[ウソとゴマカシは通用しないレノン君]
子猫ながらかなり賢いようで、レノンの眼の届かないところにおもちゃを隠してもすぐに見つけて引っ張り出してきます。
猫さま恐るべきかな!!


[投票日まで4日間、悔いのない選択を]
いつもお立ち寄りいただきありがとうございます。
日本国憲法第99条の憲法の尊重義務が課せられている内閣総理大臣である安倍首相自らこの規定を蹂躙し、憲法九条を敵視し、自民党公約に平然と憲法改悪を掲げ、「憲法審査会の開催に背を向けている野党、中でも共産党、立憲民主党の態度を許すのか」と激戦区を中心に口汚く攻撃を強めています。
参議院選挙終盤になって、市民と野党の本気の共闘に中心的な役割を全力で果たしている共産党への攻撃と立憲民主党の党名をわざと言い間違えているか、何度抗議を受けても「民主党」と虚偽の演説を繰り返し、この二党への攻撃への執念は異常とも思える様相です。
何としても共産・立憲民主の両党の躍進を阻もうというのでしょう。
いま有権者一人一人が考えるべきことは、改憲勢力が衆参両院で三分の二の議席を占めたら、戦後国民の多くの英知を集めて公布された世界に誇るべき日本国憲法の国民主権、基本的人権、生存権、平和主義、自由と民主主義が危うくなります。何よりも世界で最も先進的な憲法九条が死文化されてしまう危険性が現実のものになりかねません。
改憲を狙っている安倍自公政権とその補完勢力である日本維新の会に過半数を占めさせることは断固阻止する必要があります。
参議院選挙も最終盤になり残り3日間、各種世論調査ではまだ決めていない人が4割近くもあるといわれています。
この人たちが市民と野党の統一候補および比例区では共産・立憲民主・国民民主・社民・社会保障を立て直す国民会議など野党会派に投票行動をしていただいたら、戦後史上最悪の安倍政権を退場に追い込めます。
減らない年金制度の確立・稀代の不公平税制である消費税の増税のストップ・8時間働けば普通に暮らせる社会、暮らしを支える社会保障を、お金の心配をしなくとも学び・子育てができる社会を財源を明らかにして提案している立憲野党に支持をしてもらえるよう最後まで拡げに拡げていただきますよう呼びかけるものです。
なお、ここで戦前の国民にとって暗黒時代の象徴でもあった治安維持法下でも人間の尊厳と女性の権利を堂々と主張し、官憲の弾圧と拷問によってわずか24歳の若さで獄死させられた労働運動家、社会運動家であった飯島喜美さんについてひとこと紹介をしておきたいと思います。
飯島喜美さんは「闘争」「死」と刻まれたコンパクトを肌身離さず持ち歩いていました。
自身の顔を映し出す大切なものにしるした凄烈(せいれつ)な文字。それは、どんな弾圧にも屈せずたたかい抜く覚悟の証しだったのでしょう。飯島喜美さんは戦前の紡績工場で女工哀史そのままの過酷な労働を強いられ、社会進歩にめざめていきます。
16歳の若さで500人の女工たちの先頭に立ち、ストライキを指導しました。
いかなる迫害も恐れず、彼女は非合法化の日本共産党に入党しました。
世界中の労働組合が集まった国際会議では日本の女性労働者を代表してはじめて日本女性として演説しています。
より良い働き方や社会をめざすことに情熱を傾けながら、時の暗黒政府によって検挙・獄死させられました。わずか24歳でした。
その短くも誇りある生涯をまとめた『飯島喜美の不屈の青春』が最近、学習の友社から出版されました。
飯島喜美さんと同じ会社に勤めた著者の玉川寛治さんは戦前回帰に動く今の安倍政権にたいする危機感があったといいます。
「人権のかけらもない治安維持法によって多くの国民が犠牲になった。それを反省するどころか適法だと公言し恥じない政権に抗し、喜美たちのたたかいを受け継ぐ決意を込めた」。足跡への反響は大きく、わが身に引き寄せた感想もあります。
日本の歴史のなかで反戦平和と男女平等、自由と民主主義の旗を掲げつづけてきたこの党は、7月15日に創立97周年を参院選のさなかに迎えました。闇夜につながる安倍自公政権とのつばぜり合いのなかで、時代を切り開いてきた先人の声が聞こえてくるようです。
[飯島喜美略歴]
飯島 喜美(いいじま きみ、1911年12月17日 - 1935年12月18日)は、日本の社会運動家。
千葉県匝瑳郡太田村(現旭市)で提灯職人の家の13人兄弟の長女として生まれた。尋常小学校卒業後、2年間女中奉公。1927年、女工として東京モスリン紡織亀戸工場に就職した。やがて科学的社会主義の研究会に参加するようになり、1928年の同工場の賃上げ争議では500人の女工たちのリーダーを務め勝利に貢献した。1929年の四・一六事件で亀戸警察署に検束されたが、日本共産青年同盟に加盟、同年5月日本共産党に入党。1930年モスクワに渡り、赤色労働組合インターナショナル(プロフィンルテン)第5回大会に日本女性として初めて参加し演説、のち東方勤労者共産大学(クートヴェ)に入学した。1931年10月帰国、党中央婦人部員を務め地下活動に投じた。1933年5月に検挙、投獄され、のち栃木刑務所で獄死した。享年24。殿田みさお、玉子の別名で活動した。
評伝に、山岸一章「紡績労働者の飯島喜美 コンパクトに『闘争・死』の文字」(『不屈の青春―ある共産党員の記録』新日本出版社、1969年、所収)、鹿野政直「飯島喜美 革命運動史上の光芒」(『鹿野政直思想史論集 第6巻』岩波書店、2008年、所収)などがある。
[季節の花]



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日本国憲法第99条の憲法の尊重義務が課せられている内閣総理大臣である安倍首相自らこの規定を蹂躙し、憲法九条を敵視し、自民党公約に平然と憲法改悪を掲げ、「憲法審査会の開催に背を向けている野党、中でも共産党、立憲民主党の態度を許すのか」と激戦区を中心に口汚く攻撃を強めています。
参議院選挙終盤になって、市民と野党の本気の共闘に中心的な役割を全力で果たしている共産党への攻撃と立憲民主党の党名をわざと言い間違えているか、何度抗議を受けても「民主党」と虚偽の演説を繰り返し、この二党への攻撃への執念は異常とも思える様相です。
何としても共産・立憲民主の両党の躍進を阻もうというのでしょう。
いま有権者一人一人が考えるべきことは、改憲勢力が衆参両院で三分の二の議席を占めたら、戦後国民の多くの英知を集めて公布された世界に誇るべき日本国憲法の国民主権、基本的人権、生存権、平和主義、自由と民主主義が危うくなります。何よりも世界で最も先進的な憲法九条が死文化されてしまう危険性が現実のものになりかねません。
改憲を狙っている安倍自公政権とその補完勢力である日本維新の会に過半数を占めさせることは断固阻止する必要があります。
参議院選挙も最終盤になり残り3日間、各種世論調査ではまだ決めていない人が4割近くもあるといわれています。
この人たちが市民と野党の統一候補および比例区では共産・立憲民主・国民民主・社民・社会保障を立て直す国民会議など野党会派に投票行動をしていただいたら、戦後史上最悪の安倍政権を退場に追い込めます。
減らない年金制度の確立・稀代の不公平税制である消費税の増税のストップ・8時間働けば普通に暮らせる社会、暮らしを支える社会保障を、お金の心配をしなくとも学び・子育てができる社会を財源を明らかにして提案している立憲野党に支持をしてもらえるよう最後まで拡げに拡げていただきますよう呼びかけるものです。
なお、ここで戦前の国民にとって暗黒時代の象徴でもあった治安維持法下でも人間の尊厳と女性の権利を堂々と主張し、官憲の弾圧と拷問によってわずか24歳の若さで獄死させられた労働運動家、社会運動家であった飯島喜美さんについてひとこと紹介をしておきたいと思います。
飯島喜美さんは「闘争」「死」と刻まれたコンパクトを肌身離さず持ち歩いていました。
自身の顔を映し出す大切なものにしるした凄烈(せいれつ)な文字。それは、どんな弾圧にも屈せずたたかい抜く覚悟の証しだったのでしょう。飯島喜美さんは戦前の紡績工場で女工哀史そのままの過酷な労働を強いられ、社会進歩にめざめていきます。
16歳の若さで500人の女工たちの先頭に立ち、ストライキを指導しました。
いかなる迫害も恐れず、彼女は非合法化の日本共産党に入党しました。
世界中の労働組合が集まった国際会議では日本の女性労働者を代表してはじめて日本女性として演説しています。
より良い働き方や社会をめざすことに情熱を傾けながら、時の暗黒政府によって検挙・獄死させられました。わずか24歳でした。
その短くも誇りある生涯をまとめた『飯島喜美の不屈の青春』が最近、学習の友社から出版されました。
飯島喜美さんと同じ会社に勤めた著者の玉川寛治さんは戦前回帰に動く今の安倍政権にたいする危機感があったといいます。
「人権のかけらもない治安維持法によって多くの国民が犠牲になった。それを反省するどころか適法だと公言し恥じない政権に抗し、喜美たちのたたかいを受け継ぐ決意を込めた」。足跡への反響は大きく、わが身に引き寄せた感想もあります。
日本の歴史のなかで反戦平和と男女平等、自由と民主主義の旗を掲げつづけてきたこの党は、7月15日に創立97周年を参院選のさなかに迎えました。闇夜につながる安倍自公政権とのつばぜり合いのなかで、時代を切り開いてきた先人の声が聞こえてくるようです。
[飯島喜美略歴]
飯島 喜美(いいじま きみ、1911年12月17日 - 1935年12月18日)は、日本の社会運動家。
千葉県匝瑳郡太田村(現旭市)で提灯職人の家の13人兄弟の長女として生まれた。尋常小学校卒業後、2年間女中奉公。1927年、女工として東京モスリン紡織亀戸工場に就職した。やがて科学的社会主義の研究会に参加するようになり、1928年の同工場の賃上げ争議では500人の女工たちのリーダーを務め勝利に貢献した。1929年の四・一六事件で亀戸警察署に検束されたが、日本共産青年同盟に加盟、同年5月日本共産党に入党。1930年モスクワに渡り、赤色労働組合インターナショナル(プロフィンルテン)第5回大会に日本女性として初めて参加し演説、のち東方勤労者共産大学(クートヴェ)に入学した。1931年10月帰国、党中央婦人部員を務め地下活動に投じた。1933年5月に検挙、投獄され、のち栃木刑務所で獄死した。享年24。殿田みさお、玉子の別名で活動した。
評伝に、山岸一章「紡績労働者の飯島喜美 コンパクトに『闘争・死』の文字」(『不屈の青春―ある共産党員の記録』新日本出版社、1969年、所収)、鹿野政直「飯島喜美 革命運動史上の光芒」(『鹿野政直思想史論集 第6巻』岩波書店、2008年、所収)などがある。
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皆さま、いつもご訪問いただきありがとうございます。
ただ一人の親族である叔父の私が日々忙しいことで、まり姫こと土岐陽子のその後の様子についてなかなかお知らせできず、まことに申し訳ないことですがご報告が遅くなってしまったことをまずもってお詫び申し上げます。
姪のその後でございますが、姪はホスピスでの暮らしを満喫しております。
歩行はできませんが病気の進行に反比例するかのような元気さで、病棟の患者さんたちや看護師さんたちとも冗談を言い合い、「私があとから入ったのだから死ぬのは順番ですからね。憎まれっ子世にはばかりつづけるの(笑)。だからみんなで病院のお邪魔虫になりましょう」などと病棟中で話しております。
この間、姪が安曇野の一番の友人と言っておりました親友の方がわざわざ私の自宅に電話をいただきまして、どうしても姪と直接話したいことがあるとのことで姪との面会を要望され、心苦しいことですが病院受付に親族だとウソの説明をし面会をしてもらいました。
2人だけの話の内容はわかりませんでしたが、今週日曜日に見知らぬ50代前後と思われる男性が私の自宅を訪問されまして、「土岐陽子さんががんで余命幾ばくもないことを知らされ驚きました。何のとりえもない私を目標とされていたとは全く存じ上げず、陽子さんのことをもっと早く気づいていれば支えられていたかもしれません。」との言葉をいただき、この方が姪があこがれていた先輩ジャーナリストではなかったかと思った次第でございます。
ジャーナリストとして大きな夢を抱きながらも、ただ女だからということで性差別・セクシャルハラスメント・パワーハラスメントがジャーナリズムの世界でも横行していた時代に挫折させられた悔しさは相当なものだったと推察されますが、その後の姪のマスメディアへの批判的視点は非常に明確で、現在の政権におもねる姿勢を続けているマスメディアの堕落ぶりをブログで厳しく批判し続けた姿勢は称賛に値するものと存じます。
姪のブログに対し多くの皆さまからご賛同のご意見を寄せていただいたことをみても十分評価してやってもいいと叔父としては思っております。
姪の希望はきたる参議院選挙で市民と五野党の共闘が成功し、自公両党およびその最悪の補完勢力である日本維新の会を少数派に追い込み、安倍改憲NO、消費税10%への増税阻止、安保法制廃止と日米両政府による沖縄県いじめをはじめとする日本各地での米軍の横暴をやめさせ、米軍が日本の法律に支配下に置かれるべきで、欧州並みの扱いが当然の事が言える日本社会になることです。
立件野党五党は決して自公両党や日本維新の会が攻撃するような野合ではありません。
内閣総理大臣や国会議員が順守すべき憲法をないがしろにし、憲法違反の「憲法改悪」を公然と主張するようないかなる政党・会派とも断罪すべきものです。
姪の存命中にかなえることができるかどうかはわかりかねますが、私たち有権者一人一人が真剣に考え、大阪のような「無知で無様な有権者だ」と言われないよう心したいものでございます。
姪が生きている間に安倍亡国政権を退場に追い込むことが何よりも姪を力づけるものだと信じ、高齢に鞭打って参議院選挙に全力を尽くしたいと決意しております。
これが姪も望んでいるものだと私は確信しております。
皆さま、姪の志と希望を引き継ぐために私は姪のブログを廃止せずに何らかの形で皆さまにお伝えできる方法がないかただいま姪の意向も聞きながら検討をしております。
継続できるよう最善の方法を考慮しておりますので結論が出るまで今しばらくの時間のご猶予をいただきたいと存じます。
次回にはご報告ができるようにしたいと考えておりますのでよろしくお願い申し上げます。
姪の写真アルバムより









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内閣総理大臣や国会議員が順守すべき憲法をないがしろにし、憲法違反の「憲法改悪」を公然と主張するようないかなる政党・会派とも断罪すべきものです。
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皆さま、いつもご訪問いただきありがとうございます。
前回お知らせさせていただいた姪の入院先からの外出につきましてお知らせさせていただく予定でございましたが、忙しさに追われる毎日が続きご報告が遅くなってしまいました。
姪の外出を主治医にお願いしましたところ、「今のうちに出かけた方がよいでしょう。痛みを抑える特別の処置を施し、介護タクシーを利用することなら許可しましょう。」と言われ、すぐさまお願いしました。
病院から手配していただいた介護タクシーを利用し、看護師さんが付き添われるとのことでしたが、看護師である娘が付き添うので看護師さんの付き添いを遠慮させていただき、さる10日(金曜日)に高山まで出かけてまいりました。
姪は念願かなった新緑の飛騨路を眺めながら、何を思っていたのかまではわかりませんが、高山に着くまで一言も話さずじまいでした。
高山市内では幼いころに遊んだところや、自宅跡、私の兄の没後に姪がお世話になったご本家に最後の別れの挨拶をし、小学校中学校、高校、病気を最初に発見してくれた病院を訪れた後、高山駅前で弁当を購入し姪がどうしても行きたいと願っていた城山公園まで戻り食事休憩をとりました。
車外へ出たのは城山公園だけでしたが、娘が推す車椅子に乗った姪は余程嬉しかったのか晴れやかな様子で周囲を見渡し、風景を目に焼き付けているようでございました。
病院から許可されていた外出時間が6時間だったので帰り道を選ぶことができず、やむを得ず高速道路を使うことになりましたが、姪の身体的負担を少しでも軽減することができてよかったと存じております。
介護タクシーの運転手さんは患者の長距離輸送という経験がなかったようで、かなり神経を使われていたようでしたが、帰路に着いた頃には「ふるさとはよかったですか?。楽しめましたか?。」と姪に声をかけていただけました。
途中に立ち寄ったサービス・エリアで飛騨特産の漬物(赤かぶの細切り)を手に入れ、一路病院に帰ってきました。
介護タクシーの貸切利用料は高額になりましたが、姪の希望がかない且つ満足してくれたのであればそれだけでよかったと考えております。
ふたたび訪れることはできない飛騨高山への旅を姪が楽しんでくれたことに、今は姪が一日一日を楽しく過ごしてくれることだけを願っております。
主治医からは「現在のところ腹水が溜まっていないので、夏場を越えられれば今年の大晦日を迎えられるかもしれない。」と伝えられ、ありがたいことだと存じております。
私もできれば毎日病院へ顔を出してやりたいと思っておりますが、家庭の事情でなかなかそういうわけにもいかず姪の頼みごとをなるべく早くするようにだけが精いっぱいです。
皆さまにご心配をいただきながら何のお返事もできないことに只々恐縮するばかりでございますが、折に触れてブログに姪の様子をお知らせさせていただくことで今はご容赦を願いたく、よろしくお願い申し上げます。
姪の写真アルバムから未公開の写真をアップさせていただきます。






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前回お知らせさせていただいた姪の入院先からの外出につきましてお知らせさせていただく予定でございましたが、忙しさに追われる毎日が続きご報告が遅くなってしまいました。
姪の外出を主治医にお願いしましたところ、「今のうちに出かけた方がよいでしょう。痛みを抑える特別の処置を施し、介護タクシーを利用することなら許可しましょう。」と言われ、すぐさまお願いしました。
病院から手配していただいた介護タクシーを利用し、看護師さんが付き添われるとのことでしたが、看護師である娘が付き添うので看護師さんの付き添いを遠慮させていただき、さる10日(金曜日)に高山まで出かけてまいりました。
姪は念願かなった新緑の飛騨路を眺めながら、何を思っていたのかまではわかりませんが、高山に着くまで一言も話さずじまいでした。
高山市内では幼いころに遊んだところや、自宅跡、私の兄の没後に姪がお世話になったご本家に最後の別れの挨拶をし、小学校中学校、高校、病気を最初に発見してくれた病院を訪れた後、高山駅前で弁当を購入し姪がどうしても行きたいと願っていた城山公園まで戻り食事休憩をとりました。
車外へ出たのは城山公園だけでしたが、娘が推す車椅子に乗った姪は余程嬉しかったのか晴れやかな様子で周囲を見渡し、風景を目に焼き付けているようでございました。
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主治医からは「現在のところ腹水が溜まっていないので、夏場を越えられれば今年の大晦日を迎えられるかもしれない。」と伝えられ、ありがたいことだと存じております。
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皆さまこんにちは。
毎日老老介護と姪の入院先病院通いなど、あまりの忙しさでパソコンの前に座る時間がとれず10日間が過ぎてしまいました。
多くの皆さまにご心配をいただきなからそれに応えられず申し訳なく思っております。
姪(まり姫)のその後の様子ですが、治療を中止しホスピス専門病院に転院後、鎮痛剤(モルヒネ)投与の効果と精神的に安定したせいか、思いがけず激減していた体重が急増し一見元気を取り戻しているように見えます。
病棟のガン患者さんたちと一緒に院外を散歩したり、院内喫茶店で歓談するなど一日一日を楽しく過ごしております。
食欲も結構旺盛で本当に末期ガンかと思いたくなるほどです。
ただ、ノートバソコンやタブレット、スマートホンに手を伸ばす意欲までは湧いてこないようです。
それでも、お付き合いいただいた皆さまに自らの言葉で思いを伝えたいと短いメッセージを書き、ブログに掲載してほしいと依頼されましたので、本人の希望通り本日掲載させていただきます。
巷では今上天皇の退位と新天皇即位、元号改定に伴う10連休という長い休日に浮かれている人たちが多く見られますが、皆さまはいかがでしょうか。
私はとても休む余裕はございません。
まり姫からのメッセージ
皆さまへ
皆さまこんにちは。
ご無沙汰していますが、皆さまお元気でしょうか。
私は長期にわたって病と闘ってまいりましたが、このたび治療を打ち切り残された日々を精一杯楽しく過ごす道を自らの意思で選びました。
多くの皆さまに励ましの言葉をいただきながら、その声に応えられない結果となり申し訳ありません。
しかしながら、私の身体を蝕むものの勢いを今や止められる治療方法は現代医学では存在しない状況の中、これ以上治療を続けることは延命治療行為としか思えません。
私は何よりも人間らしく生きたい!!
最後まで人間としての尊厳ある生き方を貫きたいと思っています。
余命宣告も受けていますが、その日が来るまで一日一日を大切に過ごしたいと考えております。
心残りなことといえば憧れの君に何も伝えられなかったこと、セクハラ・パワハラを告発できなかったこと。
でもそれ以上に多くの皆さまに勇気と希望をいただいたことはすごく嬉しいことでした。
皆さま本当にありがとうございました。
なーんちゃって、最後までしつこくいきますよ(☆゜)☆ニャハハ)゜∇
私のブログは叔父が時間がとれた時に綴ってくれると言ってくれましたので、皆さまときどき覗いてやってくださいねσ(゚ー^*)
上記本人のメッセージは自筆手書き文書でしたが、ブログにアップロードできず書き写したものです。
今年の淡墨桜つづき




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病棟のガン患者さんたちと一緒に院外を散歩したり、院内喫茶店で歓談するなど一日一日を楽しく過ごしております。
食欲も結構旺盛で本当に末期ガンかと思いたくなるほどです。
ただ、ノートバソコンやタブレット、スマートホンに手を伸ばす意欲までは湧いてこないようです。
それでも、お付き合いいただいた皆さまに自らの言葉で思いを伝えたいと短いメッセージを書き、ブログに掲載してほしいと依頼されましたので、本人の希望通り本日掲載させていただきます。
巷では今上天皇の退位と新天皇即位、元号改定に伴う10連休という長い休日に浮かれている人たちが多く見られますが、皆さまはいかがでしょうか。
私はとても休む余裕はございません。
まり姫からのメッセージ
皆さまへ
皆さまこんにちは。
ご無沙汰していますが、皆さまお元気でしょうか。
私は長期にわたって病と闘ってまいりましたが、このたび治療を打ち切り残された日々を精一杯楽しく過ごす道を自らの意思で選びました。
多くの皆さまに励ましの言葉をいただきながら、その声に応えられない結果となり申し訳ありません。
しかしながら、私の身体を蝕むものの勢いを今や止められる治療方法は現代医学では存在しない状況の中、これ以上治療を続けることは延命治療行為としか思えません。
私は何よりも人間らしく生きたい!!
最後まで人間としての尊厳ある生き方を貫きたいと思っています。
余命宣告も受けていますが、その日が来るまで一日一日を大切に過ごしたいと考えております。
心残りなことといえば憧れの君に何も伝えられなかったこと、セクハラ・パワハラを告発できなかったこと。
でもそれ以上に多くの皆さまに勇気と希望をいただいたことはすごく嬉しいことでした。
皆さま本当にありがとうございました。
なーんちゃって、最後までしつこくいきますよ(☆゜)☆ニャハハ)゜∇
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その他
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緊急のお知らせ!!
いつも「まり姫のあれこれ見聞録」にお立ち寄りいただきましてありがとうございます。
皆さまにご心配をいただいておりますまり姫こと土岐陽子は、さる3月24日より「都合によりブログの更新ができない」とご報告させていただいていましたが、本日午前病院から緊急連絡が身元引受人である私宛にあり、重篤な状態に陥ったことが判明いたしました。
意識を失う時はさぞや不安であったろうと、たった一人の肉親として何も知らせれていなかったことの原因を作っていながら、きちんと対処できず大変後悔しております。
姪が重篤な危機を乗り切ってくれるか、これ以上は限界なのかは判断できかねますが、何としても最善の医療を施してもらえるよう医師団に要請し、保険外診療も含めて対処してもらえるよう重ねてお願いをしたところでございます。
東京の娘も新幹線に飛び乗り何とか病院門限に間に合うよう来てくれましたので、今夜は姪に二人で付き添う予定です。
1日も早く危機を脱してくれることを願っておりますが、以上のような状況でありますのでただ見守ることしかできません。
事情が事情だけに、勝手ながらブログは代筆ができるときに更新させていただくことでご容赦いただきますようお願いを申し上げます。
なお、姪が3月3日夜に重篤になる直前に書いていたものをそのままアップさせていただきます。
[センバツ30年ぶり5度目史上最多で東邦高校優勝!!]
第91回選抜高校野球大会は3日、甲子園球場で決勝戦が行われ、千葉代表の名門習志野高校と愛知県代表の古豪東邦高校との試合になり、プロも注目する石川投手を擁する東邦高校が6対0で快勝し、センバツ最多の5度目の優勝、大会史上最多のチーム通算56勝を成し遂げました。
スタンドには習志野高校OBで元プロ野球中日ドラゴンズ主砲だった谷沢健一氏(71歳)、東邦高校OBで1989年優勝投手だった元中日ドラゴンズ投手の山田喜久夫氏(47歳)がそれぞれ母校の応援に姿を見せていたそうです。
今大会を制した東邦高校は、まさに記録ずくめのセンバツ大会となったようで、決勝戦に投手が2発のホームランとわずか3安打しかヒットを与えず完封したのは史上初のことだそうです。
大会前には星稜高校奥川投手、横浜高校及川投手らが注目されていましたが、いざふたを開けたら東邦の二刀流石川選手の一人舞台になったという声も上がっています。
[桃の花]


[今日の音楽]
Abba - Take A Chance On Me
[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
雪 柳

参加してるので、応援してもらえたら嬉しいです``r(^^;)ポリポリ

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意識を失う時はさぞや不安であったろうと、たった一人の肉親として何も知らせれていなかったことの原因を作っていながら、きちんと対処できず大変後悔しております。
姪が重篤な危機を乗り切ってくれるか、これ以上は限界なのかは判断できかねますが、何としても最善の医療を施してもらえるよう医師団に要請し、保険外診療も含めて対処してもらえるよう重ねてお願いをしたところでございます。
東京の娘も新幹線に飛び乗り何とか病院門限に間に合うよう来てくれましたので、今夜は姪に二人で付き添う予定です。
1日も早く危機を脱してくれることを願っておりますが、以上のような状況でありますのでただ見守ることしかできません。
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なお、姪が3月3日夜に重篤になる直前に書いていたものをそのままアップさせていただきます。
[センバツ30年ぶり5度目史上最多で東邦高校優勝!!]
第91回選抜高校野球大会は3日、甲子園球場で決勝戦が行われ、千葉代表の名門習志野高校と愛知県代表の古豪東邦高校との試合になり、プロも注目する石川投手を擁する東邦高校が6対0で快勝し、センバツ最多の5度目の優勝、大会史上最多のチーム通算56勝を成し遂げました。
スタンドには習志野高校OBで元プロ野球中日ドラゴンズ主砲だった谷沢健一氏(71歳)、東邦高校OBで1989年優勝投手だった元中日ドラゴンズ投手の山田喜久夫氏(47歳)がそれぞれ母校の応援に姿を見せていたそうです。
今大会を制した東邦高校は、まさに記録ずくめのセンバツ大会となったようで、決勝戦に投手が2発のホームランとわずか3安打しかヒットを与えず完封したのは史上初のことだそうです。
大会前には星稜高校奥川投手、横浜高校及川投手らが注目されていましたが、いざふたを開けたら東邦の二刀流石川選手の一人舞台になったという声も上がっています。
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