☆☆ まり姫のあれこれ見聞録 ☆☆&

美濃・尾張・近江・伊勢(まり姫の史跡めぐり&見たこと・聞いたこと!)

夏が近づいてきた今日この頃、我が家と裏山の境にはまだ春の名残りがありました。

いまにも飛んでゆきそうなたんぽぽの穂。

が咲いている隣では、穂に変わって旅立つ準備のたんぽぽ。

降りだした雨があがると、どこか違うところに風に運ばれていくさだめが待っています。

             たんぽぽの穂

             たんぽぽ

          裏庭にどくだみのがちらほら、あまりにも可憐なのでパチリと!
             どくだみの花


病院で血液検査をして、先生に言われたことは「γ-GTPが高い」って、早い話がお酒の飲み過ぎってこと?
先生曰く「marihimeさんは貧血はやむを得ないけど、γ-GTPのことはダメですね」。
私、「言われなくてもわかってます」って口から出そうになったけど、だんまりで帰ってきました。
みなさん、体調が悪いときは気をつけましょうね。


前回に続いて小林一茶の俳句を紹介します。
少し軽妙で、風刺や皮肉も含み、自然と笑いがこみ上げてくる句です。
江戸時代中期の世相を反映して、民衆の内に秘めたお上への不満が表現されていると思います。
一茶の心意気ここにありと思わせます。
あらかじめお断りしておきますが、私が解説をつけている部分は、一茶がこう思っていたのではないかという勝手な解釈です。


柳から ももんぐわあと 出る子かな (やなぎから ももんぐわあと でるこかな)
[子どもらは柳のかげから驚かせようとしたのかなあ、びっくりしたふりでもしようかな]

春風や 侍二人 犬の供 (はるかぜや さむらひふたり いぬのとも)
[いくら春とはいえ、お犬様のお散歩に侍2人がついてくとは世も末だよ]
    
侍や 鴬にまで つかはるる (さむらひや うぐひすにまで つかはるる)
[よほど大事な鶯らしいけど、お侍も大変だねー]

鴬や 殿より先へ 朝御飯 (うぐひすや とのよりさきに あさごはん)
[殿様の鴬ともなると、えさまで先に食べさせるのかい]

みなさんからご意見をお寄せくださると、管理人は飛び上がって喜びます。


          今日の金子みすゞの紹介

          

          こっつん こっつんぶたれる土は
          よいはたけになってよい麦うむよ。

          朝からばんまでふまれる土は
          よいみちになって車を通すよ。

          ぶたれぬ土は
          ふまれぬ土は
          いらない土か。

          いえいえそれは
          名のない草のおやどをするよ。


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今日とりあげる金子みすゞの中に、どういうわけか「よりだんご」が出てきます。
今日の歴史と文化のテーマに「小林一茶」をとりあげますが、一茶の俳句の中にも「よりだんご」
が出てきます。
日本の文化にはどこか共通するものがあるのかもしれません。


          いろはかるた

          ふときく声は、子どもの声は、
          「はなよりだんご、はの字だよ。」

          小雨、ぬか雨、ふるなかを、
          にいさんむかえにゆくみちよ。

          みかえりゃ、雨戸がしまってて、
          それでもあかりはこぼれてた。

          「いいかい、おつぎは・・・・・・。」
          あるきだす、向こうのむこうが暗いこと。


     庭のサツキの中でも少し変わった弁のサツキです。
           サツキ5.25№10

     曽根城公園の菖蒲がいよいよいっせいに咲き、観光客もどっと押し寄せそうです。
           菖蒲14


今日は江戸中期俳諧の巨匠小林一茶の俳句と生涯についてふれたいと思います。

松尾芭蕉や与謝蕪村をご存じの方は、当然小林一茶のことも聞いた覚えがあると思います。
私は、松尾芭蕉は自然そのものを詠い、小林一茶は人間を詠ったような想いがします。
好き嫌いは当然ありますが、私が好きなのは小林一茶の方です。
そこで小林一茶の代表的な俳句を紹介して、みなさんから率直なご意見を寄せていただけたらと思います。

私の勝手な解釈をそれぞれの句の下に記しますが、みなさんも一茶の気持ちになって独自の解釈をされてはいかがかと思います。


陽炎や 手に下駄はいて 善光寺 (かげろふや てにげたはいて ぜんくわうじ)
[善光寺はありがたいお寺だから、はじめから最敬礼して行ったほうがいいね。]

春風や 牛に引かれて 善光寺 (はるかぜや うしにひかれて ぜんくわうじ)
[春の風に誘われて、走って行く牛を追っていったら、 いつの間にか善光寺に着いた。
不思議なことがあるもんだ。]

やせがへる 負けるな 一茶是にあり (やせがへる まけるな いつさこれにあり)
[おれ[一茶]がいるから頑張れよお痩せさん]

おれとして にらみくらする 蛙かな (おれとして にらみくらする かはづかな)
[おれとにらめっこするつもりなのかい?]

正直は おれもより 団子かな (しやうじきは おれもはなより だんごかな)
[正直なところ風流なんてくそっくらえだよ。とりあえずは食べることが先]

雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る (すずめのこ そこのけそこのけ おうまがとほる)
[子どもがうろうろしてると踏みつぶされるよ]

我と来て 遊べや 親のない雀 (われときて あそべや おやのないすずめ)
[同じ親無しっ子どおしでいっしょに遊ぼうか]

めでたさも 中くらゐなり おらが春 (めでたさも ちうくらゐなり おらがはる)
[今年の初春は中の上くらいのものかなあ。そんなにめでたくもない]


みなさんの感想はいかがでしたでしょうか。
私は、人間小林一茶の温かさが伝わってくる句だと思うのですが・・・・

小林一茶の生涯について
小林一茶は、1763(宝暦13)年、長野県の北部、北国街道柏原宿(現信濃町)の農家に生まれ、本名を弥太郎といいました。3歳のとき母がなくなり、8歳で新しい母をむかえました。働き者の義母になじめなった一茶は、15歳の春、江戸に奉公に出されました。奉公先を点々とかえながら、20歳を過ぎたころには、俳句の道をめざすようになりました。

一茶は、葛飾派三世の溝口素丸、二六庵小林竹阿、今日庵森田元夢らに師事して俳句を学びました。初め、い橋・菊明・亜堂とも名乗りましたが、一茶の俳号を用いるようになりました。

29歳で、14年ぶりにふるさとに帰った一茶は、後に「寛政三年紀行」を書きました。30歳から36歳まで、関西・四国・九州の俳句修行の旅に明け暮れ、ここで知り合った俳人と交流した作品は、句集「たびしうゐ」「さらば笠」として出版しました。

一茶は、39歳のときふるさとに帰って父の看病をしました。父は、一茶と弟で田畑・家屋敷を半分ずつ分けるようにと遺言を残して、1か月ほどで亡くなってしまいました。このときの様子が、「父の終焉日記」にまとめられています。この後、一茶がふるさとに永住するまで、10年以上にわたって、継母・弟との財産争いが続きました。

一茶は、江戸蔵前の札差夏目成美の句会に入って指導をうける一方、房総の知人・門人を訪ねて俳句を指導し、生計をたてました。貧乏と隣り合わせのくらしでしたが、俳人としての一茶の評価は高まっていきました。

50歳の冬、一茶はふるさとに帰りました。借家住まいをして遺産交渉を重ね、翌年ようやく和解しました。52歳で、28歳のきくを妻に迎え、長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男金三郎と、次々に子どもが生まれましたが、いずれも幼くして亡くなり、妻きくも37歳の若さで亡くなってしまいました。一茶はひとりぽっちになりましたが、再々婚し、一茶の没後、妻やをとの間に次女やたが生まれました。
家庭的にはめぐまれませんでしたが、北信濃の門人を訪ねて、俳句指導や出版活動を行い、句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、句文集「おらが春」などをあらわし、2万句にもおよぶ俳句を残しています。

1827(文政10)年閏6月1日、柏原宿の大半を焼く大火に遭遇し、母屋を失った一茶は、焼け残りの土蔵に移り住みました。この年の11月19日、65歳の生涯をとじました


「戦国の女性たち」は次週に掲載する予定です。

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テーマ:本日のオススメ - ジャンル:ブログ

今日のお気に入りの1枚は、お隣の梨畑に茂っているめずらしいれんげ草です。通常のれんげとは違い、が総のように連なっています。
まもなく肥料として、土の中に埋められる運命が待っています。

      れんげ草2


今日は『アララギ』の総帥、歌人土屋文明について少しつづります。
群馬県の方はよくご存知だと思いますが、若い人、短歌に興味のない人には聞き慣れない名前かと思います。
土屋文明の経歴はフリー百科でも述べられていますから、私は彼が長野県で教職についていた頃に詠んだ、短歌についてふれたいと思います。
少し長くなりますが読んでいただければありがたいと思います。

土屋文明は若き日の4年間、教育者として長野県立諏訪高等女学校に勤めていました。
大正7年3月25日から大正11年3月までのことです。若くして校長にまでなっています。 
土屋文明は赴任して早々ある少女と運命的な出会いをします。彼女が諏訪高等女学校へ入学したのは1918年(大正7年)4月です。土屋文明からは英語、国語、修身の授業を受けました。さらに土屋テル子夫人宅で英語補修を受けていたといわれています。この4年間に豊かな感受性とひたむきな情熱をひそめる少女は、歌人教師土屋文明に大変大きな影響を受けることとなりました。
その後少女は、波瀾の生涯を経て24歳の若さでなくなります。
それから5年後、『アララギ』1935年11月号を飾った土屋文明の短歌は以下の6首です


 某日某学園にて         土屋文明

  「語らへば眼かがやく處女(をとめ)等に思ひいづ 諏訪女学校にありし頃のこと」 

  「清き世をこひねがひつつひたすらなる 處女等の中に今日はもの言ふ」 

  「芝生あり林あり白き校舎あり 清き世ねがふ少女あれこそ」

  「まをとめのただ素直にて行きにしを 囚へられ獄に死にき五年がほどに

  「こころざしつつたふれし少女(をとめ)よ 新しき光の中におきておもはむ

  「高き世をただめざす少女等ここに見れば 伊藤千代子がことぞかなしき



土屋文明が少女らについて詠んだ歌はこれらにとどまりません。
「諏訪少女」と題して、再びこの少女の回想を詠んでいます。


   「われ老いてさらばう時に告げ来る 諏訪の少女のきよき一生を」

   「書き残し死にゆきし人の数十首思ひきや跣足(はだし)にて遊びし中の一人ぞ」

   「槻(つき)の木の丘の上なるわが四年 幾百人か育ちゆきにけむ」

   「湖の光る五月のまぼろしに 立ち来むとして恋しなつかし」

   「処女なりし君をほのかに思ひいづ 淡々しくわりんのその紅も」


1955年には『青南集』の「諏訪を過ぎて」でやはり3首詠んでいます。

   「訴ふと川を渡りし少女等の 歎きの数も水の上の霧」

   「清き生(よ)を紅葉づる山にかくせれば 道に会はさむ真処女もなく」

   「少女等は七緒を貫ける真珠(しらたま)の 散りのまにまに吾老いにけり」



土屋文明は、松本高等女学校へ転任と決まっての告別式で、涙ぐむ生徒たちに「涙に甘えるな」の訓辞を残しました。 「目標を高くせよ、しっかり勉強するんだ、‥‥」。
土屋文明の訓示は生徒たちの心に深く根をおろし、やがて少女らは激動の昭和を生き、戦い、獄中に倒れるものもあれば、戦後著名な小説家になるものもありました。
土屋文明が93歳のときに、ふるえる手であらためて書いた3首は、最初にふれた6種の中の下線の引いてあるものです。 土屋文明が高齢になるまで、教え子の死を気にかけていたことがわかります。


連載土方歳三(第22回)は追記に掲載しました。続きへ進んでください。

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Category :  歴史と文化
tag :  写真
「徒然なるままに」という言葉が用いられているブログをよく目にします。

吉田兼好の「徒然草」から採られたものと思いますが、「徒然草」序段には

   つれづれなるままに 日くらし硯にむかひて

   心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば

    あやしうこそものぐるほしけれ


と書かれています。

私も心して書いていきたいと思いつつ、ついくだらないことを書いています。(反省)



下の図は、中山道の街道宿場全図です。

街道沿いの宿に大名をはじめとした公人や文化人、もちろん近藤や土方も泊まっています。

江戸時代、小藩の外様大名は東海道を通れず、中山道を行き来したといわれています。
中山道は難所が多く、江戸まで日数がかかって参勤交代の費用も藩財政を圧迫させたようです。
外様大名の不満が強まっていったのも、参勤交代がひとつの要因として考えられます。

     中山道全線路図


以前に紹介しましたが、土方歳三は中山道木曽路で、めずらしく短歌を詠んでいます。
以下は土方歳三が詠んだ短歌

   掛橋の朝霞 
   「たちわたるあしたのくもも色淡きかすみにこむる木曽のかけはし」

   寝覚めの夜雨 
   「閑利末く羅弥さめのとこの山嵐もあめになりゆく夜半のさみしさ」

   風越の晴嵐 
   「明わた流ひかりもみえ亭風越の高根はれ遊くよるのうき久毛」

   駒ケ岳の夕照 
   「こまのたけはるる夕日にみる雪の飛かりもさむく 満かふしらくも 」


放浪の俳人種田山頭火は木曽路で次のような俳句を詠んでいます。
「木曾路 三句」として有名な句です。

   「飲みたい水が音たててゐた」

   「山ふかく蕗のとうなら咲いてゐる」

   「山しづかなれば笠をぬぐ」



正岡子規も4句ほど詠んでいますので紹介します。

   「送られつ別れつ果ては木曽の秋」

   「思ひ立つ木曽や四月の桜狩り」

   「木曽の橡浮世の人の土産かな」

   「木曽の痩せもまだなほらぬに後の月」


それぞれ個性が出ていて、比較するのは難しいと思いますが、気に入ったものがありましたらコメントを寄せていただけたらうれしく思います。
小林一茶や島崎藤村らは信州・木曽が地元なので省略させていただきました。

              今日のお気に入りの3枚

                 ラナンキュラス 紫も満開になりました
       ラナンキュラス紫

                  バラ鉢植え 只今7分咲きです              
       DSC00187.jpg

                     ナスタチューム 満開中です
       ナスタチューム




申し訳ありませんが連載土方歳三は今しばらくお休みさせていただきます。
あしからず !

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テーマ:独り言 - ジャンル:ブログ

   2日ぶりの晴れの朝、

   気分がすっきりする五月晴れです。

   おかげで仕事がはかどりそう !

   降りつづいた雨で、庭のも最後の華やかさを競っています。

   夏のが咲くまで、庭の彩りも少なくなって寂しくなる日がもうすぐ。

   DSCF0353.jpg   DSCF0351.jpg


   新美南吉が読んだ短歌を1首だけ紹介します。
   若くして同じように病に倒れた石川啄木を思い詠んだものと思われます。

   「啄木も 嘆きたるなり ウインドに 映る姿の さみしきを見て」


   中山道史跡めぐりで訪れた愚渓寺で、御嶽宿から少し北へ行ったところにあります。
   看板の説明は、かろうじて読めそうに撮れていました。

   愚渓寺全景2   倶渓寺

                 愚渓寺看板



土方歳三(第19回)仙台から蝦夷・函館へ

10月中旬になると歳三以下新選組隊士たちは大江丸に乗船して折の浜を出帆し、蝦夷に向けて北上します。途中、南部の宮古湾の鍬ケ崎に錨をおろし、5日ほど停泊したあと宮古を発ち、10月21日にようやく蝦夷鷲ノ木に到着しました。歳三が榎本らと新天地を求めて仙台を出てから9日目のことでした。

新選組は大鳥圭介の軍の戦闘部隊として属し、鷲ノ木から箱館に向かいます。歳三は額兵隊、陸軍隊を率いて鷲ノ木から川汲を経て同じく箱館へ向かいました。このとき、歳三には島田魁ら新選組精鋭の者がついていましたが、戦闘部隊の役目だけでなく歳三を護衛する目的もありました。
10月24日、歳三が率いる額兵隊、陸軍隊は川汲で松前藩の軍と交戦になりましたが、これを圧倒して蹴散らしました。

10月26日には榎本武揚ら旧幕軍は松前藩の抵抗を受けずに五稜郭を無血占領しました。歳三も夕刻に五稜郭に入城しましたが、新選組や遊撃隊、工兵隊は七飯より大野の平定に向かっています。
榎本らは実戦経験に乏しく、松前総攻撃をするための指導者になれるほどの人物は旧幕軍のなかにいませんでした。榎本は歳三の力量を高く買っていて、松前総攻撃の総督に歳三を任命します。
歳三が指揮する先鋒軍は茂辺から萩砂村、知内村、福島と戦いに勝ち、勢いを増して松前に進撃します。11月5日には松前城の攻撃を開始しますが、松前の兵は城から脱走してあっけなく戦いは終了しました。
このとき新選組は市中取締りを命じられて、称名寺を市中取締りの本陣としました。
歳三は部隊を半分ずつに分け城下と荒谷の二箇所に駐屯させました。

11月上旬には歳三の部隊は江差に向かい、わずか5日で江差を占拠します。ちょうどその頃になりますが、旧幕軍の旗艦開陽が座礁してしまいます。
11月25日、ついに歳三は五稜郭に入りました。その日から20日後の12月15日、榎本武揚を中心とした旧幕軍は蝦夷平定を祝って101発の祝砲を撃ち、各国領事を招いて祝宴を催しました。
ここに函館新政府が誕生したのです。
士官以上の投票によって、函館新政府は総裁に榎本武揚、副総裁松平太郎、海軍奉行荒井郁之助、陸軍奉行大鳥圭介、陸軍奉行並土方歳三を選出しました。
榎本らは歳三に陸軍奉行並でなく軍総督を勧めたようですが、歳三は役職など何の意味も無いことを
承知していて、固辞したようです。(以下次号へ)

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まり姫&頑固じじい

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歴史・平和・歌舞伎・花・
ひとり旅・お酒とボヤキが大好き!
ときどき病院通い(情けない)
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