[戦争法(安保法制)成立2年、全国で抗議デモ]

安倍自公政権が平和安全保障法だと強弁した安全保障関連法成立から2年の節目を翌日に控えた18日、安保法や原発再稼働に反対する「さようなら原発 さようなら戦争全国集会」が、東京都渋谷区の代々木公園で開かれました。
会場では安保法に対し「戦争する国になる」「憲法違反」など懸念の声が上がる一方、安倍晋三首相が衆院解散・総選挙の方針を固めたことに対しても「疑惑からの追及逃れ」など批判の声が相次ぎました。
集会後にはデモ行進もあり参加者の声が街中に響きました。
市民ら9千5百人(主催者発表)が参加し主催した市民団体「『さようなら原発』一千万署名市民の会」の呼び掛け人の作家、落合恵子さんはあいさつで、学校法人加計(かけ)学園の獣医学部新設や、学校法人森友学園の国有地払い下げを巡る疑惑を念頭に、「安倍政権は私たちが(疑惑を)忘れ、支持率がアップしたので選挙に勝てると思っている。これほどやりたい放題の内閣はあったでしょうか」と声を張り上げました。
市民や市民団体でつくる「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の福山真劫(しんごう)共同代表は「安保法は違憲。みんなで戦争法廃止を勝ち取ろう」と呼び掛け、その上で、「衆院解散は権力の私物化、貧困と格差の拡大を隠すための保身、党利党略で許せない。だが、安倍政権の政策を転換させるチャンス」と訴えました。
米軍辺野古新基地建設の抗議活動で長期拘束された沖縄平和運動センターの山城博治(ひろじ)議長は「安倍政権は北朝鮮の脅威をあおって憲法を変え、この国を変えようとしている」と厳しく批判しました。
安倍政権は国民・市民がもう忘れていると安易に考えているようですが、これだけ踏みつけにされたら市民はそんな簡単には忘れません。
この日上がった参加者の怒りの声はすぐにツイッターやフェイスブック、インスタグラムなどで全国に広がるでしょう。
それこそが国民の本当の民意です。
野党は共闘せよという声も市民の民意です。
この声をないがしろにして「政権選択選挙だから理念や政策の違うところとは共闘しない」などと言っている政党は国民・市民から今度の総選挙で完全に見放されるでしょうね!!
[路傍に咲いた花]
秋の路傍でも忙しくなり、いっせいにあれこれ小さな花が顔を出してきました。
冬に向かう前の短い間だけだと自己主張しているようです。
小さいのに精いっぱい鶴をのばして咲いているマメアサガオの色違い。
白いマメアサガオ

橙色のマメアサガオ

[薩長史観が靖国史観の大元№11]
「薩長史観」では薩摩藩の島津久光が起こした「寺田屋騒動」と「生麦事件」は正当な対処であったとしていますが、本当でしょうか。
久光に取り入って幕府や朝廷の様子の情報を教えていた「精忠組(下級武士の尊王攘夷グループ)」の大久保利通(一蔵)を重用し、文久2年京都伏見の寺田屋に集結していた尊攘過激派の自藩の有馬新七らを殺害する寺田屋事件を起こしたり、朝廷に対する久光の働きかけにより同年5月9日、幕政改革を要求するために勅使を江戸へ派遣することが決定され、勅使随従を命じられると、幕府への要求事項として、以下の「三事策」(1.は長州藩、2.は岩倉具視、3.は薩摩藩の各意見を採用したもの)が決めました。
1.将軍・徳川家茂の上洛
2.沿海5大藩(薩摩藩・長州藩・土佐藩・仙台藩・加賀藩)で構成される五大老の設置
3.一橋慶喜の将軍後見職、前福井藩主・松平春嶽の大老職就任
出府に先立って5月12日、通称を和泉から三郎へと改めた上で、21日に勅使・大原重徳に随従して京都を出発、6月7日に江戸へ到着すると、当地において勅使とともに幕閣との交渉に当たり、7月6日に慶喜の将軍後見職、9日に松平春嶽の政事総裁職の就任を実現させました(文久の改革)。
勅使東下の目的を達成したことで、8月21日に江戸を出発、東海道を帰京の途上、武蔵国橘樹郡生麦村(現神奈川県横浜市鶴見区)でイギリスの民間人4名と遭遇し、久光一行の行列の通行を妨害したという理由で随伴の薩摩藩士がイギリス人を殺傷する生麦事件が起こり、何の処理をすることもなく閏8月6日に京都へ到着、9日に参内して幕政改革の成功を復命した後、23日に京都を発し薩摩に帰ってしまいました(9月7日鹿児島着)。
久光が「生麦事件」の処理を誤ったためにイギリス人殺傷の一件は結果的に、翌文久3年(1863年)7月の薩英戦争へと発展してしまいました。
事はそれだけで足りず、英国公使から幕府は賠償請求を突き付けられ、当初は拒否し続けていたものの結局賠償に応じた老中はその責任を負い、辞職しています。
これらの根底にあるのは、幕末の「暗殺の季節」が、はじめは「攘夷」を正当化するために外国人を対象にしていましたが、やがて「天誅」という天道さえも恐れるような殺戮が京都において「政敵」にむけられ、それを公然と行わせたのが島津久光だったのです。
島津久光は異母兄斉彬の遺言により実子忠義が藩主になると、その後見役となり薩摩藩の実権を握りました。
久光の野望は前藩主斉彬を踏襲したもので、軍事力を背景にして朝廷を支え、幕政を改革し公武合体を進めることで、一挙に中央政界に乗り出すことでした。
幕政の改革は、安政の大獄で冷や飯を食わされた松平春嶽を大老にし、一橋慶喜を将軍後見役につけることで、朝廷が主張する攘夷を行うというものでした。
彼が唱えた公武合体はどちらかといえば朝廷に軸足を置いたもので、当然ながら尊攘過激主義者には大うけしたのです。
久光に入れ知恵した大久保利通は後年、西郷、木戸と並んで維新三傑と称されましたが、彼らも現代で言えば過激な武闘派に過ぎなかったのです。
「薩長史観」に染まった薩摩藩は上から下まで形は違っても過激だったことだけは間違いないようで、歴史を正視すれば新しい夜明けを決して望んでいなかったものだと理解できます。
ではもう一方の長州藩はどうか。次回に史実にもとづき検証したいと思います。(次回につづく)
[今日の音楽]
岩手県出身の三人組のフォーク・グループで1972年結成したニュー・サディスティック・ピンク(NSP)
1973年のデビュー曲です。大ヒットしたとされる「夕暮れ時はさびしそう」とともに有名だとか(*^^)
NSP 「さようなら」
[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
コスモス(白)

コスモス(ピンク)

[歴史に残る名言]
<石川啄木の名言>
「そのかみの神童の名の
かなしさよ
ふるさとに来て泣くはそのこと」
石川啄木[いしかわ・たくぼく](明治の歌人・詩人、1886~1912)『一握の砂』
[今日は何の日?]
<今日のトップニュース>
※安保法、衆院選争点に 自民「抑止力に」4野党「違憲疑い」
他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とした安全保障関連法の成立から、十九日で二年。政府はこの間、自衛隊の新任務を次々に実行してきた。民進党などの野党は廃止を求めている。二十八日召集の臨時国会冒頭にも衆院が解散され、来月下旬に行われる見通しの衆院選で、安保法の存廃は争点となる。 (新開浩)
安保法に基づき政府は昨年秋、南スーダン国連平和維持活動(PKO)で、離れた場所で襲われた文民らを守る「駆け付け警護」などの任務を付与。今年五月には、平時の米艦防護を安保法の新任務として初めて実施した。日本海周辺で米イージス艦に洋上給油を行ったことも判明している。
政府は米トランプ政権と安保分野での協力拡大で一致しており、自衛隊と米軍の一体化をさらに進める方針。北朝鮮の核実験や弾道ミサイル発射を巡っては、安保法が「日米同盟の抑止力に極めて大きな役割を果たした」と訴える。
安倍晋三首相側近の萩生田(はぎうだ)光一・自民党幹事長代行は、北朝鮮情勢に触れ「安保法がどうワーク(機能)するか国民に理解をいただくこと」を衆院選の争点に挙げた。
これに対して野党四党側は、安保法は違憲の疑いがあるとして廃止法案を提出してきた。昨年の参院選では、廃止を求める市民団体と野党四党が連携。民進党の前原誠司代表と共産党の志位和夫委員長は十八日、衆院選に向けてそれぞれ安保法廃止を訴えた。
東京都渋谷区の代々木公園では十八日、「さようなら原発 さようなら戦争全国集会」が開かれ、市民ら九千五百人(主催者発表)が安保法や原発再稼働に反対の声を上げた。2017年9月19日【出典:東京新聞】
<ちょっと前のトップニュース>
※「豊洲」地下の説明が二転三転 駐車場→汚染浄化作業→配管保全
東京都が開設する豊洲市場(江東区)の建物下に土壌汚染対策の盛り土がなかった問題で、地下空間を設けた目的を巡って、都の担当者の説明が変遷している。石原慎太郎氏が都知事在任中の二〇〇八年、担当局長にコンクリート箱を埋める案の検討を指示する以前から、都側は盛り土案とターレ(小型搬送車)置き場案を併せて計画。その後は「浄化作業ができる空間」「配管や配線を維持管理する作業スペース」などと変わっている。都は歴代担当者を聴取し、週内にも小池百合子知事に経緯の調査結果を報告する。 (内田淳二)
都の会議録などによると、建物下の地下空間に関する言及は、少なくとも〇六年十月にさかのぼる。都と築地市場(中央区)の関係者が新市場計画について協議する場で、都側が「スロープ(坂)で地下のターレ置き場に接続する計画になっている」と説明していた。
その後、新市場予定地で高濃度のベンゼンなどが検出されたのを受け、都は〇七年四月、土壌汚染対策を検討する専門家会議を設置。翌月の初会合で、都側は盛り土案とターレ置き場案を併せて提案したが、委員から「有害物質が建物内に入る恐れがあるため、地下施設は造らない方がいい」と指摘され、ターレ置き場案は消えた。
石原氏が「コンクリートを埋め込むことで、ずっと安くて早く終わるんじゃないか」と担当局長に検討を指示したのは、翌〇八年五月ごろ。しかし同年七月、専門家会議は敷地全体の盛り土などの土壌汚染対策を提言した。
具体的な工法を検討する有識者の技術会議では同年十二月、都側は「万が一、地下水から環境基準を超える汚染物質が検出された場合にも、たとえば建物下で浄化ができるような作業空間の確保を考えている」と言及。地下空間が図面に初めて示されたのは一一年六月、基本設計を受注した日建設計(千代田区)が作成したものだった。
だが、その後も都の担当者は都議会などで「敷地全体を四・五メートルのきれいな土で覆っている」と答弁し、土壌汚染対策の万全さをアピールしてきた。実際は約四十ヘクタールの敷地のうち三割を占める建物下は盛り土されていなかった。
問題が発覚した今月十日、都の担当者は地下空間の目的について「下水管や電気の配線を通すので、メンテナンス用の作業空間を確保する必要があった」と、従来とは違う説明をした。2016年9月20日(東京新聞)
<もう少し前のトップニュース>
※共産、参院選で候補者調整 他党に協力呼び掛け
共産党の志位和夫委員長は19日の記者会見で、来年夏の参院選で独自候補の擁立にこだわらず、民主党などとの候補者調整に乗り出す意向を示した。安倍政権を退陣に追い込むためで、安全保障関連法廃止などの政治的合意を前提とした上で「全選挙区に候補者を立てる方針だが、他の野党と選挙協力で合意できれば調整する」と述べた。衆院選での選挙協力も呼び掛け、委員長名の声明を同日、発表した。
民主、維新、共産、社民、生活各党は今国会で安保法成立阻止を目指し、党首会談を重ねるなど連携してきた。志位氏は安保法を廃止するためには野党間の協力が不可避と判断した。2015年9月19日【東京新聞】
<9月20日の記念日>
※バスの日
1903年(明治36年)の今日、日本で初めてのバス会社が本格的な営業を開始したことから、1987年(昭和62年)の全国バス事業者大会で制定された。京都の堀川中立売~七条~祇園間を走った最初のバスは、蒸気自動車を改造したもので6人乗り、幌もなかったという。
※空の日
1940(昭和15)年に「航空の日」として制定。戦争中中断されていたが、1953(昭和28)年に復活。運輸省(現在の国土交通省)航空局が1992(平成4)年に「空の日」改称した。
1911(明治44)年のこの日、山田猪三郎が開発した山田式飛行船が、滞空時間1時間の東京上空一周飛行に成功した。
日本で最初の飛行に成功したのは、1910(明治43)年12月19日に東京・代々木錬兵場で徳川大尉が行った飛行実験だった。しかし12月では気候的に「航空日」の行事に適さないため、帝都上空一周飛行が行われた9月20日を「航空日」とした。
※相続・贈与の日
彼岸の時期であり、先祖を供養するために家族が集まる機会も多いこの時期に、相続や贈与についての知識を深め、家族で話し合うきっかけにと、NPO法人・不動産承継支援ネットワークが制定。高齢化社会が進行する中で、相続や贈与の準備、対策を行うことの大切さをアピールするのが目的。春の彼岸の時期の3月20日と秋の彼岸の時期の9月20日を「相続・贈与の日」に制定している。
※お手玉の日
日本のお手玉の会が制定。
1992(平成4)年のこの日、第1回全国お手玉遊び大会が愛媛県新居浜市で開かれた。
お手玉遊びの魅力をPRする日。
<今日の誕生花>
ローズマリー(まんねんろう)「花言葉:私を思って」サルビア<赤>「花言葉:貴方のことばかり思う」

タマスダレ「花言葉:便りがある」

<歴史上の出来事>
451年カタラウヌムの戦い
1336年(延元元年/建武3年8月15日)北朝の光明天皇が即位。再び南北朝分離へ。
1378年教会大分裂: 4月に選出されたローマ教皇ウルバヌス6世を支持しないフランス人枢機卿が独自に教皇選挙を行い、その結果ロベール・ド・ジュネーヴがクレメンス7世として即位。教会大分裂の始まり。
1519年マゼランが5隻の軍艦・265人でスペインを出航、世界一周航海に出発。
1620年(元和6年8月24日)伊達政宗の使節としてスペインに赴いた支倉常長が7年ぶりに帰国。
1792年フランス革命: フランスで初の男子普通選挙による議会である国民公会が召集。
1792年フランス革命戦争: ヴァルミーの戦い
1854年クリミア戦争: アルマの戦い(英語)。セヴァストーポリ要塞の攻略を目指すイギリス・フランス・オスマン帝国同盟軍がアルマ河でロシア軍と対戦。
1869年明治政府が蝦夷地を「北海道」と改称する布告。
1875年江華島事件:日本海軍の軍艦「雲揚」が朝鮮漢江河口の江華島附近で朝鮮守備隊と交戦。
1886年大阪紡績が夜間照明に日本の民間初の電灯となるアーク灯を使用。
1909年イギリスで「職業紹介所法」成立、失業保険制度が開始。
1911年山田猪三郎考案の山田式飛行船が東京上空を初飛行。
1925年東京六大学野球リーグ戦が開幕。
1945年「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(ポツダム緊急勅令)公布・即日施行。
1945年文部省が教科書の戦時教育部分の削除を通達。生徒に墨で塗りつぶさせる「墨塗り教科書」となる。
1946年第1回カンヌ国際映画祭開催。
1949年武生事件。福井地裁・福井地検武生支部の建物が放火により全焼。
1950年GHQが米兵と日本人女性の結婚禁止令を解除。
1951年詩人・峠三吉が『原爆詩集』をガリ版刷りにより発行。
1957年糸川英夫東京大学教授らが、初の国産観測ロケット「カッパー4C型」の打上げ実験に成功。
1961年武州鉄道汚職事件で楢橋渡元運輸相夫妻を逮捕。
1973年衆議院が、北方領土の返還に関する決議を全会一致で可決。
1977年ベトナム社会主義共和国が国連に加盟。
1986年ウルグアイで開催されたGATT閣僚会議で多角的新貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)の開始を宣言。
1987年第42回国体夏期大会ゅ海邦国体)が沖縄県で開幕し、国体が全都道府県を一巡。
1990年南オセチアがグルジアからの独立を宣言。
1998年ボルチモア・オリオールズのカル・リプケンが2632試合連続出場を達成。
2001年海上自衛隊のたかなみ型汎用護衛艦「おおなみ」(DD-111)が進水
2005年秋田県仙北[せんぼく]市が市制施行
2014年 - ISILに拉致されていたトルコ人たち46人が無事解放されて帰国した
<著名人の誕生日>
1535年丹羽長秀[にわ・ながひで](戦国武将) [1585年4月16日]
1885年ジェリー・ロール・モートン(米:ジャズピアニスト(レッド・ホット・ペッパーズ))1890/10/20生とも[1941年7月10日]
1934年ソフィア・ローレン(伊:女優)
1947年小田和正[おだ・かずまさ](シンガーソングライター,ミュージシャン(オフコース/ヴォーカル))
1972年鈴木砂羽[すずき・さわ] (女優)
1976年一青窈[ひとと・よう](歌手)
1977年安室奈美恵[あむろ・なみえ] (歌手)
<著名人の忌日>
1605年山内一豐[やまのうち・かずとよ](武将,土佐藩祖) <数え60歳> [1546年生]
1806年喜多川歌麿[きたがわ・うたまろ](浮世絵師) <数え54歳> [1753年生]
1908年パブロ・デ・サラサーテ (スペイン:作曲家,バイオリン奏者) <64歳>[1844年3月10日生]
1957年ヤン・シベリウス (フィンランド:作曲家『フィンランディア』) <91歳> [1865年12月8日生]
1980年初代林家三平[はやしや・さんぺい1](落語家) <54歳> [1925年11月30日生]
1988年中村汀女[なかむら・ていじょ](俳人) <88歳> [1900年4月11日生]
1990年ニルス・エリック・バンク=ミケルセン (デンマーク:社会運動家,ノーマライゼーションを提唱) <71歳>[1919年3月29日生]
2000年徳間康快[とくま・やすよし] (経営者,徳間書店社長) <78歳>[1921年10月25日生]
2004年白石一郎[しらいし・いちろう] (小説家『海狼伝』『怒涛のごとく』) <72歳>1987年上期直木賞[1931年11月9日生]
2007年4代目望月朴清[もちづき・ぼくせい] (歌舞伎長唄囃子方) <73歳>1998年人間国宝[1934年1月8日生]
2014年土井たか子[どい・たかこ] ,衆議院議長(68代)) <85歳>[1928年11月30日生]
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安倍自公政権が平和安全保障法だと強弁した安全保障関連法成立から2年の節目を翌日に控えた18日、安保法や原発再稼働に反対する「さようなら原発 さようなら戦争全国集会」が、東京都渋谷区の代々木公園で開かれました。
会場では安保法に対し「戦争する国になる」「憲法違反」など懸念の声が上がる一方、安倍晋三首相が衆院解散・総選挙の方針を固めたことに対しても「疑惑からの追及逃れ」など批判の声が相次ぎました。
集会後にはデモ行進もあり参加者の声が街中に響きました。
市民ら9千5百人(主催者発表)が参加し主催した市民団体「『さようなら原発』一千万署名市民の会」の呼び掛け人の作家、落合恵子さんはあいさつで、学校法人加計(かけ)学園の獣医学部新設や、学校法人森友学園の国有地払い下げを巡る疑惑を念頭に、「安倍政権は私たちが(疑惑を)忘れ、支持率がアップしたので選挙に勝てると思っている。これほどやりたい放題の内閣はあったでしょうか」と声を張り上げました。
市民や市民団体でつくる「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の福山真劫(しんごう)共同代表は「安保法は違憲。みんなで戦争法廃止を勝ち取ろう」と呼び掛け、その上で、「衆院解散は権力の私物化、貧困と格差の拡大を隠すための保身、党利党略で許せない。だが、安倍政権の政策を転換させるチャンス」と訴えました。
米軍辺野古新基地建設の抗議活動で長期拘束された沖縄平和運動センターの山城博治(ひろじ)議長は「安倍政権は北朝鮮の脅威をあおって憲法を変え、この国を変えようとしている」と厳しく批判しました。
安倍政権は国民・市民がもう忘れていると安易に考えているようですが、これだけ踏みつけにされたら市民はそんな簡単には忘れません。
この日上がった参加者の怒りの声はすぐにツイッターやフェイスブック、インスタグラムなどで全国に広がるでしょう。
それこそが国民の本当の民意です。
野党は共闘せよという声も市民の民意です。
この声をないがしろにして「政権選択選挙だから理念や政策の違うところとは共闘しない」などと言っている政党は国民・市民から今度の総選挙で完全に見放されるでしょうね!!
[路傍に咲いた花]
秋の路傍でも忙しくなり、いっせいにあれこれ小さな花が顔を出してきました。
冬に向かう前の短い間だけだと自己主張しているようです。
小さいのに精いっぱい鶴をのばして咲いているマメアサガオの色違い。
白いマメアサガオ

橙色のマメアサガオ

[薩長史観が靖国史観の大元№11]
「薩長史観」では薩摩藩の島津久光が起こした「寺田屋騒動」と「生麦事件」は正当な対処であったとしていますが、本当でしょうか。
久光に取り入って幕府や朝廷の様子の情報を教えていた「精忠組(下級武士の尊王攘夷グループ)」の大久保利通(一蔵)を重用し、文久2年京都伏見の寺田屋に集結していた尊攘過激派の自藩の有馬新七らを殺害する寺田屋事件を起こしたり、朝廷に対する久光の働きかけにより同年5月9日、幕政改革を要求するために勅使を江戸へ派遣することが決定され、勅使随従を命じられると、幕府への要求事項として、以下の「三事策」(1.は長州藩、2.は岩倉具視、3.は薩摩藩の各意見を採用したもの)が決めました。
1.将軍・徳川家茂の上洛
2.沿海5大藩(薩摩藩・長州藩・土佐藩・仙台藩・加賀藩)で構成される五大老の設置
3.一橋慶喜の将軍後見職、前福井藩主・松平春嶽の大老職就任
出府に先立って5月12日、通称を和泉から三郎へと改めた上で、21日に勅使・大原重徳に随従して京都を出発、6月7日に江戸へ到着すると、当地において勅使とともに幕閣との交渉に当たり、7月6日に慶喜の将軍後見職、9日に松平春嶽の政事総裁職の就任を実現させました(文久の改革)。
勅使東下の目的を達成したことで、8月21日に江戸を出発、東海道を帰京の途上、武蔵国橘樹郡生麦村(現神奈川県横浜市鶴見区)でイギリスの民間人4名と遭遇し、久光一行の行列の通行を妨害したという理由で随伴の薩摩藩士がイギリス人を殺傷する生麦事件が起こり、何の処理をすることもなく閏8月6日に京都へ到着、9日に参内して幕政改革の成功を復命した後、23日に京都を発し薩摩に帰ってしまいました(9月7日鹿児島着)。
久光が「生麦事件」の処理を誤ったためにイギリス人殺傷の一件は結果的に、翌文久3年(1863年)7月の薩英戦争へと発展してしまいました。
事はそれだけで足りず、英国公使から幕府は賠償請求を突き付けられ、当初は拒否し続けていたものの結局賠償に応じた老中はその責任を負い、辞職しています。
これらの根底にあるのは、幕末の「暗殺の季節」が、はじめは「攘夷」を正当化するために外国人を対象にしていましたが、やがて「天誅」という天道さえも恐れるような殺戮が京都において「政敵」にむけられ、それを公然と行わせたのが島津久光だったのです。
島津久光は異母兄斉彬の遺言により実子忠義が藩主になると、その後見役となり薩摩藩の実権を握りました。
久光の野望は前藩主斉彬を踏襲したもので、軍事力を背景にして朝廷を支え、幕政を改革し公武合体を進めることで、一挙に中央政界に乗り出すことでした。
幕政の改革は、安政の大獄で冷や飯を食わされた松平春嶽を大老にし、一橋慶喜を将軍後見役につけることで、朝廷が主張する攘夷を行うというものでした。
彼が唱えた公武合体はどちらかといえば朝廷に軸足を置いたもので、当然ながら尊攘過激主義者には大うけしたのです。
久光に入れ知恵した大久保利通は後年、西郷、木戸と並んで維新三傑と称されましたが、彼らも現代で言えば過激な武闘派に過ぎなかったのです。
「薩長史観」に染まった薩摩藩は上から下まで形は違っても過激だったことだけは間違いないようで、歴史を正視すれば新しい夜明けを決して望んでいなかったものだと理解できます。
ではもう一方の長州藩はどうか。次回に史実にもとづき検証したいと思います。(次回につづく)
[今日の音楽]
岩手県出身の三人組のフォーク・グループで1972年結成したニュー・サディスティック・ピンク(NSP)
1973年のデビュー曲です。大ヒットしたとされる「夕暮れ時はさびしそう」とともに有名だとか(*^^)
NSP 「さようなら」
[今日のお気に入りの写真](画像クリックで拡大)
コスモス(白)

コスモス(ピンク)

[歴史に残る名言]
<石川啄木の名言>
「そのかみの神童の名の
かなしさよ
ふるさとに来て泣くはそのこと」
石川啄木[いしかわ・たくぼく](明治の歌人・詩人、1886~1912)『一握の砂』
[今日は何の日?]
<今日のトップニュース>
※安保法、衆院選争点に 自民「抑止力に」4野党「違憲疑い」
他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とした安全保障関連法の成立から、十九日で二年。政府はこの間、自衛隊の新任務を次々に実行してきた。民進党などの野党は廃止を求めている。二十八日召集の臨時国会冒頭にも衆院が解散され、来月下旬に行われる見通しの衆院選で、安保法の存廃は争点となる。 (新開浩)
安保法に基づき政府は昨年秋、南スーダン国連平和維持活動(PKO)で、離れた場所で襲われた文民らを守る「駆け付け警護」などの任務を付与。今年五月には、平時の米艦防護を安保法の新任務として初めて実施した。日本海周辺で米イージス艦に洋上給油を行ったことも判明している。
政府は米トランプ政権と安保分野での協力拡大で一致しており、自衛隊と米軍の一体化をさらに進める方針。北朝鮮の核実験や弾道ミサイル発射を巡っては、安保法が「日米同盟の抑止力に極めて大きな役割を果たした」と訴える。
安倍晋三首相側近の萩生田(はぎうだ)光一・自民党幹事長代行は、北朝鮮情勢に触れ「安保法がどうワーク(機能)するか国民に理解をいただくこと」を衆院選の争点に挙げた。
これに対して野党四党側は、安保法は違憲の疑いがあるとして廃止法案を提出してきた。昨年の参院選では、廃止を求める市民団体と野党四党が連携。民進党の前原誠司代表と共産党の志位和夫委員長は十八日、衆院選に向けてそれぞれ安保法廃止を訴えた。
東京都渋谷区の代々木公園では十八日、「さようなら原発 さようなら戦争全国集会」が開かれ、市民ら九千五百人(主催者発表)が安保法や原発再稼働に反対の声を上げた。2017年9月19日【出典:東京新聞】
<ちょっと前のトップニュース>
※「豊洲」地下の説明が二転三転 駐車場→汚染浄化作業→配管保全
東京都が開設する豊洲市場(江東区)の建物下に土壌汚染対策の盛り土がなかった問題で、地下空間を設けた目的を巡って、都の担当者の説明が変遷している。石原慎太郎氏が都知事在任中の二〇〇八年、担当局長にコンクリート箱を埋める案の検討を指示する以前から、都側は盛り土案とターレ(小型搬送車)置き場案を併せて計画。その後は「浄化作業ができる空間」「配管や配線を維持管理する作業スペース」などと変わっている。都は歴代担当者を聴取し、週内にも小池百合子知事に経緯の調査結果を報告する。 (内田淳二)
都の会議録などによると、建物下の地下空間に関する言及は、少なくとも〇六年十月にさかのぼる。都と築地市場(中央区)の関係者が新市場計画について協議する場で、都側が「スロープ(坂)で地下のターレ置き場に接続する計画になっている」と説明していた。
その後、新市場予定地で高濃度のベンゼンなどが検出されたのを受け、都は〇七年四月、土壌汚染対策を検討する専門家会議を設置。翌月の初会合で、都側は盛り土案とターレ置き場案を併せて提案したが、委員から「有害物質が建物内に入る恐れがあるため、地下施設は造らない方がいい」と指摘され、ターレ置き場案は消えた。
石原氏が「コンクリートを埋め込むことで、ずっと安くて早く終わるんじゃないか」と担当局長に検討を指示したのは、翌〇八年五月ごろ。しかし同年七月、専門家会議は敷地全体の盛り土などの土壌汚染対策を提言した。
具体的な工法を検討する有識者の技術会議では同年十二月、都側は「万が一、地下水から環境基準を超える汚染物質が検出された場合にも、たとえば建物下で浄化ができるような作業空間の確保を考えている」と言及。地下空間が図面に初めて示されたのは一一年六月、基本設計を受注した日建設計(千代田区)が作成したものだった。
だが、その後も都の担当者は都議会などで「敷地全体を四・五メートルのきれいな土で覆っている」と答弁し、土壌汚染対策の万全さをアピールしてきた。実際は約四十ヘクタールの敷地のうち三割を占める建物下は盛り土されていなかった。
問題が発覚した今月十日、都の担当者は地下空間の目的について「下水管や電気の配線を通すので、メンテナンス用の作業空間を確保する必要があった」と、従来とは違う説明をした。2016年9月20日(東京新聞)
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※共産、参院選で候補者調整 他党に協力呼び掛け
共産党の志位和夫委員長は19日の記者会見で、来年夏の参院選で独自候補の擁立にこだわらず、民主党などとの候補者調整に乗り出す意向を示した。安倍政権を退陣に追い込むためで、安全保障関連法廃止などの政治的合意を前提とした上で「全選挙区に候補者を立てる方針だが、他の野党と選挙協力で合意できれば調整する」と述べた。衆院選での選挙協力も呼び掛け、委員長名の声明を同日、発表した。
民主、維新、共産、社民、生活各党は今国会で安保法成立阻止を目指し、党首会談を重ねるなど連携してきた。志位氏は安保法を廃止するためには野党間の協力が不可避と判断した。2015年9月19日【東京新聞】
<9月20日の記念日>
※バスの日
1903年(明治36年)の今日、日本で初めてのバス会社が本格的な営業を開始したことから、1987年(昭和62年)の全国バス事業者大会で制定された。京都の堀川中立売~七条~祇園間を走った最初のバスは、蒸気自動車を改造したもので6人乗り、幌もなかったという。
※空の日
1940(昭和15)年に「航空の日」として制定。戦争中中断されていたが、1953(昭和28)年に復活。運輸省(現在の国土交通省)航空局が1992(平成4)年に「空の日」改称した。
1911(明治44)年のこの日、山田猪三郎が開発した山田式飛行船が、滞空時間1時間の東京上空一周飛行に成功した。
日本で最初の飛行に成功したのは、1910(明治43)年12月19日に東京・代々木錬兵場で徳川大尉が行った飛行実験だった。しかし12月では気候的に「航空日」の行事に適さないため、帝都上空一周飛行が行われた9月20日を「航空日」とした。
※相続・贈与の日
彼岸の時期であり、先祖を供養するために家族が集まる機会も多いこの時期に、相続や贈与についての知識を深め、家族で話し合うきっかけにと、NPO法人・不動産承継支援ネットワークが制定。高齢化社会が進行する中で、相続や贈与の準備、対策を行うことの大切さをアピールするのが目的。春の彼岸の時期の3月20日と秋の彼岸の時期の9月20日を「相続・贈与の日」に制定している。
※お手玉の日
日本のお手玉の会が制定。
1992(平成4)年のこの日、第1回全国お手玉遊び大会が愛媛県新居浜市で開かれた。
お手玉遊びの魅力をPRする日。
<今日の誕生花>
ローズマリー(まんねんろう)「花言葉:私を思って」サルビア<赤>「花言葉:貴方のことばかり思う」


タマスダレ「花言葉:便りがある」

<歴史上の出来事>
451年カタラウヌムの戦い
1336年(延元元年/建武3年8月15日)北朝の光明天皇が即位。再び南北朝分離へ。
1378年教会大分裂: 4月に選出されたローマ教皇ウルバヌス6世を支持しないフランス人枢機卿が独自に教皇選挙を行い、その結果ロベール・ド・ジュネーヴがクレメンス7世として即位。教会大分裂の始まり。
1519年マゼランが5隻の軍艦・265人でスペインを出航、世界一周航海に出発。
1620年(元和6年8月24日)伊達政宗の使節としてスペインに赴いた支倉常長が7年ぶりに帰国。
1792年フランス革命: フランスで初の男子普通選挙による議会である国民公会が召集。
1792年フランス革命戦争: ヴァルミーの戦い
1854年クリミア戦争: アルマの戦い(英語)。セヴァストーポリ要塞の攻略を目指すイギリス・フランス・オスマン帝国同盟軍がアルマ河でロシア軍と対戦。
1869年明治政府が蝦夷地を「北海道」と改称する布告。
1875年江華島事件:日本海軍の軍艦「雲揚」が朝鮮漢江河口の江華島附近で朝鮮守備隊と交戦。
1886年大阪紡績が夜間照明に日本の民間初の電灯となるアーク灯を使用。
1909年イギリスで「職業紹介所法」成立、失業保険制度が開始。
1911年山田猪三郎考案の山田式飛行船が東京上空を初飛行。
1925年東京六大学野球リーグ戦が開幕。
1945年「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(ポツダム緊急勅令)公布・即日施行。
1945年文部省が教科書の戦時教育部分の削除を通達。生徒に墨で塗りつぶさせる「墨塗り教科書」となる。
1946年第1回カンヌ国際映画祭開催。
1949年武生事件。福井地裁・福井地検武生支部の建物が放火により全焼。
1950年GHQが米兵と日本人女性の結婚禁止令を解除。
1951年詩人・峠三吉が『原爆詩集』をガリ版刷りにより発行。
1957年糸川英夫東京大学教授らが、初の国産観測ロケット「カッパー4C型」の打上げ実験に成功。
1961年武州鉄道汚職事件で楢橋渡元運輸相夫妻を逮捕。
1973年衆議院が、北方領土の返還に関する決議を全会一致で可決。
1977年ベトナム社会主義共和国が国連に加盟。
1986年ウルグアイで開催されたGATT閣僚会議で多角的新貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)の開始を宣言。
1987年第42回国体夏期大会ゅ海邦国体)が沖縄県で開幕し、国体が全都道府県を一巡。
1990年南オセチアがグルジアからの独立を宣言。
1998年ボルチモア・オリオールズのカル・リプケンが2632試合連続出場を達成。
2001年海上自衛隊のたかなみ型汎用護衛艦「おおなみ」(DD-111)が進水
2005年秋田県仙北[せんぼく]市が市制施行
2014年 - ISILに拉致されていたトルコ人たち46人が無事解放されて帰国した
<著名人の誕生日>
1535年丹羽長秀[にわ・ながひで](戦国武将) [1585年4月16日]
1885年ジェリー・ロール・モートン(米:ジャズピアニスト(レッド・ホット・ペッパーズ))1890/10/20生とも[1941年7月10日]
1934年ソフィア・ローレン(伊:女優)
1947年小田和正[おだ・かずまさ](シンガーソングライター,ミュージシャン(オフコース/ヴォーカル))
1972年鈴木砂羽[すずき・さわ] (女優)
1976年一青窈[ひとと・よう](歌手)
1977年安室奈美恵[あむろ・なみえ] (歌手)
<著名人の忌日>
1605年山内一豐[やまのうち・かずとよ](武将,土佐藩祖) <数え60歳> [1546年生]
1806年喜多川歌麿[きたがわ・うたまろ](浮世絵師) <数え54歳> [1753年生]
1908年パブロ・デ・サラサーテ (スペイン:作曲家,バイオリン奏者) <64歳>[1844年3月10日生]
1957年ヤン・シベリウス (フィンランド:作曲家『フィンランディア』) <91歳> [1865年12月8日生]
1980年初代林家三平[はやしや・さんぺい1](落語家) <54歳> [1925年11月30日生]
1988年中村汀女[なかむら・ていじょ](俳人) <88歳> [1900年4月11日生]
1990年ニルス・エリック・バンク=ミケルセン (デンマーク:社会運動家,ノーマライゼーションを提唱) <71歳>[1919年3月29日生]
2000年徳間康快[とくま・やすよし] (経営者,徳間書店社長) <78歳>[1921年10月25日生]
2004年白石一郎[しらいし・いちろう] (小説家『海狼伝』『怒涛のごとく』) <72歳>1987年上期直木賞[1931年11月9日生]
2007年4代目望月朴清[もちづき・ぼくせい] (歌舞伎長唄囃子方) <73歳>1998年人間国宝[1934年1月8日生]
2014年土井たか子[どい・たかこ] ,衆議院議長(68代)) <85歳>[1928年11月30日生]
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