后両陛下や安倍晋三首相、約5200人の戦没者遺族らが参列し、先の大戦で犠牲になった約310万人を悼む。
北朝鮮が米領グアム沖へのミサイル発射検討を表明し、トランプ米大統領が軍事報復を示唆するなど情勢は緊迫。平和の在り方が問われる中での追悼式となる。
安倍首相は昨年までの追悼式で、歴代首相が触れてきたアジア諸国への加害と反省に言及しなかった。「不戦の誓い」との言葉も使わず、近隣諸国の反発を招いた経緯もあり、今年の式辞の内容が注目される。(共同)2017年8月14日【出典:東京新聞】
<もう少し前のトップニュース>
※<戦後71年 夏> 海外での戦闘、宣誓してない
◆安保関連法で岐路
自衛隊員は入隊時に「服務の宣誓」をする。「我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を順守し(中略)国民の負託にこたえることを誓います」。解釈改憲で集団的自衛権の行使が可能となり、安全保障関連法が3月に施行された。「守る」と誓った憲法の根幹が変わり、自衛隊もまた、岐路に立つ。
◆自衛隊員らに強い危機感
「だまされたと思った」。元自衛官の池田頼将さん(44)=名古屋市熱田区=が振り返る。イラク特措法でクウェートへ派遣中の二〇〇六年、米国の民間軍事会社の車両にはねられて大けがを負い、今も後遺症に悩まされる身だ。
派遣先の現実は、小泉純一郎首相(当時)が派遣の条件として語った「非戦闘地域」からは程遠かった。到着直後のバス移動では「隊員が乗っていると分かれば自爆攻撃をされる。カーテンを開けるな」と言われ、基地周辺にはイラク軍の侵攻時に敷設されたとみられる地雷が残っていた。
宣誓時に池田さんが想像した「国民の負託にこたえる」とは、災害支援を中心とした任務だ。海外の「歩くのも怖い場所」で活動するために宣誓したつもりはない。
元自衛官の水上学さん(42)=同区=も「所属し続けていたら、自分も海外に派遣されたかもしれない」と思う。
一九九二年から十年間所属した航空自衛隊で、輸送計画づくりや大型車の運転などに携わった。安保法に基づいて海外に派遣されれば、他国部隊や武器弾薬を運ぶ計画立案や、車両の運転に関わることになりかねない。「宣誓した時、隊員は海外で戦闘に巻き込まれることまでを受け入れたわけではない。安保法は契約違反です」
実際、現役隊員からも声が上がった。安保法に基づく防衛出動は違憲として今年三月、国を相手取り東京地裁に提訴した。原告の隊員は「入隊時に、集団的自衛権の行使となる命令に従うことには同意していない」と主張する。
池田さんを支援する秋田光治弁護士(67)は「現場から声が上がるのは、なかなかない。現役隊員にも危機感が出てきているのでは」と話す。
隊員家族の胸中も揺れる。岐阜基地に勤務経験がある空自隊員の妻は「自衛官だから命を危険にさらすのは仕方がないと納得する面と、本当に死んだらどうしようという心配が半々」。
隊員や家族の電話相談窓口を設けた北海道合同法律事務所の佐藤博文弁護士(62)は「上官から『弁護士に相談するな』『親が相談すれば昇進に影響する』と言われ、隊員らが外と遮断された状況になっている」。派遣で増えるリスクを正面から議論して、隊員や家族の不安に応える必要性を強調する。
戦後七十一年。平和国家の安保政策を大転換させた安倍政権は、自衛隊員のリスクを十分に語ることなく、本格的な改憲へ向けて走りだそうとしている。 (竹田佳彦)2016年8月15日【中日新聞】
<8月15日の記念日>
※終戦記念日,敗戦記念日,全国戦没者追悼式
1945年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。これにより第二次世界大戦が終結した。
1982年4月の閣議決定により「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」となった。
1963年から毎年、政府主催による「全国戦没者追悼式」が行われ、正午から1分間、黙祷が捧げられる。
※月遅れ盆
本来は旧暦7月15日であるが、明治の改暦後は、多くの地域で月遅れの8月15日に行われる。
※刺身の日
1448(文安5)年、刺身が初めて文書に登場した。
室町時代後期の書記官・中原康冨の文安5年のこの日の日記に「鯛なら鯛とわかるやうにその魚のひれを刺しておくので刺し身、つまり「さしみなます」の名の起り」とあり、これが初めて文書に登場する刺身に関する記録とされている。
※聖母マリア被昇天祭
キリスト教の聖名祝日。
聖母マリアはイエスの死の後、使徒ヨハネの保護のもとに余生を送り、使徒たちに見守られながら亡くなった。遺体は使徒たちによって葬られたが、3日後使徒たちが棺を開いてみると遺体を包んだ布だけが残されており、使徒たちは聖母が天に昇ったことを信じたと言う。
※素堂忌
俳人・山口素堂[やまぐちそどう]の1716年の忌日。
<今日の誕生花>
向日葵[ひまわり]「花言葉:光輝、偽りの富」モントブレチア(姫檜扇水仙)「花言葉:謙譲の美」

<歴史上の出来事>
1057年ランファナンの戦いでスコットランド王マクベスが戦死。
1248年ケルン大聖堂が起工。完成まで600年。
1336年北朝の光明天皇が即位。再び南北朝分離へ。(新暦9月20日)
1543年フランシスコ・ザビエルらがパリでイエズス会を発足。
1567年織田信長が斎藤龍興の居城だった稲葉山城に移り岐阜城と改称。初めて「岐阜」の名が登場。(新暦9月17日)
1723年江戸幕府が江戸市中に火の見櫓の設置令を発布。(新暦9月14日)
1808年フェートン号事件。英軍艦フェートン号が長崎湾内に侵入し食料などを強要して退去。長崎奉行が引責自決。(新暦10月4日)
1869年明治政府が蝦夷地を「北海道」と改称する布告。(新暦9月20日)
1901年與謝野晶子の第一歌集『みだれ髪』が発刊。
1914年太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河が開通。
1919年九州で暴風雨。海軍輸送船「志自岐丸」が種子島平山沖で沈没し111人死亡。
1929年嘆きの壁事件。シオニストの青年たちが嘆きの壁の前でイスラエル国歌を歌ったことによりイスラム教徒の感情を刺戟し、ユダヤ教徒とイスラム教徒が衝突。パレスチナ全土に拡大。
1940年立憲民政党が解党。
1945年皇居占拠事件。前日深夜、陸軍軍務局員の畑中健二少佐らが終戦阻止の為に近衛師団を動かし皇居と東京放送局を占拠。早朝鎮圧される。
1945年早朝、陸軍横浜警備隊長・佐々木武雄大尉が終戦阻止の為に横浜高工の学生らを率いて首相公邸・首相私邸・内大臣邸などを襲撃。
1945年正午、昭和天皇の「戦争終結の詔書」の放送(玉音放送)。
1945年鈴木貫太郎内閣が総辞職。
1946年第28回全国中等学校優勝野球大会開幕。戦時中中止されていた中等学校野球大会(後の高校野球)が再開。
1947年前日のパキスタンに続いてインドがイギリスから独立。
1947年GHQと政府の強力な監督の下で民間貿易が再開。
1948年大韓民国が成立。
1958年日教組が勤務評定に反対して全国スト。
1963年政府主催の第1回全国戦歿者追悼式を挙行。
1965年高田光政が日本人として初めてアイガー北壁に登頂成功。
1969年アメリカ・ニューヨーク州で、3日間にわたる大規模な野外ロックコンサート・ウッドストック・フェスティバルが開幕。
1971年アメリカが金とドルの交換停止などドル防衛策を発表。翌日からダウ平均が暴落しドル売りが殺到(ニクソンショック)。
1974年津川雅彦・朝丘雪路夫妻の生後5か月の長女・真由子が誘拐。翌日、犯人を逮捕し、人質を保護。
1974年朴正煕韓国大統領が狙撃され、大統領夫人が死亡。
1975年バングラデシュで軍事クーデター。ムジブル・ラフマン大統領が暗殺。
1975年三木武夫首相が私人として靖国神社に参拝。在任中の首相の終戦の日の参拝は戦後初。
1977年『愛のコリーダ』の著者・大島渚らがわいせつ文書図画販売で起訴。1979年に無罪判決。
1977年地球外知的生命体探査(CETI)で、オハイオ州立大の電波望遠鏡が特徴的な信号「Wow!シグナル」を受信。
1985年中曽根康弘首相ら閣僚17人が靖国神社を公式参拝。
1986年新自由クラブが解散。
1995年村山富市首相が、第二次大戦における日本の植民地支配と侵略を反省し謝罪する「村山談話」を発表。
2006年小泉純一郎首相が、総裁選での公約通り終戦の日に靖国神社に参拝。
2007年ペルー沖でM8.0の地震。死者510人。
2013年ドッコイセ福知山花火大会屋台爆発事故が発生
2017年翌16日にかけて台湾全土で600万戸を超える規模の大停電が発生。大潭発電所の停止によるもの
<著名人の誕生日>
1769年ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト) (仏:皇帝(第1帝政),軍人)[1821年5月5日]
1925年オスカー・ピーターソン (カナダ:ジャズピアニスト)[2007年12月23日]
1944年シルヴィ・ヴァルタン (仏:歌手)
1967年2代目市川猿弥[いちかわ・えんや2] (歌舞伎役者)
1972年ベン・アフレック (米:俳優)
1975年川口能活[かわぐち・よしかつ] (サッカー(GK))
<著名人の忌日>
1519年北條早雲(伊勢盛時)[ほうじょう・そううん] (武将,後北條氏の祖) <数え88歳>[1432年生]
1716年山口素堂[やまぐち・そどう] (俳人) <数え75歳>[1642年5月5日生]
1860年徳川齊昭(烈公)[とくがわ・なりあきら] (水戸藩主(9代),徳川慶喜の実父) <数え61歳>[1800年3月11日生]
1996年丸山眞男[まるやま・まさお] (政治学者,思想史家) <82歳>[1914年3月22日生]
2009年松林宗恵[まつばやし・しゅうえ] (映画監督) <89歳>[1920年7月7日生]
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本日8月15日は「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」です。
日本国憲法は、朝鮮半島の植民地化、満州事変を皮切りに日中戦争から始まった12年に及ぶ侵略戦争行為で、日本がおかした数々の過ちをただすともに、二度と戦争をしない恒久平和の国となることを決意し、そのためには一切の武力をもたない決意を条文に記しましたが、歴代自民党政権は解釈改憲という卑劣な方法で事実上の軍事力を保持しつづけています。
国際社会からも高く評価されている憲法九条は決して時代遅れではなく、最も先進的であり国際政治をリードできる唯一の羅針盤ともいえる日本国民が誇るべき条文です。
安倍晋三首相は、自らの野望のために国民の過半数以上が反対もしくは慎重に議論すべきだとしているものを、一内閣による閣議決定という法的な根拠もない、かつ憲法に真っ向から挑戦する暴挙に出て、憲法に違反する集団的自衛権の行使容認を閣議決定してしまいました。
また、自衛隊が海外で米軍と一体となって戦争ができるようにするため、事実上の「戦争法」を数の力で強行採決しましたが、国民の各界各層の圧倒的多数が共同し、「戦争法阻止」「アベ政治を許さない」の一点でつながり、与党である公明党の支持母体の創価学会員や創価大学教員有志までが反対声明を発表するなど、確実に安倍政権を追い詰めています。
安倍首相は、それでも不足として日本国憲法そのものを改悪する野望をむき出しにしています。
自民党古老でさえ暴挙だと批判の声が出るほどの暴走ぶりは目に余るものがあり、もはや亡国首相と言ってもいいでしょう。
戦後73年間一人の外国軍兵士を殺したこともなく、また自衛隊員が戦争に巻き込まれて殺されたことがないということは、憲法九条が歯止めになっていたからこそです。
これをなし崩し的に変更することは国民を冒涜するものであり、憲法に反する行為は立憲主義を破壊するものにほかなりません。
ましてや、日本会議が主張している憲法九章に自衛隊の存在を明記するなどありえないことで、これこそ憲法九条二項を事実上骨抜きにするものであり断じて認められません。
安倍政権が画策している平和を脅かすいかなる手法も、ならぬものはならぬのです!!
さらに付け加えると、若手国際政治学者としてマスメディアでちやほやされている極右三浦瑠麗(みうらるり)などが主張する「国家総動員体制になる1943年以前はまだよかった、全否定には無理がある」などの歴史を偽造した歴史修正主義などは絶対に認められないことです。
ウソとごまかしを平気で語っている極右の学者と名乗る連中はもう少し歴史を学びなすべきで、マスメディアがこういう連中を徴用することはまさにマスメディアの自殺行為そのものでしょう。
日本がおかしくなったのは国家総動員体制囲碁だというおかしな主張は、日本軍国主義が国際社会から厳しい批判の嵐に遭うようになったのは、日本が常任理事国であった1933年に国際連盟から脱退したときを境にしたもので、当時すでに旧日本軍は中国北部満州に侵略し、謀略で満州事変を引き起こしていたことを無視した暴論に過ぎません。
明治時代からの富国強兵政治ならびに戦前の暗黒時代を完全に否定してこそ、戦後日本の民主主義の土台ができたのであり、現代社会でも民主主義が決して成熟してはいないと見ることこそ国際政治を語る資格があるのです。
国際政治学者(これでも東大出)の肩書が泣くあまりに近現代史に無知な人物は桜井よしこと大して変わらないでしょう。
[第二次世界大戦特集]
※特攻の真実=自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言
太平洋戦争末期、極限状況で死と向き合った兄弟が侵略戦争を美化する者への怒りの告発をした記述の最終章をとりあげ、戦争の悲惨さを二度と繰り返さないことと、特攻に追いやられた学徒兵たちの心の叫びをここに記します。
特攻の真実をあえて記した学徒兵兄弟が、著書を出版する契機となったのは、小林よしのり「新ゴーマニズム宣言 戦争論」が「個を超える勇気と誇り」と特攻を美化し、そのマンガ本が広い青年層に読まれていることを知ったことにはじまっています。
もう一つは「新しい歴史教科書」が特攻隊員の遺書を掲載して、特攻容認の記述をおこなったことを黙認できなかったと記しています。
幸か不幸か特攻で兄弟とも生き残り、彼らが特攻体験を通じてできあがった戦争拒否への信念が、現在の危険な風潮に危機感を覚え、あえて特攻の真実を読者に提供したことは想像にかたくないと考えられます。
彼らはかつて戦友だった特攻隊員の死を悼みつつ、沖縄特攻に向かっていた戦艦大和の青年士官たちに焦点を当て、兵学校出身士官と学徒出身の予備士官の間には、特攻における死と日本の敗北の受け止め方の違いで乱闘まで発展した事実を明らかにしています。
これを鎮めたのはケプガン(青年士官の居室であるガンルームのキャプテン)白淵大尉で、彼が述べた言葉が特攻の死生観論争の混迷を断ち切ったと著者は記しています。
白淵の言葉は以下の通り。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩といふことを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだはって、真の進歩を忘れてゐた。敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救はれるか。今目覚めずしていつ救はれるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先がけて散る、まさに本望じゃないか。」
すぐれた知性をもった若者たちをここまで追いやったものが、「祖国」「天皇制」「教育」「私的な潔癖」だったことが明らかだとし、巷間言われるような特攻死の美化ではなく、彼らが自らの命を犠牲にして特攻に行かざるを得ない状況に追い込まれたことを明らかにしています。
特攻に選抜された前途のある若者たちが、国家のために決して喜んで散って行ったわけではなく、死と生の狭間を悩み続けていたことを自らの体験から導き出した結論は、時代がどれだけ経過しても若者が無駄死にさせられたという悔恨の念が経ちきれないものだと推察されます。
9.11朝のニューヨーク貿易センタービルに飛行機が突入した場面が、特攻と重なり戦慄を覚えた人もあるでしょう。
あの光景こそ特攻そのものではないかと感じます。
自らの利権を得ようと他国へ侵略した戦争には、どんな理由をつけようともそこには正義はありません。
軍部の暴走という言葉に逃げることも自己を正当化するものであり、ましてや玉音で放送された「大東亜の解放」などというのは手前もその思い上がりであり論外です。
無駄死にさせられた若者たちの魂を安らかにするのは、戦病死意外に極東軍事裁判で死刑に処せられたA級戦犯が合祀された靖国神社ではなく、現代に生きる私たちが二度とあのような戦争を国家の名で起こさせないことだと考えます。
A級戦犯の処刑について戦勝国が勝手に裁いたと主張している親米右翼の人々の発想は、日本国民自らの手で徹底的に戦争指導者を裁かなかったことを忘れ、無謀な戦争で我が国の国民320万人もの犠牲者を出したことを反省すらせず合理化しているのにほかなりません。
同じ敗戦国であるドイツは現代になっても過去に犯したナチ党員としての罪を追及しつづけ、つい最近も戦争犯罪者を裁判にかけ終身刑を課しています。
それと比較すると日本の対応はあまりにも姑息であり、先日NHKが珍しく圧力に屈しないで報道した、史上最悪と言ってもいい残虐行為を働いた731部隊の本質と彼らがその後、石井四郎軍医中将を筆頭に戦争犯罪から逃れるために米国に対し人体実験結果資料を渡してまで戦犯逃れをしただけでなく、平然と出身大学のエリートとして影響力を行使していた事実を報道したことや、岸信介をはじめA級戦犯容疑者がぬくぬくと戦後も生き抜いただけでなく、日本の戦後民主主義と正面から敵対する政治勢力を率いている子や孫に戦争責任を否定できるよう工作し続けていることを私たち国民は忘れてはいけないでしょう。
参考文献:「特攻」岩井忠正・岩井忠熊共著
[伊吹山の高山植物]
コオニユリの蕾

霧が一瞬はれたときのカワラナデシコ。
少しだけ上手く撮れたかな``r(^^;)ポリポリ

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説明は省略しますね。
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[歴史に残る名言]
<石川啄木の名言>
「何がなしに
息きれるまで駆け出してみたくなりたり
草原(くさはら)などを」
石川啄木[いしかわ・たくぼく](明治の歌人・詩人、1886~1912)『一握の砂』
[今日は何の日?]
<今日のトップニュース>
※終戦73年、不戦誓う 平成最後の戦没者追悼式
終戦から73年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、遺族らは不戦の誓いを新たにする。平成最後の追悼式。戦前、戦中世代の高齢化が進む中、悲惨な戦争体験をどう継承するかが課題となる。来年4月30日の退位を控える天皇陛下や安倍晋三首相も参列。
戦没者遺族も高齢化が進み、今年の参列予定者のうち8割近くを70代以上が占める。参列を予定する戦没者の妻も13人と減少傾向にあり、記憶の風化が懸念される。
即位から皇后さまと参列を続けてきた天皇陛下にとっては、最後の追悼式となる。(共同)2018年8月15日【出典:東京新聞】
<ちょっと前のトップニュース>
※<語り継ぐ 戦後72年>戦前回帰、黙ってられない 元特攻隊、90代の兄弟
「沈黙は中立ではなく、権力者への従属だ」
太平洋戦争末期、特別攻撃隊(特攻隊)に志願し、命を散らした若者たちがいた。岩井忠正さん(97)=東京都武蔵野市、忠熊さん(94)=大津市=の兄弟も、その一員として一度は生きることをあきらめた。「終戦を迎えられたのは、ただの巡り合わせ」。戦後72年。再び感じるあの時代のにおいに、警告する。「沈黙してはいけない」
一枚の白黒写真がある。立ち姿で、軍服に身を包むのは弟の忠熊さん。京都帝大一年だった一九四三(昭和十八)年秋、学徒出陣で徴兵された。
先祖が眠る山形県米沢市へ墓参りに向かう列車で、同時に入隊が決まった慶応大二年の兄忠正さんの言葉を覚えている。「俺が死ぬのは、カイザー(皇帝=天皇)のためじゃないぞ」。国策に反する言論を封じられた時代。周囲に悟られぬよう、兄はドイツ語で話し掛けた。命を懸けるのは、愛する家族や友人を守るため。「俺もだ」。兄弟だけでも本音を共有したかった。
海軍の別々の学校に移ったが、四四年十一月に長崎県川棚町の訓練所で偶然再会した。「どうせ死ぬなら潔く一発で」。同じ思いから特攻に志願していた。近くの写真館で二人の「遺影」を撮り、中国・大連の両親に送った。
忠熊さんは「震洋(しんよう)」の搭乗員になった。ベニヤ板の粗末なボートに爆薬を積み、敵に体当たりする。出撃で石垣島へ向かう洋上、輸送船が米潜水艦の魚雷攻撃に遭った。自身は救出されたが、一緒だった搭乗員百八十六人のうち百四十二人が命を落とした。
忠正さんは「伏龍(ふくりゅう)」部隊に。機雷の付いた棒で敵艦の船底を突いて自爆する。だが、渡された潜水服は「とんでもなく愚かな代物だった」。背中の呼吸装置の重みで顔が上がらず、頭上の敵艦の位置すら確認できない。装置から劇物が漏れる事故死が相次ぎ、自身も訓練中に気絶して死にかけた。
結局、兄弟は出撃を待たずに終戦を迎えたが、長く特攻での体験を語らずにいた。命を粗末にする「思い出したくない愚行」(忠熊さん)に思えたからだ。ただ、九〇年代に入ったころから、この国が戦争の恐ろしさを忘れ始めた気がして講演を引き受けるようになった。忠熊さんは「今はドイツ語なんて使わない。堂々と『二度と戦争するな』と叫びたい」と訴える。
治安維持法の復活とも指摘される「共謀罪」法が施行されたこの夏、忠正さんは「戦後で一番『あの時代』に近づいている」と感じる。「七十二年前、私たちは戦争に表立って反対することをあきらめてしまった。沈黙は中立ではなく、権力者への従属だ。私たちみたいになるな」(中野祐紀)
<特攻隊> 爆弾を装着した航空機や船舶などで敵に体当たりするために編成された部隊。戦況が悪化した太平洋戦争末期、米軍への対抗策として日本の陸海軍が組織した。海軍の「神風特攻隊」の名が知られる。特攻による死者数は諸説あるが、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」(東京)によると、陸軍が2244人、海軍が4174人に上る。2017年8月14日【出典:中日新聞】
※終戦の日、首相式辞の文言に注目 情勢緊迫の中、問われる平和
終戦から72年となる15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれる。天皇、皇后両陛下や安倍晋三首相、約5200人の戦没者遺族らが参列し、先の大戦で犠牲になった約310万人を悼む。
北朝鮮が米領グアム沖へのミサイル発射検討を表明し、トランプ米大統領が軍事報復を示唆するなど情勢は緊迫。平和の在り方が問われる中での追悼式となる。
安倍首相は昨年までの追悼式で、歴代首相が触れてきたアジア諸国への加害と反省に言及しなかった。「不戦の誓い」との言葉も使わず、近隣諸国の反発を招いた経緯もあり、今年の式辞の内容が注目される。(共同)2017年8月14日【出典:東京新聞】
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※<戦後71年 夏> 海外での戦闘、宣誓してない
◆安保関連法で岐路
自衛隊員は入隊時に「服務の宣誓」をする。「我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を順守し(中略)国民の負託にこたえることを誓います」。解釈改憲で集団的自衛権の行使が可能となり、安全保障関連法が3月に施行された。「守る」と誓った憲法の根幹が変わり、自衛隊もまた、岐路に立つ。
◆自衛隊員らに強い危機感
「だまされたと思った」。元自衛官の池田頼将さん(44)=名古屋市熱田区=が振り返る。イラク特措法でクウェートへ派遣中の二〇〇六年、米国の民間軍事会社の車両にはねられて大けがを負い、今も後遺症に悩まされる身だ。
派遣先の現実は、小泉純一郎首相(当時)が派遣の条件として語った「非戦闘地域」からは程遠かった。到着直後のバス移動では「隊員が乗っていると分かれば自爆攻撃をされる。カーテンを開けるな」と言われ、基地周辺にはイラク軍の侵攻時に敷設されたとみられる地雷が残っていた。
宣誓時に池田さんが想像した「国民の負託にこたえる」とは、災害支援を中心とした任務だ。海外の「歩くのも怖い場所」で活動するために宣誓したつもりはない。
元自衛官の水上学さん(42)=同区=も「所属し続けていたら、自分も海外に派遣されたかもしれない」と思う。
一九九二年から十年間所属した航空自衛隊で、輸送計画づくりや大型車の運転などに携わった。安保法に基づいて海外に派遣されれば、他国部隊や武器弾薬を運ぶ計画立案や、車両の運転に関わることになりかねない。「宣誓した時、隊員は海外で戦闘に巻き込まれることまでを受け入れたわけではない。安保法は契約違反です」
実際、現役隊員からも声が上がった。安保法に基づく防衛出動は違憲として今年三月、国を相手取り東京地裁に提訴した。原告の隊員は「入隊時に、集団的自衛権の行使となる命令に従うことには同意していない」と主張する。
池田さんを支援する秋田光治弁護士(67)は「現場から声が上がるのは、なかなかない。現役隊員にも危機感が出てきているのでは」と話す。
隊員家族の胸中も揺れる。岐阜基地に勤務経験がある空自隊員の妻は「自衛官だから命を危険にさらすのは仕方がないと納得する面と、本当に死んだらどうしようという心配が半々」。
隊員や家族の電話相談窓口を設けた北海道合同法律事務所の佐藤博文弁護士(62)は「上官から『弁護士に相談するな』『親が相談すれば昇進に影響する』と言われ、隊員らが外と遮断された状況になっている」。派遣で増えるリスクを正面から議論して、隊員や家族の不安に応える必要性を強調する。
戦後七十一年。平和国家の安保政策を大転換させた安倍政権は、自衛隊員のリスクを十分に語ることなく、本格的な改憲へ向けて走りだそうとしている。 (竹田佳彦)2016年8月15日【中日新聞】
<8月15日の記念日>
※終戦記念日,敗戦記念日,全国戦没者追悼式
1945年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。これにより第二次世界大戦が終結した。
1982年4月の閣議決定により「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」となった。
1963年から毎年、政府主催による「全国戦没者追悼式」が行われ、正午から1分間、黙祷が捧げられる。
※月遅れ盆
本来は旧暦7月15日であるが、明治の改暦後は、多くの地域で月遅れの8月15日に行われる。
※刺身の日
1448(文安5)年、刺身が初めて文書に登場した。
室町時代後期の書記官・中原康冨の文安5年のこの日の日記に「鯛なら鯛とわかるやうにその魚のひれを刺しておくので刺し身、つまり「さしみなます」の名の起り」とあり、これが初めて文書に登場する刺身に関する記録とされている。
※聖母マリア被昇天祭
キリスト教の聖名祝日。
聖母マリアはイエスの死の後、使徒ヨハネの保護のもとに余生を送り、使徒たちに見守られながら亡くなった。遺体は使徒たちによって葬られたが、3日後使徒たちが棺を開いてみると遺体を包んだ布だけが残されており、使徒たちは聖母が天に昇ったことを信じたと言う。
※素堂忌
俳人・山口素堂[やまぐちそどう]の1716年の忌日。
<今日の誕生花>
向日葵[ひまわり]「花言葉:光輝、偽りの富」モントブレチア(姫檜扇水仙)「花言葉:謙譲の美」


<歴史上の出来事>
1057年ランファナンの戦いでスコットランド王マクベスが戦死。
1248年ケルン大聖堂が起工。完成まで600年。
1336年北朝の光明天皇が即位。再び南北朝分離へ。(新暦9月20日)
1543年フランシスコ・ザビエルらがパリでイエズス会を発足。
1567年織田信長が斎藤龍興の居城だった稲葉山城に移り岐阜城と改称。初めて「岐阜」の名が登場。(新暦9月17日)
1723年江戸幕府が江戸市中に火の見櫓の設置令を発布。(新暦9月14日)
1808年フェートン号事件。英軍艦フェートン号が長崎湾内に侵入し食料などを強要して退去。長崎奉行が引責自決。(新暦10月4日)
1869年明治政府が蝦夷地を「北海道」と改称する布告。(新暦9月20日)
1901年與謝野晶子の第一歌集『みだれ髪』が発刊。
1914年太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河が開通。
1919年九州で暴風雨。海軍輸送船「志自岐丸」が種子島平山沖で沈没し111人死亡。
1929年嘆きの壁事件。シオニストの青年たちが嘆きの壁の前でイスラエル国歌を歌ったことによりイスラム教徒の感情を刺戟し、ユダヤ教徒とイスラム教徒が衝突。パレスチナ全土に拡大。
1940年立憲民政党が解党。
1945年皇居占拠事件。前日深夜、陸軍軍務局員の畑中健二少佐らが終戦阻止の為に近衛師団を動かし皇居と東京放送局を占拠。早朝鎮圧される。
1945年早朝、陸軍横浜警備隊長・佐々木武雄大尉が終戦阻止の為に横浜高工の学生らを率いて首相公邸・首相私邸・内大臣邸などを襲撃。
1945年正午、昭和天皇の「戦争終結の詔書」の放送(玉音放送)。
1945年鈴木貫太郎内閣が総辞職。
1946年第28回全国中等学校優勝野球大会開幕。戦時中中止されていた中等学校野球大会(後の高校野球)が再開。
1947年前日のパキスタンに続いてインドがイギリスから独立。
1947年GHQと政府の強力な監督の下で民間貿易が再開。
1948年大韓民国が成立。
1958年日教組が勤務評定に反対して全国スト。
1963年政府主催の第1回全国戦歿者追悼式を挙行。
1965年高田光政が日本人として初めてアイガー北壁に登頂成功。
1969年アメリカ・ニューヨーク州で、3日間にわたる大規模な野外ロックコンサート・ウッドストック・フェスティバルが開幕。
1971年アメリカが金とドルの交換停止などドル防衛策を発表。翌日からダウ平均が暴落しドル売りが殺到(ニクソンショック)。
1974年津川雅彦・朝丘雪路夫妻の生後5か月の長女・真由子が誘拐。翌日、犯人を逮捕し、人質を保護。
1974年朴正煕韓国大統領が狙撃され、大統領夫人が死亡。
1975年バングラデシュで軍事クーデター。ムジブル・ラフマン大統領が暗殺。
1975年三木武夫首相が私人として靖国神社に参拝。在任中の首相の終戦の日の参拝は戦後初。
1977年『愛のコリーダ』の著者・大島渚らがわいせつ文書図画販売で起訴。1979年に無罪判決。
1977年地球外知的生命体探査(CETI)で、オハイオ州立大の電波望遠鏡が特徴的な信号「Wow!シグナル」を受信。
1985年中曽根康弘首相ら閣僚17人が靖国神社を公式参拝。
1986年新自由クラブが解散。
1995年村山富市首相が、第二次大戦における日本の植民地支配と侵略を反省し謝罪する「村山談話」を発表。
2006年小泉純一郎首相が、総裁選での公約通り終戦の日に靖国神社に参拝。
2007年ペルー沖でM8.0の地震。死者510人。
2013年ドッコイセ福知山花火大会屋台爆発事故が発生
2017年翌16日にかけて台湾全土で600万戸を超える規模の大停電が発生。大潭発電所の停止によるもの
<著名人の誕生日>
1769年ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト) (仏:皇帝(第1帝政),軍人)[1821年5月5日]
1925年オスカー・ピーターソン (カナダ:ジャズピアニスト)[2007年12月23日]
1944年シルヴィ・ヴァルタン (仏:歌手)
1967年2代目市川猿弥[いちかわ・えんや2] (歌舞伎役者)
1972年ベン・アフレック (米:俳優)
1975年川口能活[かわぐち・よしかつ] (サッカー(GK))
<著名人の忌日>
1519年北條早雲(伊勢盛時)[ほうじょう・そううん] (武将,後北條氏の祖) <数え88歳>[1432年生]
1716年山口素堂[やまぐち・そどう] (俳人) <数え75歳>[1642年5月5日生]
1860年徳川齊昭(烈公)[とくがわ・なりあきら] (水戸藩主(9代),徳川慶喜の実父) <数え61歳>[1800年3月11日生]
1996年丸山眞男[まるやま・まさお] (政治学者,思想史家) <82歳>[1914年3月22日生]
2009年松林宗恵[まつばやし・しゅうえ] (映画監督) <89歳>[1920年7月7日生]
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お知らせ!!
夕方までに帰れると思っていたのですが、今日の飛騨地方はあちこちでゲリラ雷雨に見舞われ高速道路使用を諦めてせせらぎ街道を戻ってきてますが、こちらも大して変わらず前が見えないほどの豪雨でやっと道の駅パスカル清見にたどり着いたところです。
晩御飯をここでいただいてから郡上八幡から高速道路に入り岐阜羽島インターまで戻る予定ですが、遅くなりそうなので今日のブログ訪問は中止とさせていただきますのであしからず(*・ω・)*_ _))ペコリ
午後7時15分 パスカル清見にて まり姫
多くの人がお盆休みを楽しんでいらっしゃるようですが、今年はもうUターンラッシュが始まったようです。
今まで東日本が猛暑に襲われていたのが太平洋高気圧が西日本を覆い、昨日から西日本が猛暑になっているようで、東日本は激しい雷とゲリラ雨があちこち降っています。
私の地方も猛暑日からは逃れられませんが雷様がお出ましになりニャンコもびっくりです(笑)
今日は叔父夫婦と揃って飛騨高山のお墓参りに出かけますので帰宅時間がはっきりしません。
運転は叔父がどうしてもするというので高齢者マークをつけて私の車で行きますけど、年をとっても暴走癖が抜けないのがちと心配です。
なるべく車外を見ないようにし、後部座席のテレビでも観ながら行ってきます^^
皆さまのところへは帰宅後にお邪魔させていただきますのでよろしくお願いしますね(o^―^o)ニコ
[撮りたてのホカホカ]



[鶴彬反戦川柳]
石川県出身の反戦川柳作家の鶴彬が特高警察に逮捕され獄死したのはわずか29歳の若さでした。
徴兵されても節を曲げず、重営倉送りや第七連隊赤化事件の首謀者とされ治安維持法で懲役1年8か月、出所後上京し川柳発表を続けたものの、また治安維持法違反で逮捕され赤痢に感染して死亡したことになっていますが、事実上は劣悪な環境に置かれ獄死してから病院へ送られたというのが真実だといいます。
佐高信は鶴彬を「『川柳界の小林多喜二』と言われた」と自著で紹介しています。
今日は代表的な川柳を紹介します。
「暁を抱いて闇にゐる蕾」
「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
「暴風と海の恋を見ましたか」
「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」
「高梁の実りへ戦車と靴の鋲」
「屍のゐないニュース映画で勇ましい」
「枯れ芝よ!団結をして春を待つ」
「胎内の動き知るころ骨がつき」
[第二次世界大戦特集]
※宮城事件(皇居乱入事件)
ポツダム宣言受諾決定を不満とする一部陸軍省幕僚と近衛師団参謀が中心となって15日正午放送予定の「玉音」録音盤強奪を画策し、8月15日未明に起こしたクーデター未遂事件が発生した。
日本の降伏を阻止しようと企図した将校達は近衛第一師団長森赳中将を殺害、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠した。
しかし陸軍首脳部及び東部軍管区の説得に失敗した彼らは自殺もしくは逮捕され、日本の降伏表明は当初の予定通り行われた。
午前0時過ぎ、玉音放送の録音を終了して宮城を退出しようとしていた下村宏情報局総裁及び日本放送協会職員など数名が、坂下門付近において近衛歩兵第二連隊第三大隊長佐藤好弘大尉により拘束された。
彼らは兵士に銃を突き付けられ、付近の守衛隊司令部の建物内に監禁された。
井田中佐と椎崎中佐は、近衛第一師団司令部において第二総軍参謀白石通教中佐(森師団長の義弟)と会談中であった森赳師団長に面会を強要しクーデターへの参加を求めた。
井田の記録によると、森師団長は否定的な態度を堅持していたが、「明治神宮を参拝した上で再度決断する」と約束したとされる。井田中佐はこの言葉を聞き一時部屋を退出したと述べている。
入れ替わりに師団長室に入った畑中少佐は、しばらくすると部屋を出てきて、この日別件で近衛第一師団司令部を訪れていた航空士官学校の上原重太郎大尉及び同志である陸軍通信学校の窪田兼三少佐を引き連れ再度入室した。
畑中少佐は無言のまま森師団長を拳銃で撃ち、さらに上原大尉が軍刀で斬殺した。同席していた白石中佐も上原大尉と窪田少佐によって斬殺された。森師団長と白石中佐の殺害の詳しい経緯については、窪田少佐が東部憲兵隊で聴取を受けた際の聴取記録が残っている。
※宮城(皇居)占拠
この殺害後、師団参謀の古賀秀正少佐は畑中少佐が起案したと考えられる近作命甲第五八四号を各隷下部隊に口頭下達、近衛歩兵第二連隊に展開を命じた。ただし古賀少佐がクーデター計画にどの程度積極的に関与したかについてははっきりとしていない。
また、玉音放送の実行を防ぐ為に内幸町の放送会館へも近衛歩兵第一連隊第一中隊が派遣された。
宮内省では電話線が切断され、皇宮警察官たちは武装解除された。玉音盤が宮内省内部に存在することを知った古賀少佐は第二大隊長北村信一大尉や佐藤好弘大尉らに捜索を命じている。
宮内省内にいた石渡荘太郎宮内大臣および木戸内大臣は金庫室などに隠れて難を逃れた。
井田中佐は水谷一生参謀長に随行して東部軍管区司令部へと赴き、東部軍管区(第十二方面軍)のクーデター参加を求めたが、田中軍司令官及び高嶋参謀長は既に鎮圧を決定していた。
高嶋参謀長は午前4時過ぎに芳賀豊次郎近衛第二連隊長との電話連絡に成功し、森師団長の殺害を知り畑中少佐らの言動に疑問を感じていた連隊長に対し、師団命令が偽造であることを伝えた。
芳賀連隊長はその場にいた椎崎、畑中、古賀らに対し即刻宮城(皇居)から退去するように命じた。
宮内省内では御文庫へ反乱発生を伝えた後に帰還していた徳川侍従が兵士と口論になり、第一大隊の若林彦一郎軍曹に殴打されている。
宮城(皇居)を離れた畑中少佐は第一中隊の占領する放送会館へと向かい決起の声明の放送を要求したが、職員の機転によってこれは防がれた。
※クーデター鎮圧
日が昇ってすぐの午前5時頃、東部軍の田中軍司令官が自ら近衛第一師団司令部へと向かい、偽造命令に従い部隊を展開させようとしていた近衛歩兵第一連隊の渡辺多粮連隊長を止めた。
連隊長のそばに居た近衛第一師団参謀石原貞吉少佐は東部憲兵隊により身柄を保護された(逮捕されたのではなく、石原は当日夕方には師団司令部に復帰している)。
午前6時過ぎにクーデターの発生を伝えられた昭和天皇は「自らが兵の前に出向いて諭そう」と述べている。
その頃陸相官邸では阿南陸相が自刃した。
竹下中佐は陸相印を用いて大臣命令を偽造しようと井田中佐に示唆したが、井田は既にクーデターの失敗を悟っていた。
田中軍司令官は乾門付近で芳賀連隊長に出会い兵士の撤収を命じると、そのまま御文庫さらに宮内省へ向かい反乱の鎮圧を伝えた。
これを境にクーデターは急速に沈静化へと向かった。
このとき既に畑中少佐らは断念しており田中大将が鎮圧したという俗説は誤りであるとの説もある。
放送会館では東部軍からの電話連絡を受けた畑中少佐が放送を断念し、守衛隊司令部では拘束されていた下村情報局総裁らが解放された。
午前8時前には近衛歩兵第二連隊の兵士が宮城(皇居)から撤収し、宮内省内の地下室に隠れていた石渡宮相と木戸内大臣はここを出て御文庫へと向かった。
二枚の録音盤は皇后宮職事務室から運び出され、無事放送会館及び第一生命館に設けられていた予備スタジオへと運搬された。
運搬に際してもいかにも正式な勅使らしい偽物を仕立てつつ、本物は粗末な袋に入れて木炭自動車で運搬するという念の入れようであった。
最後まで抗戦を諦めきれなかった椎崎中佐と畑中少佐は宮城(皇居)周辺でビラを巻き決起を呼び掛けた(佐藤大尉と藤原憲兵大尉が撒布したとの証言もある)が、午前11時過ぎに二重橋と坂下門の間の芝生上で自殺した。
また古賀参謀は玉音放送の放送中に近衛第一師団司令部二階の貴賓室に安置された森師団長の骨箱の前で拳銃と軍刀を用い自殺した。
午前11時30分過ぎ、放送会館のスタジオ前で突如一人の憲兵将校が軍刀を抜き、放送阻止のためにスタジオに乱入しようとしたが、すぐに取り押さえられ憲兵に連行された。
そして正午過ぎ、ラジオから下村総裁による予告と君が代が流れた後に玉音放送が行われ、戦争は終結した。
上記のようにクーデター首謀者中の生存者である井田中佐および稲葉中佐等の証言では、自分達より階級の低い自殺した畑中少佐が森師団長殺害以降のクーデターを主導したと示唆されている。
この事件は映画『日本のいちばん長い日』でも史実にきわめて近く克明に描かれており、当時の陸軍上層部が最後まで無謀な戦争を続けようと意図していたことがわかる。
[伊吹山の花]
コオニユリ

カワラナデシコ

シシウド

[今日の音楽]
元ちとせ 「ワダツミの木」
[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
何をやらせるんだニャームカチュク(`‐ω‐´)



[歴史に残る名言]
<石川啄木の名言>
「よく笑ふ若き男の
死にたらば
すこしはこの世さびしくもなれ」
石川啄木[いしかわ・たくぼく](明治の歌人・詩人、1886~1912)『一握の砂』
[今日は何の日]
<今日のトップニュース>
※沖縄県知事選は9月30日 辺野古移設の是非が争点
沖縄県選挙管理委員会は13日、臨時会議を開き、翁長雄志知事の死去に伴う知事選を9月13日告示、30日投開票とする日程を決めた。安倍政権が進める米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設の是非が争点となる見通しだ。移設反対派と容認派は13日、候補者調整や移設問題への見解を表明するなど、選挙戦への動きを加速させた。
県選管は、翁長氏の12月の任期満了に伴う知事選を11月1日告示、18日投開票とする日程をいったん決めたが、翁長氏が膵がんのため、今月8日に死去。県は12日に選管へ死亡を通知し、日程を決め直した。(共同)2018年8月13日【出典:東京新聞】
翁長知事の葬儀がしめやかに行われましたが、参列者は4500人にも及び悲しみの中にも翁長地殿志をここで終わらせるわけにはいけないという声がますます強くなっています。
なくなる数日前まで安倍自公政権の横暴と対決してきた翁長知事の意志は必ず後継となる候補者の擁立で引き継がれるでしょう。
※ワシントンで白人至上主義集会 衝突から1年、数千人抗議
【ワシントン共同】米首都ワシントンのホワイトハウス前で12日、白人至上主義者や極右団体の二十数人が集会を行った。南部バージニア州シャーロッツビルで反対派と衝突した集会から同日で丸1年となったのを機に実施。すぐそばで人種差別に反対する数千人が抗議デモを行い、厳戒警備態勢を敷いた警察当局との間で小競り合いも起きた。
白人団体は星条旗を掲げて行進し、ホワイトハウス前の鉄柵で囲まれた区域に集合。メンバーが演説し白人団体の「言論の自由が守られた」と主張したが、反対派の規模に圧倒され、天候も悪化して予定より早く集会を終えた。2018年8月13日【出典;東京新聞】
トランプ大統領の出場により白人至上主義の台頭が目立ち、全米中が反人種差別、ヘイトクライムを許さない抗議行動が白人至上主義者のデモに対して抗議が殺到しています。
言論の自由だと主張する白人指示用主義者は日本のヘイト団体と同様でほんの一握りしかいないのに「言論の自由」だと標榜していますが、人種差別を主張すことがどうして「言論の自由」でしょうか。
差別はそもそも人権侵害、人権侵害が許されていいわけではありません。
この観点から見ると彼らの主張の根拠そのものが米国憲法、日本国憲法に違反しているのです。
当然ヘイト団体を支持している政治家、ユダヤ系資本で肥え太った富裕層も同罪でしょう。
<ちょっと前のトップニュース>
※加計「出席」隠す政府 議事要旨不記載 国会で認めず
国家戦略特区の獣医学部新設を巡り、二年前のワーキンググループ(WG)の議事要旨で、安倍晋三首相の友人が理事長の学校法人「加計(かけ)学園」側の出席や発言が伏せられていた問題について、政府はこれまでの国会審議で、学園側と協議していたのではと問われても、不誠実な答弁で認めてこなかった。首相が「すべてオープンだ」と主張しているのとは裏腹に、事実を隠そうとする姿が目立つ。 (金杉貴雄)
政府が公表している議事要旨などでは、加計学園が直接議論に参加した記録は今年一月の事業者公募より前にはなく、分からなかった。実際は愛媛県今治市が最初に提案した二〇一五年六月のWGに学園関係者三人が出席し具体的な説明をしていたのに伏せられていたことが、政府関係者の記録や証言に基づく本紙報道などで判明した。
これまでの国会審議では、一月以前から学園が事業者として説明していたのではないか、と野党議員が質問。政府は「加計学園ありき」の批判を否定するため、学園側の出席や発言について答弁を避け続けた。
五月の参院委員会では自由党の森裕子氏が、議事要旨にない学園側とのやりとりがあったはずだとして「議事要旨から削除したのか」と追及。内閣府の藤原豊審議官(当時)は直接答えない一方で、議事要旨は議事録とほぼ同じだと強調し、「すべて公開」を印象づける答弁をした。
実際は二年前のWGに学園関係者も出席し委員のさまざまな質問に直接答えていた。藤原氏は当時司会役だった。「すべて公開」どころか学園側の出席を議事要旨で伏せ、そのことを国会審議で説明しなかった。
六月の参院委では、共産党の田村智子氏が教員の確保で学園と協議があったのではないかと質問。内閣府の佐々木基・地方創生推進事務局長(当時)は、学園ではなく「WGで今治市から聞いている」と答えた。
実際は同じWGで「教員確保の見通しは」と委員が質問したのに、学園関係者が確保できると説明していた。議事要旨では、質問ごと伏せられていた。市の提出資料にも「必要な教員を確保」との記述があるため、国会答弁は虚偽とは断定できないが、委員の質問に答えたのは学園側だったことには触れなかった。2017年8月13日【出典:東京新聞】
<もう少し前のトップニュース>
※<戦後71年 夏> 安保法、隊員守れるのか
旧日本海軍の航空兵として太平洋戦争を生き抜いた現役最高齢の民間パイロット高橋淳さん(93)=東京都町田市=は、自衛隊の講演会で若い隊員に過酷な出撃体験を話し続けている。安全保障関連法の施行で、自衛隊は海外派遣先での「駆けつけ警護」などが可能になり、危険な任務が増えるおそれが高まった。万一、襲撃を受けた場合、実戦経験に乏しい隊員は冷静に身を守れるのか、懸念は膨らむ。
海上わずか五メートル。米艦に攻撃機で近づくと、対空砲が進路を予想して狙ってくる。その裏をかいて真っすぐ突っ込み、機体を斜め横に滑らせる。「墜落しかねない危険な飛び方。普段は絶対、しないことをやらないと、戦場では生きられない」
東京都大田区で四人きょうだいの末っ子として生まれた。十一歳のころ、年の離れた兄に初めて飛行機に乗せてもらい「パイロットになる」と決めた。
旧制中学を卒業した一九四一年、海軍飛行予科練習生に。操縦技術を身に付けて除隊するつもりだったが、すぐに真珠湾攻撃が起きた。日米開戦。大幅に短縮された訓練の後、南方戦線に配属された。夜間攻撃中に、炎上して海面に落ちる僚機の光が目に入った。所属する部隊の四十機のうち、自分を含む二機だけが撃墜されずに残った。
「僕らは圧倒的な数の敵艦を見ていたから、ひどい負け戦だって分かっていました。それを承知で飛んでいくんです」。格納庫で先輩や仲間と攻撃のかわし方を教え合い、偵察飛行の帰りに練習した。現場を知らない上層部が下す「ピンボケ」の出撃命令でも生き残れたのは「絶対に生還する」という精神力と、磨き上げた技術があったからだ。
戦後、航空会社から勧誘されたが「もう組織に束縛されたくない」と、すべて断った。十一歳のころに憧れた空を、自由に飛びたかった。
五二年に友人らと愛好家団体を発足させ、小型機の教官をしながら新型機の試験飛行や撮影飛行に従事。現在は災害時に物資を運ぶ赤十字飛行隊の隊長も務め、週に一度は操縦桿(かん)を握る。「一万時間を飛べば大ベテラン」と言われる世界で、累積飛行時間は二万五千五百時間に上る。
約二十年前から自衛隊で戦争体験を講演するようになった。若い隊員に話すのは、生への執着と冷静さ。乗員を守る設備が皆無だったかつての攻撃機に比べ、自衛隊機の防御機能は格段に向上した。ただ、飛行機を飛ばすのは人。極度に緊迫した実戦を知る身として、そのことを伝えてきた。
今年七月、治安が悪化した南スーダンに航空自衛隊機が派遣され、大使館員を退避させた。自衛隊は今後、新たな任務に加え、一部で武器使用の基準が緩和される。「突発的な事態はどこの活動でもある」。現場で汗を流す隊員の安全が気にかかる。
南方戦線では「無意味」に思える出撃で多くの仲間が死んだ。派遣を決める政府や自衛隊上層部に願う。「状況の変化に応じて判断できる態勢になっているのか。現場に無理をさせず、隊員の命を大事にしてほしい」(竹田佳彦)2016年8月14日【中日新聞】
※SMAP、年内で解散
人気グループSMAPが今年十二月三十一日をもって解散することが、分かった。一月に一部メンバーの独立への動きがきっかけで表面化した解散騒動は、いったんは収束したかに見えたが、メンバー間の溝は埋まらなかった。日本の芸能界屈指の人気を誇ったグループは、デビュー二十五周年という記念すべき年に、ファンに別れを告げることになった。
ただ、九月に期限を迎える各メンバーと事務所との契約は更新が既に決まっている。全員が事務所にとどまった上で、個人活動に移行する。メンバー出席の解散の表明会見や解散コンサートは行わないという。
SMAPは今年がCDデビュー二十五周年。事務所側はコンサートなどの記念プロジェクトを実現すべく、メンバーとの話し合いを重ねてきたが、八月に入り、複数のメンバーから解散の申し入れがあった。事務所はそれを受け、十一日に解散を決定した。2016年8月14日【中日新聞】
<かなり前のトップニュース>
※沖縄知事、米軍の説明不足指摘 ヘリ墜落、再発防止要求
沖縄県の翁長雄志知事は13日、同県うるま市沖の米軍ヘリコプター墜落事故に関し「不透明な状況の中に沖縄が置かれている」と述べ、事故に関する米軍の説明不足を指摘、日米地位協定改定の必要性を訴えた。那覇市で記者団に語った。
日米地位協定では在日米軍の事件・事故に関する米側の報告義務が規定されていない。
翁長氏は「日本側が何も口を挟めない。厚い壁がある」と不満を表明。「県民の安心安全のために地位協定の改定を強く言わないといけない」と強調した。
一方、沖縄県は同日、沖縄防衛局に対し、事故原因の究明と公表、再発防止を在日米軍に働き掛けるよう求める要請書を手渡した。2015年8月13日【東京新聞wev】
※首相、14日夕に記者会見 戦後70年談話決定で
安倍晋三首相は14日午後5時からの臨時閣議で戦後70年談話を決定し、午後6時から官邸で記者会見する日程を決めた。政府筋が13日、明らかにした。談話は先の大戦をめぐる反省と、戦後の平和国家としての歩み、今後の国際貢献が柱となる。「おわび」や「侵略」の文言も明記される方向だ。
1995年の戦後50年に当たり発表された村山富市首相談話と、戦後60年の2005年の小泉純一郎首相談話は、いずれも終戦記念日の8月15日に閣議決定された。2015年8月13日【共同通信】
戦後70年談話に安倍首相は何をこだわり続けたのでしょう。
国民に戦前の日本がアジア諸国へ侵略した歴史的事実を忘れさせようとあれこれ画策しても、国際社会にはいっさい通用しません。
ましてや植民地支配や侵略をなかったことにして「自存自衛のための戦争だった」などという妄言は到底認められるものではなく、戦後やっと手に入れた民主主義国家としての日本の国際的評価を貶めるだけです。
70年経てもアジア諸国が日本から受けた傷は癒えません。
謝罪をするのなら戦後賠償もするのが国際常識なのに、国交回復や条約締結で終わりだとする日本政府の立場そのものが誤りで、真の善隣友好関係を日本が希求するのであれば戦後補償は避けて通れないものです。
これを置き去りにしているからいつまでもアジア諸国から日本は疑念を持たれつづけているのです。
政治家なら、米国でさえ太平洋戦争中に日系人に対する不当な「強制収容」に対し賠償していることを知らないはずがありません。
戦後70年談話を出すのならすべての被害国に対し賠償をするとはっきり言えば、さすが日本国の政治リーダーだと後世に名を残せるでしょうが、言いたくないものを国民の批判を浴びてやっと書き込むようではまともな談話になるとは思ええませんねー。
<8月14日の記念日>
※裸足(はだし)の記念日
身体と心の専門家「ボディマイスター」の養成スクールとして知られる一般社団法人「日本スポーツ&ボディ・マイスター協会」が制定。裸足で生活したり、裸足でランニングすることで人間本来の感覚を取り戻し、健康になってもらう活動を広めるのが目的。裸足ウォーキングなどのイベント、講座を開催する。日付は8(は)1(だ)4(し)の語呂合わせから。
※専売特許の日
1885年のこの日、日本初の専売特許が交付された。
7月に施行された「専売特許条例」に基くもので、堀田瑞松の錆止め塗料ほか7件が認められた。
※聖マキシミリアノ・コルベ神父の祝日
ポーランドの織物職人の子として生まれたコルベ神父は、フランシスコ会に入り、1930年から6年間日本で宣教活動を行った。帰国後、その教えがナチスの思想と相反したものであったことからゲシュタポに捕えられ、アウシュビッツ強制収容所に送られた。そこで、みせしめの為に処刑される見ず知らずの他人の身代りとなって餓死刑となり、「聖母の被昇天祭」の前日の8月14日に亡くなった。
1982年10月17日、教皇ヨハネス=パウルス2世により、「愛の殉教者」として聖人の列に加えられた。
<今日の誕生花>
ジャーマンダー「花言葉:愛敬」 鹿子草[カノコソウ]「花言葉:適応力」

アンモビウム(貝細工)「花言葉:不変の誓い」
花の写真を持っていません
<歴史上の出来事>
869年藤原良房らが『続日本後紀』20巻を撰上。(新暦9月23日)
1748年大坂・竹本座で人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が初演。(新暦9月6日)
1864年下関戦争で下関藩が英米蘭仏4か国連合艦隊と講和。(新暦9月14日)
1871年工部省に鉄道寮を設置。(新暦9月28日)
1875年明治政府が、借金の抵当に人身を当てることを禁止。
1876年札幌学校(札幌農学校・北大農学部の前身)が開校。クラークが教頭に。
1880年ドイツのケルン大聖堂が建設開始から600年以上たって完成。
1885年「堀田サビ止め塗料」ほか7件に日本初の専売特許証を交付。
1900年義和団事変鎮圧。8か国連合軍が北京を総攻撃し、義和団が包囲していた公使館区を解放。
1901年グスターヴ・ホワイトヘッド設計のエンジン附きの無人飛行機が初飛行。
1917年第一次大戦で、中国北京政府がドイツ・オーストリアに宣戦布告。
1918年騒動の飛び火防止のため、内務省が新聞社に米騒動の記事の差し止めを指令。各社は反発して記事部分を空白にして発行。
1937年東京陸軍軍法会議で、2.26事件の背後首謀者であるとして北一輝らに死刑を宣告。19日に死刑執行。
1941年チャーチル英首相とルーズベルト米大統領が大西洋憲章を発表。
1941年平沼騏一郎国務大臣が国家主義団体「勤皇まことむすび」会員に狙撃され重傷。
1944年京成電車の日本初の女性運転士が試運転を開始。10月1日に正式乗務開始。
1945年政府内の混乱に対処する為、御前会議でポツダム宣言受諾を再確認し、無条件降伏を決定。
1945年大阪で空襲。1トン爆弾が国鉄京橋駅に命中し、駅に避難していた200名以上が死亡。
1945年深夜から翌日未明にかけて、秋田・伊勢崎・熊谷・小田原・岩国・光で空襲。第二次世界大戦最後の空襲。
1945年葛根廟事件。満州興安総省葛根廟で日本人避難民をソ連軍が襲撃し、1000名以上を虐殺。
1945年「中ソ友好条約」調印。
1947年パキスタンがイギリスから独立。
1947年浅間山が噴火。登山者など11人が死亡。
1948年大韓民国が成立。
1950年文部省が、9月から八大都市の小学校で、アメリカからの「ガリオア資金」によるパン給食の完全実施を発表。
1967年住友銀行が世界初の銀行事務の完全自動化を達成。
1971年バーレーンがイギリスからの独立を宣言。
1980年グダニスクの造船所でレフ・ワレサ率いる労働者がストライキに突入。
1980年富士山・吉田口砂走り登山道で落石事故。死者12人。
1982年東京都中野区が自治体として初めて「護憲・非核都市」を宣言。
1990年リヒテンシュタインが国連に加盟。
1991年総務庁が1世帯あたりの人数が初めて3人を下回ったと発表。
1994年14件のテロ事件に関与し国際指名手配されていた「カルロス」ことイリイッチ・ラミレス・サンチェスが逮捕。
1998年気象庁が北陸・東北地方での梅雨明けの発表を断念。梅雨明けなしは史上初。
1999年神奈川県の玄倉川が集中豪雨で増水。中洲でキャンプをしていた13人が死亡。
2000年大分県で15歳の少年が隣家の家族6人を襲い、3人死亡。
2003年ニューヨークなど北米北東部で大停電。約5000万人が被害を受け、被害総額は60億ドル。
2008年北京オリンピック、競泳男子200メートル平泳ぎで北島康介が金メダル。100メートル平泳ぎと2大会連続2冠。
2012年韓国李明博大統領による天皇謝罪要求で両国の非難合戦はじまる
2012年オホーツク海南部深発地震(Mj7.3・Mw7.7は震源が600kmより深い深発地震としては大規模なもの)
<著名人の誕生日>
1889年三富朽葉[みとみ・きゅうよう(くちは)] (詩人)[1917年8月2日]
1916年藤村富美男[ふじむら・とみお] (野球(内野手・投手・監督)「初代ミスタータイガース」)[1992年5月28日]
1936年桂歌丸[かつら・うたまる](落語家)
1959年マジック・ジョンソン (米:バスケットボール)
1960年サラ・ブライトマン (英:歌手,女優)
1966年ハル・ベリー (米:女優)
1966年鈴木保奈美[すずき・ほなみ] (女優)
1985年シャーロット・ケイト・フォックス (米:女優)
<著名人の忌日>
1941年マキシミリアノ・コルベ (ポーランド:カトリック司祭「アウシュビッツの聖者」) <47歳>[1894年1月8日生]
1956年ベルトルト・ブレヒト (東独:詩人,劇作家,舞台監督『三文オペラ』) <58歳>[1898年2月10日生]
1988年エンツォ・フェラーリ (伊:経営者,フェラーリ創設) <90歳>[1898年2月18日生]
2007年琴櫻傑將(佐渡ヶ嶽親方)[ことざくら・まさかつ] (相撲/横綱(53代)) <66歳> [1940年11月26日生]
2008年青地清二[あおち・せいじ] (スキー(ジャンプ)) <66歳>[1942年6月21日生]
?年架空の話、紫の上[むらさきのうえ] (物語登場人物『源氏物語』)
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夕方までに帰れると思っていたのですが、今日の飛騨地方はあちこちでゲリラ雷雨に見舞われ高速道路使用を諦めてせせらぎ街道を戻ってきてますが、こちらも大して変わらず前が見えないほどの豪雨でやっと道の駅パスカル清見にたどり着いたところです。
晩御飯をここでいただいてから郡上八幡から高速道路に入り岐阜羽島インターまで戻る予定ですが、遅くなりそうなので今日のブログ訪問は中止とさせていただきますのであしからず(*・ω・)*_ _))ペコリ
午後7時15分 パスカル清見にて まり姫
多くの人がお盆休みを楽しんでいらっしゃるようですが、今年はもうUターンラッシュが始まったようです。
今まで東日本が猛暑に襲われていたのが太平洋高気圧が西日本を覆い、昨日から西日本が猛暑になっているようで、東日本は激しい雷とゲリラ雨があちこち降っています。
私の地方も猛暑日からは逃れられませんが雷様がお出ましになりニャンコもびっくりです(笑)
今日は叔父夫婦と揃って飛騨高山のお墓参りに出かけますので帰宅時間がはっきりしません。
運転は叔父がどうしてもするというので高齢者マークをつけて私の車で行きますけど、年をとっても暴走癖が抜けないのがちと心配です。
なるべく車外を見ないようにし、後部座席のテレビでも観ながら行ってきます^^
皆さまのところへは帰宅後にお邪魔させていただきますのでよろしくお願いしますね(o^―^o)ニコ
[撮りたてのホカホカ]



[鶴彬反戦川柳]
石川県出身の反戦川柳作家の鶴彬が特高警察に逮捕され獄死したのはわずか29歳の若さでした。
徴兵されても節を曲げず、重営倉送りや第七連隊赤化事件の首謀者とされ治安維持法で懲役1年8か月、出所後上京し川柳発表を続けたものの、また治安維持法違反で逮捕され赤痢に感染して死亡したことになっていますが、事実上は劣悪な環境に置かれ獄死してから病院へ送られたというのが真実だといいます。
佐高信は鶴彬を「『川柳界の小林多喜二』と言われた」と自著で紹介しています。
今日は代表的な川柳を紹介します。
「暁を抱いて闇にゐる蕾」
「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
「暴風と海の恋を見ましたか」
「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」
「高梁の実りへ戦車と靴の鋲」
「屍のゐないニュース映画で勇ましい」
「枯れ芝よ!団結をして春を待つ」
「胎内の動き知るころ骨がつき」
[第二次世界大戦特集]
※宮城事件(皇居乱入事件)
ポツダム宣言受諾決定を不満とする一部陸軍省幕僚と近衛師団参謀が中心となって15日正午放送予定の「玉音」録音盤強奪を画策し、8月15日未明に起こしたクーデター未遂事件が発生した。
日本の降伏を阻止しようと企図した将校達は近衛第一師団長森赳中将を殺害、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠した。
しかし陸軍首脳部及び東部軍管区の説得に失敗した彼らは自殺もしくは逮捕され、日本の降伏表明は当初の予定通り行われた。
午前0時過ぎ、玉音放送の録音を終了して宮城を退出しようとしていた下村宏情報局総裁及び日本放送協会職員など数名が、坂下門付近において近衛歩兵第二連隊第三大隊長佐藤好弘大尉により拘束された。
彼らは兵士に銃を突き付けられ、付近の守衛隊司令部の建物内に監禁された。
井田中佐と椎崎中佐は、近衛第一師団司令部において第二総軍参謀白石通教中佐(森師団長の義弟)と会談中であった森赳師団長に面会を強要しクーデターへの参加を求めた。
井田の記録によると、森師団長は否定的な態度を堅持していたが、「明治神宮を参拝した上で再度決断する」と約束したとされる。井田中佐はこの言葉を聞き一時部屋を退出したと述べている。
入れ替わりに師団長室に入った畑中少佐は、しばらくすると部屋を出てきて、この日別件で近衛第一師団司令部を訪れていた航空士官学校の上原重太郎大尉及び同志である陸軍通信学校の窪田兼三少佐を引き連れ再度入室した。
畑中少佐は無言のまま森師団長を拳銃で撃ち、さらに上原大尉が軍刀で斬殺した。同席していた白石中佐も上原大尉と窪田少佐によって斬殺された。森師団長と白石中佐の殺害の詳しい経緯については、窪田少佐が東部憲兵隊で聴取を受けた際の聴取記録が残っている。
※宮城(皇居)占拠
この殺害後、師団参謀の古賀秀正少佐は畑中少佐が起案したと考えられる近作命甲第五八四号を各隷下部隊に口頭下達、近衛歩兵第二連隊に展開を命じた。ただし古賀少佐がクーデター計画にどの程度積極的に関与したかについてははっきりとしていない。
また、玉音放送の実行を防ぐ為に内幸町の放送会館へも近衛歩兵第一連隊第一中隊が派遣された。
宮内省では電話線が切断され、皇宮警察官たちは武装解除された。玉音盤が宮内省内部に存在することを知った古賀少佐は第二大隊長北村信一大尉や佐藤好弘大尉らに捜索を命じている。
宮内省内にいた石渡荘太郎宮内大臣および木戸内大臣は金庫室などに隠れて難を逃れた。
井田中佐は水谷一生参謀長に随行して東部軍管区司令部へと赴き、東部軍管区(第十二方面軍)のクーデター参加を求めたが、田中軍司令官及び高嶋参謀長は既に鎮圧を決定していた。
高嶋参謀長は午前4時過ぎに芳賀豊次郎近衛第二連隊長との電話連絡に成功し、森師団長の殺害を知り畑中少佐らの言動に疑問を感じていた連隊長に対し、師団命令が偽造であることを伝えた。
芳賀連隊長はその場にいた椎崎、畑中、古賀らに対し即刻宮城(皇居)から退去するように命じた。
宮内省内では御文庫へ反乱発生を伝えた後に帰還していた徳川侍従が兵士と口論になり、第一大隊の若林彦一郎軍曹に殴打されている。
宮城(皇居)を離れた畑中少佐は第一中隊の占領する放送会館へと向かい決起の声明の放送を要求したが、職員の機転によってこれは防がれた。
※クーデター鎮圧
日が昇ってすぐの午前5時頃、東部軍の田中軍司令官が自ら近衛第一師団司令部へと向かい、偽造命令に従い部隊を展開させようとしていた近衛歩兵第一連隊の渡辺多粮連隊長を止めた。
連隊長のそばに居た近衛第一師団参謀石原貞吉少佐は東部憲兵隊により身柄を保護された(逮捕されたのではなく、石原は当日夕方には師団司令部に復帰している)。
午前6時過ぎにクーデターの発生を伝えられた昭和天皇は「自らが兵の前に出向いて諭そう」と述べている。
その頃陸相官邸では阿南陸相が自刃した。
竹下中佐は陸相印を用いて大臣命令を偽造しようと井田中佐に示唆したが、井田は既にクーデターの失敗を悟っていた。
田中軍司令官は乾門付近で芳賀連隊長に出会い兵士の撤収を命じると、そのまま御文庫さらに宮内省へ向かい反乱の鎮圧を伝えた。
これを境にクーデターは急速に沈静化へと向かった。
このとき既に畑中少佐らは断念しており田中大将が鎮圧したという俗説は誤りであるとの説もある。
放送会館では東部軍からの電話連絡を受けた畑中少佐が放送を断念し、守衛隊司令部では拘束されていた下村情報局総裁らが解放された。
午前8時前には近衛歩兵第二連隊の兵士が宮城(皇居)から撤収し、宮内省内の地下室に隠れていた石渡宮相と木戸内大臣はここを出て御文庫へと向かった。
二枚の録音盤は皇后宮職事務室から運び出され、無事放送会館及び第一生命館に設けられていた予備スタジオへと運搬された。
運搬に際してもいかにも正式な勅使らしい偽物を仕立てつつ、本物は粗末な袋に入れて木炭自動車で運搬するという念の入れようであった。
最後まで抗戦を諦めきれなかった椎崎中佐と畑中少佐は宮城(皇居)周辺でビラを巻き決起を呼び掛けた(佐藤大尉と藤原憲兵大尉が撒布したとの証言もある)が、午前11時過ぎに二重橋と坂下門の間の芝生上で自殺した。
また古賀参謀は玉音放送の放送中に近衛第一師団司令部二階の貴賓室に安置された森師団長の骨箱の前で拳銃と軍刀を用い自殺した。
午前11時30分過ぎ、放送会館のスタジオ前で突如一人の憲兵将校が軍刀を抜き、放送阻止のためにスタジオに乱入しようとしたが、すぐに取り押さえられ憲兵に連行された。
そして正午過ぎ、ラジオから下村総裁による予告と君が代が流れた後に玉音放送が行われ、戦争は終結した。
上記のようにクーデター首謀者中の生存者である井田中佐および稲葉中佐等の証言では、自分達より階級の低い自殺した畑中少佐が森師団長殺害以降のクーデターを主導したと示唆されている。
この事件は映画『日本のいちばん長い日』でも史実にきわめて近く克明に描かれており、当時の陸軍上層部が最後まで無謀な戦争を続けようと意図していたことがわかる。
[伊吹山の花]
コオニユリ

カワラナデシコ

シシウド

[今日の音楽]
元ちとせ 「ワダツミの木」
[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
何をやらせるんだニャームカチュク(`‐ω‐´)



[歴史に残る名言]
<石川啄木の名言>
「よく笑ふ若き男の
死にたらば
すこしはこの世さびしくもなれ」
石川啄木[いしかわ・たくぼく](明治の歌人・詩人、1886~1912)『一握の砂』
[今日は何の日]
<今日のトップニュース>
※沖縄県知事選は9月30日 辺野古移設の是非が争点
沖縄県選挙管理委員会は13日、臨時会議を開き、翁長雄志知事の死去に伴う知事選を9月13日告示、30日投開票とする日程を決めた。安倍政権が進める米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設の是非が争点となる見通しだ。移設反対派と容認派は13日、候補者調整や移設問題への見解を表明するなど、選挙戦への動きを加速させた。
県選管は、翁長氏の12月の任期満了に伴う知事選を11月1日告示、18日投開票とする日程をいったん決めたが、翁長氏が膵がんのため、今月8日に死去。県は12日に選管へ死亡を通知し、日程を決め直した。(共同)2018年8月13日【出典:東京新聞】
翁長知事の葬儀がしめやかに行われましたが、参列者は4500人にも及び悲しみの中にも翁長地殿志をここで終わらせるわけにはいけないという声がますます強くなっています。
なくなる数日前まで安倍自公政権の横暴と対決してきた翁長知事の意志は必ず後継となる候補者の擁立で引き継がれるでしょう。
※ワシントンで白人至上主義集会 衝突から1年、数千人抗議
【ワシントン共同】米首都ワシントンのホワイトハウス前で12日、白人至上主義者や極右団体の二十数人が集会を行った。南部バージニア州シャーロッツビルで反対派と衝突した集会から同日で丸1年となったのを機に実施。すぐそばで人種差別に反対する数千人が抗議デモを行い、厳戒警備態勢を敷いた警察当局との間で小競り合いも起きた。
白人団体は星条旗を掲げて行進し、ホワイトハウス前の鉄柵で囲まれた区域に集合。メンバーが演説し白人団体の「言論の自由が守られた」と主張したが、反対派の規模に圧倒され、天候も悪化して予定より早く集会を終えた。2018年8月13日【出典;東京新聞】
トランプ大統領の出場により白人至上主義の台頭が目立ち、全米中が反人種差別、ヘイトクライムを許さない抗議行動が白人至上主義者のデモに対して抗議が殺到しています。
言論の自由だと主張する白人指示用主義者は日本のヘイト団体と同様でほんの一握りしかいないのに「言論の自由」だと標榜していますが、人種差別を主張すことがどうして「言論の自由」でしょうか。
差別はそもそも人権侵害、人権侵害が許されていいわけではありません。
この観点から見ると彼らの主張の根拠そのものが米国憲法、日本国憲法に違反しているのです。
当然ヘイト団体を支持している政治家、ユダヤ系資本で肥え太った富裕層も同罪でしょう。
<ちょっと前のトップニュース>
※加計「出席」隠す政府 議事要旨不記載 国会で認めず
国家戦略特区の獣医学部新設を巡り、二年前のワーキンググループ(WG)の議事要旨で、安倍晋三首相の友人が理事長の学校法人「加計(かけ)学園」側の出席や発言が伏せられていた問題について、政府はこれまでの国会審議で、学園側と協議していたのではと問われても、不誠実な答弁で認めてこなかった。首相が「すべてオープンだ」と主張しているのとは裏腹に、事実を隠そうとする姿が目立つ。 (金杉貴雄)
政府が公表している議事要旨などでは、加計学園が直接議論に参加した記録は今年一月の事業者公募より前にはなく、分からなかった。実際は愛媛県今治市が最初に提案した二〇一五年六月のWGに学園関係者三人が出席し具体的な説明をしていたのに伏せられていたことが、政府関係者の記録や証言に基づく本紙報道などで判明した。
これまでの国会審議では、一月以前から学園が事業者として説明していたのではないか、と野党議員が質問。政府は「加計学園ありき」の批判を否定するため、学園側の出席や発言について答弁を避け続けた。
五月の参院委員会では自由党の森裕子氏が、議事要旨にない学園側とのやりとりがあったはずだとして「議事要旨から削除したのか」と追及。内閣府の藤原豊審議官(当時)は直接答えない一方で、議事要旨は議事録とほぼ同じだと強調し、「すべて公開」を印象づける答弁をした。
実際は二年前のWGに学園関係者も出席し委員のさまざまな質問に直接答えていた。藤原氏は当時司会役だった。「すべて公開」どころか学園側の出席を議事要旨で伏せ、そのことを国会審議で説明しなかった。
六月の参院委では、共産党の田村智子氏が教員の確保で学園と協議があったのではないかと質問。内閣府の佐々木基・地方創生推進事務局長(当時)は、学園ではなく「WGで今治市から聞いている」と答えた。
実際は同じWGで「教員確保の見通しは」と委員が質問したのに、学園関係者が確保できると説明していた。議事要旨では、質問ごと伏せられていた。市の提出資料にも「必要な教員を確保」との記述があるため、国会答弁は虚偽とは断定できないが、委員の質問に答えたのは学園側だったことには触れなかった。2017年8月13日【出典:東京新聞】
<もう少し前のトップニュース>
※<戦後71年 夏> 安保法、隊員守れるのか
旧日本海軍の航空兵として太平洋戦争を生き抜いた現役最高齢の民間パイロット高橋淳さん(93)=東京都町田市=は、自衛隊の講演会で若い隊員に過酷な出撃体験を話し続けている。安全保障関連法の施行で、自衛隊は海外派遣先での「駆けつけ警護」などが可能になり、危険な任務が増えるおそれが高まった。万一、襲撃を受けた場合、実戦経験に乏しい隊員は冷静に身を守れるのか、懸念は膨らむ。
海上わずか五メートル。米艦に攻撃機で近づくと、対空砲が進路を予想して狙ってくる。その裏をかいて真っすぐ突っ込み、機体を斜め横に滑らせる。「墜落しかねない危険な飛び方。普段は絶対、しないことをやらないと、戦場では生きられない」
東京都大田区で四人きょうだいの末っ子として生まれた。十一歳のころ、年の離れた兄に初めて飛行機に乗せてもらい「パイロットになる」と決めた。
旧制中学を卒業した一九四一年、海軍飛行予科練習生に。操縦技術を身に付けて除隊するつもりだったが、すぐに真珠湾攻撃が起きた。日米開戦。大幅に短縮された訓練の後、南方戦線に配属された。夜間攻撃中に、炎上して海面に落ちる僚機の光が目に入った。所属する部隊の四十機のうち、自分を含む二機だけが撃墜されずに残った。
「僕らは圧倒的な数の敵艦を見ていたから、ひどい負け戦だって分かっていました。それを承知で飛んでいくんです」。格納庫で先輩や仲間と攻撃のかわし方を教え合い、偵察飛行の帰りに練習した。現場を知らない上層部が下す「ピンボケ」の出撃命令でも生き残れたのは「絶対に生還する」という精神力と、磨き上げた技術があったからだ。
戦後、航空会社から勧誘されたが「もう組織に束縛されたくない」と、すべて断った。十一歳のころに憧れた空を、自由に飛びたかった。
五二年に友人らと愛好家団体を発足させ、小型機の教官をしながら新型機の試験飛行や撮影飛行に従事。現在は災害時に物資を運ぶ赤十字飛行隊の隊長も務め、週に一度は操縦桿(かん)を握る。「一万時間を飛べば大ベテラン」と言われる世界で、累積飛行時間は二万五千五百時間に上る。
約二十年前から自衛隊で戦争体験を講演するようになった。若い隊員に話すのは、生への執着と冷静さ。乗員を守る設備が皆無だったかつての攻撃機に比べ、自衛隊機の防御機能は格段に向上した。ただ、飛行機を飛ばすのは人。極度に緊迫した実戦を知る身として、そのことを伝えてきた。
今年七月、治安が悪化した南スーダンに航空自衛隊機が派遣され、大使館員を退避させた。自衛隊は今後、新たな任務に加え、一部で武器使用の基準が緩和される。「突発的な事態はどこの活動でもある」。現場で汗を流す隊員の安全が気にかかる。
南方戦線では「無意味」に思える出撃で多くの仲間が死んだ。派遣を決める政府や自衛隊上層部に願う。「状況の変化に応じて判断できる態勢になっているのか。現場に無理をさせず、隊員の命を大事にしてほしい」(竹田佳彦)2016年8月14日【中日新聞】
※SMAP、年内で解散
人気グループSMAPが今年十二月三十一日をもって解散することが、分かった。一月に一部メンバーの独立への動きがきっかけで表面化した解散騒動は、いったんは収束したかに見えたが、メンバー間の溝は埋まらなかった。日本の芸能界屈指の人気を誇ったグループは、デビュー二十五周年という記念すべき年に、ファンに別れを告げることになった。
ただ、九月に期限を迎える各メンバーと事務所との契約は更新が既に決まっている。全員が事務所にとどまった上で、個人活動に移行する。メンバー出席の解散の表明会見や解散コンサートは行わないという。
SMAPは今年がCDデビュー二十五周年。事務所側はコンサートなどの記念プロジェクトを実現すべく、メンバーとの話し合いを重ねてきたが、八月に入り、複数のメンバーから解散の申し入れがあった。事務所はそれを受け、十一日に解散を決定した。2016年8月14日【中日新聞】
<かなり前のトップニュース>
※沖縄知事、米軍の説明不足指摘 ヘリ墜落、再発防止要求
沖縄県の翁長雄志知事は13日、同県うるま市沖の米軍ヘリコプター墜落事故に関し「不透明な状況の中に沖縄が置かれている」と述べ、事故に関する米軍の説明不足を指摘、日米地位協定改定の必要性を訴えた。那覇市で記者団に語った。
日米地位協定では在日米軍の事件・事故に関する米側の報告義務が規定されていない。
翁長氏は「日本側が何も口を挟めない。厚い壁がある」と不満を表明。「県民の安心安全のために地位協定の改定を強く言わないといけない」と強調した。
一方、沖縄県は同日、沖縄防衛局に対し、事故原因の究明と公表、再発防止を在日米軍に働き掛けるよう求める要請書を手渡した。2015年8月13日【東京新聞wev】
※首相、14日夕に記者会見 戦後70年談話決定で
安倍晋三首相は14日午後5時からの臨時閣議で戦後70年談話を決定し、午後6時から官邸で記者会見する日程を決めた。政府筋が13日、明らかにした。談話は先の大戦をめぐる反省と、戦後の平和国家としての歩み、今後の国際貢献が柱となる。「おわび」や「侵略」の文言も明記される方向だ。
1995年の戦後50年に当たり発表された村山富市首相談話と、戦後60年の2005年の小泉純一郎首相談話は、いずれも終戦記念日の8月15日に閣議決定された。2015年8月13日【共同通信】
戦後70年談話に安倍首相は何をこだわり続けたのでしょう。
国民に戦前の日本がアジア諸国へ侵略した歴史的事実を忘れさせようとあれこれ画策しても、国際社会にはいっさい通用しません。
ましてや植民地支配や侵略をなかったことにして「自存自衛のための戦争だった」などという妄言は到底認められるものではなく、戦後やっと手に入れた民主主義国家としての日本の国際的評価を貶めるだけです。
70年経てもアジア諸国が日本から受けた傷は癒えません。
謝罪をするのなら戦後賠償もするのが国際常識なのに、国交回復や条約締結で終わりだとする日本政府の立場そのものが誤りで、真の善隣友好関係を日本が希求するのであれば戦後補償は避けて通れないものです。
これを置き去りにしているからいつまでもアジア諸国から日本は疑念を持たれつづけているのです。
政治家なら、米国でさえ太平洋戦争中に日系人に対する不当な「強制収容」に対し賠償していることを知らないはずがありません。
戦後70年談話を出すのならすべての被害国に対し賠償をするとはっきり言えば、さすが日本国の政治リーダーだと後世に名を残せるでしょうが、言いたくないものを国民の批判を浴びてやっと書き込むようではまともな談話になるとは思ええませんねー。
<8月14日の記念日>
※裸足(はだし)の記念日
身体と心の専門家「ボディマイスター」の養成スクールとして知られる一般社団法人「日本スポーツ&ボディ・マイスター協会」が制定。裸足で生活したり、裸足でランニングすることで人間本来の感覚を取り戻し、健康になってもらう活動を広めるのが目的。裸足ウォーキングなどのイベント、講座を開催する。日付は8(は)1(だ)4(し)の語呂合わせから。
※専売特許の日
1885年のこの日、日本初の専売特許が交付された。
7月に施行された「専売特許条例」に基くもので、堀田瑞松の錆止め塗料ほか7件が認められた。
※聖マキシミリアノ・コルベ神父の祝日
ポーランドの織物職人の子として生まれたコルベ神父は、フランシスコ会に入り、1930年から6年間日本で宣教活動を行った。帰国後、その教えがナチスの思想と相反したものであったことからゲシュタポに捕えられ、アウシュビッツ強制収容所に送られた。そこで、みせしめの為に処刑される見ず知らずの他人の身代りとなって餓死刑となり、「聖母の被昇天祭」の前日の8月14日に亡くなった。
1982年10月17日、教皇ヨハネス=パウルス2世により、「愛の殉教者」として聖人の列に加えられた。
<今日の誕生花>
ジャーマンダー「花言葉:愛敬」 鹿子草[カノコソウ]「花言葉:適応力」


アンモビウム(貝細工)「花言葉:不変の誓い」
花の写真を持っていません
<歴史上の出来事>
869年藤原良房らが『続日本後紀』20巻を撰上。(新暦9月23日)
1748年大坂・竹本座で人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が初演。(新暦9月6日)
1864年下関戦争で下関藩が英米蘭仏4か国連合艦隊と講和。(新暦9月14日)
1871年工部省に鉄道寮を設置。(新暦9月28日)
1875年明治政府が、借金の抵当に人身を当てることを禁止。
1876年札幌学校(札幌農学校・北大農学部の前身)が開校。クラークが教頭に。
1880年ドイツのケルン大聖堂が建設開始から600年以上たって完成。
1885年「堀田サビ止め塗料」ほか7件に日本初の専売特許証を交付。
1900年義和団事変鎮圧。8か国連合軍が北京を総攻撃し、義和団が包囲していた公使館区を解放。
1901年グスターヴ・ホワイトヘッド設計のエンジン附きの無人飛行機が初飛行。
1917年第一次大戦で、中国北京政府がドイツ・オーストリアに宣戦布告。
1918年騒動の飛び火防止のため、内務省が新聞社に米騒動の記事の差し止めを指令。各社は反発して記事部分を空白にして発行。
1937年東京陸軍軍法会議で、2.26事件の背後首謀者であるとして北一輝らに死刑を宣告。19日に死刑執行。
1941年チャーチル英首相とルーズベルト米大統領が大西洋憲章を発表。
1941年平沼騏一郎国務大臣が国家主義団体「勤皇まことむすび」会員に狙撃され重傷。
1944年京成電車の日本初の女性運転士が試運転を開始。10月1日に正式乗務開始。
1945年政府内の混乱に対処する為、御前会議でポツダム宣言受諾を再確認し、無条件降伏を決定。
1945年大阪で空襲。1トン爆弾が国鉄京橋駅に命中し、駅に避難していた200名以上が死亡。
1945年深夜から翌日未明にかけて、秋田・伊勢崎・熊谷・小田原・岩国・光で空襲。第二次世界大戦最後の空襲。
1945年葛根廟事件。満州興安総省葛根廟で日本人避難民をソ連軍が襲撃し、1000名以上を虐殺。
1945年「中ソ友好条約」調印。
1947年パキスタンがイギリスから独立。
1947年浅間山が噴火。登山者など11人が死亡。
1948年大韓民国が成立。
1950年文部省が、9月から八大都市の小学校で、アメリカからの「ガリオア資金」によるパン給食の完全実施を発表。
1967年住友銀行が世界初の銀行事務の完全自動化を達成。
1971年バーレーンがイギリスからの独立を宣言。
1980年グダニスクの造船所でレフ・ワレサ率いる労働者がストライキに突入。
1980年富士山・吉田口砂走り登山道で落石事故。死者12人。
1982年東京都中野区が自治体として初めて「護憲・非核都市」を宣言。
1990年リヒテンシュタインが国連に加盟。
1991年総務庁が1世帯あたりの人数が初めて3人を下回ったと発表。
1994年14件のテロ事件に関与し国際指名手配されていた「カルロス」ことイリイッチ・ラミレス・サンチェスが逮捕。
1998年気象庁が北陸・東北地方での梅雨明けの発表を断念。梅雨明けなしは史上初。
1999年神奈川県の玄倉川が集中豪雨で増水。中洲でキャンプをしていた13人が死亡。
2000年大分県で15歳の少年が隣家の家族6人を襲い、3人死亡。
2003年ニューヨークなど北米北東部で大停電。約5000万人が被害を受け、被害総額は60億ドル。
2008年北京オリンピック、競泳男子200メートル平泳ぎで北島康介が金メダル。100メートル平泳ぎと2大会連続2冠。
2012年韓国李明博大統領による天皇謝罪要求で両国の非難合戦はじまる
2012年オホーツク海南部深発地震(Mj7.3・Mw7.7は震源が600kmより深い深発地震としては大規模なもの)
<著名人の誕生日>
1889年三富朽葉[みとみ・きゅうよう(くちは)] (詩人)[1917年8月2日]
1916年藤村富美男[ふじむら・とみお] (野球(内野手・投手・監督)「初代ミスタータイガース」)[1992年5月28日]
1936年桂歌丸[かつら・うたまる](落語家)
1959年マジック・ジョンソン (米:バスケットボール)
1960年サラ・ブライトマン (英:歌手,女優)
1966年ハル・ベリー (米:女優)
1966年鈴木保奈美[すずき・ほなみ] (女優)
1985年シャーロット・ケイト・フォックス (米:女優)
<著名人の忌日>
1941年マキシミリアノ・コルベ (ポーランド:カトリック司祭「アウシュビッツの聖者」) <47歳>[1894年1月8日生]
1956年ベルトルト・ブレヒト (東独:詩人,劇作家,舞台監督『三文オペラ』) <58歳>[1898年2月10日生]
1988年エンツォ・フェラーリ (伊:経営者,フェラーリ創設) <90歳>[1898年2月18日生]
2007年琴櫻傑將(佐渡ヶ嶽親方)[ことざくら・まさかつ] (相撲/横綱(53代)) <66歳> [1940年11月26日生]
2008年青地清二[あおち・せいじ] (スキー(ジャンプ)) <66歳>[1942年6月21日生]
?年架空の話、紫の上[むらさきのうえ] (物語登場人物『源氏物語』)
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[週の初めに]
いつもお立ち寄りいただきありがとうございます(*^^)
皆さまの中には既に夏季休暇やお盆のお休みに入られた方もあるでしょうね~。
少し話は古くなりますが、今からちょうど4年前の2014年5月16日、ヘッジファンドのキニコス・アソシエーツを率いる有名投資家・ジム・チャノス氏が、ラスベガスで開催された会合において、安倍首相のことを「アジアで最も危険な人物」と評価し、危険視するコメントを発したことがあります。
チャノス氏は、集団的自衛権を含む安保法制などを強行的に進める安倍首相に対し、「中国のどの指導者よりもアジアを不安定化させる恐れがある」とコメント。
安倍首相が旗振りを懸命にしていた「アベノミクス」についても「時間がかかると見ている」と懐疑的な見方を示していました。
現実はどうか。
チャノス氏が危険したよりもっとひどくなっているのが今の日本の状態です。
日本経済は政府・日銀による株価つり上げで一見よさそうに見えますが、何のことはない生活必需品だけが高騰し、実質賃金は下落の一途で庶民は完全に生活防衛のためスーパーの安売りや激安店のハシゴに走り、景気が良くなったなどほとんどの人が感じていないのが実情です。
夏休みに入っても海水浴場がガラガラだったり、避暑地のキャンプ場も空きが多いという異常さは猛暑のせいだけではありません。
ほんの一握りの富裕層をものぞき、お金を使う余裕がないのです。
ツイッターでは・・・・・
安倍外交もーアホぼん三世を、日本を再武装させようとしており、アジアで最も危険な人物だと評した。これが世界の見方。日本だけ、とりわけ自公だけ異なっている。日本は、反日カルトに乗っ取られた。https://jp.reuters.com/article/jim-chanos-on-abe-idJPKBN0DW1TM20140516 …
あるいはー「安倍首相は日本を再武装させようとしてるアジアで最も危険な人物」だってよ。さすが外交の安倍。喜べよ、安倍支持派。 https://jp.reuters.com/article/jim-chanos-on-abe-idJPKBN0DW1TM20140516 …
この人間を支持する国民も無関心な国民も同罪だと思う。市場原理主義と忖度するメディアも。jp.reuters.com/article/jim-chanos-on-abe-idJPKBN0DW1TM20140516
等ツイッターでも今年の8月になってからあきれ果てるものがあふれ出しました。
アベよりまし、という自民党員から石破支持をツイッターで立ち上げる数も予想を超えるペースだと言われ始めています。
国民にとっては安倍首相は米国に魂を売った売国・亡国首相にほかなりませんが、ほんの一握りの極右超国家主義者に踊らされてツイッターやフェイスブック、ブログなどで荒らしを専門にやっている中年のおじさんたちに騙されて、よく理解しないまま飛びついている若年層が結構存在することに危機感を覚えます。
安倍改憲が強行されると一番先に被害を被るのが若者自身なのですけどね~o(`・д・´)o ウン!!
みなさん、憲法9条が改悪されたら大変なことになりますよ。
世界の宝である憲法9条は一言一句触れさせてはならないのです。
[第二次世界大戦特集]
※ポツダム宣言受諾について
1945年(昭和20年)7月26日のポツダム宣言の発表に際し、日本政府は戦争終結のための手段としてその受諾を検討する一方、宣言の文中に天皇制が維持されるか否かについて言及がなかったことから、国体(絶対主義的天皇制)護持を求める主張を中心に、日本政府内で激しい議論が起こった。
宣言における天皇の扱いについては、米国国務次官ジョセフ・グルーと陸軍長官ヘンリー・スティムソンによる起草段階では天皇制を維持する旨の条項が含まれていたが、当時は米国政府内でもその是非について見解が定まっておらず、最終案では削除されていた。
また、当時近衛文麿元首相を天皇の特使としてソ連に派遣し、和平の仲介を求める構想があったこともあり、結局、政府はポツダム宣言の黙殺を一旦は決定した。
7月27日、日本政府はポツダム宣言の存在を論評なしに公表し、翌28日には読売新聞で「笑止、対日降伏條件」、毎日新聞で「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戰飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚を露呈」などと報道された。
同日、鈴木貫太郎首相は記者会見で「共同聲明はカイロ會談の焼直しと思ふ、政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し、斷固戰争完遂に邁進する」(毎日新聞、1945年(昭和20年)7月29日)と述べ、翌日朝日新聞で「政府は黙殺」などと報道された。
この「黙殺」は日本の国家代表通信社である同盟通信社では「ignore it entirely(全面的に無視)」と翻訳され、またロイターとAP通信では「Reject(拒否)」と訳され報道された。
ところが、8月6日には広島市への原子爆弾投下、9日には長崎市への原子爆弾投下が行われ、両市における甚大な被害が伝えられた。
同日、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄(1945年(昭和20年)4月5日、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しない[ソ連側は「破棄」と表現]ことを日本に通達)し、満州国、朝鮮半島北部、南樺太、千島への侵攻を開始した(ソ連対日参戦)。
これらに衝撃を受けた日本政府は、8月9日の御前会議で「国体の護持」を条件に宣言の受諾を決定し、8月10日に連合国に中立国を経てその旨を通告した。
翌11日、米国政府は「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」とし、また「降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施の為其の必要と認むる処置を執る連合軍最高司令官に従属する(subject to)」と回答した(「バーンズ回答」)。"subject to"の訳については「制限の下に置かれる」とする外務省と「隷属する」とする軍部強硬派の間の対立があり、軍部強硬派が国体護持について再照会を主張したため、ポツダム宣言を受諾するか否か大混乱に陥った。
◆これが8月14日から8月15日未明にかけての一部陸軍幕僚と近衛連隊中級将校のクーデター未遂事件に発展し、昭和天皇の玉音録音盤強奪のための皇居占拠という暴走を招くことになりました。
半藤一利によるノンフィクション書籍、および映画「日本のいちばん長い日」の題材となる。
※カイロ会談とは第二次世界大戦中の1943年に開かれたカイロ会談(Cairo Conference)を経て示された宣言で、米英の連合国に蒋介石が加わって対日要求を決定した方針のこと。
[撮りたてのホカホカ]
朝顔



[今日の音楽]
歌い継がれる反戦歌 「死んだ男の残したものは」 歌唱:新妻聖子
[今日のお気に入り]
平和な日本が世界に誇る憲法九条を変えてはならないという声が若者世代でも85%にものぼることが世論調査で分かりました。
世界の宝を守るためにも声を上げましょう!!

キング牧師もはっきり語っています。
沈黙は権力者の主張と同罪ですヨ!!

[歴史に残る名言]
<石川啄木の名言>
「空寝入(そらねいり)生あくび《「生」&「口+去」&「呻」》など
なぜするや
思ふこと人にさとらせぬため」
石川啄木[いしかわ・たくぼく](明治の歌人・詩人、1886~1912)『一握の砂』
[今日は何の日?]
<今日のトップニュース>
※<戦後73年> 小2のひと言、スパイ疑われ
太平洋戦争直前から戦中にかけ、元愛知県職員の目崎久男さん(85)=名古屋市北区=は「スパイの子」「非国民」と、周囲から激しい非難を浴びせられた。何げなく口にした一言が誤解を呼び、「戦争の異常な雰囲気が生んだ、民衆のヒステリー」の標的となった。「あんな社会が、二度と来ないように」。終戦から七十三年の今夏、初めて経験を語る。
太平洋戦争開戦前年の一九四〇(昭和十五)年春から年末にかけ、目崎さんは海運関係の仕事をしていた父親とともに一家で太平洋のサイパン島で暮らした。
日本はそのころ、長引く日中戦争などによる経済の行き詰まりを打開するため、米国や英国との戦争に備えていた。サイパン島など太平洋上の島々が戦地になる可能性があることは現地の人にも知られ、国の「一般人は内地に戻れ」との指示で、四一年初めに東京に移り住んだ。
小学校の二年生に編入した目崎さんは、同級生らから「なぜサイパンから帰ってきたのか」と尋ねられた。親から伝え聞いていた話をそのまま「近いうちに米英と戦争があるから、逃れてきた」と、深く考えずに答えてしまった。
多くの日本人は、新たな戦争が起きるとは考えていなかったころ。うわさはたちまち広まった。目崎さん一家は、敵国の情報を知るスパイの家庭と疑われ、父親は治安維持法に基づき一カ月ほど勾留された。暴力を含む過酷な取り調べを受けたのか、自宅に戻ってからも、三週間ほど寝たきりに。家の前では、特高の官憲が三カ月ほど、家族の動きを見張っていた。
しかし、官憲の姿が見えなくなってからが、本当の地獄だった。壁に「スパイの家」と落書きされ、近所の人たちから石やふん便、動物の死骸が投げ込まれた。火の付いたわらまでも。母や、幼い弟らを含む家族皆が「非国民、死んじまえ」とののしられ、目崎さんは学校で、教師から口に赤いテープを「×」の字に張られた。
不安定になった母親は、ロープを手に「みんなで首をつろう」と迫った。四一年十二月に太平洋戦争が始まったころ、一家は逃げるように名古屋市に転居した。「自分が何げなく口にした一言で、危うく一家心中するところだった」
名古屋では、そうした一家の事情を把握している人はいたものの、周囲は温かく目崎さんらを受け入れた。だが、終戦が近づき、軍事教練を受けていた際、教官の軍人から「根性が曲がったやつが一人いる」と木銃で殴られるなど、理不尽な暴力を受けた。
戦後も、目崎さんは出張などで東京に行くと気分が落ち着かなかった。自分の一言が招いた悔いから、長く封印してきた経験だったが、年を重ね、体も衰えてきた今、伝えねばと決断した。「戦前、戦中の異常とも思える社会が二度と来ないために、どうしたらいいか。ただ、若い人たちに話を聞いて考えてほしい」。十二日午後二時から名古屋市名東区の「戦争と平和の資料館ピースあいち」での語り部会で、体験を語る。 (中尾吟)2018年8月12日【出典:中日新聞】
これが戦前の治安維持法下の実態です。
何の罪も犯していないのに小学二年生の発したひとつの言葉だけでスパイ扱いされたり、官憲の厳しい監視を受ける羽目になった人は数知れず。
お父様が特高警察から解放れただけまだましの方です。
多くの人が濡れ衣を着せられるか、決めつけられて民主的手続きなしに裁判で有罪宣告され1945年の敗戦まで刑務所に中に閉じ込められていたことが真実です。
中には取調べと称してありとあらゆる拷問をされ、虚偽の自白をさせられた人も多数損゛いしています。
そんな時代に戻させないためにも安倍自公政権を退場に追い込む必要があります。
<ちょっと前のトップニュース>
※沖縄、オスプレイ飛行禁止を決議 県民大会、4万5千人参加

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する「県民大会」が12日、那覇市の奥武山公園で開かれ、主催者発表で約4万5千人が参加。普天間飛行場に所属する新型輸送機オスプレイのオーストラリア沖での墜落事故を受け、「非常に危険な欠陥機だ」として国内での全面的な飛行禁止を求める特別決議を採択。翁長雄志知事は辺野古移設阻止を訴えた。
普天間所属のオスプレイは昨年12月にも名護市沿岸部で不時着、大破。5日のオーストラリア沖の墜落で、安全性への不安が高まっている。
翁長氏はあいさつで、辺野古での「新基地建設は絶対にできないと確信している」と強調した。(共同)2017年8月12日【出典:東京新聞】
沖縄県民の怒りが頂点に達し、県民大会に4万5千人もの人たちが終結した事実を日本政府は何と思っているのでしょうか。
安倍首相は父親の晋太郎氏の墓参りをしたようですが、父親の遺言も無視し暴走しつづけていることを反省しているとは思えません。
以前に述べたように安倍首相は「丁寧に説明せず、ウソをつき続けている」裸の王様でしょう。
オスプレイは昨年末にも名護市安部(あぶ)で墜落。事故報告書も明らかになっていません。
事故報告書も明らかにされず、今回も事故直後に飛行再開しました。
沖縄県民が満身の怒りを込めて抗議するのも当然です。
在沖米軍トップのニコルソン四軍調整官が「オスプレイ飛行が安全であると判断し運用を再開した」とする声明を出したことに対し、認識をただされた中嶋局長は「安全性確保に向けた決意が表れていると思う」と評価しているとしています。
防衛省が飛行自粛を求めたものをと引っ込めてしまうという暴挙により、普天間基地に配備されているオスプレイが10日から始まった北海道での日米共同訓練に向けて出発するなど防衛省は米軍言いなり姿勢を崩さず、米軍が「安全だ」といえばそのまま防衛省の見解も「安全」などというのは日本の独立国としての名誉も立場も放棄し、沖縄差別以外の何物でもありません。
普天間基地がある市民は「オスプレイなどの少しの音の変化にも墜落の恐怖を感じてしまう。そんな市民に寄り添うと言うのなら、なぜ一言、日本国の政府として『飛ぶな』と米軍に言えないのか」と迫りましたが、これが沖縄県民の総意ではないでしょうか。
<もう少し前のトップニュース>
※伊方原発3号機が臨界 四国電力、15日に発送電開始
四国電力が再稼働させた伊方原発3号機(愛媛県伊方町、出力89万キロワット)は13日午前6時30分、核分裂反応が安定的に持続する「臨界」に達した。発電するには原子炉を臨界状態に保つ必要がある。今後作業が順調に進めば15日午後1時半~2時ごろに発電と送電を開始、22日にはフル稼働する。9月上旬に営業運転を始める見通し。
四国電は12日午前9時、制御棒を引き抜いて原子炉を起動した。その後、原子炉で核分裂反応を抑えるホウ素の濃度を調整するなどして臨界への作業を進め、再稼働から21時間30分後に臨界に到達した。2016/8/13 【中日新聞】
住民の生命・財産を脅かすだけでなく、憲法が保障している幸福追求権さえ無視して伊方原発の再稼働に突き進ませた原子力規制委員会の新規制基準は「世界一厳しい」どころか、米仏両国の規制基準より緩いのに批判を浴びた『原子力利益共同体』からの要求を丸のみしてまで再稼働に踏み切った安倍政権の横暴なやり口は絶対に認められません。
何故福島原発事故が起きたのか、その原因さえ完全に調査しないままで、しかも事故収束もできるかどうかわかりません。
マスメディアは意図的に隠していますが、米海兵隊が「トモダチ作戦」と称して被災地福島の遺体収容を手伝った結果、放射性のがんや体調を崩す隊員が続出し、除隊後に危険なところに無理やり行かされたとして400名にも及ぶ訴訟が起こされています。
また、政府が派遣した医師のデタラメな報告とは違いすでに甲状腺がんが多発していることも告発されているのに何も手を打てないでいる安倍政権。
安倍政権は国民の生命財産を危険にさらしてまで、ほんの一握りの富裕層のために国土まで汚染させても平気な亡国政権にほかなりません。
財界と米国に魂を売った昔の右翼の人なら黙っていない安倍政権は売国政権に間違いないでしょう。
<かなり前のトップニュース>
※「基地あるから事故起きる」 翁長知事「県外」重ねて訴え
米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設に伴う名護市辺野古(へのこ)への新基地建設をめぐり、政府と県による集中協議の初会合として十二日、翁長雄志(おながたけし)知事と菅義偉(すがよしひで)官房長官が那覇市の県庁で会談した。翁長氏は、米軍ヘリコプターの墜落事故について「基地があるからそういうことが起きる。住んでいる人には、とても耐えられない」と述べ、事故を根絶するために米軍基地の県外移転を訴えた。県民は事故に反発しており、協議への影響は必至だ。 (後藤孝好)
墜落事故は初会合の直前に発生した。会談の冒頭、翁長氏は「二時間ほど前に、H60というヘリコプターが墜落した。やっぱり基地のそばに住んでいると、大変なことがある」と強調。住宅に囲まれて「世界一危険」とされる普天間飛行場の早期返還を含め、基地負担の軽減を求めた。
国土面積の0・6%の沖縄県には、在日米軍専用施設の73・8%が集中し、米軍機による事故が後を絶たない。
米占領下の一九五九年六月、うるま市(当時は石川市)で宮森小学校に米軍ジェット戦闘機が墜落し、児童十一人を含む住民十七人が犠牲に。
最近でも二〇〇四年八月、米海兵隊のCH53大型輸送ヘリが沖縄国際大の建物に衝突し、墜落して炎上。一三年八月には、米軍基地キャンプ・ハンセン(宜野座村など)内で、米空軍嘉手納(かでな)基地(嘉手納町など)所属のHH60救難ヘリが墜落、炎上するなど、県民は不安におびえながら暮らしている。
翁長氏は会談で、関係市町村が十三日にもヘリ墜落事故について沖縄防衛局に抗議するとの見通しを示した上で「説明を求めても、(防衛局側は)『原因究明したい』とか『私たちも分からない』とか、しゃくし定規の、何の意味もない答えしか返ってこないだろう」と苦言。「それに時間を費やされる気持ちが分かるか」とも述べ、県民感情に寄り添わない政府の対応を批判した。
菅氏は会談後、記者団に「事故は極めて遺憾」と強調しながら、「詳細は引き続き確認中で、現時点で確たることを申し上げることは控えたい」などと述べるにとどめた。2015/8/13【東京新聞】
<8月13日の記念日>
※郡上おどりの日(13日からの徹夜踊りの初日)(重要無形民俗文化財)
郡上おどりは岐阜県郡上市八幡町(旧・郡上郡八幡町、通称「郡上八幡」)で開催される伝統的な盆踊りである。日本三大盆踊り、日本三大民謡(郡上節)に数えられる。
※函館・夜景の日
8を「や」、13をトランプのKで「けい」と読ませて、函館市役所が、函館の美しい夜景をアピールするために制定した日。
※左利きの日
イギリスのLeft-Handers Clubが制定。
※お守り記念日
2007年8月13日に「マモちゃん」「オマモリ王子」こと、テレビ信州の中村守アナウンサーがテレビ信州の制作の番組「情報ワイド・ゆうがたGet!」で、長野県各地でお守りをいただきながら、15日間かけて信州南北縦断300kmの実況マラソンの旅を達成したことからテレビ信州「ゆうがたGet!」が制定。この日はいつも見守ってくれるご先祖様の迎え盆の日でもある。
※月遅れ盆迎え火
本来は旧暦7月13日であるが、明治の改暦後は、多くの地域で月遅れの8月13日に行われる。
お盆に先祖の霊を迎え入れるため野火をたく。
※水巴忌
俳人・渡邊水巴[わたなべすいは]の1946(昭和21)年の忌日。
※怪談の日
「怪談」をエンターテインメントとして確立した稲川淳二氏が、自身の「MYSTERY NIGHT TOUR 稲川淳二の怪談ナイト」20周年連続公演を記念して制定。日付は第一回の公演が1993年8月13日にクラブチッタ川崎で開催されたことから。
<今日の誕生花>
麒麟草[きりんそう]「花言葉:警戒」 松虫草[まつむしそう]「花言葉:悲しみの花嫁」

カンナ「花言葉:情熱,快活」

<歴史上の出来事>
1512年アステカ文明の都・テノチティトラン(現在のメキシコシティ)がエルナン・コルテスにより陥落
1716年紀州藩主・徳川吉宗が江戸幕府8代将軍に
1904年桂田富士郎が日本住血吸虫を発見
1913年吉田岩窟王事件。名古屋市の路上で男性が殺害され所持金が奪われる。主犯として吉田石松が逮捕され、無期懲役となり収監されるが獄中から無実を訴え、再審により1963年に無罪判決
1916年中国・鄭家屯で駐在中の日本軍と奉天軍が衝突
1927年大阪放送局(現 NHK大阪放送局)が甲子園から全国中等野球優勝大会(現高校野球)を初めてラジオで中継
1937年第二次上海事変。日本海軍特別陸戦隊と中国軍が交戦
1945年小山克事件。満州国吉林省の小山克で、日本人避難民を乗せた列車を武装した暴民が襲撃し、日本人を強姦・虐殺
1961年東ドイツが東西ドイツ間の68の道路を閉鎖し、有刺鉄線による最初の「ベルリンの壁」の建設を開始
1964年琉球立法院が国旗掲揚の自由と日本国籍明示要請を決議
1968年ギリシャ軍事政権の指導者パパドプロスの暗殺未遂事件
1990年ソ連のゴルバチョフ大統領が、スターリン時代に弾圧・粛清された全ての国民の名誉を回復する大統領を発布
2004年在日米軍の大型輸送ヘリが沖縄国際大学に墜落
2007年ロシア北西部のノブゴロド州で線路に仕掛けられた爆弾が爆発し、モスクワ発サンクトペテルブルク行の列車が脱線、約60人が負傷する
2008年太田雄貴が北京五輪フェンシング男子フルーレ個人で日本フェンシング史上初の五輪メダルである銀メダルを獲得
2017年 ロンドン世界陸上男子50km競歩で荒井広宙が銀、小林快が銅メダルを獲得。同種目での日本人史上初の複数メダル獲得
<著名人の誕生日>
1814年アンデルス・オングストローム (スウェーデン:物理学者(分光学),長さの単位Å(オングストローム)の名の由来)[1874年6月21日]
1899年アルフレッド・ヒッチコック (米:映画監督『鳥』『サイコ』)[1980年4月29日]
1926年フィデル・カストロ (キューバ:軍人,国家評議会議長)
1939年2代目桂枝雀[かつら・しじゃく] (落語家)自殺[1999年4月19日]
1948年キャスリーン・バトル (米:歌手)
1969年伊藤みどり[いとう・みどり] (フィギュアスケート)
1977年小西美帆[こにし・みほ] (女優)出身地が岐阜県なので^^
<著名人の忌日>
1896年ジョン・エヴァレット・ミレー (英:画家) <67歳>[1829年6月8日生]
1910年フローレンス・ナイチンゲール (英:看護婦「クリミアの天使」) <90歳>[1820年5月12日生]
1947年伊波普猷[いは・ふゆう] (民俗学者,歴史家,「沖縄学」を創始) <71歳>[1876年3月15日生]
2009年熊田五郎(熊田千佳慕)[くまだ・ごろう] (グラフィックデザイナー,絵本作家) <98歳>[1911年7月21日生]
2013年村山 定男[むらやま さだお](日本の天文学者)[1924年4月9日生]
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いつもお立ち寄りいただきありがとうございます(*^^)
皆さまの中には既に夏季休暇やお盆のお休みに入られた方もあるでしょうね~。
少し話は古くなりますが、今からちょうど4年前の2014年5月16日、ヘッジファンドのキニコス・アソシエーツを率いる有名投資家・ジム・チャノス氏が、ラスベガスで開催された会合において、安倍首相のことを「アジアで最も危険な人物」と評価し、危険視するコメントを発したことがあります。
チャノス氏は、集団的自衛権を含む安保法制などを強行的に進める安倍首相に対し、「中国のどの指導者よりもアジアを不安定化させる恐れがある」とコメント。
安倍首相が旗振りを懸命にしていた「アベノミクス」についても「時間がかかると見ている」と懐疑的な見方を示していました。
現実はどうか。
チャノス氏が危険したよりもっとひどくなっているのが今の日本の状態です。
日本経済は政府・日銀による株価つり上げで一見よさそうに見えますが、何のことはない生活必需品だけが高騰し、実質賃金は下落の一途で庶民は完全に生活防衛のためスーパーの安売りや激安店のハシゴに走り、景気が良くなったなどほとんどの人が感じていないのが実情です。
夏休みに入っても海水浴場がガラガラだったり、避暑地のキャンプ場も空きが多いという異常さは猛暑のせいだけではありません。
ほんの一握りの富裕層をものぞき、お金を使う余裕がないのです。
ツイッターでは・・・・・
安倍外交もーアホぼん三世を、日本を再武装させようとしており、アジアで最も危険な人物だと評した。これが世界の見方。日本だけ、とりわけ自公だけ異なっている。日本は、反日カルトに乗っ取られた。https://jp.reuters.com/article/jim-chanos-on-abe-idJPKBN0DW1TM20140516 …
あるいはー「安倍首相は日本を再武装させようとしてるアジアで最も危険な人物」だってよ。さすが外交の安倍。喜べよ、安倍支持派。 https://jp.reuters.com/article/jim-chanos-on-abe-idJPKBN0DW1TM20140516 …
この人間を支持する国民も無関心な国民も同罪だと思う。市場原理主義と忖度するメディアも。jp.reuters.com/article/jim-chanos-on-abe-idJPKBN0DW1TM20140516
等ツイッターでも今年の8月になってからあきれ果てるものがあふれ出しました。
アベよりまし、という自民党員から石破支持をツイッターで立ち上げる数も予想を超えるペースだと言われ始めています。
国民にとっては安倍首相は米国に魂を売った売国・亡国首相にほかなりませんが、ほんの一握りの極右超国家主義者に踊らされてツイッターやフェイスブック、ブログなどで荒らしを専門にやっている中年のおじさんたちに騙されて、よく理解しないまま飛びついている若年層が結構存在することに危機感を覚えます。
安倍改憲が強行されると一番先に被害を被るのが若者自身なのですけどね~o(`・д・´)o ウン!!
みなさん、憲法9条が改悪されたら大変なことになりますよ。
世界の宝である憲法9条は一言一句触れさせてはならないのです。
[第二次世界大戦特集]
※ポツダム宣言受諾について
1945年(昭和20年)7月26日のポツダム宣言の発表に際し、日本政府は戦争終結のための手段としてその受諾を検討する一方、宣言の文中に天皇制が維持されるか否かについて言及がなかったことから、国体(絶対主義的天皇制)護持を求める主張を中心に、日本政府内で激しい議論が起こった。
宣言における天皇の扱いについては、米国国務次官ジョセフ・グルーと陸軍長官ヘンリー・スティムソンによる起草段階では天皇制を維持する旨の条項が含まれていたが、当時は米国政府内でもその是非について見解が定まっておらず、最終案では削除されていた。
また、当時近衛文麿元首相を天皇の特使としてソ連に派遣し、和平の仲介を求める構想があったこともあり、結局、政府はポツダム宣言の黙殺を一旦は決定した。
7月27日、日本政府はポツダム宣言の存在を論評なしに公表し、翌28日には読売新聞で「笑止、対日降伏條件」、毎日新聞で「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戰飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚を露呈」などと報道された。
同日、鈴木貫太郎首相は記者会見で「共同聲明はカイロ會談の焼直しと思ふ、政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し、斷固戰争完遂に邁進する」(毎日新聞、1945年(昭和20年)7月29日)と述べ、翌日朝日新聞で「政府は黙殺」などと報道された。
この「黙殺」は日本の国家代表通信社である同盟通信社では「ignore it entirely(全面的に無視)」と翻訳され、またロイターとAP通信では「Reject(拒否)」と訳され報道された。
ところが、8月6日には広島市への原子爆弾投下、9日には長崎市への原子爆弾投下が行われ、両市における甚大な被害が伝えられた。
同日、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄(1945年(昭和20年)4月5日、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しない[ソ連側は「破棄」と表現]ことを日本に通達)し、満州国、朝鮮半島北部、南樺太、千島への侵攻を開始した(ソ連対日参戦)。
これらに衝撃を受けた日本政府は、8月9日の御前会議で「国体の護持」を条件に宣言の受諾を決定し、8月10日に連合国に中立国を経てその旨を通告した。
翌11日、米国政府は「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」とし、また「降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施の為其の必要と認むる処置を執る連合軍最高司令官に従属する(subject to)」と回答した(「バーンズ回答」)。"subject to"の訳については「制限の下に置かれる」とする外務省と「隷属する」とする軍部強硬派の間の対立があり、軍部強硬派が国体護持について再照会を主張したため、ポツダム宣言を受諾するか否か大混乱に陥った。
◆これが8月14日から8月15日未明にかけての一部陸軍幕僚と近衛連隊中級将校のクーデター未遂事件に発展し、昭和天皇の玉音録音盤強奪のための皇居占拠という暴走を招くことになりました。
半藤一利によるノンフィクション書籍、および映画「日本のいちばん長い日」の題材となる。
※カイロ会談とは第二次世界大戦中の1943年に開かれたカイロ会談(Cairo Conference)を経て示された宣言で、米英の連合国に蒋介石が加わって対日要求を決定した方針のこと。
[撮りたてのホカホカ]
朝顔



[今日の音楽]
歌い継がれる反戦歌 「死んだ男の残したものは」 歌唱:新妻聖子
[今日のお気に入り]
平和な日本が世界に誇る憲法九条を変えてはならないという声が若者世代でも85%にものぼることが世論調査で分かりました。
世界の宝を守るためにも声を上げましょう!!

キング牧師もはっきり語っています。
沈黙は権力者の主張と同罪ですヨ!!

[歴史に残る名言]
<石川啄木の名言>
「空寝入(そらねいり)生あくび《「生」&「口+去」&「呻」》など
なぜするや
思ふこと人にさとらせぬため」
石川啄木[いしかわ・たくぼく](明治の歌人・詩人、1886~1912)『一握の砂』
[今日は何の日?]
<今日のトップニュース>
※<戦後73年> 小2のひと言、スパイ疑われ
太平洋戦争直前から戦中にかけ、元愛知県職員の目崎久男さん(85)=名古屋市北区=は「スパイの子」「非国民」と、周囲から激しい非難を浴びせられた。何げなく口にした一言が誤解を呼び、「戦争の異常な雰囲気が生んだ、民衆のヒステリー」の標的となった。「あんな社会が、二度と来ないように」。終戦から七十三年の今夏、初めて経験を語る。
太平洋戦争開戦前年の一九四〇(昭和十五)年春から年末にかけ、目崎さんは海運関係の仕事をしていた父親とともに一家で太平洋のサイパン島で暮らした。
日本はそのころ、長引く日中戦争などによる経済の行き詰まりを打開するため、米国や英国との戦争に備えていた。サイパン島など太平洋上の島々が戦地になる可能性があることは現地の人にも知られ、国の「一般人は内地に戻れ」との指示で、四一年初めに東京に移り住んだ。
小学校の二年生に編入した目崎さんは、同級生らから「なぜサイパンから帰ってきたのか」と尋ねられた。親から伝え聞いていた話をそのまま「近いうちに米英と戦争があるから、逃れてきた」と、深く考えずに答えてしまった。
多くの日本人は、新たな戦争が起きるとは考えていなかったころ。うわさはたちまち広まった。目崎さん一家は、敵国の情報を知るスパイの家庭と疑われ、父親は治安維持法に基づき一カ月ほど勾留された。暴力を含む過酷な取り調べを受けたのか、自宅に戻ってからも、三週間ほど寝たきりに。家の前では、特高の官憲が三カ月ほど、家族の動きを見張っていた。
しかし、官憲の姿が見えなくなってからが、本当の地獄だった。壁に「スパイの家」と落書きされ、近所の人たちから石やふん便、動物の死骸が投げ込まれた。火の付いたわらまでも。母や、幼い弟らを含む家族皆が「非国民、死んじまえ」とののしられ、目崎さんは学校で、教師から口に赤いテープを「×」の字に張られた。
不安定になった母親は、ロープを手に「みんなで首をつろう」と迫った。四一年十二月に太平洋戦争が始まったころ、一家は逃げるように名古屋市に転居した。「自分が何げなく口にした一言で、危うく一家心中するところだった」
名古屋では、そうした一家の事情を把握している人はいたものの、周囲は温かく目崎さんらを受け入れた。だが、終戦が近づき、軍事教練を受けていた際、教官の軍人から「根性が曲がったやつが一人いる」と木銃で殴られるなど、理不尽な暴力を受けた。
戦後も、目崎さんは出張などで東京に行くと気分が落ち着かなかった。自分の一言が招いた悔いから、長く封印してきた経験だったが、年を重ね、体も衰えてきた今、伝えねばと決断した。「戦前、戦中の異常とも思える社会が二度と来ないために、どうしたらいいか。ただ、若い人たちに話を聞いて考えてほしい」。十二日午後二時から名古屋市名東区の「戦争と平和の資料館ピースあいち」での語り部会で、体験を語る。 (中尾吟)2018年8月12日【出典:中日新聞】
これが戦前の治安維持法下の実態です。
何の罪も犯していないのに小学二年生の発したひとつの言葉だけでスパイ扱いされたり、官憲の厳しい監視を受ける羽目になった人は数知れず。
お父様が特高警察から解放れただけまだましの方です。
多くの人が濡れ衣を着せられるか、決めつけられて民主的手続きなしに裁判で有罪宣告され1945年の敗戦まで刑務所に中に閉じ込められていたことが真実です。
中には取調べと称してありとあらゆる拷問をされ、虚偽の自白をさせられた人も多数損゛いしています。
そんな時代に戻させないためにも安倍自公政権を退場に追い込む必要があります。
<ちょっと前のトップニュース>
※沖縄、オスプレイ飛行禁止を決議 県民大会、4万5千人参加

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する「県民大会」が12日、那覇市の奥武山公園で開かれ、主催者発表で約4万5千人が参加。普天間飛行場に所属する新型輸送機オスプレイのオーストラリア沖での墜落事故を受け、「非常に危険な欠陥機だ」として国内での全面的な飛行禁止を求める特別決議を採択。翁長雄志知事は辺野古移設阻止を訴えた。
普天間所属のオスプレイは昨年12月にも名護市沿岸部で不時着、大破。5日のオーストラリア沖の墜落で、安全性への不安が高まっている。
翁長氏はあいさつで、辺野古での「新基地建設は絶対にできないと確信している」と強調した。(共同)2017年8月12日【出典:東京新聞】
沖縄県民の怒りが頂点に達し、県民大会に4万5千人もの人たちが終結した事実を日本政府は何と思っているのでしょうか。
安倍首相は父親の晋太郎氏の墓参りをしたようですが、父親の遺言も無視し暴走しつづけていることを反省しているとは思えません。
以前に述べたように安倍首相は「丁寧に説明せず、ウソをつき続けている」裸の王様でしょう。
オスプレイは昨年末にも名護市安部(あぶ)で墜落。事故報告書も明らかになっていません。
事故報告書も明らかにされず、今回も事故直後に飛行再開しました。
沖縄県民が満身の怒りを込めて抗議するのも当然です。
在沖米軍トップのニコルソン四軍調整官が「オスプレイ飛行が安全であると判断し運用を再開した」とする声明を出したことに対し、認識をただされた中嶋局長は「安全性確保に向けた決意が表れていると思う」と評価しているとしています。
防衛省が飛行自粛を求めたものをと引っ込めてしまうという暴挙により、普天間基地に配備されているオスプレイが10日から始まった北海道での日米共同訓練に向けて出発するなど防衛省は米軍言いなり姿勢を崩さず、米軍が「安全だ」といえばそのまま防衛省の見解も「安全」などというのは日本の独立国としての名誉も立場も放棄し、沖縄差別以外の何物でもありません。
普天間基地がある市民は「オスプレイなどの少しの音の変化にも墜落の恐怖を感じてしまう。そんな市民に寄り添うと言うのなら、なぜ一言、日本国の政府として『飛ぶな』と米軍に言えないのか」と迫りましたが、これが沖縄県民の総意ではないでしょうか。
<もう少し前のトップニュース>
※伊方原発3号機が臨界 四国電力、15日に発送電開始
四国電力が再稼働させた伊方原発3号機(愛媛県伊方町、出力89万キロワット)は13日午前6時30分、核分裂反応が安定的に持続する「臨界」に達した。発電するには原子炉を臨界状態に保つ必要がある。今後作業が順調に進めば15日午後1時半~2時ごろに発電と送電を開始、22日にはフル稼働する。9月上旬に営業運転を始める見通し。
四国電は12日午前9時、制御棒を引き抜いて原子炉を起動した。その後、原子炉で核分裂反応を抑えるホウ素の濃度を調整するなどして臨界への作業を進め、再稼働から21時間30分後に臨界に到達した。2016/8/13 【中日新聞】
住民の生命・財産を脅かすだけでなく、憲法が保障している幸福追求権さえ無視して伊方原発の再稼働に突き進ませた原子力規制委員会の新規制基準は「世界一厳しい」どころか、米仏両国の規制基準より緩いのに批判を浴びた『原子力利益共同体』からの要求を丸のみしてまで再稼働に踏み切った安倍政権の横暴なやり口は絶対に認められません。
何故福島原発事故が起きたのか、その原因さえ完全に調査しないままで、しかも事故収束もできるかどうかわかりません。
マスメディアは意図的に隠していますが、米海兵隊が「トモダチ作戦」と称して被災地福島の遺体収容を手伝った結果、放射性のがんや体調を崩す隊員が続出し、除隊後に危険なところに無理やり行かされたとして400名にも及ぶ訴訟が起こされています。
また、政府が派遣した医師のデタラメな報告とは違いすでに甲状腺がんが多発していることも告発されているのに何も手を打てないでいる安倍政権。
安倍政権は国民の生命財産を危険にさらしてまで、ほんの一握りの富裕層のために国土まで汚染させても平気な亡国政権にほかなりません。
財界と米国に魂を売った昔の右翼の人なら黙っていない安倍政権は売国政権に間違いないでしょう。
<かなり前のトップニュース>
※「基地あるから事故起きる」 翁長知事「県外」重ねて訴え
米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設に伴う名護市辺野古(へのこ)への新基地建設をめぐり、政府と県による集中協議の初会合として十二日、翁長雄志(おながたけし)知事と菅義偉(すがよしひで)官房長官が那覇市の県庁で会談した。翁長氏は、米軍ヘリコプターの墜落事故について「基地があるからそういうことが起きる。住んでいる人には、とても耐えられない」と述べ、事故を根絶するために米軍基地の県外移転を訴えた。県民は事故に反発しており、協議への影響は必至だ。 (後藤孝好)
墜落事故は初会合の直前に発生した。会談の冒頭、翁長氏は「二時間ほど前に、H60というヘリコプターが墜落した。やっぱり基地のそばに住んでいると、大変なことがある」と強調。住宅に囲まれて「世界一危険」とされる普天間飛行場の早期返還を含め、基地負担の軽減を求めた。
国土面積の0・6%の沖縄県には、在日米軍専用施設の73・8%が集中し、米軍機による事故が後を絶たない。
米占領下の一九五九年六月、うるま市(当時は石川市)で宮森小学校に米軍ジェット戦闘機が墜落し、児童十一人を含む住民十七人が犠牲に。
最近でも二〇〇四年八月、米海兵隊のCH53大型輸送ヘリが沖縄国際大の建物に衝突し、墜落して炎上。一三年八月には、米軍基地キャンプ・ハンセン(宜野座村など)内で、米空軍嘉手納(かでな)基地(嘉手納町など)所属のHH60救難ヘリが墜落、炎上するなど、県民は不安におびえながら暮らしている。
翁長氏は会談で、関係市町村が十三日にもヘリ墜落事故について沖縄防衛局に抗議するとの見通しを示した上で「説明を求めても、(防衛局側は)『原因究明したい』とか『私たちも分からない』とか、しゃくし定規の、何の意味もない答えしか返ってこないだろう」と苦言。「それに時間を費やされる気持ちが分かるか」とも述べ、県民感情に寄り添わない政府の対応を批判した。
菅氏は会談後、記者団に「事故は極めて遺憾」と強調しながら、「詳細は引き続き確認中で、現時点で確たることを申し上げることは控えたい」などと述べるにとどめた。2015/8/13【東京新聞】
<8月13日の記念日>
※郡上おどりの日(13日からの徹夜踊りの初日)(重要無形民俗文化財)
郡上おどりは岐阜県郡上市八幡町(旧・郡上郡八幡町、通称「郡上八幡」)で開催される伝統的な盆踊りである。日本三大盆踊り、日本三大民謡(郡上節)に数えられる。
※函館・夜景の日
8を「や」、13をトランプのKで「けい」と読ませて、函館市役所が、函館の美しい夜景をアピールするために制定した日。
※左利きの日
イギリスのLeft-Handers Clubが制定。
※お守り記念日
2007年8月13日に「マモちゃん」「オマモリ王子」こと、テレビ信州の中村守アナウンサーがテレビ信州の制作の番組「情報ワイド・ゆうがたGet!」で、長野県各地でお守りをいただきながら、15日間かけて信州南北縦断300kmの実況マラソンの旅を達成したことからテレビ信州「ゆうがたGet!」が制定。この日はいつも見守ってくれるご先祖様の迎え盆の日でもある。
※月遅れ盆迎え火
本来は旧暦7月13日であるが、明治の改暦後は、多くの地域で月遅れの8月13日に行われる。
お盆に先祖の霊を迎え入れるため野火をたく。
※水巴忌
俳人・渡邊水巴[わたなべすいは]の1946(昭和21)年の忌日。
※怪談の日
「怪談」をエンターテインメントとして確立した稲川淳二氏が、自身の「MYSTERY NIGHT TOUR 稲川淳二の怪談ナイト」20周年連続公演を記念して制定。日付は第一回の公演が1993年8月13日にクラブチッタ川崎で開催されたことから。
<今日の誕生花>
麒麟草[きりんそう]「花言葉:警戒」 松虫草[まつむしそう]「花言葉:悲しみの花嫁」


カンナ「花言葉:情熱,快活」

<歴史上の出来事>
1512年アステカ文明の都・テノチティトラン(現在のメキシコシティ)がエルナン・コルテスにより陥落
1716年紀州藩主・徳川吉宗が江戸幕府8代将軍に
1904年桂田富士郎が日本住血吸虫を発見
1913年吉田岩窟王事件。名古屋市の路上で男性が殺害され所持金が奪われる。主犯として吉田石松が逮捕され、無期懲役となり収監されるが獄中から無実を訴え、再審により1963年に無罪判決
1916年中国・鄭家屯で駐在中の日本軍と奉天軍が衝突
1927年大阪放送局(現 NHK大阪放送局)が甲子園から全国中等野球優勝大会(現高校野球)を初めてラジオで中継
1937年第二次上海事変。日本海軍特別陸戦隊と中国軍が交戦
1945年小山克事件。満州国吉林省の小山克で、日本人避難民を乗せた列車を武装した暴民が襲撃し、日本人を強姦・虐殺
1961年東ドイツが東西ドイツ間の68の道路を閉鎖し、有刺鉄線による最初の「ベルリンの壁」の建設を開始
1964年琉球立法院が国旗掲揚の自由と日本国籍明示要請を決議
1968年ギリシャ軍事政権の指導者パパドプロスの暗殺未遂事件
1990年ソ連のゴルバチョフ大統領が、スターリン時代に弾圧・粛清された全ての国民の名誉を回復する大統領を発布
2004年在日米軍の大型輸送ヘリが沖縄国際大学に墜落
2007年ロシア北西部のノブゴロド州で線路に仕掛けられた爆弾が爆発し、モスクワ発サンクトペテルブルク行の列車が脱線、約60人が負傷する
2008年太田雄貴が北京五輪フェンシング男子フルーレ個人で日本フェンシング史上初の五輪メダルである銀メダルを獲得
2017年 ロンドン世界陸上男子50km競歩で荒井広宙が銀、小林快が銅メダルを獲得。同種目での日本人史上初の複数メダル獲得
<著名人の誕生日>
1814年アンデルス・オングストローム (スウェーデン:物理学者(分光学),長さの単位Å(オングストローム)の名の由来)[1874年6月21日]
1899年アルフレッド・ヒッチコック (米:映画監督『鳥』『サイコ』)[1980年4月29日]
1926年フィデル・カストロ (キューバ:軍人,国家評議会議長)
1939年2代目桂枝雀[かつら・しじゃく] (落語家)自殺[1999年4月19日]
1948年キャスリーン・バトル (米:歌手)
1969年伊藤みどり[いとう・みどり] (フィギュアスケート)
1977年小西美帆[こにし・みほ] (女優)出身地が岐阜県なので^^
<著名人の忌日>
1896年ジョン・エヴァレット・ミレー (英:画家) <67歳>[1829年6月8日生]
1910年フローレンス・ナイチンゲール (英:看護婦「クリミアの天使」) <90歳>[1820年5月12日生]
1947年伊波普猷[いは・ふゆう] (民俗学者,歴史家,「沖縄学」を創始) <71歳>[1876年3月15日生]
2009年熊田五郎(熊田千佳慕)[くまだ・ごろう] (グラフィックデザイナー,絵本作家) <98歳>[1911年7月21日生]
2013年村山 定男[むらやま さだお](日本の天文学者)[1924年4月9日生]
参加してるので、応援してもらえたら嬉しいです``r(^^;)ポリポリ


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