2017 / 10
≪ 2017 / 09 2017 / 11 ≫
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久しぶりに金子みすゞの詩を紹介します。
感想などお寄せいただけたら嬉しく思います。

     なかなおり

  げんげのあぜみち、春がすみ、

  むこうにあの子が立っていた。

    あの子はげんげを持っていた、

    わたしも、げんげをつんでいた。

  あの子がわらう、と、気がつけば、

  わたしも知らずにわらってた。

    げんげのあぜみち、春がすみ、

    ピイチクパアチクひばりがないていた。



                     今日のお気に入り      
             牡丹1
             おだまき


先日土方歳三の連載を終了しましたが、文久3年の新選組結成以来、函館戦争終了まで土方歳三に従いつづけて、彼を最後まで支え続けた人物を語らないわけにはいきません。
その人は、私の地元美濃の出身の嶋田 魁(しまだ かい 後に『さきがけ』と改める)という隊士です。
新選組結成時からの記録や日記を残し、後の新選組研究に大きく貢献した人です。
永倉新八も『浪士文久報国記事』や『新選組顛末記』を遺していますが、島田魁が遺したものはそのはるか上をいくものです。

そんな嶋田魁の人となりを紹介したいと思います。

   嶋田魁画像

以前、嶋田魁の実家の墓地を訪ねたことがありますが、彼は文政11年 美濃国雄総村(現在の岐阜県岐阜市長良雄総)の庄屋近藤伊右衛門の次男として生まれました。幼いころ、父伊右衛門の自決により長兄が家督を継いだ後、親戚をたらいまわしにされます。母方の祖父、川島嘉右衛門に預けられたころから剣術修行に目覚め、名古屋城内の御前試合で無類の強さを発揮して優勝します。居合わせた大垣藩士の嶋田才に見初められ養子となり嶋田家を継ぐことになりました。その後江戸に出て心形刀流・坪内主馬道場で修行しますが、この時に永倉新八と出合ったという説もあります。

嶋田魁が永倉新八と京都でいつ再会したかは明らかではありませんが、文久3年(1863年)5月には新選組に入隊していたと思われます。そして、土方直属の諸士調役兼監察の任に就きました。190cm近くもある巨漢で、大変な怪力の持ち主であったといわれています。また土方の徹底した隊規の遂行のため、隊士の処分など土方の「汚れ役」も担っていました。 元治元年(1864年)6月には諸士調役兼監察の能力を存分に発揮し池田屋事件の発端となる古高俊太郎捕縛に貢献しています。その後の組織再編で2番組伍長も兼任しています。

慶応3年(1867年)11月の油小路事件では、服部武雄と戦っています。同年12月18日、御陵衛士(高台寺党)残党による近藤勇襲撃では近藤の護衛として同行しており、馬上で狙撃された近藤の馬を走らせ、近藤の命を救ったのは嶋田魁でした。

慶応4年(1868年)1月3日 鳥羽・伏見の戦いでは、永倉新八らと抜刀隊を組織し敵陣に斬り込みましたが、敵の銃火が激しく撤退します。その際に、重装備の永倉が土塀を乗り越えられないのを見ると自分の持っていた銃を差し出し、永倉に「これを掴め」と指示して嶋田魁は持ち前の怪力で永倉を土塀の上へ軽々と引き上げたという逸話を遺しています。その後、嶋田魁は土方に従って箱館まで戦い抜き、土方の戦死を聞くと号泣したといいます。

嶋田魁は明治2年(1869年)5月に弁天台場で降伏し、11月まで謹慎生活を送ります。その後、名古屋藩に預けられ、謹慎が解かれると京都に行き、剣術道場を開きました。この間、新政府への出仕の話や榎本武揚が「旧交を温めたいので宿舎まで来て欲しい」と面会したいと伝えたのに対し、「会いたいという奴の方から出向くのが筋だろう」と断ったといいいます。
土方を敬慕していた嶋田にとっては、榎本の変わり身の早さを怒っていたようです。

嶋田魁は箱館戦争後、散っていった新選組隊士の菩提を弔うため念仏をかかさず、箱館で戦死した土方歳三の戒名を書いた布を常に懐に携えていました。また、後世に新選組隊士の姿を伝えるため「島田魁日記」をはじめ京都から函館まで所属していた隊士の名簿など、様々な記録や品々を遺しています。それらが今日の新選組研究に多大な貢献をしていることは間違いないと思います。

嶋田魁の逸話
新選組の主催した相撲興行でも、隊一番の巨漢ですから当然大活躍し、「力さん」の異名をとったといわれています。また、その巨漢には似合わない大の甘党で、自分で大鍋一杯の汁粉を作り、それを1人でぺろりとたいらげたそうです。それも砂糖を大量に入れ糸を引くほどの甘さであったため、周りの隊士は誰も、この「嶋田汁粉」を食べられなかったといいます。
新政府から釈放された後は京都に戻り、剣術道場のほかにレモネード屋や雑貨屋などを開きましたが、もともと商売気がなくあまり流行らず困窮したといわれます。

縁戚との交流も頻繁にあり、晩年の嶋田魁の写真は兄弟等と一緒に写ったものでした。

   嶋田魁晩年の写真

嶋田魁の土方歳三への敬慕の象徴である追悼歌が遺されています。

「鉾とりて月みるごとにおもふかな あすはかばね(屍)の上に照かと 」


明治19年(1886年)には西本願寺の夜間警備員となります。
明治33年3月20日 勤務先の西本願寺で倒れ73歳で死去しました。懐中には土方歳三の戒名が書かれた包みを入れたままでした。
嶋田魁の葬儀には永倉新八も北海道から参列したそうです。

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今日の最大の行事は友と別れの挨拶をしてくることです。

見舞いの言葉をいただいた人たちの想いも友に報告したいと思っています。

ふと思い出したのが、土方歳三が一本木関門付近で戦死したときの新選組最後の隊長相馬主計や島田魁たちの土方歳三への敬慕の念でした。

函館で新政府に降伏後、彼らは犯罪者として終身遠島や旧藩預かりとなり、恩赦によって自由になるまで過酷な境遇におかれました。

不幸な最後を迎えた隊士もふくめ、それでも土方への敬慕は変わらなかったことを考えてみると、自身の生き方の善し悪しは周りの人たちの意思によって定義されるものだと、自己流の分析をしました。

相馬主計や島田魁にそこまで敬慕の念を抱かせ、隊士たちをひきつけた土方歳三という人物の実像がどういうものであったのか、もう少し探求してみたいと思います。

私のことですから、「独断と偏見」だけでなく、とんでもない解釈が出てくるかもしれません。

でも、所詮素人のやることですから大目にみてください。

拍手いただいた方から、「拍手コメントを記事の中で公開してほしい」と要望がありましたが、只今考慮中ですのでもう少し時間をいただきたいと思います。


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こんなのどうでしょうか。

新選組隊士の中でとくに好きな二人です。

土方歳三は函館で戦死、島田魁は最後まで土方に従った信義にあつい硬骨漢だった。

新選組の歴史を知る上で絶対に欠かせない二人ですよね。

    土方歳三半身写真   島田魁画像
       土方歳三          島田 魁

昨日の3月10日のことを思い出しています。

文久3年3月10日(1863年)、京都所司代松平容保に残留浪士組差配の命がくだり、浪士組の芹沢鴨、近藤勇、新見錦、平山五郎、平間重助、野口健司、土方歳三、山南敬助、沖田総司、井上源三郎、永倉新八、原田左之助、藤堂平助、粕屋新五郎、阿比留鋭三郎のほか、斉藤一、佐伯又三郎の十七名が連盟で嘆願書を会津藩に提出した日でした。その二日後、今から146年前の3月12日に浪士たちは会津藩預かりとなり、新選組の前身壬生浪士組が誕生しました。

それからわずか半年の間に武家伝奏により新選組を拝命し、のち芹沢一派を粛清するなど、鉄の規律ともいえる厳しい隊規で組織をかため、攘夷派を震え上がらせる存在へと変貌していくなどということは当時の人だけでなく、現代に生きる私のようなボンクラ頭では想像できないですね。

歴史の歯車を早くしたか、遅くしたかは専門家じゃないのでわからないけれど、幕末維新の節目になったことだけは確かじゃないかな。

でもこのメンバーのなかに入っててほしかったな、島田魁さんの名前。まあ市村兄弟は年も若すぎたからムリだと思うけど。

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marihime

Author:marihime
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