☆☆ まり姫のあれこれ見聞録 ☆☆&

美濃・尾張・近江・伊勢(まり姫の史跡めぐり&見たこと・聞いたこと!)

この一輪のの名は「露草」、今の時期にぴったりのような・・・・
露草 (つゆくさ)
今が旬の・・・・
木槿(むくげ)

久しぶりに金子みすゞを紹介します。
みなさん、それぞれ自由に解釈してくださればいいと思います。

雨のあと

日かげの葉っぱはなきむしだ、
ほろりほろりとないている。

日かげの葉っぱはわらいだす、
なみだのあとがもうかわく。

日かげの葉っぱのなきむしに、
たれか、ハンカチかしてやれ。


中山道史跡の旅(近江路)

鳥居本から彦根市小野の集落を通り抜け、近江鉄道の踏み切りまでくると、高宮宿になります。

木曽街道高宮(歌川広重作)
64-木曽街道高宮

高宮宿は、人工密度の大きい宿場で、宿高2923石、町並み7町16間、天保14年の人口
3560人、家数835軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠屋23軒があったとされています。

高宮宿は、高宮布の集散地として、問屋や小売店が軒を並べていたと伝えられます。
高宮布は、近江上布とも称される麻布で、細糸で織った質のよい高級品として珍重され、古くは
近江の守護、佐々木氏が足利幕府にも献上したといわれています。

高宮宿の馬場家をはじめ隣接する豊郷の集落では、藤野家、後の「丸紅・伊藤忠」の創始者とな
った伊藤家など豪商を輩出しました。

        高宮宿の入口                 高宮宿街並み
高宮宿の入口  高宮宿街並み2

                       同じく高宮宿街並み
高宮宿街並み1  高宮宿街並み3

     本陣跡(道筋に見られます。)       円照寺(一般公開はされていません。)
高宮宿本陣跡  高宮宿円照寺
円照寺境内には、徳川家康が大阪の陣、出陣の際に休息したという腰懸石があります。

「芭蕉の紙子塚」(道筋に見られます。)
俳人、松尾芭蕉は高宮の小林家で一泊し、自分の横臥している姿の画を描いて「たのむぞよ寝
酒なき夜の古紙子」という句を作ったそうです。
小林家は新しい紙子羽織を芭蕉に贈り、後に庭に塚を作り、古い紙子を収め「紙子塚」と名づけ
たと伝えられています。

       高宮宿芭蕉の紙子塚
高宮宿芭蕉の紙子塚


「多賀大社の大鳥居」(街道筋に見られます)
表参道口に建つ多賀大社の一の鳥居。滋賀県指定文化財。寛永12年(1635)の建立で、高さ
約11メートル、柱間約8メートルあり、滋賀県最大級の鳥居です。鳥居の横に常夜灯と、多賀へ
の道標「是より多賀みち三十丁」と刻まれた石柱がありました。

         多賀大社鳥居
多賀大社鳥居

     高宮神社(一般公開されていません)
高宮神社


高宮宿を出て、愛知川宿に向かいましたが、高宮宿の境は、犬上(いぬかみ)川までです。 
川に架かる橋は高宮橋といいますが、江戸時代には 無賃橋(むちんはし)と呼ばれました。

        無賃橋
高宮宿の見附(無賃橋)

「無賃橋」の由来を説明する案内板が立てられていて、「彦根藩は、この地の豪商・藤野四郎兵
衛、小林吟右衛門、馬場利左衛門らに命じ、橋の費用を広く一般の人々から募らせ、橋をかけさ
せた。江戸時代には川渡しや仮橋利用の際、お金をとられたが、このようにして架けられたの
で、この橋の通行は無料だった」と書かれています。

江戸時代の旅人にとって、橋の通行料がいらないことで大助かりしたようです。 


木曽街道恵智川(歌川広重作)
65-木曽街道恵智川

愛知川宿は、記録によれば天保年間には本陣1、脇本陣1、旅篭が28軒、問屋が3軒で、宿内
人口は922人 で、中規模の宿場町だったようです。 

中山道愛知川宿のアーチ」
街道の頭上に中山道愛知川宿と書かれた、冠木門形のアーチが掛かっていました。

「八幡神社前の高札場跡碑」
八幡神社の石灯篭の左脇に高札場の標石があります。(小さいので見落としそう)

        愛知川宿口                  愛知川宿高札場跡
愛知川宿口  愛知川宿高札場跡

「脇本陣跡」
脇本陣は洋風の建てもので、江戸時代の雰囲気はありません。

「問屋場跡」
路肩に『問屋跡』の標石が立っていましたが、友人が気がつかなければ見落とすところでした。

      愛知川脇本陣跡                  愛知川問屋場跡
愛知川脇本陣跡  愛知川問屋場跡

「明治天皇御聖跡碑が立つ竹平楼」
宿の外れ近くに、黒板塀門構えの屋敷があり、玄関脇に『明治天皇御聖跡』の大きな碑が立って
いるのが料理旅館竹平楼。江戸時代は愛知川一の旅籠「竹の子屋」でした。
中には明治11年(1878)御小休のときの玉座が残されているといいます。

     旅籠竹の子屋(現料亭竹平楼)
旅籠竹の子屋(現料亭竹平楼)

「愛知川宿出口にあるアーチ」
宿場はずれに『中山道愛知川宿』のアーチがあり、ここで宿が終わりました。

愛知川西方見附
愛知川西方見附


アーチを抜けて、国道8号線と合流してから次の武佐宿まで二里半(10km)の道のりです。
武佐宿から大津宿までは、また写真の確認に出向いてきます。


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テーマ:今日のブログ - ジャンル:ブログ

いつも訪問とコメントを寄せていただいている皆さま、パソコンの具合が悪くなって、いただいたコメントへのお返事も書き込めず、大変申し訳なく思っておりました。
心からお詫びを申し上げます。
また、日頃お邪魔させていただいている皆さまにも、申し訳なく思っておりました。
修復できるまでに少し時間を要してしまいました。
携帯からの更新も考えましたが、通信料のこともあって断念しました。

パソコンの調子は完全ではありませんが、本日よりブログを再開させていただきます。


紫陽花写真の紹介も新種や名の不詳のものがほとんどとなりました。
ここに紹介したのは、ガクアジサイの仲間だと思うのですが、正確ではありませんので掲載をためらっていましたが、アップしました。

ajisai40.jpg  ajisai50.jpg

ajisai35.jpg  ajisai44.jpg

ajisai27.jpg  ajisai45.jpg



中山道史跡の旅(近江路)
途切れていた「中山道史跡の旅」をアップします。

長浜のホテルを八時に出発し、小さい宿場なので番場まで逆戻りし中山道に入りなおしました。
名神高速道路と北陸自動車道の分岐する米原ジャンクションの下を潜ると、久札(くれ)の一里塚跡があります。

番場久礼一里塚

ここから緩い坂を下ると、中山道62番目の宿場・番場(ばんば)宿です。

木曾街道番場宿(広重作)
62-木曽街道番場

写真は番場宿の入口(江戸方見附)、少し先に本陣跡があり、その先に脇本陣や問屋場があったといわれますが、民家が新しくなっていて、道路脇に小さな碑が残されているだけでした。

番場宿入り口

ベンガラ塗りに設楽焼きの狸と、ほんとに近江らしい家です。
写真の問屋場跡の右側に本陣があったといわれるけど、新しい民家が建てられていて、昔の面影は残っていません。

番場宿問屋場跡 

番場宿は醒井宿から一里、鳥居本宿まで一里一町の位置にあり、宿場間の距離が非常に短いものです。番場宿は本陣1、脇本陣1、旅籠屋10軒で中山道では一番小さな宿場でした。
当時の記録では、「町並みは七町三十七間、上下番場合わせて808人、家数178軒、本陣、脇本陣の他、旅籠10軒、問屋場6ヶ所だった」と記されていますが、宿場の中心部は一町余り、今でいえば百数十メートルという短さだったようです。 

写真は番場宿で唯一のみどころである(私の独断)蓮華の入口の西方見附と蓮華です。
蓮華の本堂裏手には長谷川伸の「瞼の母」で御馴染みの番場の忠太郎碑があります。

番場宿 蓮花寺・西方見附  蓮華寺2

元弘3年(1333年)、鎌倉幕府の六波羅探題の北条仲時主従432人が自決したでもあり、裏の山腹にその群墓(大小の五輪塔がぎっしりと建っている)が今でも残されています。
この年の終りに鎌倉幕府が滅亡しました。

番場宿は距離が短く200mもないところが宿場のの出口です。

番場宿の出口(京側見附)付近

小摺針(こすりはり)峠を越えると、滋賀県の彦根市に入るのですが、峠といっても低いので、快適な街道となっています。朝早いのに、歩いて旅をしている人が数組ありました。
車で移動するのが少し恥ずかしくなりました。

小摺針(こすりはり)峠  小摺針峠道標

この小摺針峠の下は名神高速道路の米原トンネルとなっているところで、この小摺針峠を越えると鳥居本宿となります。
この峠の頂上には、かつて茶屋の望湖堂があったといわれます。
当時は、茶屋から眼下に琵琶湖が見下ろせたといいますが、今は干拓が進み、湖は遠くなってしまいました。
摺針という地名は、老女が針を作ろうとして斧を摺っていたことによるといわれています。

北国街道・追分
摺針峠を下ると、北国街道(ほっこく、現国道8号線)の追分にでました。
北国街道(北陸街道)は、ここから栃の木峠を越え、新潟までの全長約520kmの街道をいいます。

北国街道・追分

中山道は、いったんこの8号線に合流し、彦根道追分で再び直ぐ左の細い道に入ります。

彦根道追分

鳥居井宿(広重作) 
63-木曽街道鳥居本

中山道を進むと、古い建物が増え、静かで落ち着いた街道情緒がある街とは聴いていたけれど、本当に落ち着いた感じの宿場です。 
鳥居井宿は、本陣は1、脇本陣が2、旅籠は35軒、宿場の人口は1448人、家数は293軒とあり、旅籠の数は近江路では最大と伝えられています。
下の写真は中山道63番目の宿場・鳥居本(とりいもと)宿の入口付近です。
木曾路名所図会にも「多賀大社の鳥居、此の駅にありしより名づくる 今はなし」と記されているところです。

鳥居本宿入り口付近

まだ、茅葺きの家が一軒だけ残っていました。 
屋根にコケがびっしりとへばりつき、歴史を感じさせてくれました。 

鳥居本宿街並み

鳥居本の宿場に入って桝形のところまで行くと、赤玉神教丸(あかだましんきょうがん)で有名な有川製薬があります。(下の写真)赤玉神教丸は胃腸薬で下痢、腹痛、食べ過ぎに良く効いたといいます。
今も製造販売しているようで、神教丸の由来は、多賀大社の紳教により調合されたことから神教丸と呼ばれるようになったと伝わっているようです。
また、有川邸には皇女和宮や明治天皇も立ち寄ったといわれます。

赤玉神教丸 有川製薬  鳥居本 有川邸
  
鳥居本宿の名物はこの赤玉神教丸と鳥居本合羽(かっぱ)の2つでした。
下の写真は、元の木綿屋嘉右衛門の店で道中合羽を模した木の看板が店先に釣り下がっていました。
江戸後期には15軒も合羽を扱う店があったといいます。
この合羽は、楮紙(こうぞし)に柿渋を塗って耐久性を増し、雨を防いだということらしいです。
右の写真は同じ合羽屋の「松屋商店」

鳥居本 元の木綿屋嘉右衛門の店  鳥居本合羽屋「松家商店」

本陣を探していたら、
フェンスに木製の立て札が付いていて、それだけかと思ったら、「奥の家が寺村本陣の家だ」と近所に住むおじさんが教えてくれました。少ししゃれた感じの家。
ヴォーリズ設計の寺村邸。旧中山道の鳥居本宿の寺村本陣の跡に建っています。1938(昭和13)年建築。

本陣跡に建つ寺村邸

鳥居本宿の街並みは昔の面影を色濃く残していました。
入り口から西方見附まで、このまま保存がされていくのか、地元の彦根市の行政当局の取り組みがされているのかは不明です。

鳥居本街並み

鳥居本宿場のはずれにあたる西方見附付近
鳥居本宿西方見附

次回は、高宮・愛知川宿の紹介をします。

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中山道史跡の旅(近江路)

いよいよ近江路へ入りました。
今須宿から柏原宿の間には、美濃・近江国境の道標とともに、県境の標識が立てられています。

                     美濃近江国境
       美濃近江国境

そこを過ぎると、中山道60番目の宿場(中山道六十九次)で、近江側最初の宿場になります「柏原宿」(現在は滋賀県米原市)

木曽街道柏原(歌川広重作)
60-木曽街道柏原

柏原は東の今須宿、西の醒ヶ井宿までの距離が1里程度と近いにもかかわらず、長さ1.4kmにも及ぶ比較的大きな宿場です。 

江戸時代中期には344軒もの民家が軒を連ね、本陣・脇本陣各1件、問屋6件などがありました。 本陣は残っていませんが、宿場情緒を感じさせる数件の古い家屋が当時のまま残っています。 
なかでも代表的な古い家屋が街の中ほどにある「伊吹もぐさ」を商う「伊吹堂亀屋」で、東海道五十三次の広重も柏原宿でここを描いています。
この店はいまでも「伊吹もぐさ」の専門店として暖簾を維持しています。
古来よりこのあたりの「伊吹山」ふもと一帯はもぐさ業の中心として栄え、この地で作られ日本全国へ出荷されたほど「伊吹もぐさ」として有名なところだそうです。 

              福助人形の元祖 伊吹もぐさの伊吹堂亀屋
       福助人形の元祖 伊吹もぐさの伊吹堂亀屋

柏原庄屋跡は映画監督吉村公三郎の実家です。

                     柏原庄屋跡
       柏原庄屋跡 

柏原歴史館の看板がかかり入り口に食堂らしきものが併設されている古い家屋が目に入ってきます。

                     柏原歴史館
       柏原歴史館

国道から少し脇だけなのに、柏原の街はほとんど人の往来がなく、昔の宿場のなごりを残していました。

          中山道柏原宿標識             柏原宿街並み1
  中山道柏原宿標識  柏原宿街並み1

西見附を通り過ぎると左手に一里塚があります。

           柏原一里塚跡
  柏原一里塚跡

ところどころ旧街道らしい情緒が残る道を西へ向かうと、中山道と国道21号はやがて合流します。

         柏原~醒ヶ井間の中山道         醒ヶ井宿方向の杉林
  柏原~醒ヶ井間の中山道  醒ヶ井宿方向の杉林


木曽街道醒ヶ井(歌川広重作)
61-木曽街道醒ヶ井

中山道61番目の宿場町として栄えた醒ヶ井宿は、古代からの交通の要衝であり、霊仙からの澄んだ湧水が流れ、今も江戸時代の面影を残す街です。
また、鱒の養殖も昔から盛んに行われ、醒ヶ井駅から南方には醒ヶ井養鱒場があります。
多くの観光客が訪れ、鱒釣りや子どもたちの鱒のつかみ取りができる施設があります。
交通量が多い国道21号から別れ、左手に加茂神社が見えてくると醒ヶ井宿の街並に入ります。加茂神社の前には「醒井」の名の由来にもなった「居醒」の清水が湧いています。

       醒ヶ井宿碑  

泉の上には、居醒と書いた石碑がある。

           居醒の清水1            居醒(いさめ)の清水石碑
  居醒の清水1  居醒(いさめ)の清水石碑

             西行水
  西行水

「居醒泉」の由来
「日本書紀」の大蛇を退治した日本武尊(ヤマトタケル)の伝説に登場する「居醒泉」が醒井の地名の由来であるといわれています。
「居醒の清水」、天台僧によって開かれたと伝わる「十王水」、子授かりの水で知られる「西行水」など街道筋のあちこちで歴史や伝説の湧水があふれています。

岩の上には、仁安三戌子年秋建立の五輪塔があり、「一煎一服一期終即今端的雲脚泡」の十四文字が刻まれています。
伝説では、西行法師東遊のとき、この泉の畔で休憩されたところ、茶店の娘が西行に恋をし、西行の立った後に飲み残しの茶の泡を飲むと不思議にも懐妊し、男の子を出産した。その後西行法師が関東からの帰途またこの茶店で休憩したとき、娘よりことの一部始終を聞いた法師は、児を熟視して「今一滴の泡変じてこれ児をなる、もし我が子ならば元の泡に帰れ」と祈り

 水上は 清き流れの醒井に
   浮世の垢をすすぎてやみん

と詠むと、児は忽ち消えて、元の泡になった。西行は実に我が子なりと、この所に石塔を建てたという。今もこの辺の小字名を児醒井という。
米原町説明版より

湧水が豊富に湧く醒ヶ井宿 この街は豊富な湧き水と地蔵川の清らかな流れをキャッチフレーズにして観光と町おこしを図ってようで、JR醒ヶ井駅の近くには「醒井水の宿駅」などの観光施設もあります。
地蔵川には梅花藻が群生していて、春には地蔵川の流れの中で白い花が咲きます。

         醒ヶ井宿地蔵川1               醒ヶ井地蔵川2
  醒ヶ井宿地蔵川1  醒ヶ井地蔵川2

           醒ヶ井地蔵川3
          醒ヶ井地蔵川3

         醒ヶ井宿問屋場跡               醒ヶ井宿本陣跡
  醒ヶ井宿問屋場跡  醒ヶ井宿本陣跡

          醒ヶ井宿醤油店
  醒ヶ井宿醤油店

宿場町の面影を残す家並みの前に清流が流れる旧中山道をゆったり歩み、街をぐるりとまわったあと、醒ヶ井駅の右手にある「醒井水の宿駅」という施設に入り食事。みやげをあわてて買いました。
駅のすぐ側で地域物産品が多く販売されていますから、行かれる方は覗いてみてはいかが。

                醒ヶ井宿西詰め
       醒ヶ井宿西詰め

醒ヶ井宿西詰めまで行き、次の番場宿へ行くか旅館を探すか、友人と意見が分かれてしばし論争。
今回は私が勝ち、街道を離れて旅館探しとなり、私が以前宿泊したグリーンホテルyes長浜へ直行しました。理由は簡単一泊6500円だからです。朝はおにぎり定食も出るしね。
そんなこんなで美濃~近江路1日目が終わりました。

次回は番場宿・鳥居本宿を紹介します。


性海歴史公園の紫陽花、あと少しになりますが、今月中掲載します。

            ダルマノリウツキ                 ツルアジサイ 
   2009.6.14 ダルマノリウツギ  2009.6.14 ツルアジサイ

           色違いミセスクミコ                レナータ
   2009.6.14 ミセスクミコ  2009.6.14 レナータ

           伊那紅テマリ                 紅クレナイ3
   2009.6.13 伊那紅テマリ  2009.6.13 紅クレナイ3

            城ケ崎3                    新種湖畔
   2009.6.13 城ケ崎3  2009.6.13 新-湖畔

            新種湖畔2                  伊予かすり
   2009.6.13 新-湖畔2  2009.6.13伊予かすり


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昨日に続いて性海歴史公園のあじさいの写真をアップします。

ガクアジサイはよく見かけますが、普段見られないものを見ていただきたいと思います。

種類が多いので、6月中にほとんどお見せできるかわかりません。

なお、史跡めぐりの旅の記事は『続き』に掲載してありますので、そちらを見てくださいませ。

                         ベニテマリ1
          ベニテマリ1

                         ハーモニー1
          ハーモニー1

                         レナータ
          レナータ

                         ベニテマリ2
          ベニテマリ2

                         剣の舞
          剣の舞

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美江寺から途中を止まらず、一気に赤坂まで走り続け、11時半には到着。
中山道を歩いて旅をしている人には申し訳ないような気がしました。
友人はすでに訪ねる史跡を決めていたようで、私は後をついていくだけでした。

赤坂宿(56番目)は文久元年(1861年)皇女和宮の通行に際して宿泊地となり、幕府の威信を示すために幕府からの10年債を使って中山道に面した54軒の家が2階建てに建て替えられました。地元ではこれを「お嫁入り普請」と呼び、後世に伝えています。宿場中心にある四ツ辻は谷汲街道の分岐点となっており、中山道から北へ延びる道は西国三十三箇所第三十三番札所、満願結願の華厳寺へと続きます。天保14年(1843年)当時、赤坂宿の長さ東西7町18間(約795m)、人口1129人、家数192軒、本陣1、脇本陣1、旅籠17軒があったと伝えられています。

「木曽街道六十九次・赤坂」歌川広重作
56-木曽街道 赤坂宿

赤坂宿本陣は矢橋家が担っており、今は建物が保存されています。
赤坂宿本陣跡が小公園となっています。幕末の志士所郁太郎像もあり、井上聞多が刺客に襲われ重傷を負ったとき外科手術をして救ったことで知られます。

          赤坂宿本陣(旧家矢橋家)            赤坂本陣跡
     赤坂宿本陣(旧家矢橋家)    赤坂宿本陣跡碑

街道から少し入った所にお茶屋屋敷跡があります。家康が岐阜城の御殿を移して将軍専用の宿泊所としたもので、今は牡丹園として有名です。先日撮った牡丹の写真を記事の下にアップします。
門を入った左の竹林は、京都嵯峨野の雰囲気に似たものがあり、風情を感じさせてくれました。

                     赤坂宿 お茶屋屋敷跡
                赤坂宿 お茶屋屋敷跡

かつて水運で賑わった赤坂港跡。昔杭瀬川を500艘もの船が往来する川港だったそうですが、面影はありません。
赤坂港跡に建つ洋風建築の赤坂港会館は、明治8年(1875年)に中山道と谷汲街道の分岐点に建てられた警察屯所で、現在の建物は復元されたものです。内部は資料館となっており、赤坂宿や赤坂港に関する展示をはじめ、金生山の化石や大理石等が展示されているようですが時間がないので撮影だけにしました。

             赤坂宿赤坂港跡              赤坂宿火の見櫓及び常夜燈
     赤坂港跡    赤坂宿火の見櫓及び常夜燈

赤坂宿の街並みは、幕末に改築されたところが多く残っていて、整然としたたたずまいです。
商家の格子の赤色もかすかに残っていて、十分堪能させてくれました。

          嫁入り普請の赤坂宿街並み          赤坂宿街並み        
     赤坂宿街並み2    赤坂宿街並み

かつて脇本陣を務めた榎屋旅館。上段の間や書院が保存されているらしいけど、今は廃業してしまったようです。関ヶ原合戦の前日戦死した武将を葬った甲塚のすぐ側に「赤坂宿御使者場跡」の石標がありました。

          赤坂宿脇本陣跡                赤坂宿御使者場跡
     中山道赤坂宿脇本陣跡    赤坂御使者場跡
    

この後、コンビニで弁当を買って車内で食事。わずか5キロぐらいですが、休むまもなく昼飯(ひるい)町から、青墓町を抜けて垂井宿に急ぎました。途中左手に「照手姫水汲井戸」の案内標識がありましたが素通りして、ひたすら垂井宿に急ぐ強行軍でした。

垂井宿(たるいじゅく)は中山道57番目の宿場(木曽街道六十九次)で、現在は岐阜県不破郡垂井町になっています。
西町・中町・東町の3町に分かれ、本陣は中町にありました。毎月5と9の日に南宮神社鳥居付近で開かれた六斎市は大勢の人で賑わうそうです。東海道宮宿とを結ぶ脇往還美濃路との追分で、西美濃の交通の要衝でした。
1843年から幕府領(大垣藩預り領)で、当時の 人口は1179人 、家数は315軒 、本陣1軒 、脇本陣1軒 、旅籠27軒 がありました。

「木曽街道六十九次・垂井」歌川広重作
57-木曽街道 垂井宿

最初に目に付いたのが旅館亀丸屋。安永6年(1777)に建築された旅籠屋で現在も旅館として西村さんという方が営業されています。

                 垂井亀丸屋旅館(西村家)
          垂井亀丸屋旅館(西村家)

栗田家が本陣職を務めた垂井宿本陣跡ですが、現在は歯科医院と栄松堂という和洋菓子店が建っていて、本陣跡石碑と案内板が残っているだけです。

          垂井宿本陣跡(栗田家)          垂井宿本陣跡石碑
     垂井宿本陣跡(栗田家)       垂井宿本陣跡石碑

宿場の中心部、中山道に面した所に垂井には美濃国一の宮南宮大社があり、大鳥居を左に行ったところの玉泉寺の前に垂井の泉があります。垂井宿の地名の起源になったと伝えられています。案内板には藤原隆経の「昔見し垂井の水はかはらねどうつれる影ぞ年を経にける」という歌が記されています。のちに芭蕉もここを訪れ、「葱白く洗ひあげたる寒さかな」という句を残しています。

         南宮大社大鳥居及び常夜燈         芭蕉句碑
     南宮大社大鳥居及び常夜燈    芭蕉句碑

下の写真は宿場名の由来となった垂井の泉です。

          垂井の泉
     垂井の泉2    垂井の泉1

         玉泉寺
    玉泉寺

本龍寺の山門や書院玄関は金岩脇本陣の門と玄関を移築したものといわれています。

          本龍寺書院玄関                   本龍寺山門
     本龍寺    本龍寺山門

垂井の長者、長屋氏屋敷跡。宿場から少し南へ外れた所にあります。南北朝の争乱期に北朝方の後光厳天皇が仮御所にされ、後に足利尊氏がここに滞在したと伝わっています。

               垂井宿長者長屋氏屋敷跡
          垂井宿長者長屋氏屋敷跡

旧旅籠の長浜屋は200年前の間取りを残していますが、今ははお休み処として保存公開されています。

               垂井宿お休み処
          垂井宿お休み処

垂井宿で時間を使いすぎて、美濃路が全部終わるかどうか心配になり、友人にどうするか尋ねると、「今日は米原泊まりだからあわてないわよ」って、自分ですべて計画しているようでした。
垂井の西詰めまで来ると、日守の一里塚がありました。これは全国で2ヶ所しかないといわれる国指定史跡です。案内板には「中山道には国指定一里塚が二つありその一つで貴重な一里塚である。」と書かれていました。

         垂井日守一里塚(国指定史跡)          垂井日守茶所(一里塚隣)
     垂井日守一里塚(国指定史跡)    垂井日守茶所(一里塚隣)

最後は関ケ原の合戦で、徳川家康が布陣した、有名な桃配(ももくばり)山が近くにありますが、寄るのをやめて関ケ原宿へ向かうことにしました。

次回(隔日)は関ケ原宿と今須宿の史跡について書く予定です。


                  赤坂宿お茶屋屋敷の牡丹

       お茶屋屋敷牡丹6

       お茶屋屋敷牡丹

       お茶屋屋敷牡丹8

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